6
ペンのインク、刺繍糸、金平糖、ノートに鞄。
買い物リストを書き上げ、私は溜息を漏らした。図書室の閉室時間はもう目の前で、まばらに残った生徒たちはみんな片付けを始めている。
「明日の祭りには誰かと行くのか」
右隣に座るシリルが私の買い物リストをちらちらと見ながらそう言った。
私は思わず笑い声を上げた。
「レオラは一緒に行ってくれないんだって。デビュタントで出会った素敵な男爵と遊ぶらしいから」
「ああ、あいつだろ。俺もあのデビュタントにいたから知ってる。…まあ、レオラの踏み台になる運命だな」
「やっぱり?私もそう思ってた」
素敵な男爵、つまりレオラを社交界へ連れ出してくれるだけの男。レオラはそこであっさり男爵を捨てて、もっと素敵な人と恋をする。
「それじゃあ、明日は1人だな?」
「そうね」
「俺も1人なんだけど。ほら、ウィンストンはローズと行くから」
「知ってる」
くすくす笑うと、シリルは緊張した面持ちで切り出した。
「じゃあ今年は俺と一緒に行ってくれるか?」
「友達として?」
「そう、親友として」
シリルはそう返した。私はまた笑って、首を縦に振る。
「いいよ」
「今年は逃げずに答えてくれたな」
「去年と今年じゃ随分違うもの」
そう、随分関係性が違う。私は去年、シリルにビビっていた。それが今年は親友だ。世の中何が起こるかわからないものだとおもう。
「それじゃ、明日女子寮まで迎えに行く」
「ボーイフレンド気取り?私の友達に聞かれたらちゃんと『親友を迎えに来ただけ』って言ってね」
「勿論」
シリルは力なく笑った。
「女の子は誘わなくて良いの?」
「誘っただろ」
「そうなの?」
「お前なあ」
シリルは困ったように眉を下げた。
私とシリルは教科書を片付けて、参考書を本棚に戻す。そして2人揃って図書室を出た。
「ヴィオレタ、送るよ」
「ありがとう」
いつからか、シリルは私を女子寮まで送ってくれるようになった。もちろん夜遅くて危ないからだろうけれど、学校の敷地内で何かが起こるわけがない。しかし仲直りをして以来、シリルは優しい。
「また俺が買い物リストを持っておこうか」
「追いかけてくるつもり?」
「一人で街に行かせるかよ」
シリルは去年のことを根に持っているようだ。去年は去年で、今年は今年なのに。
「まだあの砂糖は好きなのか?」
「金平糖?うん、すごく好き。去年買った金平糖はずっと前に食べ終わっちゃったし」
「あんなに甘いのに」
「それがいいの」
甘くて幸せ。
優しい気持ちになれる味。
「シリルは好きなお菓子とかないの?」
「甘いものは苦手だからな」
べっとシリルは舌を出した。
「明日はお祭りだから、甘いお菓子も売ってるじゃない?ああいうのもダメ?」
「焼き菓子なら多少は」
「そう。それなら一緒に食べる?」
「…ヴィオレタが言うなら」
シリルは渋々頷く。私は嬉しくなってくすくす笑った。
「それから、去年は参加できなかったダンスも入りたいな」
「踊れるのか?」
「シリルより得意だよ、きっと」
「俺もかなり得意なほうだが?」
「嘘でしょ?シリルはお貴族様のお上品なダンスしか分からないはず」
「凄まじい偏見だな。俺だってこの町は長いんだ、ここのダンスは覚えたよ」
庶民的などこか大味で大雑把なダンスは、この学校の生徒でも半分くらいしか知らない。特に爵位を持つ家柄の生徒には踊る気すら起きないようなダンスなのだ。少なくともレオラには難しいかもしれない。学校での地位が上であればあるほど知らないダンスだから。それにレオラは貴族志向だから、こんなダンスを覚えるなら社交界で流行りのステップを覚えるだろう。
「それに俺は去年も踊った」
「え、そうなの?ウィンストンも?」
「ウィンストンのほうがそういうの好きなんだよ」
なんとなくわかる。
ウィンストンは庶民派だ。むしろ貴族の中にいる方がどこか似合わない。馴染んでいるけれど、居心地が悪そうなのだ。
「それじゃつられてシリルも踊れるようになっちゃったってわけ?」
「俺がここに入った時って没落したところだっただろ?だから色々と落ち込んでたんだが、ウィンストンに連れてってもらったお祭りで始めて気分が晴れてさ」
「知らなかった、それ」
シリルは、実は転校生だ。元々は貴族ばかりの聖レンシア学院に通っていた。没落して居心地が悪いからこっちへやってきた。
いつのまにかウィンストンと仲良くなってチャラチャラしていたが、2人が打ち解けたのがお祭りだったとは。
「まあ人に言うような話でもないからな」
シリルはへらりと笑った。
「一緒に踊るだろ?」
「いいわ」
私もへらりと笑った。
翌朝、シリルは女子寮まで迎えに来てくれた。
