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「ヴィオレタ、そこの答えが違う」

「え?」

「3番は…」


静かな図書室、隣に座るシリルが私のノートを覗き込み、問題文を指でつつく。シリルの真剣な顔が私のすぐ横に来ると、嫌に緊張する。


あれ以来シリルとウィンストン、それからローズの4人で勉強することが多くなった。シリルとウィンストンはツートップだし、ローズだって安定して5番以内にいるような秀才だ。私は良くても真ん中よりちょっぴり上くらい。明らかに進みの遅い私を、シリルは真剣に指導してくれた。難しい科目も、シリルが全部教えてくれるおかげか、少しずつ成績は上を向き、授業も頭に入るようになっていた。


「あ、チャイム…」

「続きはまた後でな」


夕食時間を報せる鐘が鳴り、図書室にいた生徒たちは立ち上がり始めた。シリルも教科書を閉じ、ペンを仕舞う。


相変わらずシリルの話すのは緊張するし、難しいけれど。


「ローズちゃーん、一緒にご飯…」

「近寄らないで頂戴」

「そんなあ」


そして変わらずローズとウィンストンの2人のこの関係も続行中だ。


「それじゃ私は」

「ああ。また後で」


私はシリルにそう言って、さっさと食堂へ向かった。

食堂の入り口でレオラと合流し、2人でメニューを取っていく。


「またシリルと勉強?」

「そ」

「私が言ったことちゃんと覚えてる?」

「勿論!」


シリルには入れ込みすぎない。


別に、好きになってもいない。


「隣、座るぞ」


さっき別れたシリルとウィンストンが私とレオラの隣に腰かけた。ほかにも席は空いているのに。レオラは意味深に微笑んだ。


「ハーイ、シリル。元気?」

「…まあ」

「レオラちゃんクラス別れてから暫く会ってなかったね」


ウィンストンが呑気にレオラに声をかける。シリルはレオラを剣呑な眼差しで見つめ、レオラは面白そうに笑った。


「私がシリルに捨てられてから、でしょ?」

「…うわあ」


レオラが怖い。思わず声が出て、誤魔化すようにパンを口に突っ込んだ。ウィンストンも失言と思ったのか、珍しく話を続けなかった。


「最近うちのヴィオレタと仲良いみたいね」

「女の子で同じクラスになる子なんてそんなに居ないからね」

「それなら同じ条件でリリアンだっているじゃない?あっちは仲良くしないの?」

「ほらあっちは、シリルにお熱だから…」


ウィンストンが声を落とした。リリアンはシリルのストーカーっぽい。ずっと影から眺めているし、クラスの授業にほとんどついていけていないのに何故か同じクラスを熱望し続けている。


「ヴィオレタは絶対シリルのこと好きにならないから、丁度良いご友人になれるわね」

「レオラちゃん手厳しいね」


ウィンストンは苦笑した。


「私の親友はだめよ」

「はは、シリル、こりゃ手強いぞ」

「知るかよ」


シリルはパンを千切りながらぽつりと零した。


「お砂糖みたいにあまーいあまい女の子なんだから」


レオラがそう言うと、シリルは珍しくくっと笑った。










「ねえ、コースどうするの?」

「もちろん経営者。レオラは淑女でしょ?」

「もっちろん!ここには花嫁修行に来てるんだもの」


刺繍の授業は退屈だ。でも女子の嗜みとしてやらないわけには行かない。ので、仕方なくクラスを取っている。


レオラは器用に課題の手袋に薔薇の刺繍を施していく。私はどうにも上手くいかず、課題の薔薇がぐちゃぐちゃに崩れていた。


「下手くそ」

「うう…」


レオラに貶されても返す言葉がない。


「男爵令嬢なんだからもっと」

「でも貴族でもないから…」

「またまた」

「弟を進学させたいから、もっと勉強して家を立て直さなきゃね」


年の離れた弟は、やっと5つになったばかり。私がここを出て、大学を出た頃に支援し始めても間に合うはずだ。


「私は素敵な人を見つけるために社交界デビューすることしか考えられないわ。ねえ、貴族のツテで私を貴族の社交界に招待してよ」

「うーん、私も招待されるかどうかわからないから…」


名ばかりの貴族になってしまったうちでは、もう招待もないだろう。レオラは残念そうに唇を尖らせた。


来年度から、女子は二つのコースのいずれかを選ぶことになっている。淑女養成コースか、経営者養成コースだ。淑女養成コースは文字通り、花嫁修行として外へ出しても恥ずかしくない淑女を育てるコース。ダンスや音楽、マナーなどを学ぶ。対して経営者コースは男子に混じって経営学を中心に学問に傾倒するコースだ。大半は卒業後に大学へ進む。もちろん私は経営者養成コースを選び、卒業後は大学へ進学するつもりだ。



