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誰が魔王を殺したか?(犯人は私じゃない、私じゃないから!)

作者: 雪海みぞれ

「わ、私は悪くない! 私は殺ってないんだから!!」


 魔王の寝室とおぼしき部屋で、私はとてつもなく焦っていた。

 けれど返事はない。だって目の前にいる魔王は屍だもの。


「本当に死んでる……のよね?」


 ベッドに静かに横たわるその姿は、ともすれば眠っているだけのようにも見える。胸にある真新しいおっきな刺傷痕さえなければ。

 どうひいき目に見ても死んでるよ泣き喚いて馬鹿みたいに取り乱したい。


 ……けれど、そんな場合じゃないのはわかってる。


 このままでは私が魔王殺しの下手人として、魔族に復讐されかねないんだから。

 ただでさえ人間と魔族はいがみあっている。もしも捕まったらなんて考えると……

 落ち着こう。そう、落ち着こう。まずは冷静さを取り戻すために、少しだけ状況を振り返ろう。




 メリッサ・メイスンといえば、どんな場所でも忍び込む盗みの腕と、エルフもかくやという見目麗しさで世間を賑わせている美少女大盗賊だ。私のことだけど。

 事の発端は今朝。

 国に没収された形見のネックレスを盗ってきてくれという、私好みの依頼を受けて、城の宝物庫に忍び込んだ事によって始まった。


 これがもう失敗も失敗、最悪の選択だった事は言うまでもない。


 や、宝物庫に入ること自体は簡単だったんだけど。ネックレスもすぐに見つかったんだけど。侵入・潜入・偽装工作の仕事があればどうぞ私にお任せください。


 いやまあそれは置いといて、問題はそこにあったえらく高そうな謎の剣。

 私が何気なくそれを掴んだ瞬間のことだった。

 一気に視界が暗転し、この無駄に絢爛豪華な寝室っぽい小部屋に転移したのだ。


 そこにいたのが魔王。つまり、一年も休戦状態が続いている魔族の領土に転移したってわけ。

 それも、一番偉くて一番出会っちゃいけない、魔族最強の男の眼前に。


 あ、私、死ぬんだ。

 と思ったのはほんの数秒の間だけだった。

 魔王が私に気付いてベッドから起き上がるまでの間に、謎の剣はひとりでに魔王に向かって宙を駆け、その凶刃を振るった。


 なんの抵抗もなく魔王の胸を刺し貫く謎の剣。

 断末魔の声を上げる間すらなく息絶える魔王。

 役目を終えたとばかりに謎の剣は粉々に砕け散り、そんな存在なんて元から無かったかのように虚空に溶けた。




 かくして、問答無用で物言えなくなった魔王の前で、ぼーぜんと立ち尽くしてるのが今の私。


「壊れるんだったら私を家に帰してからにしなさいよ……」


 きっとあの剣は魔王を討ち滅ぼす伝説の聖剣かなんかだったのだろう。

 使えよ。休戦なんてせずにさっさと魔王倒しとこーよそれで。

 ああ、いや、休戦は魔族側から申し出たんだっけ。それで魔王を闇討ちするほど、人間も鬼畜じゃあないか。


 そもそも扱える人がいなかったのかもしれない。とすると実は私は大盗賊なんかにはおさまらない、勇者の器だったり?

 やっぱり勇者となると、綺麗系が映えるのは否定できないし。


 背中で一つに纏めた艶やかな黒髪。切れ長の碧い瞳。俊敏な盗みの技術を巧みに発揮する、すらりと伸び切った手足。

 可愛い系を目指してる私を無視して、みんながみんな綺麗、美人と言うのにはそんな理由が。


「いやいや、違うから違うから。今はそんな事どーでもいいのよ」


 頭を振って思考を戻す。

 魔王の寝室があるってことは、おそらくここは魔王城。

 生きて人間の領土に帰れたら、私はそれこそ英雄になれるだろう。なんたって魔王を倒したんだから。

 が、こんなとこ魔族に見つかったら……どう考えても殺される。


 ここはやはり、三才から十五年も培ってきた盗賊の腕で、この場から痕跡を残さず颯爽と去るしかないか――

 私がそう決めた時、失礼にもノックなしでドアが開けられた。


「魔王様、昼食の準備ができまし……た」


「――――」


 あ、私、死ぬんだ。

 なんて呆然としてる場合じゃない!

