14.明日香の任務
『成功学園の諸君。政徒会長の間優秀だ。皆はご存知かもしれないが、今日E2地区とE5地区において騒ぎがあった。E5地区においては保安委員が襲撃された。この保安委員は気を失っただけで怪我をしていないので安心して欲しい。E2地区においては食肉センターにおいて巡回の警備員が怪我を負った。この警備部員は転倒し、頭を強打したが、その他は特に異常ない』
自治会長室で、今日子はじっとテレビの政徒会広報を見つめていた。優秀は淡々と現状と分かっているだけの情報を伝え、襲撃犯に名乗り出るよう促すと、報道部の質疑応答に入った。
『現状、NETRAからの侵入者は本当に存在するのですか?』
『三上衣吹の保安委員長の適正について疑問に思う声が上がってきていますが?』
『保安と自治会の反目ですが、会長から何かコメントは?』
優秀はそれにつつがなく答えていく。発言はどれもグレー。煮え切らないものばかりで、報道部のマイクと唾が一斉に飛んだが、喚きたてる彼らに優秀は一言、はっきりと言った。
『この一月で政徒会は一つの答えを出す。それがすべての回答となる』
すぐに政徒会参謀が会見を終わらせ、カメラのシャッターがまばゆい光を放つ。テレビがいつもの放送委員会のニュースに戻ったところで、今日子は背後に立たせていた孝明を振り返った。
「逃がしたんですか」
今日子は切れる寸前の弦で楽器を奏でた様に、声を張りつめさせて言った。孝明は腰からベルトを取り外すと、それを今日子のデスクに置く。
「言い訳をするつもりはないが、こっちにも不具合があった。アクティヴ機動が動作しなかったんだ」
今日子がピクリと眉を動かす。だがすぐに何事もなかったように、爪先でベルトを孝明の方に押し返すと、いつもの調子に戻った。
「古いですからね……述に見てもらって下さい。それで、どの程度損傷を与えました?」
「頭、顎と腹に一発ずつ。折れちゃいないが、しばらくは動けない。薬の副作用もあるはずだ。だがまた薬を使われたら2、3日中にもう1回仕掛けてくる可能性がある」
「何故2、3日中と?」
「それ以上経つと、薬の副作用が渇望から倦怠感になる上、気分的に犯行を振り返り反省する冷却期間に入る」
孝明はベルトを手に取ると、再び腰に巻いた。
「会長が『約束を守った』と」
それは恐らく、寧に仕込まれたウイルスの件を言っているのだろう。今日子はそれを無視してデスク上の紙を一つ孝明に差し出した。各委員部活長宛に作成された、今回の政徒会の公式見解である。
「政徒会から連絡がありました。E5地区は保安に対する不満が爆発したもの、E2地区は事故ではないかとの見解だそうです。保安は情報公開せず、風紀はE5地区のみを問題視しています」
いずれにしても対応が速い。精査していないのではないかと疑る程だ。
「何故E2地区を見逃した?」
「警備部の記憶が五分ほど抜けてるんですよ。ぽっかりと。一応聞きますが――」
「後遺症の心配はない。それより外傷は大したことないか?」
「さぁ? こけて頭に瘤をつくっただけですから? 間抜けな奴ですね」
孝明は安堵したように胸を撫で下ろすと、紙をデスクに戻して自治会長室を出た。廊下に出たところでタンクトップ姿になり歯磨きをする寧とばったり出くわした。彼女は面白くなさそうに自治会長室の扉を一瞥した後、孝明に聞いた。
「何て言われた?」
「しっかりしろって。あまり寧に迷惑かけるなってさ。お前は?」
「もうミスは許されんときつく叱られた。述の分析だと後もう一回チャンスがあるらしい。何でも生物兵器を散布する時、配置するだろうからそこでもう一度事を起こすとの考えだ。SEASは薬物を注入する外道装備らしいな。我々が頑張って速く止めねばな。よろしく頼む」
「そうだな……」
