20.悠里ショック
「ここだ」
NETRA学園監視部本部の地下深く。エグゼライトは大きな鉄扉の前で一度立ち止まった。HMDのマップには、この扉の向こうに目的地があることを示している。同時に冷却要請が表示され、エグゼライトは変装を解いた。スーツが燃えるように熱い。火傷しないのはスーツとワイシャツの耐熱機能のおかげだ。孝明のスーツからは白煙が微かに立ち上り、その熱気と激しい戦闘後の疲れに彼は一瞬ふらついた。鉄扉に縋り付くことで転倒をまぬがれた彼は、まず扉脇のコンソールにカードキーをスキャンした。付属のランプが赤から青に変わり、鉄扉の中心から放射状に伸びる鉄柱の閂が引っ込んだ。同時に圧縮空気の抜ける音と共に、扉が上にスライドする。
白い光が孝明を包んだ。
孝明はそのLEDの強烈な光になれると、部屋の中に進んでいった。
そこは牢屋だった。
広さは大体テニスコート四つ分。ガラス張りの牢屋で、まるで展示物の様に壁一面に配置されている。中もそれなりに広く、調度品も充実しているようだ。囚人が読書やパソコン、フラスコを振ったり、料理を作ったりしている。彼らは一つの牢に一人ずつ収監され、全員で二十人ほどいた。そして誰もが孝明の父と同年代だった。牢屋の中央にはNETRAの――旧悠里学園の組織紋章である、七ツ頭の竜がペイントされていた。
孝明は牢屋の半ばまで、それぞれの中を確認しながら進んだ。
「ここは……何だ……」
孝明の声に、室内の人間が一斉に振り向いた。
「これはまた随分と……珍しい……客だな」
「ふん……餓鬼の方か。親父に似てないな」
「あらぁ。でも雰囲気はとても良く似てるわ。もう少し待てば彼みたいになれるわね」
「あいつが学生だったころを思い出すな」
牢屋の住人たちが口々に喋りだす。
孝明は一つの牢に近寄った。牢の脇には『H-9 Caesar』プレートが掲げてあり、孝明を警戒させた。HはHERO。偉人を意味している。そしてシーザーは規範とした偉人の名だ。
「父さんを知りませんか……?」
孝明が尋ねると、中にいる無精ひげの中年は目ざとく孝明のカードキーを見つけた。
「ああ。知ってるとも。だが交換条件だ。ここから出してくれ。そのカードキーならできる」
「あんたは何でここにいる?」
「何もしちゃいない。ここには無理やり押し込められたんだ……」
男は悲痛な表情をするが、孝明はそれを鼻で笑った。
「あんたロクな人間じゃないだろ。人を殺しているな……俺と同じ匂いがするよ」
男は瞠目し、孝明をじっと見る。驚きは自分が人殺しであるという真実をつかれたことにではなく、孝明の告白にあるようだった。
「ほう? さすが超人だな! 俺がお前にとって悪だと分かってやがる! ガキの頃から宗次にいたぶられて骨の髄まで染みちまったか! 頭から足のつま先まで宗次にとっての理想をぶち込められて! はは、俺と同じ匂いがするか! テメェでわかってんならしょうがねぇや! これ以上どんな悪も吹き込むことは出来ねぇ! だが忘れるなよ。お前は立派な俺らのご同類さ! ハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
「あんたここで何してるんだ……?」
「見てわからねぇか坊主? ここは息が詰まるぞ……」
「俺はさっさと死ねと言っているんだ」
孝明は自分の首を親指で切る仕草をして、さっさとその牢を離れた。
「こいつマジで宗次のガキだ! ちげぇねぇ! ハハッ、ハハハハハハハハハハハハハハ!」
孝明の背に、そんな哄笑が降り注いだ。隣の檻にいる女性が、たしなめるように大声を上げた。
「ちょっとぉ。虐めちゃ駄目でしょ。ね。おねぇさんとお話ししない?」
孝明はその女の檻に近づく。檻の脇には『Z-11 Dual(Good Wife and Wise Mother)』のプレートがかかっていた。
「私は世良日美恵っていうの。一応超人で賢人よ」
「うるせーぞババァ」
向かいの檻で本を読んでいる男(プレートにはW-6 Einsteinとある)が言うと、女は笑顔で優しい声のまま、底冷えする眼差しを男の檻に向けた。
「あらぁ。クソガキ。後でお仕置きだからねぇ~」
