表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/34

10.些細な事件

 午後、寧は授業に出かけ、自治会には孝明たち三人が残っていた。広間のテーブルで各々好きなことをやる述と孝明を余所に、明日花はデスクで電話対応をしていた。入学からずいぶん経ち学内も落ち着いてきたのか、自治会の仕事は減っている。たまに電話が鳴ると、明日花が対応し口頭で済ませるか、生徒手帳を操作して対応日程を組んでいた。

 述は分厚い科学の本をめくりながら、時折孝明の方を盗み見た。孝明は中央購買で買ってきた問題集にペンを走らせている。テーブルには孝明が作った昼食であるサンドイッチが乗っており、述は彼とサンドイッチを交互に見て、こっそりと手を伸ばした。しっとりとした手触り、水気を切ったレタス、綺麗に重ねられた具。手間をかけているのが分かる。述は科学の本に隠れるようにして、サンドイッチにかぶりついた。

「あ……うま」

 思わず声が漏れた瞬間、電話をとっていた今日子が大声を張り上げた。

「述、孝明、自治会の仕事です!」

 突然の大声に述は思わずむせて、科学の本を放り出すと喉元を抑えて激しく咳こんだ。慌てて孝明が背中をさするが、述はうっとおしげにそれを振り払うと、羞恥に頬を染めながら呻いた。

「うるさい……触るな馬鹿……」

 呆れたようにデスクに頬杖をつく今日子は、パソコンで作成した文章を孝明と述の生徒手帳に転送し、二人に手帳を開くように促した。

「いいですか? 郵送中の段ボールが一個紛失しました。中身は保温シリンダーで、魚の卵を保管するのに使うものだそうです。どうやら流通センターで荷物を移動させた際に、郵送部がどこかに置き忘れたみたいなんですよ。風紀委員が綱紀粛正の指導を行っていますが、それに並行して捜索を依頼したいそうです」

 孝明が手帳を開くと、手帳のマップには成功島南西の一部に赤い点が明滅しており、そこまでのルートが自治会から赤い線として伸びている。サブ画面には依頼主である輸送部の生徒、城戸正平の情報が表示されていた。

「担当区はE5地区流通センター。旧食糧管理庫でそこは調査対象です。物を探すついでに遺物の調査もお願いします。くれぐれも注意して下さい」

 そこで今日子は親指の爪を噛んだ。

「風紀委員の初動が速すぎる上に、保安委員に連絡していない。何かありましたね」

 孝明はさっと席を立つと、述が投げつけるPACPを受け取り腰に巻いた。述もどこからか黒い手袋を取り出し手にはめると、寧のPACPを腰に巻いて、孝明に先導して自治会を後にした。

 外は快晴。風はさらりと程よく乾き、緑の香りを島のどこかから運んでくる。春の息吹は干からびた桜の花弁を地面から引きはがして、彼らの踏みしだかれた体にもう一度自然の美を吹き込んだ。二人は有終の美を飾る白桃の渦の中を、言葉を交わす事無く歩いた。

 駅へ急ぎ足で歩く述に、孝明は歩調を合わせる。述は身の丈が幼児のそれなので、当然歩幅も小さい。いつもなら周りの人間に合わせて見栄を張り、大股、速足で駆ける述だった。だが孝明は述に合わせて、ぶらり、ぶらりと悠長に歩くので、傍目には非常に滑稽な述のしっちゃかめっちゃかな早歩きを、身の丈に合った歩みまで遅めることが出来た。

 自然に、二人は並んで歩いていた。

 述は初めて味わう妙な感覚に一瞬身を震わせた。誰かと肩を並べることなどなかったから。優劣による上下、身分による遠近。社会的なそれらとはまた違った距離。流し目を隣にやると、孝明と目があった。笑っている。今まで述が経験した蔑笑や嘲笑、苦笑ではなかった。ただ穏やかだった。述は気まずそうにそっぽを向くと、鼻を鳴らして唇の端を吊り上げた。

