3.訓練
「ご飯だぞ」
自治会広間のテーブルに、孝明はご飯を盛ったお椀を並べていった。その後ろでは明日花が小躍りしながらおかずの乗った大皿を運んでくる。皿には肉が多めの野菜炒めと、から揚げ、そしてツナサラダが大盛りになっていた。
「おっにく~おっにくぅぅぅ、うっれしっいなぁ~!」
明日花はテーブルの真ん中に大皿を置くと、ソファでぐったりとする寧の前に箸をおき、肩の間に顔をうずめてしかめっ面をする述の前にフォークを置いた。
「どうした述?」
孝明の優しい問いに、述はふくれっ面をさらに膨らませた。
「馬鹿からパソコンの調子が悪いって連絡があったんだよ。猿が一丁前にパソコン使ってんじゃねーぞと思いながらわざわざ直しに行ってやったんだよ」
いらいらと彼は目の前に置かれたフォークを取り、机の上に何回も突き立てた。
「そしたら! あいつ俺の事お嬢ちゃん呼ばわりしてきやがったんだぞ! あのくそペドヤローが!」
いつの間にか明日花は今日子に変わり、呆れたように口をはさんだ。
「自分で男だと思っているなら、気にすることないじゃないですか」
「うるせぇよバカ! 僕の何処が女だってんだ! バカはまともに物を見ることもできないのか! その役に立たねぇ目ん玉ほじくり出して代わりにビー玉でも詰め込んだらどうだってんだ! 今に見てろクソ野郎ォ! 次やるときは、何でも出し入れできるでっけぇバックホール開けてやるからな! ガバガバだぜッキショーが!」
「そうしたら頭下げて直しに行くことになりますよ。恥の上塗りじゃないですか」
「僕がばれるようなドジ踏むとでも思ってんのか!」
「衣吹と同レベルだと言ってるんです」
今日子の一言に述はハッとすると、まるで犬のような唸り声をあげながら、自分のお椀に視線を落とした。寧は述が消沈する様を口の端で笑った後、自分も大差ない事に気付いて表情を硬くする。
「いつまでこれが続くんだ……私たちは粛正委員だろ」
彼女はすっかり悲観に暮れていた。髪はぼさぼさ、制服には泥が跳ね、足には擦り傷が幾つかできている。最早身だしなみを整える気力もないのか、彼女ははしたなく両足を広げて投げだしている。
「全く……やる気があるんだか無いんだか」
今日子は自治会のモチベーションが著しく低下していることに深いため息をついて、孝明に食事を片付けるように目配せをすると、皆の注目をひくために両手を打ち鳴らした。
「じゃ、ご飯の前に訓練を済ませましょう」
途端に寧がソファから飛び起きて目を輝かせた。
「やっと来たか!」
「今日はゆっくりしてもらおうと思ったんですが……後で吠え面かいても知りませんよ」
今日子は孝明が食事を片付け終えるのを待つと、皆に先だって右側の真新しドアを抜けた。
孝明、寧、述の三人はそれに続き、廊下の奥にある観音開きの大扉の部屋へ入っていく。室内は真っ暗だったが、今日子が手さぐりで壁のスイッチを押して照明をつけた。そこは倉庫で、古びた物品がいくつも壁際に積み重ねてあり、ほこりよけのシーツが被せてあった。倉庫の入り口脇には、管理用のパソコンが乗った折り畳み式のテーブルがあり、今日子はそこに腰かけると、述に説明を頼んだ。
述は咳払いをした後、ジト目を二人に向けながら、気だるげに喋り始めた。
「お前らが来ているのはDRS。変装強化服と言い、潜入工作員や諜報員、SPが着用する特殊なスーツだ。大元は、お前らのような出来損ないを、スーツを着用することで超人の域に引き上げることは出来ないかと言う『補助システムによる超人化構想』にあった。だが特報がそれに目をつけて戦闘服に仕立てたんだ。お前らのは偽装体では成功学生服で、変装すると潜入工作型のスーツになる。だが、変装するためには制御コンピュータが必要だ」
2人が改めて自分が着る制服を色々な角度から眺めなおすが、述はそんな無駄なことをするなと言わんばかりに、乱暴に彼らの服の裾を引っ張る。そして今日子の腰かけるテーブルの下から段ボールを引きずり出すと、中に入っているベルトを取り出した。ごく普通のベルトに見えたが、よく見るとベルトのバックルには差込口があった。ベルトの帯にも革の内部に四角形の金属が連ねてあり、機械的な構造をしている。
