4
足の裏、痛い。
やはり素足で帰ったあの行為は、結果的に足の裏を石で傷つけていたらしい。
足の裏に傷薬を塗り込んで包帯を巻き、何かに捕まって移動しないとかなり辛くなってしまった。なので大半の移動にはレオラが付き添ってくれることになった。幸いパーティの翌日からは3日間の休みだから、移動は少ない。
「ねえ起きてる?」
「うん。お腹ペコペコ。ご飯食べに行こうよ」
「それじゃあお腹いっぱいになったら昨日の話、教えてね?」
「いいよ」
「といってもなんとなくは見てたから知ってるんだけど」
朝、目がさめてからしばらくぼーっとしていると、レオラが声をかけてきた。レオラも寝台の上でぼうっとしていたらしい。2人で起き上がり、身支度を整える。
朝食を食べるために食堂にレオラと2人で向かい、いつもの席に座って食事をはじめた。お腹は空いていたけれど、どうやらそれほどは食べられないらしい。私はトーストを半分で食べる気を失ってしまった。レオラに残りをあげて、私はフルーツを少し食べる。
「ヴィオレタ」
隣にシリルとウィンストンが座った。反射的に私はフルーツを飲み込んだ。
「昨日は」
「レオラ行こう」
言いかけたシリルの言葉を遮って、私はレオラを呼んだ。レオラは食べかけのトーストを一瞬見つめ、立ち上がる。私はさっと立ち上がり、自分のトレイを持ち上げた。足の痛みはどうしたのか、足早に食堂の回収口にトレイを戻す。あっけに取られるシリルとウィンストンを置き去りに、私はレオラと2人でさっさと食堂から出ていった。
「痛いっ痛いっ」
「だから肩貸してあげるまで動いちゃダメだって!」
食堂から出たところでへたり込んだ私を、レオラが肩を貸して立ち上がらせた。
「食事の時間をずらす?」
「うん、昼ごはん一番最初に来てぱっと帰ろう」
レオラと2人できゃーきゃー言いながら部屋に戻り、2人で行儀悪く寝台に転がった。
「それで?何があったの?」
「えっとね。ダンスが終わったあとに『舞い上がるなよブス』って言われてカッとなっちゃって…ドリンクぶっかけて逃げちゃったんだけど、ま、やっぱり怒って追いかけて来たから…『嫌い』っていったんだけど…」
レオラはほお、と相槌を打った。
「靴も合わなかったみたいで靴擦れ起こしちゃったしね…良い靴なのに、勿体無かったな。でも私には相応しくなかったみたい」
「あら、バカねえ」
レオラはくすくす笑う。私が首をかしげると、レオラは可愛い顔で言った。
「靴も男も履き慣らすものよ!最初からぴったりくるのが一番良いけど、そんな靴って滅多にないわ。靴擦れで痛い思いもするけど、それでも何度も履いて足に慣らすのよ」
「でも足に似合わない靴だってあるわ」
「それがほんとうにステキな靴なら、似合う女になるまでよ」
可愛いレオラならそれができるだろう。でも私にはそうする資格すらない。どうしたって似合わない靴も男もある私と、そんなものは存在しないレオラには違いがありすぎる。
「レオラは可愛いからね」
「ヴィオレタも可愛いわよ。でも努力は続けましょうね」
レオラはくすくすと笑って、私の戸棚から勝手にスミレの砂糖漬けを取り出した。残りは半分以下になっているが、なんだかもう食べる気にならない。レオラはそれを見透かして一つ摘んでぱくりと食べた。
「でも今日は甘いもの食べて気分すっきりしようね」
「それはいらない」
「じゃあ金平糖だ!私のチョコレートもあげるし、あ、隣の部屋のビビアン呼んでケーキもらおう」
「レオラさーん、努力はどこにいったの?」
「今日は女の子休業日!ビビアーン!フランシスもいるかしら!紅茶持ってきてぇ!」
レオラは廊下に出て大声で友達を呼んだ。話を聞きつけた女の子達がたくさん集まってきてしまったので、急遽場所を移して談話室に移動し、私はシリルに貰ったという触れ込みでスミレの砂糖漬けをみんなに振る舞った。これは大ウケした。
それから私はみんなにシリルとは本当に何でもないし、大喧嘩したと言って同情してもらった。
まあみんなシリルかウィンストン狙いで、シリルがパートナーだった私が全くの見当違いと分かって「敵にあらず」と思っただけらしいのだけれど。
「でもウィンストンは売れちゃったじゃない?」
「1年の時からね」
ちょっとぽっちゃりした体型のビビアンが残念そうに言った。すかさずフランシスが突っ込むと、ビビアンは肩を落とす。
「残る王子様はシリルだけってわけ」
「みんなあのあとシリルと踊れたの?」
「まさかあ。シリルもさっさと帰っちゃったわよ。何せソーダぶちまけられちゃったからね」
「あはは…」
公共の福祉に反したらしい。
女子達の反応に困り顔で誤魔化し、私はスミレの砂糖漬けの箱を差し出した。
「シリルってこんなもの贈ってくれるのね!なんだか素敵」
「たまたま持て余してたものをくれただけだよ。甘いの苦手なんだって」
「だから差し入れ受け取ってくれないんだぁ」
それは知らなかった。そもそもみんなが差し入れなんてしていたとも知らなかった。
「ヴィオレタさん。シリル先輩が女子寮の前まで来てますが」
