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学年が上がった。

最終学年だ。毎日の勉強に追加して受験勉強が重くのしかかる。



変化はそれだけではなかった。


ローズとウィンストンが正式に付き合うようになったのだ。どうやらきっかけはあのパーティだが、ローズが完全にウィンストンを信頼するに至ったのは私とシリルの大喧嘩を仲裁していた時だそうだ。そしてそれによって、ローズとウィンストンは2人きりで勉強するようになってしまった。


そして余った私とシリルはそのまま自然な流れで2人で勉強するようになった。


「そこ、また間違えてる。覚え方教えただろ」

「間違えてる?」

「文学苦手だろ」


シリルの指が教科書を叩く。私は並んだ文字を見て、隣に座るシリルを見上げた。


「苦手かも」


シリルはくっと笑った。


「でもあそこの大学なら出題科目だから、ちゃんと勉強しないとな。俺は得意だからちゃんと教えるよ」

「ありがとう」


シリルやウィンストン、それにローズが受験する大学はこの国でも1番歴史が古くて、一番難しい大学だ。そこへ入れば大きな仕事ができるだろうし、貴族としても城へ上がれる最短ルートになるだろう。


故に私には少し、いやとても、難しい。


私はシリルやウィンストンやローズに比べて圧倒的に平凡なのだ。シリルやウィンストンは没落気味とはいえ元々ちゃんとした歴史のある貴族で、ローズは一般人だがとにかく美人で頭が良い。私は、没落しきった貴族で、頭は良くも悪くもない。3人とは何かが決定的に違う。


