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6.NETRAの思惑

 深夜の学園長室。今日子からの報告を受けた岸部は、デスクに報告書を放り出すと腹の前で手を組み合わせた。

「やはり御手洗が足を引っ張るか……」

「常人なんて選ぶからさ」

 デスク脇の壁に背中を預けていたその女は、眉根を寄せて鼻をならすと、手に下げたウォッカの瓶をあおり、しゃっくりを鳴らした。彼女の身の丈は高校生の平均ほど。容姿もまるで高校生のように幼く、胸も洗濯板のようにまっ平らだ。彼女が女だと知らなければ、容姿端麗な男にも見えるだろう。赤いスーツの上に白衣をまとっているが、白衣のあちこちには酒のシミがこびりついている。スーツ自体も随分と手入れをしていないのか、押し入れの奥の物をしわくちゃのまま引っ張り出してきたかのように、よれよれで色褪せていた。彼女の胸のプレートに成功学園情報部部長:賀角紬(つむぎ)とあった。

 成功学園情報部は成功島から送られてくる全ての情報を管理、処理し、資料化する部署である。成功学園のための簡易裁判所もここにある他、権利申請もここを通して行われていた。

 彼女はとろんとした目を細めると、酒臭い息を吐いた。

「だから僕は御手洗と橘の代わりに特報のエージェントを使えと言った。娘は賢人、孝明は超人だ。残りもすべて超人系で構成するべきだった。我々が粛清委員だったころを思い出せ。僕が賢人、お前が偉人、宗次が超人で上手くまとまったじゃないか」

「一応橘は偉人だ。御手洗のハンデを上手く補っていると思う。それに孝明は特報を快く思っていない。『トンビ』の件もあるし、またキレられたら困る。父と過ごした六年の間、何があったか吐かなかったのも気がかりだ」

 岸部の弁明に紬は冷笑する。

「それについてはお前の責任だ。そしてお情けで偉人になったゴミと娘たちを一緒にするな。孝明も可哀想に……あんな頭の悪そうなガキと仕事だなんて……胸糞悪くしてなきゃいいけど……あんな……あのクソアマに似た……」

 紬は言うと、表情を険しくして再び瓶をあおった。まるで懸命に何かを忘れようとするように、一気に瓶を傾ける。彼女の口の端からは酒の雫が垂れ、白衣と絨毯に新たなシミがついていった。岸部が呆れたように嘆息をつき、彼女の方に向き直って少し姿勢を崩した。

「紬の言う通り、橘の件は私のミスだ。だが御手洗が一番大事な要素であることは譲らん。お前は自分の思い通りにいかないときだけ他人を責める。残念だが述には務まる仕事ではない。述は――」

「うるせぇ!」

 紬はいきなり逆上すると、岸部を黙らせるため酒瓶を投げつけた。そのことを見越していた岸部は容易く酒瓶を受け止めてデスクの上に置くと、飛び散ってスーツに跳ねた酒の滴をハンカチで拭った。

 紬は泣きに入っていた。垂れた鼻水をすすりながら、ぼろぼろと涙をこぼして壁からずり落ちるようにその場に蹲る。岸部は彼女に手を貸して立たせると、ポケットの中をまさぐって酒瓶の蓋を探した。長い付き合いで彼女がどこに何をいれるかは大体わかる。やはり外付けのポケットの中に真鍮でできた蓋が入っていた。同時にかさつく一枚の写真も。

 久々に彼の顔を拝みたくなった岸部は、蓋を写真ごと取り出した。随分と古い写真で、写っているのは一組の男女児童だった。一人は目の前の賀角紬の幼い頃で、試作の変装スーツのデータを取りながら、意中の異性に意地悪をする時の独特の笑みを浮かべている。男の方は成海宗次で、空気制御だった当時のスーツに振り回されて、きりきり舞いになりながら紬に何か叫んでいた。

 裏面を見ると、『補助システムによる超人化構想――『軍人』実証成功』と可愛い字で綴ってあった。

 このころは宗次もただの人間だった。紬もただの女性だった。

「酒は控えろ。宗次が見たら悲しむぞ」

 岸部は写真を戻すと、真鍮の蓋で酒瓶にしっかり封をし、ゴミ箱に入れた。

『学園長。檜村学園教育部長がお見えです』

 不意にデスクの電話に付属している通信機が鳴る。岸部は来訪者の名を聞き、口の端を歪める。紬も眉根を寄せると、部屋の隅に向けて唾を吐いた。

「忙しいと言っておけ」

「ですが……檜村様が今すぐ話したいと言って引きません」

「……通せ」

 岸部はそれだけ言うと、深く椅子に座り直し、早々に部屋の奥に引っ込もうとする紬に声だけをかけた。

「何処に行く?」

「僕は馬鹿が大嫌いだ。脳が腐りそうよ」

 紬は隣の秘書室に入って行く。それほど間を置かず、ドアを蹴破るようにして1人の男が入ってきた。顔は真っ赤で息も荒い。彼は部屋に充満している酒の匂いに気付かぬほど興奮しているようで、真っ直ぐ岸部のデスクの前まで来ると両手で強く卓上を叩き、唾をまき散らしながら怒鳴った。

