第10話『きっと紐ビキニ』
あら御機嫌よう。
最近とても暑いわね、秋も近いと言うのにこの猛暑。
みんなが公共施設のプールに集まってしまうのも必然よね。地球温暖化もここまで来てしまうなんて。
ふふっ、人間は本当に愚かね。
今日は楓さんもいらっしゃるかもと顔を出してみたのだけれど。
そうよね、そういえば彼女はシャイだった。
今度はご一緒しませんかと誘うことにするわ。
そのくらいの間柄にはなれたのよ、感無量ね。
そしてあわよくば日本の伝統的な競泳水着であるスク水とやらを拝みたい。
そういえばプールチェアで飲み物片手に横になっていると気が付くことがあるの。
ほら、先程からやたら大人達がわたくの身体を見てくるのよね。
おばさんもお姉さんもチラチラと見てくるわ。
いやらしいわね、でもわかっているのよ。
人間は自分と異なる要素、自分の持たない要素を持つ物に惹かれるってね。
つまり、わたくしが『ド・貧乳』だということね。
まぁわかっているのよ。
あの幼子を見るような目付き、どうしても母性本能や保護欲を掻き立ててしまうのね。ある意味で罪な身体だわ。
わたくしのお母様も理想的なモデル体型ですし、その悪しき……いいえ。
その優れたDNAを有するわたくしが『ド・貧乳』だとしても、それは自然の摂理通りよね。
こういう時に家族の絆を実感するのは、きっと不謹慎なのは分かっているけど。
なあに?
巨乳になる魔法が禁書に書かれているかもですって?
あなたはたった今、わたくしの体型を愚弄した自覚がしっかりあるのかしら。
それにきっとあなたは祖国の方針で一流のマザコンになる英才教育でも受けて育ったのね。
そんな魔法が書いてあるわけないじゃない。
馬鹿らしい、とても馬鹿らしいわ。
けれども一応確認しましょう。
——あったわね。
とっても意外よ、はっきり明記されているわね。
けれども、わたくし達の予想を大きく超える記載内容ね。
なるほどバイオ・バリエーションの項目に該当するわけね。
細胞変化、身長、骨、表皮の変質。
この多様な項目の中に胸部、肋骨周辺の生体変化、そのコントロール方法が明記されているわね。
わたくし達の邪推とは明らかに異なる高度な魔法のようね。
禁書の著者であるハイスペックは、およそ正常な精神状態でこの文章を書いたとは思えないわ。
自分の身体や容姿に対して全くもって執着がない。
これは人の使うべき魔法ではないわね。
動物への変身魔法のように見かけだけ変えるわけではない。
次から次へと身体を変質させて一体何をするのかしら。
きっとSF映画のサイボーグみたいな人物なのね。
顔を変えて悪の組織に潜入し、腕を伸ばして敵を殴り飛ばし、表皮を硬化して弾丸を防ぐ、そして鋭い爪でターゲットを切り裂き、翼を生やして飛び去る。
ふふっ意外とカッコいい。
そうよ、最近アメコミ映画にハマっているの。
何故わかったのかしら。
きっかけはそうね。
大きな悩み事が一つ解決したから気分の良い、爽快な映画を観たくなった。
それと最近、自分でも驚くほどにIT音痴だとわかったから機械に詳しくなれそうな映画を観てみた。
そしたら凄く面白かったのよね。
今ならスーパーハッカーにもなれる気がするし、カンフーだって使えそうな気がする。
どうして皆んな、もっと早く教えてくれなかったのかしら……ああそうか友達が少ないからだ。
なぜ古傷を開くようなことを聞いたの!?
そうよ、まだまだ悩み事はあるわよ。
自分がズレた人間なんだと自覚することもあるし、このまま大人になったらどんな目に遭うか。
それでも一つ一つを乗り越えていくことで自信が付くと言うことを勉強できた今日この頃ね。
そして今日わかったこと。
バイオ・バリエーションなんてものはプールサイドで使うような魔法じゃないってことよ。
試すわけが無いじゃない!
率直な感想を述べると怖い、この一言に限るわね。
それでは御機嫌よう。
わたくしそろそろ自室へ戻りますわ。
なあに? 一緒に泳がないのか、ですって?
そうね。成る程、成る程、泳ぐメリットって一体何かしら。
いいえ、泳げないというわけではないのよ。
でも、わたくし達人類は地上で進化した。
その意味について考えたことがお有りかしら。
なあに? じゃあどうしてプールに来たのか、ですって?
余りにも言い訳の看破が早くはないかしら。
そうよ悪い?
午前中に観たマーメイド男の映画の勢いで、なんだか泳げそうな気がしてプールに飛び込んだら、たらふく塩素風味の水を飲んだ。
そこにあなたが来たのよ。楓さんも誘うはずがないでしょ、わたくしが泳げないんだから。
ではこうしましょう!
バイオ・バリエーションの魔法を試すことにするわ!
これで今日からわたくしもマーメイドよっ!
……なんてね。怖くて使えないと言ったでしょう。
なあに? 泳ぐ練習に付き合ってくれる?
本当に良いのかしら、すぐに泳げるようになる自身はないわよ。
ふふっ、あなたはとんだお人好しのようね。
絶対に手は離さないでね?
——凄い、凄いわ!
泳げてる! 顔を出した平泳ぎだけれど泳げてるわ!
この水に浮く感覚! 涼しげな心地よさ!
とても最高よっ!
——ふう、まさか泳げる日が来るだなんて。
わたくしはもう自室に帰るけれど、今日はありがとう。本当に感謝しているわ。
あなたも地球温暖化を肌で感じる穏やかな午後を優雅にお過ごしになってくださいね。
あとこれだけは言っておくけれど。
もしもわたくしが今晩、急な成長期を迎えてバインバインになったとしても、それは禁書の魔法の所為ではないから……
そこのところ誤解しないでね。
『ちょうどその頃、地球は太陽系の中心へ向かい着々と進路を変えていくのだった』