私はどこまでも普通なのだ。


「シリルは将来どうするの」

「最短ルートで城に上がって、家を再興する。女王は家柄じゃなくて能力で人を見てくださるタイプだと聞いているから、俺は能力で没落した家を再び表舞台に引き上げたい」

「へえ、大きいね」


夢が、というよりは、度胸が。

彼は自分にとにかく自信がある。そしてその自信に釣り合うだけの能力が備わっている。


「ヴィオレタは?」

「私は家業を継ぐつもり。まだ弟が幼いから…いつかは弟に家業を引き渡して、弟を支えるの」

「嫁ぐつもりはないのか?」

「全くないわ」


誰かが私を欲しがるとも思えないから。

私はまたおさげにした髪を背中に追いやり、ペンを転がした。


「でも家業がまた失敗したら、私は借金のカタに誰かの妻になるかもしれないわね」

「そうならないために勉強するんだろ」

「ええ、もちろん」


そう簡単に誰かの妻になるつもりはないのだから。私は転がしたペンを掴み、教科書の一文を抜き出した。


それは有名な恋愛の詩だった。

私には作者の気持ちを理解することができないし、この詩を諳んじることもできそうにない。


「恋は甘い罠、私を縛り付けて離さない…」


外国語を織り交ぜて綴られた言葉を分かりやすく噛み砕いても、本当の意味での理解には到達できない。


「まったくもってそうだな」


シリルがしみじみとそう呟いた。


「シリルは恋が多いもんね」

「いや?そうでもないが」

「今は受験だからセーブしてるだけでしょ?」

「いや、今も昔も好きになったのは1人だけ」

「へえ、それじゃ私の親友のレオラはただのお遊びだったってわけね」

「レオラ?…ああ、金髪の?彼女に関しては…そもそも弄んだつもりもないんだけどな」


シリルが黒い髪を掻いて、眉を下げる。私は首を傾げてシリルの言葉を待ったが、シリルはこれ以上話しそうになかった。


「ヴィオレタはそんな気持ちになったことはないのか?」

「全くないよ。これからもないんじゃないかな」

「人を好きになれないのか?」

「さあ…」


かつてシリルに抱いた気持ちが恋だったというなら、きっとそれが最初で最後だ。でもそれは自分では認められない。認めたくない。シリルなんかに恋をしたくない。


良い友達だと思う。

シリルは悪い人ではないし、こう見えて優しいし、面倒見が良い。私の勉強を見てくれているのは本当に助かる。


だけど同時に男としては最低だと思う。


「もし恋をしたらさ」

「うん」

「俺に最初に教えてくれよ」

「最初に?」

「そう、最初に。俺は男としてアドバイスしてやるからさ」


シリルはへらりと笑った。私は一応頷く。


「まあ、良いけど…」


そんなことは、ないと思うけれど。









「ご両親に挨拶?」

「そうなの」


ローズは教科書で顔を隠しながら頷く。顔はもれなく髪と同じ薔薇のような赤に染まっていた。


「…ほ、ほら、男女交際は、親に報告をして、認めてもらって、そのお…」

「結婚前提ってこと?」

「………………そんな、感じ」


ローズはしどろもどろにそう説明すると、教科書に埋もれた。耳まで真っ赤になったローズを見つめて私は小さく笑う。


「おめでとう、ローズ」


本当に、おめでとう。

あくまで周りの視線を避けるため、授業中は離れて座るようになったローズとウィンストンは、どこか余所余所しい。人目があるところでは2人きりにならないように心掛けているようだけれど、それが寧ろあからさまなのだ。


「ね、ヴィオレタとシリルは?」

「何にもないわよ、もちろん」

「でもここを出ても大学も一緒で、これからも長い付き合いになるじゃない」


ローズは悪気なくそう言った。私は曖昧に笑って答えを濁す。


「シリルのこと、もう嫌いじゃないでしょ?」

「うん、友達」


これだけははっきりとそう言い切れた。


「私とシリルはこれまでもこれからも、何にも起きないよ。だから一緒にいるの」

「ふうん」


何も起こらないからこそ、シリルは私を隣に置いている。それだけのことだ。


「だってシリルと私じゃ釣り合わないしね」

「そう?」

「それにシリルが私の勉強を見てくれてるのってローズのためだと思うよ。あの大学は女性が少ないから、ローズに寂しい思いをさせたくないんじゃない?」

「シリルがそんなこと考えるわけない」


ローズがくすっと笑った。

でも、そうじゃなければシリルが私の勉強なんか見てくれるわけがないのだ。友達として隣に置いてくれることも。


「願書渡したっけ?」

「昨日もらったよ」


大学の入試要項、入学条件を細かく示した書類は、レオラを伝って私に昨日渡ってきた。私はそれを見て、やはり私には難しいと感じてしまった。


まず要求される学力。

当日のテストも加味されるのは勿論、この学校での成績も反映される。私はギリギリ、本当にギリギリ成績が足りている、レベルだ。シリルやローズなら特待生として迎えられるだろう。

それから学費。

恐ろしく高い。あまりにも高い。私の家にはとても出せそうにない。特待生ならば、入学金も学費も不要だが、私には雲の上の身分だ。難しいじゃなくて、そもそも不可能。


結論を述べるならばーーー私はローズたちとは一緒に行けない。


「これまでの成績はもらった?」

「うん、一昨日先生に貰ったよ」

「そう、それなら書類は揃ったわね」

「うん」


提出すべき書類は揃っている。揃っていないのは私の頭と、お金だけ。


それが全てだというのに。

私にはそれが足りない。








真新しい白いドレスを身に纏い、レオラはくるりと一回転した。レオラが出席するデビュタント用のドレスだ。社交界デビューの若い令嬢のドレスコードは白なのだという。


「どう?」

「すごく綺麗。まだ刺繍を増やすの?」

「もちろん!」


レオラは簡素だったドレスの胸元と裾に見事な刺繍を施してカスタムしていた。街で買ったただのドレスが、レオラの刺繍だけでまるで貴族のドレスのようになってしまったのには驚いた。


「みーんな同じような白なんだもの、少しでも目立たないと」

「来週がデビュタントだっけ?」

「そ、在校生まとめてデビューさせちゃうらしいわよ」


あくまで淑女養成コースの生徒だけ、だけれど。最高学年になると、そういう場を学校が設けてくれるのだ。そしてその会には貴族も参加する。淑女養成コースのみんなは目の色を変えてそれに参加し、運が良ければそこで運命の恋人を見つける。あるいは…自分を弄ぶ最低の恋人を。またある人は、自分に高値をつける男を。


「悪い人に引っかからないでね」

「平気!男を見る目はあるんだから」


レオラは得意げに笑った。

そういえばダンスを一緒に踊っていた彼氏はどうなったんだろう、とか、そんなことをレオラに言ってはいけない。みんなレオラの踏み台だ。レオラが社交界で演じる恋の練習でしかないのだ。