「PACPだ。小型コンピュータ。これがそのスーツの挙動を制御する。まず寧、お前のは戦闘SEAS付きだ」
そう言って述は寧にベルトを渡した。
「SEAS?」
「知らんのか馬鹿。多分お前の脳味噌はつるっつるで、萎びた事で辛うじて皺ができたんだろうな。SEASとはスーツにつける特殊効果だ。メタモルフォシスが搭載されている。まぁスーツに慣れたら使ってみろ。使えたらな」
述はきひひと嘲笑すると、固く拳を握りしめる寧を尻目に、孝明のベルトを取りに戻った。
寧は深く深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けると、ベルトをスカートに巻いて端子部分を接続した。すると寧の制服の左袖が光を放ち始めた。彼女が確認すると、左腕の布には有機ELのコンソールディスプレイが埋め込まれており、初期メニューを表示していた。
「お前のはこっちだ」
次に述は、寧の物と比べて明らかに無骨で太めのベルトを孝明に差し出した。そのベルトはコンピューターの金属部分がベルトで連ねてあり、それでは部品を搭載しきれなかったのか、あたかも装飾のように偽装して、金属がベルトに重ねてある。
「あれ……俺のは妙にゴツくないか? 古そうだし」
「うるせぇな、上からの指示だよ。テメェなんざ昆布巻いたって変わんねぇだろ。あるだけありがたいと思え」
「でも……これ多分軍用だろ……。危なくないか?」
述は少し不審がる孝明に構わず、彼の手にベルトを押し付けた。
「軍用じゃない。PACP‐X。初代粛清委員会が使っていたものだ。まぁPACPの実験型なんて滅多に弄れるものじゃないから楽しみにしていたんだけど、基礎以外全部暗号化されていやがった。解く気もないし別に問題にならんだろ。どうせコスト削減のために、旧式引っ張ったに決まってる。暗号は上の安全保障さ」
彼がわざわざ解く気が無いと言ったのは、解こうにも解けなかったからだろう。孝明が複雑な表情でベルトを腰にまくと、寧はちょっと勝ち誇った様に、コンソールディスプレイの光る左腕を掲げて見せた。
「私の方が優秀だからだな」
「らしいな」
孝明は嫌味ではなく寧に微笑み返した。そして自分も、ベルトをスーツの端子に接続し、左腕を覗き込んだ。だがそこにコンソールディスプレイは搭載されていなかった。彼のスーツは造りが新しくても構造は旧式らしい。寧が着用するスーツのように左腕にコンソールディスプレイはなく、代わりに襟カラーに埋められたダイアル式のスイッチが回転し、鳥がさえずるように鳴って接続完了を知らせた。
ダイアル式コントローラーは万能対応型であるDRS-04の特徴である。対する無骨なベルトはどう見ても拡張後付を想定していない固定式で、これはDRS-01~03対応の骨董品に違いなかった。孝明のスーツはこのベルトに無理やり合うよう特注されているようだ。どう考えてもコストは取れていないだろう。
孝明は興味深げにベルトを揺すったり、あちこち眺めまわしたりしていたが、それは述の声によって中断された。
「よし、早速変装して見るんだ馬鹿共。受け取った小型バッテリーをベルトのバックルの差込口に挿入しろ。極を間違えるなよ」
孝明と寧は横に並んで、各々支給された筆箱の中から、消しゴムに偽装された電池を取りだした。それをベルトのバックルに上から差し込むと、バックルは自動的に電池を固定し、スーツが通電音に低く鳴いた。
「安定した電圧が流れるまで変装は待て。電圧が確保されるとバックルが振動する。そしたら音声認証の後、ベルトを強く押し込むんだ。音声コードは『いざ、参上だ』」
寧が音声コードを聞いて、不服そうに顔を歪める。
「ダサくないか……」
「インドネシア独立戦争時に、先代の超人が上げた名乗り、『超人参上』から取っているんだろう。むしろ名誉なことだ」
孝明がさらりとフォローを入れた。
孝明のバックルが振動する。少し遅れて寧のバックルも完了を訴えた。彼らは声を揃えて叫んだ。
『いざ、参上!』