最悪の十年。粛清委員会。成功の放置。全てが繋がっていく。孝明は次第にここがどんな場所か分かってきた。そしてどうすることもできず、引き返すこともできないと知ると、父親の深い闇に浸って苦悶のうめきを漏らした。
「ここは……地獄だ」
孝明の目から涙がこぼれた。世良は孝明の涙に気付き、慰めようと手を伸ばした。それが分厚いガラスの壁に阻まれると、彼女も涙を流した。
「そうよ……私たちがあなたのお父さんをそうさせたんだもの」
そういうと、彼女は部屋の最奥にある一つの檻を指した。
「あそこで皇帝が待っているわ」
孝明は言われるがままにその檻へと足を引きずった。道中、シーザーから野次が飛んだ。
「気いつけろ坊主。そのアマお前の精子で化け物を創りたくてしょうがねぇんだ。かつて宗次にやろうとしたみたいにな! そうだろう? 『エキドナ』!」
「あらあら、ろくに活動できず宗次さんに潰された『犯罪シンクタンク』が何か言ってますねぇ~。やった犯罪もすっごくしょぼくて、最悪の十年で覚えている人誰もいないと思いますねぇ~」
シーザーの哄笑が響き、世良の罵声が飛んだ。
世良が指した檻の中では、隻腕の男がカセットプレイヤーで音楽を聴いていた。ただその音楽は雑音で、耳障りな音の羅列だったが、男は真剣に聞き入っていた。プレートにはZ-19 Ultimate Goodmanとある。人の気配を感じて、男は顔を上げた。
「た……か……あき……?」
男がわなわなと全身を震わせ、立ち上がる。孝明はまず怒り、悲しみ、そしてやるせなさに眦を下げた。
「加島光一」
孝明がため息とともに吐き出した声に、男は浅く頷いた。
「そうだ。善人帝国皇帝。日本国に反旗を振りかざし、君の母親に危害を加えた卑劣な人間だ」
男、加島は孝明の複雑な眼差しを真正面から受け止める。
「宗次から聞いている。君のPACPにこれを差し込んでくれ。宗次からの預かりものだ」
そういって彼は、手持ちのカセットプレイヤーを、食事の差し出し口に置くと数歩下がった。
「再生しながら音声認識をかけてみるんだ。後はオートで暗号解読してくれる」
孝明はカセットプレイヤーをとると、ベルト後部のコンピュータ部分の端子に接続する。そして変装した後、襟のダイアルを操作し、音声認識を起動しながらプレイヤーを再生した。
『―ON 暗号解析――ノイズ除去……再生』
電子音と共に、HMDに音声チャートが映し出される。それはPACPに補正されて、雑音から人間の声に変換された。
『孝明。お前がこれを聞いているということは、私が危惧した事態が発生したようだな。岸部に捕獲され、いいように使われている事だろう』
懐かしい父の声に、孝明は感激した。涙ぐむ孝明を無視し、無機質なカセットテープは再生を続けた。
『私がお前に超人教育を施したのは、お前がお前でいられるようにするためだ。私のせいで、お前には敵が多い。NETRA、善人帝国の残党、そして旧帝國。私自身、狂ったように粛清したつもりだが、お前利用しようと目論む下種を殺しきれなかったのが事実だ。NETRAは安全だと思われたが、私は岸部との政争に敗れ、ここを出ることになった。そして外の世界で私はお前が悪に染まるのではないかという恐怖から、超人教育を施すことにした。断じて私の尻拭いをお前にさせるためではない。断じて、お前の生き方を制限するためでもない。辺りを見回してみろ。彼らは旧悠里学園の卒業者たちだ。三割は私が捕獲したもので、私に報復しようと闇からお前を狙っている。元々悠里学園は有望な児童たちに超人教育を施し、次世代の中枢を担う人材を育成するための教育機関だった。だが、悠里の超人教育は苛烈だった。悠里で教育を受けた児童たちは、過去の超人たちの名を割り振られ、履修科目を己の生き甲斐となるような教育を施された。己の人生をそれのみに費やすべきと強迫観念を持ち、エゴを増大させ、妥協を失念した。彼らは理性の塊だった』
孝明は檻の中をぐるりと見渡す。収監されている二十余人が、じっと孝明を見つめていた。