「ほんと綺麗。すごく良いよ。私が求婚したいくらいに」

「あら、ヴィオレタなら大歓迎」

「あはは、レオラの眼中になさそうな没落貴族なのにね」

「ヴィオレタが好きだからよ!貴女ほんとうに良い人だもの。可愛いしね」

「レオラのそういうところ大好きよ」


飾っているのに、飾り気のないレオラ。きっと幸せになる。レオラは自分でちゃんとそれをつかめるひとだ。私とは違う。


「ちょっぴりレオラが羨ましい」

「そう?」

「私は社交界デビューしないだろうから、選ぶことも、選ばれることも一生ないもの」


私は寝台の上で膝を抱えた。


「結婚相手はお父様が決めるんだっけ?」

「そうする必要があるならね。ないなら結婚すらしないわ」

「あらあら、大変ね。それなら今のうちに遊ばなくっちゃ!ステキな恋をしないと」

「恋はしないわ」


そう言い切ると、レオラはくすっと笑った。


「嘘つきの意地っ張りね。いいのよ、私、ヴィオレタのそういうところも大好きだから」

「レオラってば」


私が眉を顰めると、レオラは楽しそうにまたくるりと一回転した。


「恋は人生の調味料よ」

「私の人生は無味無臭ってこと?」

「ヴィオレタの人生は黴が生えてそうね」

「ひっどい」

「私の人生は金平糖」


レオラはくすくす笑いながら背中のボタンを器用に外していく。


「可愛くて甘くて硬いのよ」


レオラはドレスを床に脱ぎ落とした。


「硬いのね」

「そう、一筋縄ではいかないわ」

「私の人生だってスミレの砂糖漬けだって言いたいわ」

「あら素敵」


私が投げたネグリジェをレオラが受け取り、腕を通す。


「恋をする前にミイラになる貴女にぴったり」


私たちは声を立てて笑った。


何故かシリルの顔が浮かんで、シャボン玉のように弾けた。











「なにぼーっとしてんだよ」

「ごめん」


放課後の図書室。

いつものように私とシリルは隣同士で座って、教科書をペンの先で突いていた。シリルの細かい解説を、私が生返事で答えていたせいでシリルが眉を寄せて不機嫌そうにペンを回す。私は昨日のレオラとの会話を思い出して少し不思議な気持ちになっていた。