刺繍のクラスが終わり、ローズたちと受けているクラスへと移動する。教室に入るとローズが手を振ってくれた。ローズの隣に座ると、前の席にシリルとウィンストンがすでに座っていた。

ローズは声を落として私に尋ねた。


「ヴィオレタは当然経営者よね」

「もちろん。ローズもでしょ?」

「そうじゃなきゃこのクラスには来ないわよ」


ローズが一緒なら安心だ。私はほっと息を吐き出した。


「2人とも経営者コースなのかい?」

「ええ、そうよ」


ウィンストンが振り向いて私たちに尋ねた。ローズが答えると、ウィンストンとシリルは顔を見合わせた。


「何か不味いの?」

「いや、なんていうか。…ねえ、シリル」


ウィンストンがシリルに助けを求めるように目線を合わせた。


「まあ、女性が経営者コースなのはな」

「悪いっていうわけ?」


シリルの言葉にローズが噛み付いた。眉を釣り上げ、両手を組んでシリルを睨みつける。


「悪いっていうか、ほら、嫁の貰い手がなくなるかもな、っていう」

「なにそれ」


その言葉には私も眉を釣り上げた。

わたしにはのほほんと淑女になっている余裕がないのだ。


「女は女らしく刺繍でもしてろってこと?俺様達、男様と授業を受けちゃいけないってわけ?商売をしてちゃ悪いのかしら?」

「いや俺たちは一般論として」


シリルが歯がゆそうに言いかけた。


「いいえ、結構よ!聞きたくないわ!」


ローズが声を張り上げた。


「私たち、貴方みたいな人に貰われなくっても構わないのだから」

「そうよ!ヴィオレタの言う通り!だからもう話しかけないで頂戴!」


ローズがツンと顔を背け、私は目線を机の上に落とした。ウィンストンとシリルが口を開こうとした瞬間、先生が教室に入り、会話は強制的に終了させられた。




「ごめんよおー、ローズちゃあーん。悪かったよ!そんなつもりじゃなくって」

「うるさいうるさいうるさいっ!」

「ローズちゃーーーん!」

「アンタとはもう一生口聞かないわよ!」


授業が終わった瞬間、私とローズはさっと席を立った。そしてその後ろをぴったりとウィンストンとシリルが付いてきていた。ウィンストンは両手を合わせて頭を下げながらローズに謝っているが、シリルは黙っていた。何も言わなかった。