『結果暴走した。世間一般で『最悪の十年』と呼ばれる期間がある。我々NETRAはそれを『悠里ショック』と呼んだ。悠里卒業者が己の理念を追求し、その病的なまでの理論を実現しようと技術を振るったのだ。悠里卒業後、同学園で教師を志していた私に、ある指令が届いた。粛清委員として悠里卒業者の所在を確認し認定登録せよとのことだった。数日もあれば終わると高を括っていた私は、ただのスーツを着込み、手ぶらで一人目に当たった。右を見ろ。配置換えがなく、存命ならそこにいる。森太一だ。奴は賢人。死者をよみがえらせる妄想に取りつかれ、限りなく死んだ恋人に近い人体パーツをかき集めて、人間を創ろうとしていた。彼はそれに気づいた私の妨害に怒り狂い、民間人を毒で操って私を殺そうとまでした。死者数は一一人。その中には森の彼女も含まれている。見事に復元したんだよ。彼女は生きていた。脳死の状態だったが。確かに生きていた。私は気が狂いそうになって……彼女をもう一度バラバラにした。思えばこの時、すでに私は狂っていたのかもしれん』
孝明は人のいない檻の中を見ようともしなかった。
『認定登録はNETRAが、悠里卒業者が犯罪に手を染めていると気付いて、管理と監視のために慌てて行ったものだ。そして認定登録作業が粛清活動に変わるまでそう時間がかからなかった。これから先はとても息子のお前に語れるものではない。《この狂気じみた事実》を聞いたなら、解ってくれるだろう。孝明。お前はこっち側に来るな。私のようになるな。何故お前が人の業を背負い、罪を裁き、悪を担う必要がある? お前は優しい子だ。業を重ね、罪を憎み、悪を退けろ。お前が俺の息子である以上、岸部はお前を殺すことはできん。私は死ぬ前に多くの保険をかけたからだ。私の事も気に病むな。私の体は悠里ショックの戦いですでに蝕まれ、長くない体だった。繰り返す。私はお前を超人にした。しかしそれはお前が悪に負けないためだ。お前には……お前には真っ当に生きて欲しいんだ。私のように罪や悪や罰に恐れて欲しくないんだ。私はお前の理性まで奪わなかったつもりだ。そう、信じたい』
宗次は悔しさを滲み出して言った。
『自由に生きろ。孝明。お前が望めばお前は何にでもなれる。それが私がお前に込めた超人の意味だ。お前の息子を見れないことを心から残念に思う――――――再生終了』
HUDに悠里学園の紋章が表示され、新しいOSが展開される。超人計画のロゴの後に、様々なアドオンが起動し、動作確認を行っていった。スーツ自体に機能が無く、多くのデータがエラー信号を出す中、最後に展開されたデータが現在の戦闘OSをアップデートした。
『音声認証確認――虚刀技身――セイフティ解除』
そして地図が、この地下監獄の真下にあるスペースを示した。そこには小型の潜水艇があるらしい。それも父のカードキーで起動できる。
孝明は一度変装を解いた。父は言っている。逃げろと。アップデートされた戦闘OSで追っ手を退けろと。これを取引材料に使えと。
だが逃げてどうする? 何をする? 何処に行く? 目的は? 意味は? 得るものは?
「早くいった方が良いぞ。岸部がじき来る。心配することはない。潜水艇には細工がしてあるから自動で目的地に向かってくれる。そしてそこには宗次の信頼できる仲間が、待ってくれているだろう」
加島は部屋の中央の床を顎でしゃくると、孝明を急かした。
「あなたは……」
「元友人さ。宗次に頼まれたんだ。私は殺してくれと懇願したがね。私の役目は終わった。後は――この命をもって君に償おうと思う」
そういうと加島は舌をベロンと出した。噛み切るつもりなのだろう。
「やめろ! まだ聞きたいことがあります。この学園は一体なんですか! 父さんはここまで狙われるほど何をしたんですか! 粛清を遂行し終えたなら、何を恐れていたんですか!」
孝明はガラスにへばり付くように加島に迫った。
「成功学園を設立したのは監獄となる悠里学園跡地を維持するため名目だ。犯罪者を生んだ教育を継続できるはずもなく、エキスパート育成校に鞍替え、そして粛清にかかりきりになった結果、成功まで手が回らず、それどころか監獄を守るため肥大化を許し現状を招いた。それだけならまだいいが……成功危機の方が問題なんだ」
加島は躊躇う様に息をのんで、孝明を見た。
「少しきついが……聞くか?」
孝明は即座に首肯した。