恋をする前にミイラになるわたし。

ミイラになるわたし。


干からびても死ぬに死ねないわたし。


「苦手だって言ってたけどな、この科目は必須なんだから、もっと」

「シリル」


やる気を、と言いかけたシリルの言葉を無理やり止めた。


「あ?」

「わたし、もうこの科目は要らないの」


わたしの言葉に、シリルはまた眉を寄せた。


「…は?」

「違う大学に、行くから」


ああ、ついに、言ってしまった。


「ちがう、だいがく…?」

「そう。シリル達が行く大学に行くには成績が心許ない。それに学費の問題もある。…だから私、先生と相談したの」

「そんな、」

「もう決めたわ。短期大学にするの。授業料は4分の1だしね。評判も悪くないのよ。女性の生徒もそれなりにいるらしいから馴染めそうだし」

「俺はなにも聞いて」

「それに入試科目もね、これはないし、」

「ヴィオレタ」

「それに私の成績なら特待生も夢じゃないって」

「ヴィオレタ!」


シリルが大きな声を出したから、司書が咳払いをした。私は教科書を閉じて、シリルに小さな声で言った。


「もう決めたの」

「なんでだよ、俺たちみんなで大学にいくって」

「そうしたかったけれど、私には行けない」

「勉強なら俺が見てやるし、学費だって」

「気持ちは有り難いけど、なにも返せないから、辛いわ」


私はペンにキャップを嵌めた。シリルの顔は歪んでいて、今にも叫びそうだった。


「今までありがとう。迷惑かけたわ」

「ヴィオレタ」


私が鞄に教科書を仕舞い込み、立ち上がるとシリルも立ち上がった。


「まてよ、ヴィオレタ」


私は鞄を両腕で抱えて早足に歩き出す。シリルは何もかもを机に置いたまま私を追いかけた。


司書に睨まれながら、足音を立てて図書室から抜け出す。廊下を歩くとだんだん足が速くなる。


最後には走り出して、校庭の裏道まで抜けた。女子寮への近道だ。


「ヴィオレタ!」


シリルが私の肩を掴んだ。私は息を吐き出して、振り返る。


「急にどうしたんだよ!」

「急じゃないよ、ずっと考えてた」

「ならどうして相談してくれないんだよ」

「だってみんな、私がみんなと同じだと信じて疑わないんだもの」


そう、私を、同類だと思っている。思ってくれている。だけど私は。


「私はみんなが羨ましい!」


私は大声で怒鳴った。


「お金も頭もない!家はみんなよりずっと没落してる!可愛くもない!これでも貴方達といられるのか、ずっと悩んでた!」

「おまえ…ッ」

「シリルはどこにいたって目立つよ。シリル様だもの。だけどわたしは、わたしは、ただのヴィオレタなの!」


私は金平糖でも、スミレの砂糖漬けでもない。浮かれて自分をスミレの砂糖漬けと喩えたがったが、私はレオラのいうとおり、黴の生えたただのヴィオレタでしかないのだ。


人目をひくものでは決してないのだ。


「隣にいると恥ずかしい…っ」


見劣りして、余計に自信をなくす。

本物の隣に偽物が大きな顔で並んでいるよう。


「っ…」


シリルの傷付いた顔が、涙で歪んだ。


「惨めにさせないでよ…っ」


私の勝手すぎる訴えに、シリルは言葉を失っていた。


「ごめんなさい…」


私は消え入りそうな声でそう言い残し、走って女子寮に逃げ込んだ。







その次の日から10日間ほどは大変だった。

食堂で会うなりローズが大泣きして、ウィンストンにはハグされた。ローズの前では辞めてほしいところだったが、私の背中にはローズが抱きついた。面白い光景だったとレオラが後で教えてくれた。ローズは進路が離れてしまうことをものすごく悲しんでくれた。私だって悲しい。でも仕方ないことなのだ。シリルから私の逆恨みを聞いたのか、聞いていないのか、ローズは何も言わなかった。ウィンストンも。

授業に出ても、相変わらずウィンストンとシリルは遠い席に座っているし、ローズは半泣きばかりだ。シリルとは全く話さなくなった。また疎遠になってしまった。あんな酷い言葉を投げつけた私のせいだけれど、今となっては後悔のふた文字が頭を過る。


ウィンストンと話し込むシリルに視線を送る。一瞬シリルが私を見て、目を逸らした。たったそれだけのことにひどく胸が痛んだ。



放課後の勉強はひとりぼっちになった。

図書室で黙々と教科書と過去に出題された問題を解いているが、捗らない。1人じゃ勉強できない。隣で誰かが教えてくれないと。


(これは本当にわからない)


一問、解説を読んでもびっくりするほど分からないものがあった。私はうーん、と頭を悩ませ、教科書をペンの先で叩いた。


「それは問題文が引っ掛けなんだよ」


かたん、と隣の椅子が引かれた。驚いて隣を見ると、シリルが椅子に座り、私の教科書を指差す。


「し、シリル…」


話しかけられるなんて思わなかった。驚いて胸がドキドキする。心臓が痛い。

シリルはいつものように落ち着いた声色で解説をしていく。


「問題文を論理的に最初から読み直して、再構成する。そうしたら答えが出るから」


ほら、と解説文になぞらえて問題文を分解して、再構築していく。なんて面倒な問題なのだろう。


最初から読み直して、再構築。


(私も、私自身を最初から読み直して再構築できれば)


そうすれば。


「あ、わかった!だから答えがこうなるのね」


私が嬉しそうに声を高くすると、シリルはにっと笑った。


「何でも聞けよ、ちゃんと予習したからさ」


予習、と私は首を傾げた。


「俺もそっちの大学に行く」

「どうして?シリルの成績ならわざわざこっちに来ることないでしょう」


シリルなら特待生で間違いがない。私の大学は、悪くはないが、それほど良くもない。それならばシリルは最高の大学を目指すべきだ。


「そうだな。でも、お前がいないから」


耳がカッと熱くなった。

私はなんでもない風を装って、ペンを握る。


「だからさ、勉強頑張ろう」

「うん」


触れ合った肩が熱くて、さらさらと揺れるシリルの髪の匂いさえも分かってしまいそうな距離。ちょっぴり泣きそうにすらなった。


シリルの友達に戻れて嬉しい。


みんなの憧れのシリルを、私はその日思う存分独り占めした。





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