頬を染めてぽーっとした表情の後輩の女の子が私を呼びに来て、ぴたりと全員の時が止まった。
「ヤダ、ヴィオレタ!やっぱりシリルと…!」
「違う違う!私がシリルにドリンクぶっかけたの怒ってるの、たぶん!だから出ない!」
1人が悲鳴をあげたので慌てて弁明した。私は伝言してくれた下級生を呼んで、そっとチョコレートを2つ握らせた。
「シリルと食べておいで」
「えっ…!?」
下級生は頬を真っ赤にして、こくこくと頷く。
「ずるい!私も行きたい!」
「いいよ、みんなで行っておいでよ。女子寮は男子禁制だから、みんなで食堂に移動したら?」
「それ良い!みんなで誘いに行こうよ!」
すぐに全員が立ち上がり、手にお菓子を山ほど持って談話室から勇み足で出て行った。私はほっと溜息をこぼして、椅子の背もたれにもたれかかる。
「本当にいいの?」
「レオラこそ行かなくて良いの?」
「だから、私はシリルに興味ないんだって」
レオラは私を覗き込んで心配そうにそう言った。
「私も興味ないから…」
「嘘つき」
私が目を泳がせると、レオラはにっこり笑った。
「な、なにを」
「私には嘘つかなくていいのに」
「嘘なんかついてない!私はシリルなんて好きじゃないし、入れ込むなって言ったのはレオラでしょ!」
「言ったわよ。だから聞いているの」
レオラは冷静にそう言った。私は大声を出した口を一度押さえて、ゆっくり手を下げた。
「踊ってる時、世界が綺麗に見えたの」
「うん」
「綺麗になったから、隣に立ったら釣り合うかもしれないと、思ったの」
「そうね」
「だから、ブスだと言われて、世界が真っ暗に、なったの」
レオラは私の背中に手を回して、とんとんと背を叩いた。声が震えてうまく話せない。私は頬を伝う雫を両手で拭って、息を吐き出した。
「だいっきらい。シリルなんて、大嫌い…」
それでも胸の痛みは止まらない。足の痛みのように、日をかければ治るなら、ゆっくりと待つのに。
レオラは私が落ち着くまでずっと一緒にいてくれた。
「色々あったんでしょ?私はウィンストンから聞いたから、若干みんなと認識が違うかも」
「まあ、色々とね」
授業が始まり、私とローズはこっそり端っこに座った。シリルは私たちのところへ来ようとした瞬間にウィンストンに引き摺られて一番前の席に座った。どうやら気を利かせたローズがウィンストンに命じてくれたらしい。
「シリル毎日貴女の女子寮の入り口にいたんだって?」
「女子たちは喜んでいたわよ」
「それで食堂にも行かなかったってわけ?シリルがどれだけ探してもいないって困りきってたわ」
「行ってたわよ。裏の出口から出て、さっさと食べて帰ってたの。私が行ってる間は他の子にシリルを引きつけてもらってたの」
「なかなかやるわね」
ローズがくすっと笑った。ローズの女子寮は別の棟だから、この騒動はよく知らなかったらしい。
「私はシリルとも良い友達だから肩を持ってしまうけれど。…彼、ものすごく反省していたわよ」
「知らないわ」
ローズは残念そうに肩をすくめた。
「しらないわ」
私は自分にそう言い聞かせた。
授業が終わると、ウィンストンを振り切ってシリルが私とローズに近づいて来た。相変わらず足が痛い私は逃げ切れない。
「ヴィオレタ!」
私は思い切り無視した。
ローズが慌ててシリルの腕を掴み、私はさっさと歩いていく。次のクラスはレオラと同じだから合流すれば守ってもらえる。
「ヴィオレタ!」
「し、シリル!まて!」
ウィンストンまで慌てて追いかけて、シリルを止めた。その隙に、私はローズに支えられて部屋を出て行く。
シリルなんて大嫌い。
大嫌い。大嫌い。大嫌い…
「へえーー!シリルってば結構反省してるのね」
「何のための反省から知らないけどね」
刺繍のクラス。
私は手袋に薔薇の刺繍をする課題に戻り、真っ赤な糸をブスブス刺していた。出来栄えは芳しくない。
「大嫌いよあんなやつ」
「あはは」
大正解、とレオラは小さく呟いた。
食堂でも話しかけようとしてきたシリルを、レオラとウィンストンが撒いてくれた。シリルはウィンストンに「お前どっちの味方だよ!」と怒っていたが、流石はウィンストン、見事に手懐けて大人しくさせていた。ローズは私にゴメンねと頭を下げてウィンストンとシリルの背中を押して私から遠い席に2人を誘導してくれた。
そして部屋に帰って数分後、部屋に荷物が届いた。
「なにこれ」
小包を開けると、小さな箱と、手紙だった。差出人は書かれていなかったけれど、中身をみればそれが誰からなのかすぐにわかった。
「スミレの砂糖漬けね」
ひょっこりと包みを覗き込んだレオラがそう言った。私は箱をレオラにそのまま投げ渡す。手紙を開くと、そこには走り書きで「ごめん」と綴られていた。
「…はぁ」
私は手紙をキャビネットに仕舞い込んだ。
「はいどーぞ」
「どーぞって」
レオラに1つ砂糖漬けを渡された。私は仕方なく口に入れる。
甘くて、いい匂いで、切ない味がした。
嚥下すると寂しくなった。
ーーこれで終わってしまうの?
