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最終兵器的彼女  作者: 御影志狼
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第三章


 広大な砂漠を突っ切るように、そのバイクは走っていた。ただし、タイヤのついているバイクでは、砂に足を取られて進まないため、乗っているバイクは『エア・バイク』と呼ばれる、『喪われ(ロスト・)し(テク)技術(ノロジー)』が開発した、過去の遺物―それを自分の手足のように操りながらアルは、チラリと座席に黙したまま座っているルキウスに視線を落とした。

 座席でスヤスヤと寝息を立てている相手は、前髪が異様に長いため、その表情を窺うことは出来なかったが、アルにはルキウスが疲れているように見えた。

(……まぁ、無理ないだろうけど……)

 相手が起きてしまわないよう小さく吐息をついて、気を取り直すつもりで、ゴーグルを掛け直した。

 そうしながらも、アルの脳裏には先ほどのルキウスとの会話が思い出されていた。

 

「―シオルッ……!」

 ルキウスの口元から、信じられないものでも見るような驚愕に満ちた声が漏れた。そんな目で見つめられ、アルはたじろぐ。

 そして助けを求めるようにエティに視線を泳がせると、彼女もまた困惑したように肩を竦めていた。

「……えーと、おたく、誰?」

 驚愕に目を見開くルキウスに、アルは居心地の悪さを感じつつ、尋ねた。

「…………あ……ご、ごめん」

 ハッとしてルキウスは我に返り、謝った。

 しかしその表情は今だ、驚愕に彩られている。

「……昔の友達によく似ていたから、つい驚いてしまって……」

 そう言いながらも、ルキウスは自分の言葉を否定していた。

 よく似ている、なんてものじゃない。目の前の青年は、自分の親友と瓜二つの顔を持っていた。

 それこそ、ルキウスが動揺を隠し切れないほどに。

「あ、そう……」

 アルは、ルキウスとその親友とやらがどういった友人関係を築いていたのか知らないため、そう答えるしかない。

「―で、名前……」

 先ほどからずっと知りたかったことを三度尋ねるとルキウスは、静かに自分の名を明かした。

「ねぇ、取り敢えずバイクに乗って進んだ方がよくない? 一応あんた、あの男に追われてるんでしょ?」

 アルもルキウスに自己紹介をした後、エティが苛立ちを滲ませた声音で忠告した。

 それを聞いたアルは怪訝そうにエティに視線を向ける。

「一体、遺跡内で何があったんだ?」

 エティの忠告通りバイクのキーを回して、エンジンを掛けたアルが、エンジン音に負けないように声を大きくして尋ねる。エンジンを掛けたと同時にバイクが僅かに地面から浮かび上がり、そこでアルはバイクに飛び乗った。

「―なんか、ストーカーがいた」

 最初からあの場にいたわけではないため、エティは自分が見たままの時の感想を述べた。

 そうしながらも、アルの後ろの座席に飛び乗り、ルキウスを指差す。

「ほら、あんたはそっちのサイド・カーに乗って」

 ルキウスから指を外して、サイド・カーを差し、そう指示すると、ルキウスは頷きながらエティの指示に従って、座席にちょこんと腰を下ろした。

「んじゃま、行くぜ」

 ゴーグルを掛けて、アルがハンドルを操作すると、バイクは前へと進み始めた。爆音までとはいかないが、それなりの音が周囲に響き渡り、アルは風と一体になるような爽快さを感じつつ、ハンドルを強く握り締める。

「―あたしも、よく知らないからさ。説明して貰える?」

 遺跡からどんどんと離れていくためか、安堵を浮かべつつも、エティがルキウスに向けてそう尋ねる。

「あ……うん―何から、話せばいいのかな……僕自身、今のこの世界が分からないことばかりだから……君たちは、今から五千年前のことを知っているかい?」

 逆に尋ねられ、しかも、五千年前という寝耳に水な言葉に、エティもアルも一瞬きょとんとして互いに顔を見合わせた。

「あー……いや。せいぜい『喪われし技術』だとか、さっきの〈レヌ遺跡〉ぐらいだよな。五千年前のもので知ってるっていやあ」

「『喪われし技術?』」

「五千年前の先端(ハイテク)技術(ノロジー)のことよ。確か五千年前って丁度、《ディオス国》全土を統括していた主神―信仰神が変わった時期よね、アル?」

 そう言いながらエティはアルに同意を求めた。

「あー……マルドゥクからナブから、だっけ?」

 歴史はあまり得意ではないため、適当に答えるアルに、ルキウスは静かに頷いた。

「そう。マルドゥクが当時の主神だった……僕はその、マルドゥクを信仰していた時代の人間なんだ……友、……『シオル・ジュビリー』という神官の手により、魔術技術による、表面封印術および、永眠封印術を施されて、僕は五千年という時を眠り続けていたんだ。なんか、言ってて僕も虚しくなるけど、この世界は明らかに僕がいた時代と違う……僕のいた時代には、この場所に砂漠なんかなかった……大地には緑の草原が広がり、息を吸い込めば柔らかい草木の匂いがした……」

 過去を懐かしむような表情を浮かべて、ルキウスはぽつぽつと言葉にする。

 しかし語られたアルとエティにとっては、それこそ寝耳に水のことだ。けれども二人にはあることについて知識を持っていたため、ルキウスの言葉を一笑することは出来なかった。

「………………もしかして、『氷柱の眠り人』?」

 アルは運転しているため、指を差せなかったが、エティの方は完全にフリーだった。アルの腰に両手を回していたので、その一方を解き、ルキウスを指差して尋ねる。

「……どういった風に呼ばれていたのかは知らないけれど、多分それが五千年間眠っていた僕についた名称……なんだろうね」

 寂しそうな微笑を浮かべてルキウスはエティたちに向けて頷いてみせた。

「…………《西》の連中が今更〈レヌ遺跡〉になんの用かって訝しんでたけど……まさか、あんたを目覚めさせるためだったとは……ね」

 得心がいったように、前方を見据えて運転しながら、アルが言う。

 〈レヌ遺跡〉にある『氷柱の眠り人』については、王都の《マラン》に住んでいなくても、《ディオス国》に住んでいる者なら、誰もが知っていることだった。

 だから、アルとエティはルキウスのこと―正確には『氷柱の眠り人』である、ルキウスが言っていることを理解出来た。

 もっとも、二人は今の今まで『氷柱の眠り人』自体は知っていても、眠っている人がどんな姿形をしているのかまでは知らなかった。

 そんな意味も込めて、エティはマジマジとルキウスの顔を凝視する。

「……ふーん、こうやって明るいところで見ると、あんたって結構顔イイじゃん」

 先ほどは薄暗い場所にもいたし、切羽詰まった状況にいたため、相手の顔がどうのこうのと詳しく見るようなことがなかったため、エティは改めてルキウスの容姿に関しての感想を述べた。