「当時粛清活動中だった宗次たち旧粛清委員会とNETRAだが、ついにNETRAが特報にマークされ身動きが取れなくなった。粛清委員会はNETRAの後方支援を受けられず、孤立したんだ。NETRAは孤立した粛清委員会が暴走し、第二次悠里ショックを引き起こすのではないかと恐れた。そこでNETRAは粛清委員会の粛清を決定した。粛清はあらかた済んでいたし、残ったのは私の善人帝国や叢雲など、短期間で小数部隊に粛清できるものではなかったからだ。しかし粛清委員会は日本最強の部隊と言っても過言ではなかったし、案件が案件だけに警察を頼る訳にもいかなかった。NETRAが後始末を依頼したのが旧帝國だった。よりによってな……そこから全ての悪夢が生まれた」
加島は深いため息をついた。
「宗次たちは旧帝國に襲われた。それがNETRAの差し金と知っていた。だが宗次は完全粛清を遂行することでNETRAへの忠誠を示そうとし、善人帝国の粛清を行った。そこで裏で善人帝国に資金を提供していた叢雲の調査を始め、最終的に資金提供の証拠を掴んだみたいだが――そこで叢雲グループ総裁である建光と対談したらしい。どういうやり取りがあったのかは知らんが、宗次はNETRAに疑いを持った。当時の悠里島地下施設――つまりここに潜入し……宗次はそこで行われていた超人計画の続きを見たんだ」
加島の腕が震えた。まるで喉の奥からおぞましい何かを吐き出そうと懸命になっているようだった。
「宗次達が捕獲した超人達の脳をサンプリングし、どのニューロネットワークが超人にふさわしい働きをするのかを確認する頭の中の小人計画だ。それで超人になる脳のマッピング作業や、電気信号を脳に送り強制的に超人化するバーサーカー技術を開発していた。それだけならまだいい(・・・・・・・・・・)。時のNETRAは、悠里粛清者の狂気的な研究を引き継いでいたんだよ。それを旧帝國との取引材料にするためにな。宗次は絶望した。正義と信じ戦ってきた自分が、粛清対象と変わらないおぞましき所業の片棒を担いでいたとな」
加島の震えが収まる。彼は酷く疲れた顔をしていた。
「宗次と岸部は素早く動いた。これまでに認定した超人を集め、超人至上主義結社「クロスサークル」を結成し、旧帝國に対抗した。自身はもう一度成功島に向かい、学生たちに独立を促した。身を捨てて子供だけでも守ろうとしたんだ。宗次は教師として人気が高かったし、子供たちは粛清過程で、宗次からどんどん感情が消えていくのを心配していた。彼らは一致団結してNETRAに反旗を翻した。叢雲の協力を取り付け、遺物を蓄えた。岸部が旧帝國との取引を理由に特報と協力し、NETRAを内部粛清するまで耐えた。それまで仲の良かった宗次と岸部だが、成功協定の締結時に二つに割れた。岸部は二度と悠里ショックを起こさぬために再支配を提案し、宗次は超人となり得る子供たちの将来を守るため独立を提案した。宗次は超人は孤独だという結論に達していたからな。超人の事は超人に任せておけばいいとのことだ。それに凡人が介在したから悠里ショックが起きたとの考えだった。そして今の形に落ち着いた。全てを終えて宗次が帰ると……旧帝國と善人帝国の報復が待っていた。それでも宗次は健気に生きようとしたが、旧帝國や悠里ショックの残滓、そして叢雲とNETRAの監視がそれを許さなかった。宗次は……そこで限界を迎えた」
そこで孝明は自分の胸をかきむしった。その先何が出てくるか想像がついたからだ。
「そして君に超人教育を施し始めた。理性が人を狂わすと分かっていても、それに頼らざるを得なくなるまで、宗次は追い込まれていた。さらに君一人で、それらと戦えるように様々な遺産を遺した。その遺産を確保するため、NETRAは君を保護することになり、君は利害の檻で守られるようになった。すまない……私のせいで……君の人生は狂った……」
加島は話し終えて、視線を俯かせた。全てを知った孝明の呆然とした瞳で凝視されることに、耐えられないようだった。だが、孝明はきつく噛みしめた唇をゆっくりと開いた。