バックルを押した――瞬間、二人の制服が変化した。制服の胸部、腕部、脚部の布地が盛り上がり、硬化してプロテクターに変化する。他の布地は逆に引き締まり、2人のボディラインをくっきりと浮き彫りにした。さらに襟カラーが4つのピースに割れ、そのピースは頭頂めがけて駆け登る。ピースは頭頂で結合した後、横にも連結し、形を整えてヘルメットとなった。ヘルメットはHMDとなり、スーツの情報を表示した。袖口からは、手の平に固い金属板が押し当てられた。それはぴしりと弱い電気を発すると、炭素繊維を広げ、手にまとわりついて手袋になった。
僅か一秒足らずで、二人は学生服から黒の戦闘スーツ姿に変装する。
孝明は鳥を模したヘルメットの、飾り気のないスマートな戦闘服になった。
他方、寧は猫を模したヘルメットに、余剰布の多いふわふわしたデザインの戦闘服になる。余剰布は両肘と両膝それぞれに付属し、時折通電しているのか風もないのに靡いていた。
二人は驚きに声を上げたが、それも電子音声に変換されていて、機械的な声に変わっていた。
述は無事変装が完了したことを確認すると、スーツの説明を続ける。
「駆動力はCNCM(カーボンナノチューブ筋)だ。スーツは表層から順に擬態層、人工筋層、緩衝層、皮膚層になっている。装甲にはFM-1(通電硬化素子)を使用していて、ヘルメットも衣服に偽装したFM-1を展開したものだ。通電しない限り硬化しないから、見ても触っても戦闘スーツとはわからん」
続いて述はプラグを取り出し、パソコンと寧のスーツを繋げて何やらキーボードを打ち始めた。どうやら初期設定をしているらしい。
「斬撃にはめっぽう強い。身体が裂けてもスーツは裂けんほど頑丈だ。だが衝撃に耐性が無いから高所からの飛び降りや、敵からの打撃攻撃には気をつけろ。いいか、馬鹿ども、人工筋は身体防御ではなく、身体能力を飛躍させるためについていると思え」
説明を終えると、述は寧のスーツからプラグを引き抜いた。そしてテーブルに向かうと、そこにパソコンを置いて、自分の仕事に没頭し始める。入れ替わりに今日子がテーブルから腰を上げて、人格を朔夜に変えると二人の前に進み出た。
「まずスーツ操作法についてだが、アクティヴ機動とパッシヴ機動の2つがある。アクティヴは予め決められた装備者のキー動作に反応して、スーツが定められた動作を出力する。パッシヴは装備者の動作をスーツが追従し補佐、強化して出力するものだ。お前らのスーツはハイブリット方式で、基本はパッシヴ、応用をアクティヴで行う事になる。スーツ戦闘で優位に立つためにはパッシヴより出の速いアクティヴ機動を使いこなす必要がある。そこを重点的に訓練するぞ」
朔夜は部屋の隅にあるやや大型の球型ルームマシンを、ローラーで転がしながら引っ張ってきた。それは大きな卵のようで、接地部分の一部に中に入れるようぽっかりと穴が開いている。卵の中は丸いブロックで構成されており、まるでプラネタリウムのような造りになっていた。
「訓練だが、この中で行え。移動分だけ内部のラウンドホイールが動いて、静止状態を保ってくれる。全方位対応だ。寧。お前専用だ」
おお、と寧が感嘆の吐息を漏らす。
「寧のDRSにはアクティヴ機動訓練プログラムが入っているはずだ。腕部にコンソールがついているからそこからメニューに入れ」
昨夜に言われて寧は腕部のコンソールディスプレイを覗き込んだ。洗練された見やすいデザインで、各メニューが日本語が表示されているが、それらしきものは見当たらなかった。
「ど……どうするんだ」
「そんなことも分からないのかバーカ」
困惑する寧に、脇から辛辣に言い放つ述。寧は牙を剥いて怒鳴ろうとしたが、何者かが寧の腕を優しくとった。寧がはっとして振り向くまでに、彼女のHMDには訓練プログラムが表示されて、メニュー画面が右隅に表示された。
孝明だった。彼は寧の左腕のコンソールディスプレイに注目させると、詳しい訓練開始の方法を教えた。
「DRSは訓練着でない限り、フォーマットで訓練プログラムは搭載されないから、拡張機能の所にデータが入っているんだ」
「す……すまん」
寧の礼に軽く手を上げて応えると、孝明は朔夜に自分の支持を乞いに行った。
「俺は?」
「任せます」
急に朔夜は今日子に変わる。どうやら橘たちは孝明の対応を、今日子の役目にしたようだ。
「でも寧が――」
孝明が不平等を気にして声を上げるが、今日子は無視しそれを遮った。
