第8話『きっとヒップハング』
あら、随分とご機嫌のようね。
わたくしが昨夜どれ程に苦心したか、お分かりかしら。
それなのに、あなたときたら満遍の笑みで山のように菓子パンを抱えて……いいえ。そんな当て付けを言いたかったわけじゃ無いのよ、わたくしが悪かったわ。
では約束通り、ことの顛末を伝えるわね。
端的に言うと、わたくしが創造したサンドイッチの生命体、サムはあの世に旅立ったわ。
サンドイッチにも天国があると良いのだけれど……
これは必要な犠牲だったのだ、一つ夜を越えた今となってはそう考えられるわ。
それはそうと何故トワレの目の前で会話をしているのか。
それが気になるようね、これは友人の話なのだけれど……
なあに?
馬鹿にしないで頂戴、あなたが知らない友人くらい。
い、いっ、いくらでもいるわよっ!
まあ口出しをせずに聞いて頂戴。
ちょっとだけ品の無いお話になってしまうのだけれど。
その友人は今朝、トワレから卒業するのに一苦労したようなの。
ドアを開けて三歩進む頃には、次の水害警報が鳴るのよ。
それはもう、けたゝましく。
楓さんの故郷である日本の夏。
台風という気候現象においても川の氾濫などによる水害が問題視……
いいえ、流石にこれは無関係ね。
なあに?
24時間も経ったサンドイッチなんて食べるから、ですって?
どうして、わたくしがサムに施した供養方法を知っているの!?
まさかっ……エスパー!?
ふっ、どうやら全てはお見通しのようね。
その優れた観察眼と推理力には感服するわ。
魔女よりも探偵の方が向いているのではなくて?
でも、わたくしをワトソンに指名なんかしたら許さないんだから。
強いて希望をいうなら教授の方が良いわね。
それは何故かって?
たとえ敵になるとしても対等な関係が良いの。
いいえ、少し違うわね。
相手と対等になれるなら敵になっても良い。
これが本心かもしれないわ。
それはそうと、またお腹のカーニバルが再開したようね。
わたくしには分かる、自分に起きている痛みだから。
そんな下品な言葉は口にしたくないの、だからカーニバルと比喩するわ。
フェスティバルでもパレードでも、どっちでも良いからっ!
だから、この緊急事態に際して禁書を開いてみたの。
お腹のカーニバルを閉演させる究極の魔法があるかもしれないでしょう。
ちなみに回復魔法が、お腹のカーニバルに無効なのはご存知よね。
何故なら、身体が自己治癒を目的として原因菌や異物の排出をしようとして起きる症状なのだから、治癒を回復するという概念がまず矛盾しているわよね。
だから解毒作用のある魔法薬を飲んで、痛みを緩和させる魔法をかけるのが一般的だけれど。禁書といわれるだけの実力を、この本に期待してみたかったの。
結果。一文字たりとも腹痛に関する記載はなかったわ。
もしかして、この本の著者であるハイスペックという人物は破壊論者なのかしら。
これは著者と読者の信頼問題に関わるわね。
だから、わたくし決断しましたの。
ここはプライドも地位も捨て……保健室に行くわ。
——ふう。台風は過ぎ去ったわね。
とても晴れやかな気分よ。
保険医がぺらっぺらの薄い箱を差し出してきた時は、果たし状でも叩きつけようと思ったけれど、最近の薬って市販の安いやつでも効き目があるのね。
禁書なんかより、とても役に立ったわ。
では作戦の重要な柱である『空間座標固定魔法』について議論しましょう。
高等部で学ぶ中難度の魔法であっても、わたくしに掛かればベイビースクラッチよ。使い方は合ってるかしら、簡単って意味で使ってみたのだけれど、まぁいいわ。
では、この花瓶に魔法をかけてテーブルを引き抜くわよ!
「ディアル・エル・クルートっ」
うんっ、なるほどね!
このテーブルはボルトで固定されていたのねっ。
最初に確認しておくべきだったわ。
では、向こうの椅子の上で試しましょう。
「ディアル・エル・クルートっ」
ほら、ご覧なさい。
このように空間に物体を固定する魔法。
浮いている花瓶を横に突ついても動かないし、押さえつけても動かない、下から持ち上げても動かないわね。
どうかしらっ!
中難度の浮遊魔法でさえ、わたくしには朝飯前でしてよ!
ええ、もう午後ですけれど。
続いての議題は、作戦における三番目の魔法。
楓さんのショーツを、その身体から引き離す方法についてなのだけれど。
禁書からディヒューズ・ディストラクションという魔法の記述を見つけたわ。
『拡散崩壊』
そうね。とても恐ろしげな意味合いに加えて、その記述も恐ろしいわよ。
『対象を分子レベルで分解、再構築する。
注意点として原子核に影響を与えると核分裂反応が生じる為、概念領域結界の併用が必須。
汎用性は高いが安定した反応を得るには高度な技術を要する為、量子力学分野の修練期間が2千5百年以下の魔法使いの試用を禁ずる』
そうね、わたくしは概念領域結界は使えないわね。
というより初めて聞く魔法だわ。
その魔法を知っていることが前提で、この本は書かれているから追加の記載は無いわね。
そうね、量子力学には詳しくないわね。
辛うじて、その単語を知っているくらいね。
そもそも年齢自体が2千5百年歳以下なのよね……
だから、どうしたっていうのよっ!
やれないことは無いはずよっ、そうよね?
なあに?
そうね。確かにあなたの仰る通りだわ。
そんなに危険な魔法を未熟者が使用して、楓さんの存在そのものが分解でもされたら取り返しがつかない。
では、わたくし達に相応な魔法を使いましょうっ!
ところで、あなた普段どのような下着を着用しているのかしら。
ちなみに、わたくしはシルクの素材を好むわ。
『機織りの休日』
この魔法を使おうと思うの、ただ衣服の繊維を紐解くだけの簡単な魔法よね。
惑星改変魔法という超絶魔法と、基礎的な魔法を組み合わせる。
これぞ玄人の仕事では無いかしら?
先程の質問の続きだけれど、この魔法は対象の繊維を確定しないと効果がないのが問題よね。
だから早く教えなさいよっ、実験するんだから。
ほらっ、ほら早く! まったく照れ屋ねぇ。
なあに?
下着を無駄にしたくない、ですって?
魔法技術の発展には必ず実験が必要なのだけど……
わかったわ、自分で試すから貴方はそこで見ていて。
それではいくわよ。
「エルス・ファクト」
ふぁさ……
なるほど。
成功したのは喜ばしいけれど、その後のことを考えていなかったわね。
でもほら見て、側面だけハサミで切ったように解けているでしょう?
……っ!
やっぱり見ないでっ! 笑わないでよっ!
クマのキャラクターが描かれているのが、そんなにおかしいかしらっ。
それではクマ裁判でも開く?
クマのキャラクターが描かれた下着を履くものは、いずれ人類の害悪になるとでもお考えなのかしら。
それがあなたの公式見解で宜しくて?
そう、そうよね! 分かればよろしい!
しかし困ったわ。
どうやって自室まで戻ろうかしら、完璧に失念していたわね。
でも閃いたわっ!
……あなたの履いているショーツを差し出して。
それと、こんなにスースーさせながら言うことではないけれど、これで準備は整ったわね。
わたくしと楓さんのお友達大作戦。
いよいよ作戦決行でしてよ!