「くそ……どうやら僕も岸部に騙されていたようです。すっかり……叢雲のせいだと思い込んでいました。俺の事は忘れて下さい。俺が母さんのことを聞くと、父さんは部下が勝手にやったことだといつも言っていた。あなたが善人帝国の内部情報と共にNETRAに降伏したのを知っています。国じゃなく、NETRAに降伏したのは、父さんに配慮したからだと知っています。あなたは違う! 悪い人じゃない!」
「御することができなかった私に責任がある。そして、岸部に君らの情報を与えてしまった」
加島は重く責任を受け止めるように沈痛な声で言った。だが、孝明は聞きもしなかった。
「それに」
孝明の顔がぐしゃぐしゃになった。
「母さんを殺したのは父さんです。母さんもう狂ってた。父さん待ってた。でも狂ってた。か……母さん……か、うううぅう!」
そこで孝明は身体をくの字に折って胃の中身をぶちまけた。
「大丈夫か!」
加島が孝明を気遣ったが、孝明は手の平を向けてそれを退けると、涙と鼻水、そして吐瀉物で汚れた顔を上げた。
「頼むから……黙って下さい」
孝明は荒い息を吐き、肩を落とす。瞳は虚ろに濁り、無いものを探すように空を彷徨った。やがてそれは加島の残された左腕に移り、孝明は物欲しそうにそれを見た。
「腕……牢から出してくれますか。ちょっとでいいですから。おねがいします」
加島は戸惑ったが、例の食事の差し出し口から辛うじて指だけを出す。孝明はそれに触れると、縋るように膝を折った。
「うう……父さん…父さぁん……教えてよ……教えてよ……もうわからないよ……俺は何処で何をすればいいんだ……俺には何ができる……俺は何のために生まれてきたの……父さぁん」
「孝明……」
「俺……超人であることを教わったよ……でも……人として生きることを教わってない……」
バン。と、ガラスを叩く音がした。
「教えてやろうか?」
シーザーだった。彼は嫌らしい笑みを浮かべて、じっと孝明を見つめた。
「旧帝國に復讐したいか坊主? 手伝ってやるぜ。お前が安心して眠れるにはそれしかないんだ。俺がお前に道を指示してやる!」
世良も遠慮がちだが、はっきりとした声を上げる。
「お、おねぇさんも立候補しちゃおうかな」
「待て。俺は旧帝國のエージェントを知っている! 俺を出せ!」
にわかに色めき立つ牢内に、加島は怒った。
「貴様ら……! もう孝明に構うな。この子が何をしたっていうんだ!」
すかさずシーザーが吼えた。
「うるせぇぞ加島。そいつが何しようが俺の知ったこっちゃねぇ。問題はそいつが宗次のガキで、宗次の莫大な遺産を持っているという事さ。俺達が再びやり直せるほどのな! ガキには過ぎたオモチャだ! 俺たちが有効に使ってやろうじゃねぇか!」
加島が全ての牢を睨み据え、喉の奥から怒りの声を振り絞ろうとしたその時、全ての牢のガラスがスモークになった。食事の差し入れ口も加島のところ以外閉鎖され、先程の騒ぎが嘘のように辺りは静まり返った。重い鉄扉が、開く音がする。落ち着いた足運びが心地よく奏でる靴音が室内にこだました。
「全く。文明から切り離せば超人もただの猿か」
岸部だ。加島は孝明に逃げるよう、再び急かそうとしたが、自分に触れる温もりを振り払うことができなかった。そうこうしている内に岸部は加島の檻の前までたどり着き、不愉快そうに加島の手元を見た。
「雄三……」
「よう、光一、久々だな。沙雪を殺した薄汚い手で孝明に触るな」
岸部は加島の手を孝明から離させると、胸元からハンカチを取り出し、孝明の顔を拭った。
「俺を……また拘束しますか……?」
孝明がポツリと言った。
「孝明に手を出すな!」
加島が割って入り叫ぶが、岸部は無視する。
「拘束する必要はない。君は我々と同じ秘密を共有する仲間だ。それに君の父親には世話になっている。その恩を君に返したい」
「父さんをNETRAから追い出したのに……?」
「方向性の違いで衝突はした。それで私は勝ったが、宗次に島に残れと言った。だが、宗次は出ていった。それだけは信じて欲しい。なぁ、光一?」
「よく言う。宗次の手足をもいで、完全に管理下に置こうとした奴が。認定を続けているのもそうだろう。全ての超人を管理し、サークルカードで金銭の流れを――」
岸部がポケットから端末を取り出して画面をタッチする。すると加島の牢のガラスもスモークになり、食事の差し出し口も閉じられた。