「でもさー、なんで《西》の連中は、あんたを目覚めさせたんだ?」

 目覚めさせる目的が分からないため、アルはゴーグルをつけたまま、チラリとルキウスに視線を流した。

「………………彼らの目的は、僕の『身体』なんだ」

 吹きつける風に消えてしまいそうな小さな声でルキウスが呟き、辛うじて聞き取れた言葉にエティは嫌そうに眉を寄せ、アルはガクンと顎を落っことしそうになった。

「……ストーカーもいたしね」

「え? てか、ちょい待てッ! 考えようによっては、ヤバイだろ、その発言!」

 アルの突っ込みに対して、ルキウスは苦笑を浮かべた。

「―僕の身体には、今の世界に住む女性たちが、ウイルスに苦しむことなく子供を産める身体になれる手がかり(ヒント)が隠されている……と、彼らは思っているらしい」

 言いながら、ルキウスは寂しそうに微笑んで、前方を見据えた。

「……あんたの身体に……? でも、あんた男だろ? 男の身体の中に……その、女が子供を産めるようになるって手がかりが、本当にあるのかよ? 普通に考えたら、そんなもんがあったとしても、女の中とかじゃねぇの?」

 前方を見据えつつ、ちらちらと視線を横に向け、アルは理解し難い表情を浮かべて、ルキウスに尋ねる。

「うん、そうだね……だから、正確には男の僕の身体ではなく、女性になった時の僕の身体が、彼らは必要だったんだと思う」

「……どういうこと?」

 さっぱり話が飲み込めなくなって、エティは眉間に皺を寄せて、ルキウスの横顔を凝視した。

「―僕の身体には、実は二つの性別が混同されているんだ。とは言っても僕の性別は本来、男だったんだけど……五千年以上前からこの国に存在し、着実に感染者を増やしていったウイルス―当時は『アルテミス』と呼ばれていた病魔に対抗しうる女性の身体、ということをテーマに、先端医療技術を駆使して、僕の身体は女性としての機能を備えつけられた肉体になってしまった。混同、という言葉は正しくないな……正確には、男の肉体から女性の身体に変化することが出来る、特異体質、になるのかな……」

 ルキウス自身、自分が望んでそんな身体になったわけではないため、酷く歯切れの悪く唇を動かして、言葉を綴った。

 一方、ルキウスの口から紡がれた言葉を聞いていたアルとエティは、返す言葉もかける言葉もないため、黙したままルキウスを見つめ続ける。

「………………手術は成功した。僕は望まないまま、女性としての身体を手にし、人々は『アルテミス』に感染しない僕を、女神のように扱った……そして子を成すために、神託を受け、その定めに従って僕は、男である僕は、女性として、男と結婚しなければならなくなった」

 過去の哀愁を思い出すようにルキウスは唇を噛み締めて、うつむき、搾り出すように独り言を呟いた。

「……なのに、どうしてだろう? 彼は、僕を救うつもりで、僕を封印したのかな……」

それとも、別の意図があったのか……ルキウスは今でも親友が、あの時何を思ってそんな行動に出たのか、その真意が掴めないままでいる。

 そんなルキウスを見つめながら、アルはやるせなさを感じていた。ルキウスはうつむいているため、その表情を窺うことは出来なかったが、アルにはルキウスが泣いていると思った。 

慰めの言葉も思いつかず、気まずい沈黙が三者の周囲に降りる中、ルキウスがおもむろに顔を上げた。

 その瞳の奥には憂いた翳りはあるものの、既に哀愁はなく、揺るぎない決意に染まっていた。

「―僕が、今のこの時に目覚めたのには、きっとわけがあるのだと思っている。偶然でもない、必然……そして今の僕にはしなければならないことが出来た」

 自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐルキウスに、アルやエティは黙ったままその言葉に耳を傾けた。

「僕は、シオルがどうしてあんな行動に出たのか、その理由を知らなければならない……ううん、知りたいんだ。だから、今のこの時代の中で、彼が生きていた頃の痕跡を探したい」

 言葉を吐き出すごとに、その意思は強くなっていき、探したいと締め括ったルキウスは、アルとエティを交互に見遣り、頭を下げた。

「助けて貰った上、こんなことを頼むなんて厚かましいと思うかも知れないけど、僕にはこの世界について、あまりにも知らなさ過ぎる……だから、少しの間だけでいいんだ。この世界の常識についてや、地理について、それを僕に教えて欲しい」

 真摯な言葉に、エティは迷ったようにアルに視線を投げた。

 ゴーグルを着けたアルは、横一文字に唇を引き締め、ルキウスの頭の旋毛(つむじ)に、視線を固定し、ずっとその一点を見つめていたがやがて、その表情を和やかなものに改めて唇を開いた。

「まぁ、乗りかかった船っていうか、あんたなんか危なっかしくて放っておけないしなぁ……いいぜ。ちょっとと言わず、暫くの間だったらつき合ってやっても」

「アルッ?」

 その言葉にルキウスは顔を上げ、アルの後ろに座るエティが、不満ではなく、驚きに声を上げた。

「いいだろ? どうせ俺らも今ヒマしてんだし。それに、最初にえーと、ルキウスだっけ? ルキウスを拾ってきたのは、エティなんだし」

 深く考えない性格のため、面倒ごとであっても背負い込む癖のあるアルに言われ、エティは唇を尖らせるも、正論のため、反論出来ない。

 エティの中では早くも、こんな奴、拾うんじゃなかったと、後悔の念がよぎっていた。

「……本当にいいのかい?」

 二人のやりとりを黙って聞いていたルキウスが、恐る恐るアルに向けて尋ねると、アルは任せとけとばかりに、大きく頷いた。

「ああ、つき合うぜ」

 その言葉にルキウスは、封印を解かれてから初めて、満面の笑みを浮かべて感謝を表した。

「ありがとう」

 その瞬間、アルは自分の心臓の鼓動が早くなるのを自覚した。

 硬く閉ざしていた蕾が花開いたような、そんな美しく柔らかな微笑に、アルは男であるルキウスに、不覚にも胸が騒いでしまった。

「あ、いや……気にすんなよ」

 それを隠すように、アルはぶっきらぼうに言葉を吐いて、運転に集中するよう頭を切り替える。

 そんなアルを意味ありげに後ろから眺めつつ、エティは諦めたように大きく吐息をついて、ルキウスに視線を向けた。

「協力するってことになったけど、まずはあんた、どうしたいわけ?」

 聞かれたルキウスは、今のこの世界の地理についてよく分からないため、少し考えた後に答えた。

「……ちょっと、気になることがあるから、えーと、今の王都になっている《マラン》というところに行って欲しいんだ」

 その言葉に、エティは怪訝そうな表情を浮かべた。

「《西》にぃ? なんでまた」

「僕が女性の身体を持っていることも、彼らは知っていた……どうやらそれを知り得たのは、僕の昔の知り合いが書いた、日記かららしいんだ……そのことでまた、君の言うストーカー―ブラッドに遭遇するかも知れないけど……僕は少しでも、僕が封印された後のシオルの足取りについて知りたい……だから、危険かも知れないけど、僕はそこに行こうと思う」

