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あの日  作者: 古流
5/12

修学旅行

 秋の終わり、葉子は中学の修学旅行の最後の日に京都の神社に行った。

 うっそうと木々が乱立している中、緑のトンネルのようにその長い階段はあった。

「これを上るの!」と一斉にため息まじりの歓声があがった。

 どこまでも伸びている長い階段。下から見上げただけでは上は霧に隠れて見えないほどだ。

「緑の階段を抜けると、そこはゆき倒れだった」

 誰かが叫ぶと一斉に笑い声が起こった。その一言に元気になったのか、皆は張り切って階段を上りはじめた。

 葉子も最初は元気が良かったが、半分も行かないうちに、その足どりは亀のように遅くなっていった。肌寒い時期にもかかわらず、噴出す汗を拭ながら葉子は必死に登った。

「軍隊の訓練でもここまではきつくないよな」

 皆はぶつぶつ言いながらも、時々吹く風の心地よさを頼りに一歩、一歩足を踏ん張って上った。あと少しのところに来ると、俄然、元気になって、足取り軽く駆け足で上っていく、元気な生徒もいた。

「我、頂上を征服せり!」

 上りきった生徒はグリコの看板みたいに、両手をあげてVサインだ。

 その声につられて葉子は上を見た。

「あと少しだわ」

 葉子は友達の佐々木早苗と励まし合いながら、棒のようになった足に力を込めた。そして葉子は階段の最後の一段を上りきると、早苗と同時に踏ん張るように境内の土を踏んだ。

 一瞬に視界が広がり、目の前には神社の朱色の鳥居が映え、広い境内には神聖な空気が満ちているようだった。その時、強風が吹いて一斉に緑の葉と葉がぶつかりあった。そのパサパサという大きな音が幾十にも重なり合って葉子をつつんだ時、悠久の時の中で自然の営みが葉子たちを喝采してくれているように思った。

 自由時間、思い思いに散策に出かける。

 まずは甘いものをと葉子は「何か、おいしいもの食べようか」と早苗と売店を覗きこんだ。

 甘いものを食べてお腹を満たすと、買い忘れた土産物を買って葉子は売店を出た。

 売店を出たところから短い階段を上って行くと、左に細い道が伸びていた。その先に縁結びの神社があった。

 葉子と早苗はにっこり微笑むと「行こうか」

 早苗の声に葉子もにっこり笑って頷くと、足取りも軽く神社の方へ歩き出した。

 短い階段を上り終わった時だった。丁度、細い道から階段を下りようとしていた同じクラスの近藤治虫と土方俊夫と出合った。

「どこへ行ってきたの」 

 早苗が声をかけた。

「いや別に‥‥」

 照れたように土方は頭をかいた。

 葉子は早苗の横でにっこりしながら黙って立っていた。

「縁結びの神社に行ってきたんでしょう。まさか私の名前を書いたんじゃないでしょうね」

 早苗は土方の肩を軽く押した。

「違うよ、この山には財宝伝説があるんだ。だから秘密の財宝がないか探検して来たんだよ」

 近藤が土方と早苗と葉子の顔を順番に見ながら、ポケットの中から光る物を取り出した。

「何よそれ?」

「さっき見つけたんだ。きっと秘密の財宝を埋めた時に落ちたんだと思う」

「信じられないわ」

 その時、同じクラスの沖田正二が「又見つけた!」と喜び勇んで走って来た。その手には同じように光る石があった。

「きれい!ルビーみたいね」

 葉子がその青紫に光る石を覗き込むように見ていると「きれいだろ、ゴホッ」と沖田が体を折るように咳き込んだ。顔をあげた時、葉子の顔があまりにも近くにあったので沖田は驚いて一歩下がった。

 沖田が葉子に好意を持っているのを知っている早苗は、軽い気持ちで葉子の方へ沖田の背中を押した。

 沖田の身体は足は前に進もうとしつつ、頭は止まろうとして、そのまま不自然な状態を保ちつつ、葉子の身体に当たってしまった。驚いた葉子は防御本能が働き、咄嗟に手が前に出て沖田の体を軽く押した。残念な事にそこには短い階段があった。