「ここにいる限り安全だし、君には目的もある。島まで送ろう……超人」
岸部は孝明を連れて牢屋を出ようとする。牢屋には清掃員が孝明に怯えながら入室し、孝明の吐いた吐瀉物を掃除しはじめた。
「超人……」
孝明が聞き返す。
「そう。君は超人だ。耳にタコが出来ていると思うが、もう一度言おう。父から超人の力と意志、遺産を受け継いだ。だが、奴らを見てわかったと思う。君の存在にはそれ以上の犠牲や、独りでは背負いきれないほどの責任がかかっている。君の身勝手が、多くの人を不幸にするのだ。なら超人として君ができることを成すべきだ。我々は君を必要としている。なら君は超人としてそれに応えてくれないか? 巨人の粛清。期待しているぞ」
岸部はさっと孝明の腰からPACPを取り外した。岸部としては孝明から戦闘力を削ごうとの考えだったが、本人は別にどうでもよさげに虚空に魅入っていた。岸部は勢いに乗って、カードキーも取り上げる。やはり孝明は無関心なままだった。
「新型のPACPを支給しよう。希望するSEASは?」
そこで始めて孝明が反応した。何かを心に決めた様子で、瞳に迷いはなかった。だが、その瞳に色はなく、まるで人形のように闇を湛えていた。
「父さんは何を使っていました?」
意外な質問に岸部は息をのむ。だがそれの意味するところを悟りすぐに答えた。
「では、BとX。E、そして特別にC〔C@mleon:視覚ステルス〕を付与する。完成には時間がかかるのでしばらくは替えのベルトと、今着用しているスーツを使ってくれ。OSは雷禅に格下げするが、巨人を負かすぐらい訳ないだろう」
岸部が笑う。そして彼を牢屋の外で待ち構えていた警備員に引き渡した。
警備員は孝明を『連行』しようとした。
「おい……何の真似だ? お前がそうなりたいのか?」
岸部が警備員を睨み付ける。警備員は慌てて孝明から手を離すと、孝明を『先導』して階段を上っていった。岸部は孝明のベルトを手に学園監視本部内の研究棟に行った。そこで待ち構えていた賀角紬にベルトを渡す。紬は飛びつくようにベルトを岸部の手からひったくると、嬉しそうに頬ずりしながら、コンピュータ室に消えた。次いで岸部は待機していた秘書を呼び寄せながら、保管庫へと足を運んだ。
「教育部副部長を呼べ。もう寧はいらん。問題を起こす前に適当な理由をつけて退学させろ」
「それは――」
「粛正委員会の事を知る以上島内には置けんし、今となってはただ邪魔だ……それとも孝明に始末させるか? 状況をこちらで用意してやればきっとやるぞ。宗次が沙雪を殺したようにな」
そこで話を切ると、入り口に秘書を残し、岸部は保管庫のロックを解除して中に入った。
様々な超人関係資料がまとめられているその保管庫の中で、最奥部の緑色の燐光が漏れる場所に真っ直ぐに進む。そこには培養液で満たされたポッドが複数設置されていて、中には人体が保管されていた。岸部は『Z-3 Zarathustra』とかかれたプレートの前で足を止めた。
「あの変態め……昔はここまで酷くはなかったぞ」
ポッドには紬のものと思われる、唾液や口紅の跡がついており、岸部は毒づきながらスーツの袖でそれを拭った。
「粛清過程で、みんな壊れていった。その中で俺とお前だけが正気を保っていた。だがお前は敵を見続け、俺は味方を見続けた。お前は味方をも粛清し、俺は敵をも救おうとした。結果お前は罪を背負い、俺は罪を裁いた。だが、お前はあの日に留まったまま、俺をそこに引き戻そうとしている」
中では成海宗次が培養液に浸り、四肢を固定され顔面をフェイスプレートで覆われていた。フェイスプレートは岸部が取り付けさせた。彼が成海宗次の死に顔を直視できないからだ。岸部は宗次の首の部分、人為的に捻り壊された脛骨を見つめた。
「貴様が人を信じられなくなったのは分かる。だから利害の檻の中に孝明を放り込んだんだろう? だが、俺はお前を裏切ったことはないはずだ」
岸部は孝明を宗次の代わりにしようと思たことは一度たりともない。ただ答えが知りたかった。
「死ぬ前に教えて欲しかったよ。俺はお前にとって、『何』だったのか」




