序章
人事報告書
成功危機の際、叢雲内部で確認されたA計画については、我が旧粛清委員会の活躍によりこれを頓挫させたことを確認した。
しかし現段階においてB計画が進行中であることが発覚した。
現時点では計画の内容、目的など全く不明。ただ『遺物』の使用を示唆する記述が有ることから、『遺物』が実在する可能性が高く、この脅威を無視することは出来ない。
我々NETRA、特別報道警察〔日本国の諜報機関。略称は特報〕はこの件について早急に対応する必要がある。
よって以下の人員を招集し、ここに粛正委員会の再結成を宣言する。
粛正委員会は今年新しく発足する自治会のメンバーとして潜入させ、『遺物』の回収及び、思想的な諜報活動、そして依然叢雲側に寄る世論改善を実行させるものとする。
人員一覧
偉人 橘 明日香 自治会長 Code-∀-RJ2-2013-×
凡人 橘 今日子 粛正委員会長
凡人 橘 昨夜 破壊工作指導員
賢人 賀角 述 整備員 Code-∀-E-2014-3
常人 御手洗 寧 調査員
超人 成海 孝明 調査員 特定保護監視児童。Code-∀-Z-2010-1
尚、成海孝明は細心の注意を払って取り扱うこと。
以上。
その子供は、自分を知らないのだろう。大抵この年頃の子供というと、瞳の奥では夢や希望が、不安や恐れで明滅し、星の瞬きのように、煌びやかな温かさを帯びるものだ。長年児童の面倒を見てきた成功学園長である岸部にはそれが分かる。だが目の前の少年には何もなかった。白でも黒でもない。何もない。
この世に真の意味で自分を映し出す鏡など存在しない。あるとすれば、他人の目に映る自分だけだ。この子供は父親の背を追い、それを追い抜いて正面に回り、彼の目に映る自分を見ようとしているのではないか――岸部は彼を一目見てそんな考えを思い浮かべた。
思索にふけるあまり呆けたような間抜け面でもしていたのか、学園長は訝しげに眉根を寄せた彼に気づき、場をとりなすために咳払いを一つはらった。
「久々だな……顔見知りとは言え、礼儀は大切だ。自己紹介と行こう。成海孝明君。私が成功学園学園長、及びにNETRA(次世代人材育成機関)総合責任者である岸部雄三だ」
岸部の堂々とした挨拶に、デスクを挟んだ彼の対面で直立不動の姿勢をしていた成海孝明は、伸ばした背筋を綺麗に折ってお辞儀をした。
「成海孝明です。今回は成功学園への特別枠での入学許可。有り難う御座います」
恐縮といった様子で恭しく首を垂れる彼だが、全身は油断なく、付け入る隙を与えていない。そのことに学園長は半分満悦し、半分軽い戦慄を覚えた。何故なら彼が自分の命を奪うことも視野に入れていると、直感したからだった。
ここは東京から南に1000キロ地点に位置する悠里島と言う島。そこにあるNETRAの成功学園監視本部の学園長室だった。
岸部は装飾や派手なものを嫌う性質だったので、室内はすっきりしている。あるのは資料棚と大きめの本棚、そしてデスクのみだ。資料類も綺麗にまとめられており、デスク上も文具と資料など、必要最低限の物しかなかった。それゆえにデスクの隅に置いてあるオルゴールの小箱は異彩を放っており、いやに目についた。
岸部はデスクから資料を数枚取り上げて、内容を再確認する。そして黒く塗りつぶされた機密部分を記憶で補完しながら、孝明に話すべき情報を選別した。
「さて、成海孝明君。今回我々の計画したアルゴー計画への参加に、急な申し出にもかかわらず対応してくれた事に感謝する。明日から君は自治会員として成功学園に潜入してもらうことになるが」
岸部はそこで一度言葉を切り、ちらりと孝明の瞳を覗き込んだ。
「正直に話してほしい。君は成功学園の事をどのくらい知っているかな?」
「いえ、全く存じません」
「そうか……君の父上は意図的に隠したようだな。我々も今に至るまで説明を避けてきたが――」
そういうと彼はデスク上のパネルを操作して、プロジェクターとスクリーンを自分の左側に下ろし、とある島を俯瞰からとらえた衛星写真を映し出した。草木が生い茂る原始的な島で、『成功島』とある。左下には年代が記載されており、1984年に始まっていた。写真の中央にはぽつりと円形の建造物があり、そこから斜め左上に向かって走る道路が港へとつながっていた。
「簡単に口頭で説明させてもらおう。1984年当時、創設されたばかりのNETRAは『超人計画』のもと、ここ悠里島にあった悠里学園で、超人の育成を行っていた。昔も今も超人の意味は変わらない。次世代の希望を担う、優秀な人材の事だ。順調に事は進み悠里学園は世を牽引する優れた人材を幾人も輩出した」
岸部は大した情報をいう訳でもないのに、そこでふぅと一息ついた。
「だが悠里学園に構造的欠陥が見つかったために、在学生を緊急的に避難させることになった。それが悠里島よりさらに南にある成功学園だ。学園というがそれは名ばかりで、そこには校舎以外何も用意できなかった。緊急措置の上、他にも問題が山積みだったので、手が回らなかったのだよ。そこで児童たちは自らの手で開拓し、貯蓄し、発展させていった」