「ローズちゃあーん」

「やっかましい!あっち行って!アンタなんて大っ嫌いよ!ふん!」


廊下にローズの怒声が響き渡った。


「ウィンストン、そのくらいにしておけよ。可愛げのない女なんか、こっちから願い下げだろ」

「だったらもう話しかけないでね」


シリルがそう言うと、つい頭に血が上って、そう言っていた。売り言葉に買い言葉だった。


「そうよ!もう話しかけないでよね!」

「いやローズちゃんは何しても可愛い」

「そんな話してないでしょ!」


またしてもローズの怒声が響いた。

私は冷や汗が背筋を滑り落ちていく感覚に負けそうになっていた。






それから1週間、私たちはコースの指定を提出した。私とローズは予定通り経営者コースを志望した。成績的にもパスするはずだ。


「ほんとなんのつもりなのかしらね。あいつまだ私に話しかけてくるのよ」

「ローズのこと本当に好きなんだね」

「1年生の時からよ!しつこいんだから」


といいつつローズは満更でもなさそうなのだが。


「シリルは?私にはなーんにも言ってこないけど」

「わたしにもなにも」

「そうなの?あいつ、ヴィオレタのことすっごく気に入ってたのに」

「話しかけないで、って言ったの私だから…」


寂しくないといえば嘘になるし、せっかくできた友達を失って悲しいとも思う。でも私の選択を批判されたのは、ただ悔しい。


「ヴィオレタ、もしかしてシリルに惚れた?」

「まさか。シリルがどんな人かは知ってるもの」

「なら良かった」


ローズがほっと胸を撫で下ろした。

そう、どんな人かは知っている。踏み込んではいけないのだ。


現に今もシリルは。


「ま、あんなの見ちゃ、気持ちも冷めるわよね」


下級生の女の子と、図書室でお勉強中なのだ。それも結構な近距離で。今にも顔がくっつきそうなほどに近い。そして女の子の表情は溶け落ちてしまいそうだ。シリルはいつものキリッとした顔で、たまに微笑みを零している。そしてその微笑み一つで周りの女子を落としていく。


そう、彼はそういうやつなのだ。


「ゲームか何かだと思ってんのよ、失礼なやつよね」

「ローズも?」

「まさか!私にはウィンストンが張り付いてるから。シリルとウィンストンは親友だからね」

「そっか」


レオラのようなことになっているかと思っていた。…あまりドロドロしたところは見たくないから、丁度良いのだけど。

私とシリルは多分このまま疎遠になるだろう。


「でも問題はこれよね」

「そうなの!誘ってくれる人、いるかな」

「いないと困るわ、啖呵切っちゃったところだもの…」


図書室の掲示板に貼られたポスターをローズが指差した。その先には、パーティのお知らせ。


年に一度、パーティが開催されるのだ。大広間を使った盛大なパーティが。そこではダンスもあるし、立食もある。当然ドレスアップ必須、そしてパートナーのエスコートも必須だ。経営コースに入った女子は例年相手探しに苦労する。男子たちは淑女コースから相手を選ぶのが普通だからだ。経営コースなんかに入った女は対象外になってしまうのだ。


「ウィンストンのあの難色はこれが理由かなって思い始めたわ」

「誘いにくくなるのかしら」

「でもこんな状況で誘われたくもないわ!」


ローズが小声で吠えた。


「まあ暫く待ってみましょう。…ダメだったら先生に頼んで、余ってる男の子を紹介してもらえば良いんだから…」

「ねえ、ヴィオレタが毎年変な男連れてるってそれが理由なの?」

「変なっていうか、まあ…私、誘われないから…」

「もお、ヴィオレタったら!あなたすっごく可愛いんだから、ちょっと変わればモテるわよ」

「無理だよ!恥ずかしい…ッ」


思わず赤面した。前髪が長いのは紫の目を見られるのが恥ずかしいからだし、金髪も目立ちたくないからおさげにして地味に装っている。私にはそれほどの度胸もないのだ。目立ちたくない。


「それに正直…夜会用の派手なドレスを着るのもすごく苦手なの…」

「背も高いからすごく似合うのに…」

「ヒールのある靴だと相手の男の人よりも高くなっちゃうし」


社交は得意じゃない。私はいつも地味なドレスで、最初のダンス以外は壁際でご飯を食べて過ごしている。レオラはいつもど真ん中で踊っているし、ローズはウィンストンが護衛よろしく張り付いている。