「こっちで話をつけときますから……試されるのは嫌いなんでしょう?」
孝明は心配そうに寧を見たが、すぐに部屋の隅っこに行くと体操を始めた。
妙な体操だった。肩や腕、足の部分部分を細かに動かし、その動作を確かめるように少し期間を置いて、再び次の動作に移る。それを延々と繰り返す。だが精密な動作と、高い集中力が必要なのだろうか、始めてしばらくする内に、孝明の体は熱を帯びうっすらと汗が滲み始めた。
寧は興味深くその動作を見ていたが、今日子の咳払いに急かされるようにして、自分の訓練プログラムを開始した。コンソールディスプレイのメニューからアクティブ訓練を選択。すると球型のルームマシンに入るように指示される。寧が腰をかがめてルームランナーに入ると、スーツは「Ready?」と準備が整ったか質問してきた。ルームランナー内は、人一人が両手両足を振り回すことができるほどのスペースがある。周囲に埋め込まれたブロックは弾性に富み、彼女の体重がかかった部分はゆっくりと沈んで踝の部分まで埋まった。試しに寧は、地団太を踏むように踵をブロックに叩き付けてみた。するとブロックは硬化して、寧の踵を弾き返す。成程。安心して暴れることができそうである。寧は集中するように深呼吸を繰り返した。
プログラムはHMDに人型の手本を映し、それを使ってアクティヴ機動のキー機動シークエンスを提示。寧に実行するように求めた。
寧は恐る恐る、第一の動作である右肩を上げる動作をした。とたん寧の初々しい動作に構わず、スーツはまるで暴れ馬のように狂い猛った。スーツは全く無駄な動きのない、右腕を突き出すパンチの動作を繰り出した。それは内部にいる人間への配慮が全くなく行われたもので、寧はスーツに無理やり姿勢を矯正されて悲鳴を上げた。だが、その際寧のとった動作が不幸にもシークエンスの次の動作に繋がったようだ。今度は左腕で正拳突きを放ち、返す刀で右腕でアッパーを放つ。
「何だこのプログラムッ! 無茶苦茶だ! 体がちぎれる!」
寧は叫んだが、スーツは挙動をやめなかった。また何かのキー動作をしてしまったようだ。スーツがぐるりと回転し、後ろ回し蹴りを放った――瞬間彼女の天地がひっくり返った。
「みっぎゃ!」
寧は猫のような甲高い悲鳴を上げてきりきり舞いに身をよじらせると、奔放に跳ねる人工筋に地面に叩き付けられた。
「喚く暇があったら機動に費やせ! 全然制御しきれてないないじゃねぇか!」
朔夜は寧に怒号を飛ばしつつ、腰をかがめてルームランナーの中を覗き込んだ。
「いいか、アクティヴの場合、身体を動かすようにスーツを支配しようとするな。スーツに身をゆだねろ。身体を痛めるぞ」
寧は床ブロックに半分埋まった顔を引きはがすようにして上げたが、全身を駆け巡った痺れに負けて再び突っ伏してしまった。
「これ……いささか厳しすぎんか?」
身体から痺れが抜けるのを待ち、ある程度自由が戻ってくると彼女は苦言を漏らした。朔夜はルームランナー内の寧の有様を見て困った様に頬を掻いた。
「基礎中の基礎、出来るまでやれと言いたいが……しゃあねぇな。スーツの動作に慣れるまで少しレベルを落とそう。述、動作の認識範囲を広げてシークエンスをぶつ切りにしてくれ」
「へっ。馬鹿が」
述は這いつくばる寧のベルトにプラグを繋げると、パソコンを操作してプログラムを書き換えていった。痛く自尊心を傷つけられた寧は、相も変わらず隅っこで体操を続ける孝明を見て拗ねたように唇を尖らせた。
「孝明はいいのか」
すると朔夜は一度軽い身震いをした。
「人の事を気にしてる場合じゃあねぇよ。あれが当てにならないからあんたを訓練するんだ」
「くっそ……」
述が手早くプログラムを書き終えて離れると、寧はゆっくりと立ち上がりルームランナーの中央で姿勢を正した。
「お前だけ常人なんだから気張れ」
「何ィ!?」
朔夜の放った檄に寧はつい大声をあげてしまった。
「私は粛清委員に選ばれたから、何かしらの認定を受けたんじゃないのか?」
認定とは、超人教育を受けた指定人物を、ある分野の先駆や中枢人物として国が認め、国家への忠誠及び献身と引き換えに特権を付与する制度の事である。