 エティは、ブラッドと遭遇するかも知れない、という(くだり)で、心底嫌そうに顔を歪めたが、既にルキウスにつき合うとアルが決めてしまったため、いまさらその意思を変えることは出来ないと理解しているから、うんざりしたように溜息をついた。

「……わざわざ渦中に飛び込もうっていう、あんたの気が知れない。それに、《西》の連中だって、あんたを狙ってるって話だし……そんな場所に行くことになるなんて……」

 横目でルキウスを睨むと、そんなエティを諌めるように、アルが口を挟んだ。

「文句言うなよ。乗りかかった船だろ?」

「…………沈没しそうな船だこと」

 嫌味ったらしくエティはアルに言い、それきり沈黙する。

 ルキウスは、すまなさそうにエティを見つめていたが、アルが視線のみで気にするなと告げ、

「んじゃ、《マラン》に行くなら、方向切り替えないとな」

 口笛でも吹きかねない軽いノリで、バイクを大きく右へと逸らした。

「二時間ぐらいすりゃ着くから、疲れてんだったら、寝てていいぜ?」

 ルキウスにそう言うと、相手は頷き、小さくありがとうと礼を述べた。


 行く手に巨大な建造物が見え始めた頃、アルはバイクのスピードを緩め、適当な場所に停めた。

「どうしてこんな場所で停まるんだい?」

 てっきりバイクごと《マラン》に入ると思っていたルキウスが、不思議そうに尋ねる。

「今じゃ、こういった代物は、『喪われし技術』っつって、国では一応『持たない、造らない、持ち込ませない』で、禁止令が出てるからな。一部の地域では認められているが、お堅い《マラン》では当然、全禁止令が発動してる。だから、こんなもんで、堂々と首都の門は潜れねぇんだよ」

バイクから降りつつ、アルは丁寧に答えてやる。もっとも、表向きは確かにそう決まってはいるが、裏では《マラン》の政治を執り行なう上位幹部や、神殿で働く神官たちが、南に存在する《テクノ》と呼ばれる技師たちと取引で『喪われし技術』を使って色々なものを造り出していることを、アルは知っていた。だが、それをわざわざルキウスに言うこともないので、それについては口にしなかった。       

「で、こうして離れた場所において、隠しておくってわけ」

 言いながらアルは、ポケットに収めていたリモコンを取り出し、そこの紅いボタンを押して、ステルス機能を発動させ、エア・バイクの姿を視界から消した。

 完全に目の前から消失したエア・バイクに、アルは得意げにルキウスを見たが、ルキウス自身、五千年前にもその技術を目にしたことが何度もあったため、特に驚いた様子はなかった。

「あっちの方向に歩いていけばいいんだよね?」

 ルキウスは傍に立っているエティに尋ねると、彼女は黙って頷き、先に歩き出す。

 その後を追って、ルキウスも歩き始めた。

 靴底から伝わる、砂漠の砂の上を歩く、独特の感触に、一度立ち止まって恐々、靴の裏を見た。

「この辺は結構地盤が固いから、砂に足を取られることはないから安心しな」

 ルキウスの後に続いて足を進めていたアルが、愛用の迷彩色のリュックサックを担ぎ直しつつ、ルキウスの行動を面白そうに見つめながら言った。

「そう、なんだ……砂漠を見るのも歩くのも初めてだったから……気づいたら靴に砂が入っちゃうかと思って」

 ルキウスは前髪を掻き分け、苦笑をアルの方に向けて浮かべた。その時白いマントがヒラリとアルの視界に留まり、アルは思わずそのマントを手で掴んだ。

「……これは、ヤバイかもなぁ……」

「え?」

 まいったなと頭を掻いてぼやくアルに、怪訝そうにルキウスは小首を傾げた。

「いやさ、このマント……今の時代でも、神官職に就いてるヤツの指定服みたいなもんだから、これで街に入ると多分、バリバリに目立つ」

 今の今まで気づかなかったのは間抜けだ、

と一人ごちて、アルはエティを呼んだ。

 先を歩いていたエティは立ち止まり、振り返ることでその場に留まる。

「何?」

「ルキウスの着てる服について何だけどさー……」

 そう言ってアルが説明すると、エティは眉根を寄せて、ルキウスたちの方に近づいていく。

「……確かに、これは目立つね……いっそ脱いで捨てちゃえば?」

 ルキウスを上から下まで見た後、エティは冷たくそう言い放った。その言葉に、ルキウスは困ったように力ない笑みを浮かべる。

「捨てるのはちょっと困るけど、確かに脱いでいた方がいいみたいだね……」

 言いながら、ルキウスは手早くマントを脱いで、中の服を表に出した。

 服装自体は五千年前のものでも、封印術が服にも同じように施されていたため、その服は、ルキウスが封印されていた時と何ら変わりない色彩を放っている。つまり、服がボロボロになっている様子がない、ということだ。

 そして、デザイン自体もそれほど古臭いものではなく、今もありそうな一般的な服装―簡素なシャツと、ストレートパンツ―という出で立ちのため、街に入っても他人に違和感を抱かれることはないだろう。

 あるとすれば、ルキウスのその容姿についてだけだ。

 日に全く焼けていない、白磁のように滑らかで白い肌。薄紫の、何処か神秘を感じさせる髪に、全ての生物の誕生を祝福するかのような、萌葱色の瞳。

 他者の視界の中に入れば、間違いなくその者は、通り過ぎるルキウスを振り返ることだろう。それほどの美貌を、ルキウスは持っていた。

 出来ることなら、《マラン》に入ることは避けたかったが、本人が行くと決めたのなら仕方がない―苦笑を浮かべつつ、アルはルキウスから脱いだマントを受け取って、自分が所持しているリュックサックに詰め込んだ。