「ね、出ましょう…なんだか見てられないわ」

「へ?」

「ほら、あれ」


ローズがそっと指差した先にはシリルがいた。シリルは女の子の髪にそっと口付けしたところだった。


私は思わずがたんと大きな音を立てて椅子から立ち上がり、教科書をひっつかんで歩き出した。ローズは慌てて私を追いかけてきた。




「ヴィオレタにローズじゃない」

「レオラ、何してるの?」


中庭まで歩き、やっと足を止めた。ローズになんて言おうと悩んでいると、取り巻きを引き連れたレオラが話しかけてきた。


「みんな誘われ待ちなのよ」

「そのわりにはばっさり断っているように見えたけど…」


レオラは肩を竦めた。

誘いにやってきた男の子を、レオラの友人はにべもなく拒否していたのだ。


「だって、ウィンストンもシリルも今は相手がいないじゃない?」


レオラの言葉に、ローズがぴくりと肩を揺らした。レオラは面白がるように話を続ける。


「今年こそチャンスがあるかもしれないじゃない?憧れの君達なんだから、みーんな狙ってるのよ」

「レオラも?」

「私?まさか。恋人がいるもの」


レオラはにっこり笑って指にはまったシンプルな指輪を見せた。ローズは羨ましそうにそれを眺め、見慣れた私はため息を吐き出した。


「ウィンストンは分からないけれど、シリルはもう相手がいるんじゃない?さっき図書館で下級生とよろしくやっていたから」

「あら、あんなの遊びよ。私の時と同じ」

「でも今はその遊び相手から選ぶでしょ?」

「なら彼女たちでも構わないはずよ。もちろんウィンストンもね」


レオラはくすくす笑った。


「流石のウィンストンでも経営者コースを選んだローズを諦めて、淑女コースの彼女たちと遊んでくれるかもしれないじゃない?」

「う…」


ローズが小さく呻いた。レオラの取り巻きたちがくすくす笑う。


「ねえローズ、もう捨てたなら未練はないわよね?」

「み、未練…」


ローズが言い澱み、レオラの取り巻き達は前のめりにローズの言葉を待つ。


「レオラ、そのくらいに」


といいかけた私の言葉は不意にかき消された。


「ローズ!!!!」


ちょうど私たちの真後ろから、ウィンストンが学校中に響くような大声でローズを呼んだ。いつものふざけたちゃん付けも、クシャクシャにした髪も、ニヤケ顔もなかった。努めて真面目で、本気の様子だった。ローズは思わず振り向く。


ウィンストンはローズの前に跪いた。


「ローズ。僕の軽率な言葉で君を傷付けてしまったことを謝らせてほしい。本当に申し訳なかった。僕は君とこんなことで離れたくない。誓って、君を貶めたりする意図はなかった」


ローズが珍しく驚いた顔で、真摯な瞳のウィンストンに見惚れていた。


「ローズ・ナーヴェ。僕は君を愛している」


ひ、とローズが小さく悲鳴をあげた。顔を真っ赤にして。


「君をパーティに誘わせてくれ」

「うぃ、ウィンストン…」


ローズが髪よりも真っ赤になった顔を縦に振った。


レオラが大爆笑し、レオラの取り巻き達が大絶叫するという面白い地獄が湧いた。ウィンストンはローズを抱きしめているし、ローズもぼうっとしているのか全然拒まない。


「っ?!」


その時私の肩を誰かが抱いた。驚いてそれを見ると、シリルだった。


「お前はこっち」

「こ、こっちって…」


周りはローズとウィンストンに湧き上がっていて、全く私たちに気付いていない。シリルは私の肩を抱いたまま歩き出し、人気の少ない校舎裏まで真っ直ぐ向かっていく。触れ合った肩が熱くて、心臓が痛い。




「何?」


校舎裏まで辿り着くと、シリルはさっと私を解放した。


「お前、余ってんだろ」

「経営者コースの女の子は毎年余るでしょ」

「違いない」


シリルは小さく笑った。


「俺も余りだから一緒に出るか」

「…シリルのことはみんな待ってるよ?」

「お前も?」

「一緒にしないで」


見え透いた嘘にも程があった。シリルは茶化すようにへらへら笑う。


シリルとなんか出たら、目立ってしまうじゃないか。みんなに噂されてしまうじゃないか。


でも、それでも、シリルが私と出たいと言うなら、それは。


「はは、やっぱお前が良いわ。可愛い子を誘ってその後の展開なんてもんを期待されるのも面倒だしな。お前ならその心配もない」


一瞬浮き上がった心が粉々に砕け散る音がした。私は乾いた笑い声でその言葉を受け止めて、冷めきった心のまま答えた。


「いいわ。シリルと出る」


頷いた瞬間、シリルの顔が笑顔になった。私は拳を握りながら言葉を続ける。


「だって私はシリルのことなんか、好きになったりしないもの」


シリルの顔から笑顔が消えた。


好きになったり、入れ込んだり、しない。

私はシリルなんて興味ない。恋愛なんてしない。


だからパーティのパートナーになる。

お互いに便利だから。






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