特権には快適な研究施設、居住地の提供や、活動の為に月120万入金されるサークルカードの支給(超人たちのシンボルマークが、個別のマークを円で囲むものに由来した名前)、国家公務員の中から助手を一人選定できることなどがある。
昔は悠里学園で認定査定を含めた教育を行っていた。だがエキスパート育成校と化した現在の成功では、ごく稀にNETRAに指定された天才が認定される程度である。認定者には今日子や述が名乗っていた「偉人」や「賢人」などの肩書が与えられる。特定分野のアイドル的な存在でもあり、エリートとして羨望の眼差しで見る子供も多いが、それを持つ者にはただの呪いに近いものだ。これは希望や勲章ではなく、強制された地位に他ならないからだ。四六時中監視されるし、要職からは避けられる。そしてもし規約に違反したならば、今度は「悪人」の肩書が付与されて全国指名手配となる。だから国に批判的な活動は出来ないし、自由な活動も望めなかった。
寧は羨望の眼差しを送っていた、何処にでもいる子供だったのだろう。落胆した様子で地べたから顔を上げると、ジト目を朔夜へ向けた。だが、朔夜はその期待をしたお前が悪いと言いたげに鼻を鳴らした。
「お前は教育課程を受けていないだろう。いいか、まず普通の人間が常人だ。それから超人教育を受けたもので、一定の成果を上げたものが文科省かNETRAから超人認定される。政治的なものだったら偉人、教育的なら超人、軍事的なら軍人、科学的なら賢人、医療的なら仙人といった類にな。何も成果をあげられないと凡人と呼ばれるようになる。だからお前は常人だ」
寧はまず昨夜を見て、まぁ納得したように頷いた。次に述は一瞥するだけにとどめて、最後に隅っこで変わらず体操を続ける孝明を見て顔をしかめた。
「孝明は何なんだ?」
「人を導く人――超人だ。ただ賢人や偉人にも様々な種や型があるように、奴は超人の中でも、経験型。悪という概念にめっぽう強い倫理を持っている。組織が暴走しないためのバランサーだと思え」
「あいつがぁ?」
寧が胡散臭そうに言うが、朔夜の顔は大真面目のままだった。
「父親もNETRAの職員で結構有名な人らしい――情報制限されるほどにな。その人物に徹底的な英才教育を受けたって話だ」
瞬間、寧が何か悟った様に相好を崩した。そして密かな敵意を孝明に向けると、訓練に真剣に取り組み始めた。
(能天気な奴……親の七光りだと思ってんのか?)
朔夜が心中で鈍い寧の不満を垂らすが、それが口に出る前に今日子に人格が代わった。彼女は檄を飛ばすように両手を打ち鳴らすと――どうやらこれが彼女のクセらしい――主敵であるガルガンチュアの情報を読み上げた。
「叢雲からの刺客、『ガルガンチュア』は巨人教育を受けていると思われています。事実それで間違いないでしょう。巨人とは、『誰も頼らない自立した人間』です。完全な自己完結、自己決定、自己修正を人生の方針としています。元は軍人教育法の開発中分離する形で偶発的にできたもので、フリーのジャーナリストや人権活動家の育成を目的にしていますが……こういうケースで使われると厄介です。死ぬまで自己に刷り込まれた命令を続けますよ」
話の締めくくりに大きく手の平を打つ。
「それに勝つためには訓練訓練」
粛正委員たちはそれに無言で答えた。
ルームランナーの方で、またもや派手な転倒音が響く。寧が呻きながら立ち上がり、一から訓練動作を繰り返す。
無様な寧の有様を笑っていた述はふと、孝明が自分の体操を続けながらも、寧の挙動をつぶさに観察していることに気付いた。その眼差しは、仲間を気遣うものにしては過保護過ぎ、恋慕を伴うものにしては清すぎた。述は少し気味が悪くなって、思わず口にした。
「どした馬鹿」
「ん? 何が」
孝明が何事もなかったように振り向く。自然な返事だがあまりに自然すぎて、逆にそれがわざとらしく感じられる。述はその返事に無性に腹が立った。意地の悪い笑みを浮かべると、煽るような声で孝明を小馬鹿にした。
「お前なぁ。何で選ばれたんだろうな? 何も取り柄がねぇのに」
「だな」
孝明は述の挑発に笑みで答える。言いようのない得体の知れなさに、述は背筋に悪寒が走るのを感じると、そそくさと逃げるように資料を今日子の方へ持っていった。