プロジェクターに映し出される情報が、次第に年数を経ていく。すると中央校舎を中心に、島全体が変化していく。都市化が進み、農場や漁港、風力発電所が建造され、空港に似た施設も確認されるようになり、左下の年数表示が2004年で止まったころには、工場までもが出来上がり、最早町と言っても差支えないほどに成長していた。
「気づいたころには成功の肥大化が問題視されるようになり、我々はそれまで政徒会に委譲していた統治権の返還を要求したが、政徒会は頑なに拒否。それどころか独立論までが上がり、軍隊を創設するなどして緊張を高めていった。一般にこれを成功危機という。一触即発の状態。我々も特報と連携し粛清委員会を設立することで成功島を包囲し、抑え込もうとした。だが成功学園は独自に開発した誘導弾で絶対防衛圏内に侵入を試みる我々を威嚇した。それを説得したのが旧粛清委員長の君の父上だ。結果、学園は我々と成功協定を結び、その条文内に『大人の不干渉』を盛り込んで、自治権を獲得するに至った。独立、成功学園の誕生だ」
スクリーンの映像が切り替わり、2014年現在の成功島の衛星写真が映し出された。
それは都市だった。
中央校舎から放射線状に延びた五つの道路。蜘蛛の巣上に走る鉄道。並列する漁船。完成した空港。灯台から住宅地。見事なまでに生活感に溢れ、一目見ただけで自給自足が可能なレベルにあることが分かる。
「今回、君の任務はこの件が関係している。その成功危機中に学園に危険物が運び込まれた可能性があるのだ。事実、彼らが製作した誘導弾に必要な電子機器を当時の成功につくる技術などない。だが、さすが超人を育成する学園と言う所か。その誘導弾はとても高性能なものだった。国に正式採用され、今まさに封流〔現・日本国の潜水艦〕の腹の中で獲物を求めるほどにな……」
岸部がパネルをいじり、2014年現在の写真の隣に、2004年の物を映した。
「当時の成功島は食料資源に乏しく、外部に強く依存していた。だが成功危機の際我々の輸送船の入港を断り、第三者からの支援を受けていたのは事実だ。旧粛清委員が少し強引なやり方で阻止するまでの間――計六回、成功には我々の検閲が及ばない物資が搬入された。無論我々も成功自治容認の条件として、島内をくまなく捜索し危険物を接収したつもりでいたが、どうやら取りこぼしがあったみたいなのだ」
「何故そう思ったのですか?」
孝明の問いに、岸部は少し言葉を迷うが、すぐに口を開いた。
「先日、叢雲グループの方にいる特報の潜入捜査員から奇妙な報告が上がった。何でも今年度の入学生に潜入工作員を忍ばせたらしい。そして過去持ち込まれた物資を利用し、何らかの行動をとろうとしている」
「叢雲……? 叢雲グループですか?」
叢雲と聞いて、孝明の眼が憎悪と憤怒に濁った。
「そう。その叢雲だ。彼らなんだよ、成功を支援したのは。奴らに誘導弾に使われた電子機器の事を問い詰めたらパソコン用だとさらりとかわされたよ。まったく、成功学園と叢雲の付き合いは長い。彼らは成功学園第一期卒業者が設立した企業だからな。島内世論も叢雲側に大きく偏っていて、これは大変好ましくないことだ――少し話がずれたな。島内は施設から地中、山野に至るまでくまなく探した。となると残された可能性は建築物の中だ」
スクリーンでは二つの写真が合わさり、二つの建造物が重なる部位――つまり2004年までに建てられたものが浮き彫りになると、映像はそこをピックアップした。
「この叢雲の『遺物』が実在するのなら、成功学園に叢雲が与える影響力を削ぐいい証拠になる。我々としても直接手を下したいが、成功協定によりそれは出来ない。そこでだ。粛正委員会を再結成し、事に当たらせることにした。君には粛正委員としてその潜入工作員の粛正と検挙、危険物資の回収を頼みたい。本件の解決後は島内に残留し、我々に有用な世論作りを行ってくれ。これを機に、叢雲という懸念を取り除こうと思っている。第二次成功危機などまっぴらだ」
そこまで言うと、彼はデスク上の鈴を鳴らした。それほど間を置かないで、秘書らしき女性が、ジュラルミンケースを持って室内に入って来る。彼女は孝明の眼の前まで来ると、ケースを閉じるロックダイアルを開錠し、中を開いて見せた。中には成功学園の学生服、そしてメタリックな筆箱、PDA(個人用携帯端末)がウレタンの型枠に収納されていた。
「受け取りたまえ。君のDRS(変装強化服)とO-P-G(筆箱偽装拳銃)-07。そして成功学園生徒証明証だ。1週間後に君は成功島に新設された自治会のメンバーとして潜入することになる。詳細は現場の上司に聞いてくれ。父親に負けない働きを期待しているぞ」
女性がジュラルミンケースを畳み孝明に差し出すと、彼はそれを無言で受取り、学園長に一礼して部屋を後にしようとした。
岸部はある懸念から、ドアノブに手をかけた孝明の背に呼び掛けた。
「そう……例の潜入工作員だが、コードネームはガルガンチュア。名前で推測するなら『巨人』だな。君と同い年だが……」
孝明はドアの前で足を止めてこちらを振り返る。やはりその瞳には何もなかった。
「勝てるかね? 『超人』」
「勝つつもりはありません」
彼はそれだけ言うと、部屋を後にした。