寧が孝明に拳を突き出す。孝明はそれに自分の拳を突き合わせた。そして颯爽と洗面所に向かう寧を見送った。孝明自身はキッチンで食事をトレイに乗せた後、倉庫にいる述のもとに向かう。述は倉庫のパソコンの前で頭を掻きながら唸っており、毒物と培養器の資料を交互に見ていた。孝明はキーボードの脇にトレイを乗せた後、ベルトを直接手渡した。
「述……整備頼むよ。アクティヴ機動が起動しなかったんだ」
「ん。ああ? 何だこれ?」
孝明の置いたトレイを指して述が言う。
「コーヒーとサンドイッチだ。いつもありがとうな」
述は戸惑ってトレイと孝明を交互に見やり、何か文句を言おうとして口をもごもごさせた。
「おい……僕ァ――」
「分かっている。ブラックしか飲まないだろ。程々にな」
「うるせー馬鹿」
孝明は苦笑すると、倉庫から出ていく。述は扉が閉まってから、しばらくトレイを見つめいていたが、孝明の足音が完全に消えると、サンドイッチに手を伸ばした。述の好みの具である、卵とハムが挟まっていて、マヨネーズの良い香りがした。
「いい奴……かな?」
腹は空いている。思い切りかぶりつこうとしたが、述は首を振って踏みとどまると、邪念を払う様に孝明のPACPをパソコンに繋げ、整備点検を始めた。
「友達? いや~ははは。あいつ馬鹿だし……僕に釣り合わねぇよな……はは……みんな馬鹿だから僕の体のこと馬鹿にするぐらいしかできねぇんだ。孝明? あいつだってきっと俺の体のこと心ん中で馬鹿にしてんだ。だからあいつも馬鹿。馬鹿。馬鹿。馬鹿ばっか……あれ……」
述の眉根がよる。戦闘データ内の暗号化されていたファイルが一部解放されているのだ。おまけに戦術データに至ってはログデリートが実行された形跡がある。
「なんだこれ? 見たところスーツの戦闘プログラムっぽいけど、一階層から三階層まで解放されてる。この調子だと八階層まであるな。戦闘により解放されたみたいだけど、四階層以上を実行しようとして拒否されてら。まてよ……これ……雷禅じゃないぞ! 雷禅は三極構造だけど、こいつはピラミッド構造だ。こんな戦闘OS――」
突然誰かに肩を叩かれる。述は椅子から飛び上がり、女のような悲鳴を上げて立ち上がった。振り向くと明日花がいつものニコニコ笑顔を浮かべている。だがその笑みには含むものがあった。
「あ、明日花? 驚かすなよ……何の用だよ」
述はいつもと違い、腹黒い笑みを浮かべる彼女を気味悪げに見たが、明日花は気にせずパソコンのログデリートの項目を指した。
「このログデリートは何に対してぇ~?」
「戦術データ……暗号化されたままで良く分からないけど、何かの情報じゃないか? あと、雷禅が拡張されてコトウギシンとかいう戦闘OSが機能しているけど……これなんだよ! 雷禅は迫撃、耐撃、潜撃の三極構造で、それぞれ攻、防、機動に特化した動きをする。このコトウギシンはピラミッド構造の中を、シフトアップ、ダウンさせて様々な状況対応ができる仕組みだ。雷禅とは自由度の幅……いや、桁が違う! こんなものがあったら雷禅なんていらない! 何でそれが旧式のPACPに詰まってるんだよ! 何で孝明はそれを使えるんだよ!」
「そのデータをコピーしてこっちにちょうだいっ!」
明日花は質問に答えず、一方的にUSBを述に押し付けた。述はその異様な雰囲気に飲まれて、浅い首肯をするとデータをコピーして彼女に渡した。
「これ、重要機密だから誰にも言わない方がい~よ。下手したら廃人確定だから。じゃ~ね」
明日花はにへらと笑ってそれだけ言った。そしてUSBを手に、孝明が置いていったサンドイッチをくわえて、コーヒーカップも手に取り、さっさと出て行ってしまった。
述はしばらく呆然としていたが、机から孝明がくれたものが無くなったことに気付くと、涙目になって喚いた。
「ば……バカヤロー!」