「《マラン》から出たら、返すな」

 その言葉に、ルキウスはニコリと笑みを浮かべて、応じた。

 先に歩くエティは既に、《マラン》に入る際に通る巨大な門の前で、そこに立って警備を勤める二人の門番に通行証を見せているところだった。

 エティはアルとルキウスの方も指差して、二人が連れであることを門番たちに告げると、彼らはルキウスの姿を目に留めると、ちょっと驚いたように目を見開いたが、特に何も云わず、横柄に頷いて《マラン》に入ることを許可した。

 巨大な門を潜り、そこを抜ければすぐに首都マランである。

 ルキウスは僅かばかりの緊張を胸に秘めつつも、ゆっくりと門を潜り、《マラン》の地を踏みしめた。

 刹那―何とも言えない甘く、濃厚な香りがルキウスの鼻孔を刺激した。それとともに、馨しい匂いがルキウスの全身を霞がかった靄のように絡まり、見る間に体内へと吸収される。

 全ての感覚が鋭敏になり、世界が凄まじいまでに青く、青く青く、白く、白く白く見えた。

「あっ…………」

 立っていることが叶わず、両膝をつき、込み上げてくる嘔吐感に必死に耐え、ルキウスは自分の身体を強く抱き締めた。

 足が地面についた時から、近くでアルたちが慌てた様子で声を掛けているのが聞こえたが、それがやけに遠くに聞こえた。

 内側から、何かが変わっていくような感覚―慣れはしないこの感覚を、ルキウスはよく知っていた。

 そう何度も体験したわけではないが、間違いない―肉体が、変化を遂げている。

(でも……なんで、今ッ?)

 気持ちが悪いくらい膨らみ始める胸を押さえながら、ルキウスは混乱する頭の中、一生懸命に思考を巡らせる。

 ルキウスの身体が、男性から女性へと変化を遂げることが出来るのは、月の満ち欠けに関係していた。

 月が欠けることなく、夜空に美しく満ちている時―つまり、満月である時、ルキウスの肉体は女性へと変化する。

 けれども今は、その時ではないはずだと、ルキウスは思った。

 確かに長い間眠っていたため、暦の感覚は狂っていて、今が何年の何月何日だということすら分からない。が、目覚めてから、今の今まで、肉体の変調をきたすような感覚には正直、襲われていなかった。

 それに今はまだ日も高い。満月である日は既に朝からでも、女性に変化しているが、この時間では、あまりにもおかしい。

(なら、どうして……?)

 そこまで考えて、ルキウスはふと、馨しい匂いに意識を向けた。

 知っている匂いであったわけではない、ただ、酷く懐かしい感じのする、甘い香り。

 この匂いを、ルキウスは知らないはずなのに、知っていた。

「そうかっ……『月の雫』ッ……!!」

 思い当たるものを鮮明に頭に描いた瞬間、ルキウスの体内で何かが弾け飛んだ。

 肉体の変化を起こすにつれ、伸び始めた髪を振り払った頃には、ルキウスの身体は完全に男から女へと変わっていた。

「……ルキウス……」

 ゴクリ、とアルが唾を飲み込み、エティも呆然とした様子でルキウスを見つめていた。

 元々中性的ではあったルキウスの外見は、ここにきて完璧なまでに女性の持つ、特有の物腰の柔らかさ、繊細さ、そして、艶めかしいほどにしなやかさを併せ持つ、最高級の宝石ほどの価値を思わせる容姿を手にしていた。

 簡素なシャツから浮かび上がる胸のラインは、大きくもなく、小さくもなく、まさに理想的なまでに膨らみ、腰のくびれはきっちりと引き締まっている状態になっていて、穿いているズボンが少々ダボついている感じがしないでもなかった。

 長い前髪を掻き分けて、申し訳なさそうにアルたちを見つめるルキウスを見た瞬間、アルはルキウスの虜になっていた。

「………………………………取り敢えず、服、買いに行こう」

 その姿はヤバイと判断したアルは、一も二もなく、そう切り出すのだった。


 荒々しい運転テクニックを見せつけたブラッドは、ナディアの口から直接聞いた、自分の目的地マランへと辿り着いた。

 四輪駆動の車を適当にその辺りに転がし、嫌がるナディアを無理やり歩かせて、ブラッドはもの凄く不遜な態度で、門を警備する門番たちに、

「通るぜ」

 と、一言告げて通り抜けようとした。

 しかし、そんな態度で(しかも通行証を出していない状態)門番が鷹揚に応じるはずがなかった。

「待て」

 当然のことながら、ブラッドは門番たちに止められる。

 門番二人は手に持つ槍を十字に交差させて、ブラッドとナディアが通り過ぎようとするのを防ぎ、ブラッドは途端不機嫌な表情を浮かべて、鬱陶しそうに二人の門番たちに視線を向けた。