 私は腰の短剣を抜き放ち、現れた魔族へと一直線に走った。


 このままでは本気で殺されてしまう。そう悟った私は、思考を一気に仕事モードへと切り替える。

 相手は見るからに強そうな竜人。というか号外かなんかで見たことある。魔王の側近バゼル、魔族でナンバー2の男だ。


「ふっ!」


 一息、気を吐いて短剣を振るう。

 バゼルは魔王の死体にひどく動揺の気配を示したが、それも一瞬のこと。

 あっさりと両手のかぎ爪で、私の短剣を受け止めて見せた。


 けれど、ひ弱な私の力でもつばぜり合いになっているのは、それだけ魔王の死が衝撃的だったという事だろうか。


 拮抗する剣とかぎ爪。しかしそれも長くは続かない。

 事態を消化しきったのか、バゼルの目に激情が灯る。

 部屋を満たす強烈な怒気と殺気。

 仕切り直し、というより、怯えて逃げるように私は全力でその場を跳び退いた。


 バゼルが腕を振る。壁に巨大な爪痕が禍々しく生まれ、一拍遅れて爆撃のような破砕音が耳をつんざいた。


「ヒッ」


 と自然に悲鳴が漏れた。

 恐い――だけど、恐がって足をすくませるわけにはいかない。ここが最初の正念場だ。


 速さだけなら多少は自信がある。

 横に、縦に、とにかく動き回ってバゼルの狙いを定めさせず、危険性が低いタイミングを見つけては斬りかかる行為を繰り返す。


 ごく当たり前に、攻防は私が劣勢に立っていた。

 バゼルは私の剣のことごとくを軽々と防ぎ、逆に爪痕の生まれる箇所は徐々に私へと近付いている。


 よし、ここまではいい。焦りの表情を作りながら内心で拳を握る。

 このじり貧の展開を、私は望んでいた。

 勝てないのはわかっている。そもそも短剣は護身用であって、私は戦うタイプじゃないし。


 そして勝つ気もない。


 たとえ勝てたとしても、際限なく増える新手から逃げ切る自信はない。

 今この場は、負けたら殺され、勝っても殺される死地でしかない。


 だからこれは、ひとつの賭け。


 魔王の側近、将軍バゼルは正々堂々を好む武人肌の男だと知られている。魔族にしては思慮深い性質だとも。

 時間さえ経って頭が少しでも冷えれば、状況のおかしさ、話も聞かずに私を殺す愚かさに気付くはず。


「りゃっ!」


 バゼルの顔を目掛けて剣を薙ぐ。

 全力を込めて、けれど殺意は込めずに。ただ動揺を誘うことだけが目的の一撃。

 だが深追いがすぎたのか、バゼルはあろうことか刀身を素手で掴み取る。


 反射的に剣を引き抜こうとするが、ピクリとも動かない。

 その間がまずかった。

 一瞬動きが止まった隙をバゼルは見逃さずに、残った腕に鋭いかぎ爪をギラつかせ、私目掛けて振り下ろしてきた。


「――っ!」


 ここまでか――と、私はほんの少し先の肉片になった未来を想像し、ギュッと目をつぶる。


 どれくらいの時間、そうしただろうか。

 来るはずの衝撃がいつまで経ってもこないことに、私は期待通りの事が起きたのかと、態度には出さずに胸を撫で下ろした。

 そして、落ち着いた雰囲気を出すため、ゆっくりと目を開ける。


 戸惑いの色を見せる竜人の黄色い瞳が、私の顔を映していた。


「貴様。なぜ殺気を持たず、しかし怯えも持たず、その程度の腕で俺に向かってくるのだ」


 ひとまず、問答無用で殺されることは避けられたようだ。

 まだまだ気は抜けないけれど。いや、むしろここからが本番か。


 私は片膝をついて剣を床に置き、頭を垂れ、恭しい様相を作った。


「貴方様のお名前は存じ上げております、バゼル将軍。人間の間ですらその名声が轟く魔族一の将なら、私に殺意がないこと、その上で全力で剣を振るっていたこと。すべて理解していただけると信じておりました」