「お前午前中雌ゴリラにいたぶられてただろ。いつ授業行くんだよ。僕みたいに在宅講義も受けてないだろ」

「何だ? 馬鹿の素行が気になるのか?」

 孝明が口を押さえて笑った。

「ばっ……違ッ! そんなんじゃねーよバカヤロー」

 述は反射的に孝明の脛を蹴り飛ばした。孝明が相応に痛がって片足を抑えるうちに、述は引き離すように走った。

 電車に乗りE5地区につくと、述は目的地の前で一度足を止めて、遠目に目的の流通センターを一望した。

 真新しいかまぼこ型の流通センターで、大きさは小さな学校の体育館ほどだ。しっかりしたコンクリートの壁には大型のシャッターが四つついている。併設された駐車場にはトラックが何台か駐車してあり、シャッターに入って荷物を積載すると、黒い煙を吐きながら道路へと飛び出ていった。

 その流通センターは立派だったが、膿のようにへばり付く建造物が脇にあった。新造の流通センターに無理やりくっつけられる形で残されている、白の塗装がまばらに禿げたコンクリート構造物である。

「あれが旧食糧庫か。物置になってら」

 目標を確認した述は足早に流通センターの従業員出入り口へと駆けて行った。述は生徒手帳を取り出し、港の倉庫とは比べものにならないほど厳重な倉庫の読み取り機にかざす。そして内部の応答を待った。その間に孝明が述の隣に再び並ぶ。彼は相変わらず笑顔を絶やさなかったが、少しだけ強い語調で述に言った。

「述。嫌なことがあったら俺にフッてくれ。周りの人間の理解が鈍くて腹が立つときもあるだろうが、それをぶちまけたらせっかく賢人なのに周りの人間と変わらないだろ。俺がうまく話すから」

 まるで甘い飲み物の様に癇に障らず、するりと体に溶ける孝明の言葉に述は素直に頷いた。後になって、頷いた自分に驚くように目を見開くと、地面に唾を吐きつけた。

「何か調子狂うなァ」

 述はぼそっと口にすると、ドアが開いて、一人の男が顔を出した。胸元には郵送部:三年 城戸正平とある。彼はツナギの胸ポケットから生徒手帳を取り出し、その情報と二人と見比べる。そして相好を崩すと、頭を掻きながら握手を求めてきた。孝明はそれに答えて、述は差しのべられた手を、袖の余りの布で横に払った。

「気安く触んな馬鹿。おい、こいつ嫌だぞ。何とかしろ」

「述……」

 孝明は困惑する正平に軽く頭を下げた。

「すみません、悪気はないんです。案内して頂けますか」

 正平は気まずげな苦笑いを浮かべて二人を倉庫内に通した。かまぼこ型の倉庫内部はよく整理整頓され、清掃が行き届いていた。シャッター側から順に搬出口、荷積場、二階と繋がるエレベーターがある。恐らく二階には倉庫があり、そこから運ぶ荷物を降ろしているのだろう。一番奥の壁には一つだけ浮いているドアがあり、上には保管庫のプレートが差してあった。例の旧食糧庫だろう。二人はその部屋に通された。

「ひ……ヒデェ」

 述が思わず言った。中には積み重ねられた段ボールが、所狭しと並べてある。ロッカーなど一つもなく、申し訳程度に地面にビニルテープによるラインが引かれていて、それに沿って大小関係なく荷物が積まれている。埃はなかったが、じめじめした空気を吸うとかびの匂いがし、喉の奥に陰気な味が残った。正平は申し訳なさそうに頭を下げると、マスクを孝明に渡した。