「通行証は?」

 訪ねられたブラッドは、ナディアの方にチラリと視線を向けて、持っていないのかと、目で訴えた。

「あ……ここに」

 ナディアはスカートのポケットから通行証を取り出し、門番たちに見せた。

 門番たちはその通行証を見た後、確認するようにナディアの顔から下をじっくりと見た後、相手の左胸につけられたプレートを発見し、驚いた表情をとった。

「〈レヌ遺跡〉探索チームの、ナディア・メルセス様ッ……? あの……他の方々は?」

 今日出立したばかりのチームのメンバーである彼女が、たった一人―しかも見知らぬ男を連れて―帰還してきたことに対して、門番の一人が不思議そうにナディアに訪ねた。

「え、えぇ……実は……私だけが先行で帰るように命じられたため、他のメンバーより一足先に戻ったのです」

 ブラッドの無言の威圧に、ナディアは成すすべもなく従うしかなかった。

「ハルドゥ様も、ですか?」

 〈レヌ遺跡〉探索の最高責任者であるゼネルがいないことに、まだ疑念を抱いているらしい門番が訪ねると、一瞬だがナディアは返答に窮してしまう。

「おかしいですね……何か成果があれば、一度全員で帰ると、そういう話であったのに……」

 彼女の戸惑いを、門番たちは見逃さなかった。わざと当初の計画について口にし、ナディアの反応を窺う。

「ったく、使えない女だな」

 しかし、それはブラッドによって妨げられた。明らかに失望したようにナディアを視線の端で捉え、次に門番二人を視界に入れる。

 その態度は門番たちよりも不遜で、横柄だった。

「……ナディア様、この者は何者です?」

 威風堂々とした態度のブラッドに、警戒心を(いだ)きつつも手にしている槍をゆっくりとブラッドの方に向けた。

 矢尻が自分の方に向けられていても、ブラッドは気にした様子もなく、不敵な笑みを浮かべて余裕を見せる。

「槍、ねぇ……なぁーんか、随分ムカつくヤツのことを思い出すな」

 ゾッとするほど凶悪な笑みを浮かべるや否や、ブラッドは無造作に門番たちが手にしている槍を、手で掴んだ。

 片手で棒の部分を掴むや、それを下方へと押し下げる。

 一見何気ない仕草のように見えるが、その力は絶大だった。やられた門番は、槍を掴んだままの状態で世界が反転し、気づけば地面に倒れ込んでいたのだから。

 そしてその槍を奪い取り、いとも簡単に倒れた門番の命を絶つ。

「貴様ッ……!」

 残された門番は、激昂してブラッドに襲い掛かるが、それもブラッドにとっては虚しい抵抗でしかなかった。

 弱肉強食の世界で例えるなら、ブラッド自身は紛れもなく、強食である方―つまり強者であり、立ち向かう門番は、弱肉……つまりは、弱者であった。

 この勝負も一瞬の内に終わり、ナディアが目の前で見たものは、勇んで向かった門番が、次の瞬間には喉元を貫かれて地面に倒れ込む光景であった。

「……あ……ぁ……」

 凄惨なその状況に、二時間ほど前に行われた殺戮の惨状が、ナディアの脳裏を掠めて、一瞬意識が遠のいた。

 血臭が嘔吐を誘い、口元を抑えるナディアに、ブラッドはつまらなさそうに彼女を見遣る。

「使えない上に、殺しの光景もまともに見れないんじゃ、連れて行く価値はねぇよな」

 そう言って、ブラッドは槍をナディアの方に向けて放った。

 放たれた槍は、ナディアの足元に突き刺さり、それまで金縛りにあったかのように動けないでいたナディアは、槍が突き刺さったと同時に、力が抜けてその場にへたり込んだ。

 その光景を見たブラッドは失笑しながら、ゆっくりと踵を返して、門の奥へと歩いていくのだった。

 しかし、《マラン》へと足を踏み入れる途中、ブラッドはいったん立ち止まり、思い出したかのように手のひらを広げて、練成陣を繰り出した。

 その練成陣は紅く発光し、描かれた文字から小さな、火のように赤々とした―炎を纏っている蝶が飛び出した。

 その練成陣は召喚用の上、その召喚されたものは探索型、追跡型を兼ね備えていた。

「あの女の後を追え」

 小さく呟くように炎の蝶に向けて言い放つと、それは二、三度ブラッドの周囲を舞った後、ナディアの方へと飛んでいった。

 その蝶の行方に視線を向け、ジッと見つめていたブラッドはやがて、酷薄な笑みを浮かべたまま、《マラン》の中へと足を運ぶのであった。

 そして、ついに第一歩、《マラン》の街に足を踏み入れた瞬間のことだった。

(何ッ……!?)

 驚愕がブラッドの身体を襲った。

 門を通過したことにより、見渡す限り街の様子がありありと分かる光景を、ブラッドは見ていなかった。賑やかな人のはしゃぐ様も、家々の連なる様も、行き交う人の激しさも……それよりも、現実感乏しい感覚がブラッドを襲い、その心地のよさに酩酊する。

 そうさせているのは、周囲から漂う独特の匂いだと、理解するのに時間がかかった。

 鼻孔を強烈なまでに刺激するのは、甘い何とも言えない香り。

 そう、まるで妖艶な美女が傍らでしな垂れかかっているような、すぐ耳元で囁き、香気を発しているかのような感覚。

「……ルキウス、か?」

 この匂いに、ブラッドは覚えがあった。

 甘く、自分の芯を痺れさすような甘美なこの感覚は、ルキウスと対峙するたびに生じたものと似ていたのだ。

 それだけではない。長くに封印されていたブラッドは、まさに砂漠で七日間彷徨い続け、水に飢えた放浪者であるかの如く、ルキウスに対して渇望の念を抱いていた。

 それにさらに拍車をかけるよう、煽るようにその香気は、ブラッドの周囲に絡みつくように漂う。

 立っていられずに、肩膝をついたブラッドは、ふいに頭上が翳ったことに対して、確認のため、上を見上げた。

「あの……大丈夫ですか? 神官様……」

 見れば淡色の金髪を二つに括った、まだ少女めいた愛らしい十五、六頃の女が心配そうに、しかし、ブラッドの容姿に見惚れたように、声をかけてきた。

 その胸に抱いた数冊の古めかしい本のすぐ上、細い首にかけられたペンダント―『月の雫』がブラッドの視界に入った瞬間、ブラッドの紅玉のような瞳が、細められた。

 その表情はさながら、得物を捉えた肉食獣のようであった。

 身体は未成熟でも女は、女。

ブラッドはまだ、自身が捕食者とも自覚していない哀れな少女の頬にそっと、壊れ物を扱うかのように触れた。


 ルキウスたちが服を購入している頃。また、ブラッドが哀れな少女を永久の快楽と、永遠の眠りに着かせている頃のことだった。

 一人の男が、《マラン》にある、有名な〈ナブ神殿〉の内部へと侵入していた。

 年の頃は、二十三、四。薄黄緑色の短い髪に、蒼い瞳を持った男の名は、イファル・カシミル。遺跡や神殿といった場所に出没することで有名な『遺跡荒らし』だった。

 否、遺跡だけでなく、現在も多くの人が行き交う神殿で盗みを働くのだから、単なる『遺跡荒らし』とは違った。取り繕った言葉ではなく、イファルを他の言葉で指すなら、ただの『泥棒』だ。

 実際イファルは、泥棒としての才覚に長けていた。

 十に満たない頃から、両親のいないイファルは、生きるために働かなくてはならなかった。

 しかし、十の子供がまともに働いたとしても、日に稼げるのは大した金額でないことは、分かりきっていることだ。

 だからイファルは、生きるためにものを盗んだ。

 それが悪いことであることは、イファルだって充分承知していたが、生きたいと思うなら、そうするしかなかった。

 そして、大人になったイファルは、今もこうやって、価値のある場所に現れる。

 ものを盗むために。

 ある程度稼げるようになったのだから、足を洗えばよかったのだが、どうも子供の頃から慣れたことに対して、きっぱりと止めてしまうことには抵抗があった。というか、それが出来なくなってしまったようだ。