いつものように会話をしながら街まで2人で歩き、周りに学生が見えなくなった街中で、シリルの指が私の指に触れた。
触れ合った指が熱を帯びる。シリルは何食わぬ顔で、私の手に触れた。痺れそうなほうどに甘い感触だった。
「……」
「……」
お互いに顔も見れないまま、シリルは私の手を握る。私も、そっと握り返した。
(顔あげられ、ない)
視線は地面を向いている。そこから目を逸らさない。ほんの少しも。
「あー、ほら、あれ、買うんだろ」
「えっ?あ、うん、金平糖…」
そう言われてようやく顔をあげた。シリルは出店の金平糖屋さんを見ていた。お互いが不器用な言葉を吐き出したことに思わず笑っていた。
いつもならもっと饒舌に話せるのに、今日は不思議だ。
「いらっしゃい!1年に1度しか出さない珍しいお菓子だよ!綺麗な彼女のお土産にどうだい」
「一袋頼む」
「あいよ」
シリルが店主に金平糖を頼むと、人の良い外国人の店主は白い金平糖をザラザラと袋に詰めて、シリルに手渡した。シリルは銅貨を数枚店主に手渡す。私は慌てて抗議した。
「シリル、お金なら私が」
「良いんだ。俺に買わせてくれ」
「でも」
「ヴィオレタに買いたいんだ」
そうしているうちに銅貨は店主のポケットに仕舞われた。
「それなら焼き菓子を私に買わせて?」
「デートで女に金出させるほど俺は悪いやつじゃない」
シリルの顔は赤くなっていた。つられて私の頬も熱くなる。
デートじゃないって言ったくせに。ただの友達のくせに。
2人で焼き菓子を食べて、甘い甘いと嘆くシリルを笑って、2人で苦いコーヒーを飲んだ。まるで恋人同士のように手を繋いで街を歩き、噴水の広場で休憩し、他愛のない話で盛り上がった。ウィンストンがローズに一目惚れしたときの話や、シリルとウィンストンが友達になった経緯、シリルの生い立ち、私の生い立ち。私の弟の話に、シリルの気の毒な姉の話。高貴な貴族達の噂話や、見たことのない華やかな本物の社交界の話。流行りの青色の話に、となりの国のお話。最新の技術の話や上手くいく商売とは何かという意見、国政、法律、そして女王の噂やおそろしい逸話。どれもこれもシリルの知識や見解は面白く、私は話に夢中になった。そして、私は自分の無知や浅慮を思い知ることとなった。同じ年数を生きていて、同じように教育を受けているはずのシリルと私では、疑いようがなく明白な差があると認めざるを得なかった。
それなのに私と一緒に行くというのか。
それは明確にこの国にとっても、彼にとっても多大なる損失だ。それを私が許すのか、それを選択させるだけの魅力や、将来性が私にあるというのか。私にその権利があるのか。
あのシリルとこのヴィオレタで、どう釣り合いが取れるのか。
本当にこれをデートだと言っていいのだろうか。そもそも彼と私でデートなんてして良いのだろうか。私はこんなに平凡で、国の役に立てるような人材でもなければ、光り輝くような美女でもない。どうして王子様のようなシリルが、私を選ぼうとしてくれているのか。
太陽が真上に登った頃、ラッパのファンファーレが鳴り響いた。昼の祭りのメインイベントであるダンスの始まりだ。
私は自分の中の醜い葛藤を押し込めて、シリルの手を引いた。
「シリル!ダンスだよ!行こう!」
「よし、俺が上手いって言わせてみせる」
「私の方が上手だよ、ほら」
私たちは人々に混ざって、伝統的なステップを踏んだ。くるくると2人で腕を組んで回り、手を叩く。
「上手いね」
「ヴィオレタも上手だな!ほら!」
また手を叩き、地面を踏んで、手を繋ぐ。
自分で言うだけあって、シリルはとても上手だった。ダンスパーティーで披露した通りのダンスの腕前だった。
「ヴィオレタ!楽しいな!」
「楽しい!」
祭りの大音量の音楽と喧騒に負けないようにシリルは大きな声で言って、私はそれに大声で答えた。社交界のダンスとは真逆のものだった。
「すごく楽しい!終わらなければ良いのに!」
「俺もそう思う!」
シリルは熱っぽくそう言った。
「ヴィオレタがいるから、楽しいんだ!」
紛れも無い笑顔でシリルは叫んで、また手を叩いた。
結局最後まで踊って、くたくたになって私たちは帰路についた。私たちは当たり前のように手を繋いで、2人で帰っていた。
「あのさ、ヴィオレタ」
「なあに?」
「今日の俺たちって悪く無いよな」
「そうね」
シリルは緊張したように唾を飲み込み、学校の門のところで立ち止まった。
「えーっと、ほら、金平糖。あと、これ、好きだろ」
「わあ、スミレの砂糖漬けだわ!貴方って本当にこれを良く持っているのね」
「そりゃ他に好きなものを教えてくれないからだろ」
シリルは鞄から私の金平糖と、スミレの砂糖漬けが入った瓶をくれた。他に好きな物を教えていたらそれをくれたのだろうか?