「何故孝明を巻き込んだ!」

「巻き込む? どういう意味かね」

 岸部は相手の剣幕に一切動じず、むしろ退屈そうに指先でデスクを叩いていた。

「あいつは特定保護監視児童のはずだ。なら仕事をさせず成功島でこのまま保護監視するべきだ! しかもよりによって成功学園に巻き込むとはどういうことだ!」

 そういって檜村は岸部のデスクに一枚の紙を叩き付けた。それは孝明の時間割だった。

 成功では生徒は好きな授業を受けることができる。無論、貴重な時間を使う上にエキスパート育成が趣旨であるからには、受ける授業も所属する委員会や部活に関係あるものが推奨されている。

 岸部は時間割にちらりと目をやったが、孝明の名前と個人識別番号などを塗りつぶしてすぐにそれをシュレッダーにかけた。

「子供たちのためだ……孝明はもう大人だし、卒業後は特別に設けたポストへ就かせるつもりだ。孝明の履修内容は極めて賢明な選択ではないか?」

「黙れよ……遺物を使った可哀想な子供を吊し上げる気だろう? 叢雲を潰し、成功を再支配するためにな! その為に孝明を大人にするか! 利用するか! もうやめさせろ! 場合によっては貴様を殺すぞ!」

 檜村の目は本気だった。だが、孝明が岸部に向けたものに比べると、幼稚なものだと彼は思った。無言の重圧で相手を畏怖させ手口を隠す孝明に比べて、殺すと喚きながら手口や腹の内が透けて見える檜村は嘲笑にすら値した。いや、檜村がその嘲笑に気付き顔を真っ赤にしたことで、最早嘲笑にすら値しなくなる。

「老いたな」と、岸部は声に出さず口先で嘯くと、この哀れな同僚の尊厳を保つため、精一杯の言葉を贈った。

「君の言葉は受け止めておくよ。だがしかし、他にどのようなやりようがあったというのかね。ぜひ聞かせてもらいたい」

 檜村は一瞬喉に言葉を詰まらせる。そして、俯きながら歯切れの悪い言葉を出した。

「タイダルウェイブを使えばいいだろ」

 タイダルウェイブとは、NETRA学園監視部危機管理課所属の精鋭部隊である。危機管理課の所属の部隊だが、学園長にも指揮権があり、そちらの方が優越なため、学園長の私兵という見方もできる。ただ彼らは全員が大人だった。

「アルゴー計画は、成功学園内に防諜組織を送り、島内の保全、遺物の回収、世論改正が主な内容だ。タイダルウェイブに遺物の回収は出来ても世論改正は出来ん。それに彼らの潜入が発覚したリスクを考えろ。子供の体型なら稚拙な言い訳ができるが、大人だとそれすらもできん。あそこは我々が敷いた監視社会で、極秘の行動はプロの彼らにも難しい」

「幼児体型の特報のエージェントは……」

「何度も言うが孝明は特報を快く思っていない」

「貴様が監禁し尋問を繰り返したからだろう!」

「そんな些細な事で孝明は怒らん。トンビの件だ。よって既存の学生の中より適材を選出したまでだ。他意はない」

 岸部はのらりくらりとかわす。退屈なやり取りだった。スリルもリスクもありはしない。岸部は苦笑する――が、目は笑っていなかった。それが檜村の激情を掻き立てる。

「貴様は孝明が持つ宗次の遺産が欲しいだけだろ。だから沙雪に似た御手洗をわざわざ連れて来たんだ。それだけはさせんぞ。これ以上あの子から何を奪う気だ? もう放っておいてやれ。パンドラも、虚刀技身も、育成録も、全て忘れろ。あんなものない方がいいんだ」

「私が忘れても孝明はいずれ気付く。宗次はそう仕組んでいるはずだ。その前に回収せねばならん」

「成功学園の実態に気付かれる可能性があるのなら、なおさら孝明はここに来させるべきではない! 貴様は――」

「そこまでだ」

 喰いかかろうとする檜村を岸部は手の平を向けて押しとどめた。

「遅すぎたんだ。どの道な」

 岸部は意識を過去に飛ばしながら、重く言った。

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