 我ながら、イケないことだと自覚しているにも関わらず、このスリルに楽しさを覚え、抜け出せずにいる。

 それに……と、イファルは思う。

 安全な道を生きることに対して、自分は何処か辟易していた。

 原因は分かっている……そう思いながら、イファルの脳裏には二年前の記憶が流れ込んできた。

 信じていた親友と、その妹であり、自分の恋人でもあった女の笑顔。その二人と並んで無邪気に笑みを浮かべている自分。

 全てが痛々しいまでに、温かかった記憶だ。それが今は、冷たく凍りついたものと変わっている。

 ひび割れた関係はもはや修復しようもなく、裏切られた自分と、死んだ二人。

 親友だと信じていた男が自分を殺そうと襲いかかり、イファルは左腕を切断された。

 そして、自分は親友を殺した。

 親友の妹は、自分の恋人だった。

 その恋人も今はいない。

 独りきりになったイファルは、何もかもがどうでもよくなり、自暴自棄になっていた。

 それでも、朝はやってくるし、夜が訪れ、日が進む。

 どうでもいいと思いながら、既に自分は二十四になっていた。

「大概……オレもしぶといよな……」

 自嘲気味に、イファルは気配を殺した状況で、小さく言葉を吐き出した。

 いつ死んでもいいと思いながら、死ぬことが出来ずに、生きている。

 本当は、死にたくないのかも知れない。

 そんな思いが脳裏を掠め、ますますイファルは自分を嘲笑うかのように笑みを深めて、長い回廊を歩き続けた。

 神殿内に侵入し、人に遭遇することなく慎重に進んでいたイファルは、やがて神殿の第二宝物庫に辿り着いた。

 ご丁寧に施錠がかけられていたが、ゆったりとしたジャケットにあるポケットからこの日のために用意していた鍵を取り出し、鍵穴へと差し込んだ。

 カチリ、と音を発して施錠は簡単に外れる。

 そしてイファルは、左手で、重い扉を開けた。

 理由は簡単だ。右手には手袋をしていないため、指紋が残る恐れがあったから使えなかった……それに、右手には愛用の自動(オー)装填式(トマティ)拳銃(ック)―喪われし技術の遺物を自分好みに改造した、銃が握られていた。

 その点、左手には革製の手袋が装着されていたから、何の心配もない。仮に着けていないとしても、指紋が検出される怖れはない。

 何故なら、左手には指紋がないのだから。

 二年前、親友の手によって左腕を切断されたイファルの左手には、義手が宛てられていた。

 片腕だけでは不便だったし、手があるに越したことはない。その理由で、義手を取り着けたのだ。

 その左手を使って扉を開けたイファルは、第二宝物庫の中へとそっと身体を滑り込ませた。

 人の気配がないことは、分かっていた。

 だから、安堵して息をついたイファルは、いないと信じきっていたからこそ、すぐ目の前に人が音もなく佇んでいた状況に、思わず身体を硬直させた。

 悲鳴を上げなかったのは、己の今の状況を理解していたからか。少なくとも、目の前の相手は、侵入者に対して咎めの言葉も、警戒の念も抱いている様子はなかった。

 掃除の行き届き、太陽の光が窓から差し込む部屋に、男はポツンと突っ立っていた。

 長い銀髪に、褐色の肌。顔の皮膚部分には、かなり目立つ刺青が施されている。しかし、刺青を入れるほど不良めいたものは男からは感じられず、むしろ知性と叡智に長けた雰囲気を全身、特に瞳から発していた。その瞳の色は宝石の黄玉(トパーズ)を思わせる黄金だった。

 その肌の色から、自国の《ディオス》ではなく、隣国の《セネト》の人間であることは、明白だった。

 自分よりは年上だが、それでも若いといっていい男は、神官職の証である白い長衣をその身に纏っていた。

 その男が、イファルに視線を向ける。

 その時、イファルは初めてその男の身体が透けていることに気がついた。

 太陽の光が男の姿を明確にするにつれ、男のすぐ後ろ―様々な宝石や、装飾品が陳列された棚が、ぼんやりと見えるのだ。

 幽霊かと、いや、神殿にいるのだから、眼前のこの男はもしや聖霊か……? そう疑い始めたイファルに向けて、男がそっと口を開いて言葉を吐いた。

「……懐かしい気配を感じる……随分長い眠りについていたようだが、今は皇暦何年だろうか?」

 尋ねられたイファルは、意表を突かれたかのように、口籠もった。

 まさか幽霊……聖霊の口から、はっきりと音声ある言葉が吐き出されるとは思ってなかったからだ。

「分からないのか?」

 片方の眉を僅かに上げて、聖霊はもう一度尋ねてきた。

 イファルは何だか馬鹿らしくなって、銃を持ったまま右手で、ぽりぽりと頭を掻いた。

「あー……今は、丁度ガルダーノ皇暦五千年目っすけど?」

「ガルダーノ……? ……そうか。では、五千一年前の皇暦は、ゼラテオス皇暦かな?」

 再び聖霊から質問をぶつけられ、イファルは苦笑を浮かべて頷いた。

「そ。で、それが何か?」

「いや……もうそんなに時が経ったのかと、少々感慨に耽っていただけだ。しかし、そうすると、この明確な魔力の波動は……生身でなければ説明がつかないな」

 後半からは自分に言い聞かせるように呟いている聖霊に、イファルは蘊蓄(うんちく)に煩そうなタイプだと自分なりに分析してみた。

「……で、おたくは何者? あ、ちなみにオレは―」

 そう訪ねるついでに、一応自分の自己紹介をしてから、イファルは聖霊に聞いた。

「ああ、すまない。まだ名乗っていなかったな……私は、ゼラテオス皇暦に生存していた、水の神官・ラキルト・トートだ。〈マルドゥク神殿〉の神官長を務めていた。趣味、特技などの質問があるなら答えるが、返答はいかに?」

 べらべらと喋り始める聖霊―もといラキルトに、イファルは半眼になって胡乱な表情を浮かべた。

「……おたく、饒舌な聖霊さんっすね」

 一言感想を述べると、それは違うとラキルトが否定の言葉を口にする。

「私は聖霊などという敬謙な存在には成り得ない。確かに私は神官としての務めを果たしていたが、その死後に聖霊になるほど徳を積んだようには私自身が思っていないからだ。強いていうなら、私のこの姿は霊でもなく、魂でもない、この世に残していた思いの念だ。いや……念、という存在にしては私の思考回路は明確だな……考えることが出来るなら、私の今の状態は、魂という存在に成り得るのかも知れない。先ほどの思いの念という言葉は訂正しよう。私の今の状態は、肉体の存在しない、魂だけの状態だ。だが、たとえ魂だけの存在だといっても、私自身が聖霊であるとは思えない。先ほども言ったように、聖霊という存在は、徳の高い人間が―」

「アーッ、もういいっす!」

 放っておくと、永遠と喋り続けかねないラキルトに、適当なところでイファルは止めにかかった。

 というか、聞いているといい加減うんざりしそうだったからだ。

「アンタが、その、聖霊でないことは分かったから! ……んでも、なんでその魂だけのアンタが、こんな場所にいるんっすか?」

 疑問を投げることによって、返ってくる返答は、果てしなく長い言葉になることは、イファルは既に理解していた。が、それでも聞かなければならないと判断したため、イファルはそう口にする。