 押された沖田は「あぁぁ〜」と叫びながら階段を転び落ちた。

 驚いた早苗と葉子はあわてて短い階段を下りて沖田に近づいた。

「おーい!そんな事くらいで怪我しているようではこの日本を改革する事など出来ようか」

 階段の上で近藤治虫は叫んでいた。

 その声を聞いて、階段の下でうずくまる沖田正二が肩肘をついて上をぐっと見上げた。

「沖田!又、宝を探しに行こう」

 土方も沖田が階段を落ちる時に落とした、光る石を手に持って高々と空に突き上げた。

 沖田は何ごともなかったようにすっくと立ち上がると「これしきの事ぐらいで降参する沖田ではない!コホッ」と見得を切って軽く咳をした。

「よし!それでこそ沖田だ!きっと財宝を見つけてこの日本を変えて見せるぞ」

「日本の夜明けは近い!」

 階段の上で近藤と土方は胸を張った。その目は改革の炎に燃えているようだった。

 沖田は前を見たまま葉子を見る事が出来ない。

「財宝を見つけた暁にはきっと‥‥」

 感極まって声が途絶えた。

「沖田!時間ない。行くぞ!」

 近藤の声が飛んだ。

「男には何よりも大事なものがあるんです、必ず又会いましょう。いざ、さらば!」

 沖田はそう言うとほほ笑みを残し、お尻の痛みに耐えながらも振り返る事なく、脱兎の如く階段を駆け上って行った。

 三人は瞬く間に鬱蒼とした山の中に消えていった。

 寒い季節にもかかわらず、暑苦しい空気を満々と残しながら。


「何んなの?あの三人」

 早苗はあきれていた。

「沖田君って胸を病んでるのかしら」

 葉子は三人がいなくなった階段を見ていた。

「どうして?」

「だって、変な咳してたもの」

「気がつかなかったわ」

 意識外の事には人間は案外気がつかないものだ。

「でも吃驚したわ」

 葉子はふと緊張から解放されたように、身体から力が抜けていった。

「ごめんね葉子。私が変な事したから‥‥でも、良かった。沖田君が怪我しなくて」

「でも、階段駆け上がるとき、なんかお尻を触っていたわよ」

「尻餅ついたからね」

 葉子と早苗はお互い顔を見つめてにっこり笑うと、今の出来事を忘れようとばかり早苗が口を開いた。

「好きな人いる?」

「どうしたの突然」

「好きな人の名前を書くと、その人と結ばれるんだって」

 早苗は嬉しそう葉子の顔をのぞきこんだ。

「そうなの、でも思い浮かばないわ」

 葉子は思案気に答えた。

「沖田君は?」

「その話は忘れて!」

 葉子の顔が河豚のようにふくれた。

「でも好きな人いるでしょう、福田君とか、阿倍君とか」

「それは早苗でしょう」

「今は違うわよ」

「えっ、もう別れたの」

「ころころ変わっちゃうのよ‥‥」

「で‥誰なの?」

「名前を明かすと駄目なのよ。だから秘密」

「だったら、私も言わない」

「言わないって、いないんでしょ」

「いないけど、いたりする」

「変な言い回しね。それじゃお互い秘密にしましょう」

「すぐにばれたりして」そんな話をしながら歩いていると、「俺の名前を書いてくださいね」

 同級生のひょうきん者、お笑い係の小泉俊一郎が顔を出した。

「それだけはないわ、天に誓って」

 早苗が口を尖らせた。

「天に誓うって、俺の男ぶりを否定するな」

 小泉俊一郎は手を空に突き上げながら早苗を見た。

「天にも地にも誓うわよ」

 早苗は大げさにそっぽを向いた。

 小泉俊一郎は崩れるように膝をついて、大きな声で叫んだ。

「天も地も、我を見放した」

 冷めた笑い声が、境内に響いた。


 縁結びの神社は若い女性連れや、若いカップルで賑わっていた。

 早苗と葉子は、そこで良縁のお守りを買うと、白馬に乗って王子様がやってくる事を願いながら、大事そうにかばんの中にしまいこんだ。

 白馬に乗って来られると、大いに引いてしまうと思いながら。


 楽しいひと時はまたたく間に過ぎていった。それが楽しければ楽しいほど、その過ぎていく時間は早く感じる。

 まさに、少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、である。

 老いてからこの意味を知る者のいかに多いことか。


「又、この階段を降りるのか」

 ため息交じりの声に歓声はなかった。

 生徒たちは整列しながらゆっくりと降りていった。

 葉子が階段を降りはじめようとした時、前の男子が急に立ち止まったので、その男子の背中に身体がぶっつかるように当たってしまった。

 男子はつんのめるように踏鞴を踏んで、階段をニ三段すべり落ちた。

「ごめんね、大丈夫?」

 葉子はあわてて謝った

「大丈夫だけど、鮫島君の身体は、ほんとうに柔らかだった」

 男子は自分の胸を両手で押さえながら、うっとりした顔で葉子を見た。

 葉子は顔が赤くなるのがわかった。

「いい加減にしなさい。さっさと進まないからよ」

 友達の早苗が大声を出した。

 その時である。

 葉子の心の小さな穴を鋭い刃物が突き刺さした。

 突然の思いがけない頭の痛みに泣きたい思いで立ちすくんでしまった。それは幼い時に近くの神社の階段で泣いていたあの時のように。

 幼い葉子のそれは記憶と呼ぶにはあまりにも刹那の瞬間だった。

 葉子の目が果てしなく連なる下だり階段を見た時、記憶の闇に潜んでいた魑魅魍魎が葉子を容赦なく襲った。そして葉子は驚いて呆然とする早苗の身体にもたれかかるようにその場に崩れ落ちた。


 葉子は早苗に抱き起こされるまでそんなに時間はなかった。

 他の生徒は心配しながらも「軽い貧血だから」の先生の一言で先に階段を降りて行った。

 葉子はそこでしばらく休んでから、残ってくれた早苗と付き添いの先生と三人で階段を下りて行った。

「急に目が回っちゃって」

 葉子は先生に申し分け無さそうに頭を下げた。

「高所恐怖症とかじゃないの、高い場所が苦手とか」

 早苗は元気になった葉子を見て安心した。

「そうね、高いとこは嫌いかも」

「だから成績も高いとこが嫌いなんだ」と早苗は舌を出して笑った。

「あたり!でもそれは早苗も同じでしょ」

「だったら私も高所恐怖症?」

「おそらく、きっとテスト満点恐怖症!」

「なに、それ?」

 先生は二人の会話を聞きながら、元気に階段を降りる葉子を見て安堵の表情を浮かべた。


 ただこれ以来、葉子は階段を降りる時、度々頭が締め付けられるように痛み、胸が苦しくなって階段の上で立ち往生するようになってしまった。

 勿論、葉子は修学旅行の、この経験が原因だろうくらいに考えていた。それ以前にあった幼い頃の事など分かる筈もないし、思い出す事などないからだ。

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