「すんませんっす。この何処かにあるみたいなんですが、今日は荷物が多くて手が回らないんすよ。これ許可証っす。首にかけて下さい」

 正平が許可証を、これもまた孝明に渡した。

「荷物にはタグがついてるんだろう? それを使えよバカ!」

 述が孝明から許可証を受け取りながら声を震わせた。生徒手帳には個人識別のタグが付与されているが、物品輸送のダンボールにも輸出元から納品先までが記されたタグがつけられている。そうすることで外部から成功島に運び込まれた荷物が、無事目的地に運び込まれるように補佐しているのである。成功島は資源に乏しいので、少しでも無駄が無いように配慮していのだ。すると正平は気まずそうに苦笑いを浮かべた。

「それが調子悪いみたいで、なはは……ここの何処かという事以外分からなくなっちゃったんすよ……それで風紀の綱紀粛正を受けているわけっす。人待たせてるんで、ちょ~と席を外しやす」

 正平は逃げるようにドアを閉じた。程なくしてドア枠から音叉のような音がしはじめた。ドア枠がゲート型の読み取り機になっているのだろう。読み取り機自体古いから、生徒手帳が配布される前の代物。恐らく今渡された許可証にICタグが入っていて、それに反応するに違いない。ここから出るなどという不審な行動をとれば、すぐに駆けつけてくるという事だ。そして許可証なしでうろつけば捕まるだろう。

 それでも古い建物だけあって立てつけは悪いようだ。孝明はそっと歪んだドアの隙間に耳を澄ます。荷物をざっと見まわしていた述は、背中を壁に預ける孝明に気付くと、咽喉を唸らせた。

「おい……いいご身分だな」

 孝明は述を真剣に見返し、唇に指をあてた。述はつられて孝明のそばに寄る。すると、荷物の積み下ろしやリフトの雑音に混じり、ドアのすぐ外で正平と何者かの会話が聞こえてきた。

「それで、状況は?」

「叢雲が送ってきた保温シリンダーを紛失したんす。昨日、今日、明日三回に分けて、科学部、化学(ばけがく)部、工業部に回す手はずだったんすが、荷積場に置いたはずの今日の分の箱が見当たらなくなっちゃったんすよ。恐らく内部の誰かがヘマやっちゃったんで、綱紀粛正をお願いしたいんす」

「まだ内部犯と決まった訳ではなかろう。一年の見学者を団体で迎えていたんだろう? 外部に持ち出されたかもしれん。保安に協力を――」

 その言葉を正平は遮る。

「敷地内には警備部が見張ってるんす。段ボールは抱えるほどの大きさですから持ち出そうとしたらばれるっす。搬出場は積み込みが住んだ時点で空。トラックに間違えて積んだんじゃないかと思って、タグ応答やり直し異常ないか調べてみたんすが、タグ応答のない不審な物品は見当たらなかったんす。じゃあ残りはあの倉庫しかないっすよ」

「希望的観測にすぎん。何故保安を呼ばない? 本来風紀の役割は内部監査といじめの撲滅だ。それに自治会に頼むような案件でもない。流通に関してNETRAがうるさいのは身に染みてるはずだ。早期に事件化し、捜査に捜索を含め保安に依頼するべきだ。事件に保安を呼ばなかったとなると後で面倒を見るぞ。それとNETRAの連れてきた得体の知れん奴らを頼るのもどうかと思う」

 正平が一瞬喉を詰まらせる。だが、震える声でぽつりぽつりとこぼし始めた。

「まだ事件と決まった訳じゃありませんし……その……衣吹嬢は……無茶通すからおっかないんすよ……下手に騒がれちゃ評判ガタ落ちっていうのに、最近不審者騒ぎで息まいて何でもかんでも派手にやらかしやすから。成功危機以降、物品の流れにNETRAは敏感すから、早いとこカタつけないとマズいのは分かってやすよ。だから自治会を呼んだんす。捜索も自治会の方が評判もいいし丁寧だと……チッコイのは正直どうかと思いやすが。成海さんと御手洗さん、今日子の姉御はいい噂聞いてやすよ。悪い噂は保安が邪魔しに行くことぐらいですよ」