「私の魂は現在、突然ここに出現した、というものではなく、恐らく私の今の肉体―本体とも言うべきものが、ここに安置されているためだ。私のすぐ背後、様々な装飾品が陳列されている場所に、私が生きている間に使用していた魔術道具がある。それは、私が魔術技術を繰り出す際に、練成陣を形成するために媒体に使うものとして、私が愛用していたものだ。媒体となるものは様々だが、私は敢えてこの宝珠を媒体とすることを選んだ。何故これを選んだかと言うと、この宝珠と私の魔力との愛称がよかったためだ。しかし、この宝珠をそのまま手に持ち、魔術を練成するのは面倒であったため、私はこの宝珠をいつでも身につけられるように、手に飾れることのできる、腕輪として装飾技師に依頼した。そして、出来上がったのがこの腕輪だ。黄玉を惹き立てるように、鈍い光沢を放つ金に、当時流行ったラクセルグルン調のデザインを施し、この腕輪は―」

「アーッ、はいはい、分かりました、分かりましたからッ……で、アンタが今、ここに出現した理由を、オレは聞いてんの!」

 話がどんどん違う方向にズレているため、軌道修正をしたイファルは、何だかとっても自分が疲れていることを自覚した。

「ああ、すまない……私はどうも話し始めると夢中になってしまう性質らしい。随分仲間からも、注意された……自覚はしているのだが、癖というものは中々直らないものだな……」

 また長く話し始めそうな傾向に、イファルは苛立つ感情をなんとか押さえ、視線で本題に入るように促した。

 それが通じたのか、ラキルトはようやくにして本題を口にする。

「その私の仲間だった者たちの気配が、突然漂ったことと、何か関係があるのかも知れない。魔術技師たちは互いの魔力の波動を感じ合うことの出来る性質を持っているのだが、私はそれが特に鋭敏に出来ている。さらに、この魂の状態になった時には、極めてその能力は高くなる。何故なら、人が魔力を持っていると言われているのは、肉体の方ではなく、精神の方であると言われているからだ。『同調者』という能力者も、同調を行なう際にしばし、精神感応で他者に干渉するのもそのためだ。肉体であるより、魂だけで触れた方が、相手に干渉する力は倍以上に膨らむからな。ああ、すまない。また話が逸れてしまったな……本題に戻ろう。私は目覚める今の今まで、現世に存在していたわけではない。確かに断片的ではあるが、私が死んで途絶えてからの記憶は存在してはいるが、いずれも明確に説明出来るものは少ない。それが何故今になって現れることが出来たのか……私は今、ある二つの魔力の波動をはっきりと感じている……既にこの世にあるとは思えない、二人の人物だ。それは―」

 言いかけて、ラキルトはふいに表情を厳しいものにし、口元を引き締めてイファルが入ってきた扉を注視した。

 その視線が警戒を露にしていることに対して、何か通じるものを感じたイファルもまた、左手に持つ銃の標準を扉に向け、注意深く観察した。

「…………なんだ、もう気づかれてしまったか」

 幾分、残念めいた声音で、一人の男が扉から現れた。

 黒髪、長身。そして、全身が黒ずくめ―男を見たイファルの最初の感想だった。

 他に気づく点といえば、男の髪はきっちりと整えられたオールバック、切れ長の双眸の色が透徹したかのような水色であること、全身に纏っている服装が、この神殿の裏で働く者たちが着る、見た目は異国の宣教師の着るような修道服であることか。が、そんな教えを説くような生易しい職業でないことは、男から漂う雰囲気で、一目瞭然であった。さらに男の右手には鞘に収められた一振りの長刀が握られている上、隙が全くなかった。

「どうも鼠が侵入したと思い、やってきたが……思わぬ収穫があったようだ。過去の饒舌なる亡霊とは、中々興味深い」

 男はそんな言葉をラキルトに向けて放ちつつ、ちらりとイファルの方に視線を向けた。

 その凍りきった瞳に一瞬、温かみが帯びたのは、果たしてイファルの気のせいだったのか……男は再びラキルトの方に視線を向けたため、確認することは叶わなかった。

「…………神殿の飼い犬か」

 ラキルトにしては言葉短く、男に対しての感想を口にした。

 その言葉に、男は苦笑めいたものを浮かべて、軽く肩を竦めてみせる。

「あり大抵に言えばその通りだが、俺は慣らされた犬になったつもりはないのだが、な……」

「弁明の言葉を綴っても、事実は変わらない。たとえ契約で縛られていようと、膝を屈したのなら、野放しの狼に戻れはしない。そうだろう?」

「……返す言葉がないな」

 何気ない会話のやりとりだが、その間に見えない殺気が迸っていることを、イファルは自覚した。しかしラキルトが、男と会話をしている中で、ちらりとイファルの方に視線を向けたことで、イファルは取り敢えず行動に移すことにする。

 じりじりと太陽が差し込む窓辺付近に後退し、男との距離を保つ。

 狭い室内のため、万が一にも男が持つ刀が、鞘から抜かれることはないという確信をイファルは持っていたが、それでも男が油断ならない気配を発しているのは確かだった。

 それでも脱出経路を確保したイファルは、ラキルトの背後にある、陳列された装飾品の中から一つ、ラキルトが魔術の媒体にしていると言っていた、黄玉の腕輪を掠め取り、ポケットに収めた。

「―逃げるのか」

 一連の行動をやはり見ていた男が、イファルに向けて言葉を放った。

「当たり前だろ。つーか、アンタとまともにやり合ったらこっちが危ないって」

 冷たく研ぎ澄ました刃物を思わせる男の声に、わざとらしく身を震わせてみせ、イファルは後ろ手で窓を開けた。

「んじゃ、フォローよろしく」

 そして、ラキルトに向けて言い放ち、実に潔く窓から飛び降りた。

「………………聞くが、ここは何階だろうか?」

「―二階だが?」

「すると、彼の放った言葉の意味は、自分が飛び降りる際に、怪我をしないように魔術か何かを自分に施してくれという催促ではなく、眼前にいる貴殿の足止めをするように、ということなのだろうな……全く、確かに私の肉体はない状態のため、いつでも脱出することが出来るが、だからと言って、打ち合わせもないままに、勝手に逃走するということがあっていいのだろうか……まぁ、私の今の本体である腕輪は、彼が運び出してくれたため助かったが……さて、では彼の要望に答えて貴殿の足止めをさせて頂くが……構わないだろうか?」