「ヴィオレタ、俺、」
「シリル、少し話しても良い?」
「え?ああ、どうぞ」
私はシリルの言葉を遮った。そうしなければならないと思った。シリルが何を言おうと、それは私の言葉を聞いてからにしてほしかった。
祭りの間も、これまでも、ずっと考えていたこと。解っていたのに誤魔化していたことを、もういい加減吐き出さねばならない。
「シリルはやっぱりローズたちと同じところに行くべきだよ」
シリルの顔が硬直した。
「同じところって、それは、お前と離れろってことか?」
「うん、前から思っていたの。シリルがやりたいこと知ってるし、シリルならできるって分かってる。それだけの才能がある。だからシリルは私と来ちゃいけない。ローズたちと行かなきゃ」
「俺がやりたいことなんて、お前が知るはずないだろう」
「知ってるよ、シリルは国の力になりたいんだよね。しかもそれができるって解ってる。シリルはきっと、いや絶対城に行ける。でもそのためにはあの大学に行かなくちゃいけない。…そうでしょ?」
「それは少し前の俺で、今の俺はそうじゃない…俺は本気でお前と居たいんだ」
真剣な顔をしていたシリルに、私は挫けそうになった。それでも、それが本当にシリルのためになるなんて思えない。
「気持ちは嬉しいよ。本当に。でもね、私にはわからないの。私にそこまで良くしてくれる理由が。私は何も持っていない。少しも優れていない。貴方の友達にも、それ以上にもなれる資格が何一つとしてない。だから分からないの、本当に分からないの。貴方のその才能を、私なんかと一緒にいたいって理由だけで潰してしまうことが、理解できないの」
「そんな、」
「そして、それが怖いの。貴方を私と同じところに引きずりおろして、それを誰かに責められるのがとても怖いの」
きっと世間は、彼の家族は、友人は、私を責める。悪い女だと言う。誑かしたのだと言うに決まっている。
「私は身の丈をわきまえていたい。私は自分の学力にあった学校へ行く。貴方もそうするべきだとおもう」
「どうして、どうしてそんなに自己評価が低いんだ、ヴィオレタ…俺はお前を高く評価しているし、それは俺だけじゃない。ウィンストンもローズも」
「ええ、そうね。有難いことだとおもう、みんな優しいんだもの」
優しすぎて困る。私はただのヴィオレタなのに。平凡なのに。輝く宝石の中にただの鈍い石を混ぜ込まないでほしいだけなのに。
「離れても友情自体は変わらないよ、そうでしょう?」
「ヴィオレタ…」
「今日は本当に有難う、シリル。おやすみなさい。…菫の砂糖漬けも、ありがとう。これを見ると元気になるの、本当に嬉しい、一番好きだよ」
私はそう言って、シリルに背を向けた。これ以上は耐えられそうになかった。
その夜私は部屋に戻って、ベッドの中で声を押し殺して泣いた。
それ以降、私は図書室で勉強するのを辞めた。自室か、それとも談話室で勉強することにした。そしてシリルはローズやウィンストンと同じ志望校に戻し、3人で勉強するようになっていた。ウィンストンとローズは2人揃って物言いたげではあったが、私もシリルも頑として口を割らなかった。4人揃う授業はどこか余所余所しく、シリルとはすっかり話すことがなくなった。
季節が変わる頃に私達は全員受験が終わった。
私は志望していた学校へ、特待生として歓迎されることとなった。ローズやウィンストン、そしてシリルも同じく特待生として大学に合格した。全員の進学が決まると、また4人で少しずつ話をするようになった。私とシリルは余所余所しいけれど。そして3人が楽しそうに大学の話をしているのを聞くのが、何故か辛いけれど。
そして卒業パーティの時期が来ると、シリルは私をパートナーに誘った。
私の答えは、はい、だった。