 そこで孝明は暴言を吐こうとする述の口を抑え込む。同時に、風紀委員の大きなため息が聞こえて来た。

「何故うちに連絡をした。自治会に捜させて、事件性があってから連絡すればよかったじゃないか」

「そりゃあ、ちょっと大事になりまして……外にもう漏れてるんすよ。一年の職業案内中に例のむしられたタグ。センターのど真ん中に捨てて置かれたのを、よりによって一年が見つけちまったんす。報道部から確認の電話をいただいたんで確実っす。後々初動の遅れを追及されるより、捜索の段階で紛失を届け出た方が傷も浅いんで。それに保安に来られたら、元も子もないので……」

「俺らは保安を呼ばないための厄除けという事か……現場保存は出来んし、これが盗難に発展すると、保安に引き継がれることになる。その時また面倒見るぞ。それでもいいか?」

「へぇ。それくらいの批判なら俺の首で済みます。保安が乗り込んだらここの存亡の危機っす」

「分かった。流通関係者の嫌がらせか、島土交通委員会の差し金かもしれん。その方面でも調査してみよう。今までやった不必要な会話は忘れろ。俺もそうする」

「あ、ありがとさんです。化学部の部長さんには連絡しておきますけど、そちらさんでもナシつけておいてください」

「ああ。書類作るからしばらく待っててくれ。ったく……衣吹の奴め」

 もう一度、大きなため息。そして生徒手帳の通話機能を使って、風紀委員は何処かに連絡を取り始めた。

「あ、自治会さん見てきます。何か伝えることは?」

「見つけたら脇に除けとけと言ってくれ」

 風紀委員の投げやりな言葉を最後に、会話は途絶える。孝明はそこでドアから離れ、白々しく荷物の一つに取りつくと作業を始めた。慌てて述も荷物を漁ろうとして、自分の体格じゃそれが叶わないことを悟ると、生徒手帳を開いて荷物の配置を記録し始めた。

 ドアから正平がひょっこり顔を出し、『真面目』に仕事に取り込む二人を見て顔を綻ばせた。

「どうっすか?」

「まだ始めたばかりで何とも……」

 正平は配置を記録し、孝明に指示を出す振りをする述を見ると、ぺこりと頭を下げた。

「あ、いや~。ほんと助かりやすよ。いくらここが中ブラりになった物の墓場だからって、他の連中ったら掻き回して目的の物探し出したらほっぽって行っちゃうもんすから」

 正平の声に、少し慌てていた述が過剰に反応する。

「あ、当たり前だバカ! 僕は賢人だからな。テメェら常人のハチミツ漬けの脳味噌とは違うのよ!」

「あ、あ~ははは、ははは」

 正平は気まずそうに笑い、孝明はすまなさそうに目配せした。

「箱が見つかったら連絡宜しくお願いしやす。避けて隅にでも置いといてください。何か不便がありやしたら連絡下さい。んじゃ」

 正平がドアから離れ、足音が離れていき、周囲の気配が雑音に沈むと述が口を開いた。

「ガルガンチュアだな」

「十中八九……一般人が盗むにしちゃマニアック過ぎる。だが保温シリンダーなんて何に使う?」

「生物兵器を使うつもりだろうな。培養してボン。周りは海で逃げ場もない。あっという間に島は地獄だ」

「今日子の心労が増えるな」

 まさかと述は鼻で笑ったが、孝明は深刻に首を振った。

「早くも参ってきている。俺らが支えてやらなきゃ」

「知らねーよ。偉人なら偉人でテメェのケツぐらい拭けってんだ」

「クソしたのは俺だ」

「じゃあお前がどうにかするんだな」

 述は辛辣に言い放つと生徒手帳を懐にしまい、ベルトを腰に巻いて電池を差し込んだ。そして手袋の厚手のリスト部分に収納されているプラグを引っ張ると、ベルトに繋げてSEASを起動する。すると手袋が振動して起動を伝えた。SearchのSEASのみを持たせた特殊な手袋なのだろう。述はそのまま壁に手を当てて探査を始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