 構わないだろうかと聞かれて、はい構いませんと答える馬鹿はいないだろう……男はそんな心情に陥ったが、敢えて表情には出さなかった。

「……いや、もうその必要はなくなったようだ」

 代わりに、そんな言葉を呟いた。

「別の侵入者が来たようだ―それも、お前のよく知っている人物だ」

 その言葉に、ラキルトは一瞬怪訝な表情を浮かべたが、何かに感づいたかのように、表情を厳しいものへと改めた。

「―ブラッド……」

 ラキルトは呻くようにその名を口にし、それに対して男は唇の端を吊り上げて笑うという、対照的な表情を外に出した。

「さっさと逃げた男について行くといい」

 男は笑みを刻んだ後背を向け、扉に手をかけながらそう口にした。

「捕らえないのか?」

 てっきり対抗してくるかと思ったラキルトが、意外そうに口を開くと、男はちらりとラキルトに視線を向け、

「その必要はなくなったと先ほども述べただろう―私の依頼主は死んだからな」

 こともなげに言葉を吐き、扉の向こうへと消えていった。

 ラキルトは、男の言葉の意味を充分に理解してきた。だから、死者に哀悼の意を捧げるかの如く両眼を閉じ、数秒後、その場から消失した。


 そこはさながら、戦場跡のようだった。

 人の生命の潰えた肉体が様々な形で周囲に転がり、まだ温かい血が大理石で出来た床に血溜まりを広げていく。

 その死体の大半は男ばかりだったが、ごく僅かに女の姿もあった。どの身体にも神殿で勤めている者の象徴たる白いマントや、神殿内で警備を行なう軍備関係の、濃い深緑の軍服などが纏われていた。

 それら転がる死体の全てに、鋭い刃物で切られたような裂傷が走っていた。

 そんな沢山の死体を目の当たりにしても、歩いていた男は少しも動じる様子もなく、淡々とした様子で神殿の奥、教皇がいるとされている場所へと向かっていた。

 その男はさきほど、イファルやラキルトと対峙していた、あの漆黒の男本人であった。

 男の服装はさきほど着ていた黒い衣装ではなく、基調は確かに黒だが、異国から流れてきた衣装である、スーツを身に纏っていた。

 そして刀と、新たに手にしたバイオリン・ケースを片手に、累々たる死体を回避して歩き続ける。

 男は、教皇の間へと通じる扉を前にして、一旦立ち止まる。その扉が開け放たれている状態にあったからだ。

 やはり―そう心中で呟き、男は再び歩み始める。

 教皇の間というものは、あり大抵に言えば、ただの謁見の間だ。教皇や、あるいは皇帝が、自分より下級の者、また、他国の王などと会見をする場として設けられている場所のことを指す。

 教皇の座る、古いが豪奢な造りの椅子に視線を向け、そうして男は、さらにその下へと視線を下らせた。

 男は椅子から転がり落ち、既に絶命した教皇であり、この国の王でもある男の顔を冷やかに見つめ、唇の端を吊り上げた。

 《ディオス国》では、皇帝であるガルダーノ十七世自身が、自らの玉座に鎮座するだけでなく、神殿の頂点に立つ、教皇という称号を得ていた。

 かつての《ディオス》の歴史から見れば、異例であったことは言うまでもない。そして、この皇帝の器の小ささも推して知るべしか。

 自分の地位を脅かす者は、どんな者であろうとも許されない。王となる者に問わず、上に立とうとする人間は、常にそんな考えに駆られている。多少の例外もあるだろうが、器の小さき者には、その脳には矮小な考えしか詰まっていないことは、過去に見てきたものから充分に学習してきた。

(……その末路がこれか)

 玉座まで歩み寄り、男は眼下に転がる死体に目をやった。

 まるで家畜のように丸々と膨れた身体には、今まで見ていた死体と同じように裂傷が走り、内部の肉が見え、今だ血を垂れ流している。

 口から飛び出した舌はだらしなく垂れ下がり、禿げ上がった禿頭を飾っていた筈の無駄に豪華な王冠は、そこから転がり落ちて、床に伸びつづける血溜まりの中にあった。

 静寂が周囲を支配し、この様子では生存者はいないと、男が思った時だった。

 微かに耳に届く、すすり泣くような声を聞き、男は振り返る。後ろからその声が聞こえたためだ。

 見れば眼鏡をかけた女が、呆然自失の状態で、一体の死体の頬に触れていた。

「―お前は」

 男が口を開いた瞬間、女は肩を震わせ、我に返り、男に視線を向けた。

 その双眸は憎悪と憤怒に塗れていた。

「何を―今さら何をしに来たのッ!」

 堰を切ったように女が滂沱の涙を流しながら、叫んだ。

「……何を、とは?」

 取り乱した女とは対照的に、男は何処までも澄ました表情で、そう切り出した。

「貴方の役目は、神殿内に無許可で入り込んだ侵入者を除外、排除することでしょう? その貴方が、今の今まで、王の傍を離れているとはどういうことです!」

 激昂し、肩で息をしながら、女はきつく男を睨み据えた。

「―生憎、俺も遊んでいたわけではない。別の侵入者がいたため、そちらに向かっていただけの話だ。それよりも……ナディア・メルセス。俺は俺に仕事を依頼した男―皇帝が殺害されたため、仕事に関しては白紙に戻っている……俺を責めるのは筋違いだと思うが?」

 だから今は私用の衣装を身に纏っていると、男は口で説明すると、女―ナディアは唇を噛み締めて俯いた。

 その視線の先には、自分の愛する夫である男の骸が転がっている。

 それを抱きかかえ、ナディアは何か決意を秘めたような表情で、顔を上げた。

「―アガン・ティファニー、貴方に仕事を依頼します」

 決然と言い放つナディアに、依頼された男―アガンが眉根を上げ、物言いたげにナディアに視線を投じた。

「貴方に、皇帝を殺害したピジョン・ブラッドという男の殺害と、ルキウス・ブランクスという名の、『氷柱の眠り人』の捕縛……これをお願いしたいと思います」

「…………皇帝の殺害……もっともらしい名分だが、貴女の本音は、夫を殺した男を葬り去りたいだけではないのか?」

 含み笑いのようなものを浮かべて、アガンがナディアに問うと、図星を突かれたナディアはますます唇を強く噛み締めて、黙したままアガンを睨み据えた。

 そんなナディアの視線すらも冷たく受け止めていたアガンがふいに、双眸を緩め、微笑を浮かべた。

 その笑みは、何か面白いものでも見つけたかのように、酷く愉しそうだった。

「―まあ、どんな名分であろうとも、俺には関係ない。いいだろう……その依頼、確かに引き受けた」

 愉しそうではあったが、その笑みは背筋の凍るような冷たさであった。


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