「世辞は必要ない。理由を話せ」


「はい。私に魔王様を殺害する力はない、と証明するためです」


 魔王を殺害、という言葉に、バゼルが剣呑な気配を発する。

 私はそれには構わず言葉を続けた。 


「あのまま言葉を交わそうとすれば、将軍は怒りのままに私の体を引き裂いたでしょう。お気持ちはわかります。このような事態になり、私も痛嘆の念に駆られています。が、事の次第を語らずに命を落とすわけにはいきません」


「……確かに非力な貴様では、何があろうとも魔王様を傷つけることは叶うまい。それでは貴様は、このような大それた事をやってのけた者を知っているというのか?」


「いえ。私が部屋を訪れたときにはもう魔王様は……」


「では貴様は何を語るというのだ」


 バゼルの殺気はまだまだ強い。威圧が込められたその言葉に、私はゆっくりと頷き、顔を上げて答えた。


「申し遅れました。私の名はメリッサ・メイスン。魔王様の相談役として、時折この部屋を訪ねていた者です」


 完全に嘘ではあるけれど、そんな事はおくびにも出さない。

 それでも怪しまれるだろうが、問題ない。


 力の差はすでに示した。

 いくら私が暴れたところで危険はないと証明されている。あちらから対話を求めた以上、すぐに殺される事はないはずだ。


 実際、バゼルは私の言葉の真偽を決めかねて苛立っている風ではあるが、相談役を名乗った私への害意はいくらか和らいだようだった。


「まずは剣を向けた非礼をお詫びします」


 ともあれ、溜飲は下げてやらねばならない。けじめは自分で提案するのが好ましい。相手に無理難題を振られてからだと厄介だ。

 痛いのは好きではないけど、絶対に避けたいというほど苦手でもない。

 私は短剣を右手に取り、空いた左手に向かって振り下ろした。


「やめろ」


 短剣が手の甲に刺さる直前、バゼルの指が剣尖に滑り込んだ。

 目一杯に力を込めていたというのに、指の腹は傷のひとつもつかず、逆に短剣が中ほどから砕け折れた。やはり化け物だ。


 次にバゼルは私から折れた短剣を奪い取り、握り込んで粉々に砕いてみせた。


「詫びる必要などない。非力な貴様が騒いだところで非礼にもならぬ。治療をする方が面倒だ。この状況を説明する前に、死なれては困るからな」


 腕の一本くらいは本当に覚悟していたんだけど、やめろと言われて無理にやるつもりはない。

 お咎め無しだというのならありがたい話だ。


「申し訳ございません。お見苦しいところをお見せしました」


「……それと、魔王様の部屋を他の者の血で汚したくはない」


 あんたは私を殺そうとしたし部屋もめちゃくちゃに破壊したけどね、なんて言ったらダメだろうなあ、言いたいなあ。

 まあ、頭に上った血もだいぶ戻ったようだし、そろそろまともな会話もできそうか。


 竜人バゼル将軍。

 噂どおりの実力の高さ。加えて冷静な判断も下せる。将軍としての器はあるみたいだ。


 あとわかったのは、魔王を深く敬愛しているということ。


 実は魔王を蹴落とそうとしている野心家、今も内心はほくそ笑んでいる、なんて可能性は薄いと考える。

 そうしたかったら、さっさと他の魔族を呼んで私を吊し上げればいいだけだしね。


 それに怒りを落ち着けて、後に残った表情からは、とても演技とは思えない悲哀が満ちていた。


 魔王の死体を無言で見つめ続けるバゼル。

 何か声をかけるべきだろうか。私がそう考えて口を開こうとすると、バゼルは迷いを払うかのようにかぶりを振った。


「言いたい事があるのだったな。よかろう、貴様の弁を聞こうではないか。幹部を集める。貴様は俺のそばを離れるな。余計な動きを見せるな」


「はい」


 魔族有数の実力者にして権力者。裏表のない人格。

 結論として、この男を敵に回すのは上手くないと判断。しばらくはおとなしく従うことにした。

 幹部とやらには、手頃で扱いやすい奴がいればいいんだけど……


 この城を脱出するまでの道は、まだ遠い。

 力ではどうすることもできない。


 考えないと。


 誰が魔王を殺したのか。いつ殺したのか。どうやって殺したのか。なぜ殺したのか。

 そして私はどうしてここにいるのか。


 それらをでっち上げて、信じ込ませて、私の無事を保証させる。

 騙くらかすのも私の領分のひとつ。絶対に、生きて国に帰ってみせるんだから!