胸に広がる苦味に、私は顔をしかめた。喉の奥が熱くなって、苦しくて、私はレオラから顔を背けて寝台に潜り込む。
「ヴィオレタ?」
「お腹が痛いみたい。少し眠るね」
「それなら私は、2時間くらいフランシスたちとお話ししてくるわ。存分に呻いていいからね」
「ありがとう」
レオラは足音を立てて部屋から出て行った。私は、存分にとは言わずとも、少しばかり声を上げて泣いた。
次の日には、花束が届いた。紫色の花束だった。
そしてその次の日にはチョコレート。そしてその次はまた花。いつも一緒にごめんと書かれただけの手紙が付いている。
やっと歩いても足が痛まなくなり、私は一人で図書室まで勉強しに行けるようになった。シリルやウィンストンという家庭教師を失ったせいで勉強についていけていない。私はそれはそれは必死に勉強する羽目になった。期待のローズもウィンストンにデートに連れ出されてしまっている。
しかし図書室で本を広げても、どうにも頭に入らない。集中できない。どうしたものかと頭を悩ませていると、図書室の隅の、窓際の席でシリルが勉強しているのを見つけた。本を立てて、ノートに何か写しているらしい。なんの勉強をしているのか気になった私は目を凝らした。
シリルの本の背表紙には「喧嘩の終わらせ方、謝罪文全集」と書いてあった。
「ぶっ」
思わず吹き出した。
その瞬間シリルがハッと顔を上げて、私と目が合う。シリルはカッと頬を真っ赤にして、立ち上がった。本をひっ掴み、ペンを慌ただしく掴み取ってずんずんこちらへ歩いてくる。ああ、失敗した。
私は今更ながらシリルから目を離して教科書に集中しているふりをした。真面目な顔をして教科書を読み、ノートに書かれた問題を解くーーふりをした。
シリルは咳払いをしながら私の隣に腰かけた。私は相変わらず無視を決め込み、ペンを走らせる。しかし頭と手が連動していない。ペン先は自由に「どうしよう」と書いていた。
「怒らせた女の子に謝りたいんだが、良い方法ないか?プレゼントも手紙も効果がないみたいなんだ。口もきいてくれないからもっと長い手紙を書こうと思って」
シリルは早口にそう言った。
「まずは自分の口で謝って頭でも下げれば」
私は小声でそう返事をした。
「そんなのとっくに…!…してないか。それで許してくれると思う?」
「貴方が自分の何が悪かったのか、今後はどうするのかちゃんと伝えれば、考えてはくれるんじゃない」
分からないけれど、と付け加えると、シリルは立ち上がった。
立ち上がって、私に向かって腰を折り曲げ、頭を深々と下げた。
「本当に悪かった。お前のことブスだとか言って。もう二度と言わない」
「けど思ってるんだ」
「思ってもない…!あれは」
その瞬間に司書が咳払いした。シリルは一瞬赤面し、また隣に腰かけ、私の右手を握った。そして小声で私にこうささやいた。
「許してくれ」
耳が熱を持った。
そう、世界が煌めいて見える。あの感覚から逃れられない。私はもう逃げ出せない。
だからもう傷付きたくない。レオラの言うことは大正解だ。シリルには深入りしてはいけない。シリルに入れ込んではいけない。
恋心には蓋をして、一生友達でいる。
「もう、いいわ。シリルにブスだって言われても平気だもの。それにそれは事実だしね」
「ほ、本当に思っていないからな…!あの会場の中でお前はいちば」
「いいのいいの。気にしなくていいの。私は淑女コースのみんなと違って、容姿は将来的に二の次三の次になるのだから。だって私、結婚すら恋愛ではなくて家業を一緒に継いでくれる人を条件として選ぶだけだもの。ブスでも平気よ」
シリルは呆けたように息を吐き出した。
「だからあなたのこと、許してあげる」