 ****** ****** ****** ****** ******



 バゼルが幹部とやらを招集して、何時間が経っただろうか。

 会議室とおぼしき部屋で、円卓を囲んでいるのは、私とバゼルを除くと七人だった。

 骸骨だったり狼男だったり、色男風のは吸血鬼かな?

 サキュバスっぽい、セクシーという言葉を擬人化したような姉ちゃんもいる。


 覚えるのが面倒なくらい、多様な魔族がこの場に揃ったけれど、全員に共通していることがひとつ――人間の私に対する、強い敵意。

 人間の敵、魔族の本拠地に来てしまったんだと改めて痛感する。


 まあ魔王が死んだことは、すでに幹部内では周知されているみたいだし、敵意がない方がおかしな話ではあるんだけど。

 さてさて、どのくらいかき回せるか……


「バゼル様ぁ? その顔はいいのに胸がちっちゃい人間はなんなんですかぁ?」


 うわ腹立つなこの淫魔。こいつを魔王殺しの犯人に仕立て上げてやろうか。

 いやでも、そんな感情に振り回されるわけには……


「魔王様の相談役と自称している人間だ。俺が昼食を知らせに魔王様の部屋を訪ねたら、魔王様のご遺体と一緒にこいつがいた。おい、名前くらい自分で名乗ったらどうだ?」


「あ、はい。失礼しました」


 つい頭の中を、サキュバスを犯人にした壮大なストーリーを鋭意制作中な状態にしてしまった。

 真面目にやらないと生き残れない。気持ちを切り替えないと。


 私はかしこまって一礼をしてから、魔族たちの視線に負けないよう、力強く話しはじめた。


「私の名はメリッサ・メイスン。ご紹介いただいたとおり、魔王様の相談役としてこの城へは何度か足を運んでいました」


「ふぅん、どうやって城まで来てたんですぅ?」


 サキュバスが甘ったるい声で言う。

 このくらいの質問は想定内だ。


「使い捨ての転移符で部屋まで直行です。魔王様が都度用意してくれました」


 魔族がそういうものを使っていた事は戦争中に知られている。魔王が用意するのもたやすいだろう。

 それに人間を魔族の領土に連れて来るなんて、表立って行えることじゃない。この方法なら秘密裏に人間を呼ぶ手段としては最適だ。


「今日も指定された時間にあの部屋へ転移したのですが、私が足を踏み入れた時にはもう魔王様は……」


「ふぅん、そうですかぁ」


 途端に興味を失ったようなサキュバス、対照的に興味深そうな狼男と魚人。

 吸血鬼からも好奇の視線を感じるけれど、こいつの目はもっとナンパ的な軽いものだった。

 そして殺気を隠す気もなく、私を睨みつけているのは骸骨と牛男の二人。


 当然ながら私の言ったことは、誰も信じてない様子だ。


 そのこと自体に問題はないんだけど、関心が私だけに向けられているのは困る。

 というわけで、裁く側という意識がある幹部たちに、私はさっそく最初の爆弾を投げ込んだ。


「まずは宣言しておきます。魔王様を殺害した犯人は魔族、それもこの中にいます」


「……なんだと?」


「誰が魔王様を殺害したか、私が明かしてご覧に入れましょう」


 あっさりと言ってのけた私の言葉に、魔族の幹部たちは大いにざわついた。


 俺らの中にだと、人間が何を言うかと思えば、ふぅん、適当なことを、相談役など聞いたことがないぞ、でも魔王の考えってよくわからないとこあったからあり得るかもね、そんな馬鹿な、お前は魔王様の愚痴をこぼしていたじゃないか、それだけで殺すわけがないだろ。


 悪くない流れだ。

 私の立ち位置について追及されていくと、逃げ切るのは難しい。だからまずは、隣にいる奴だって怪しいという可能性を提示する必要があった。


 もちろん、私が一番怪しいという前提はまだ変えられない。まともに信じられるとも思っていない。今はわずかでも意識を逸らせる事ができれば十分だ。

 会話を聞いている限りは、魔族も一枚岩じゃあないみたいだし。むしろ仲が悪そうですらある。これなら不信感を突いていけば、徐々に猜疑心も生めるはず。


 力では魔族に遠く及ばないかもしれない。けれど人間は頭脳戦ならそうそう遅れは取らない。

 大丈夫、私は勝って生き残ってみせる。


「落ち着いてください。大見得を切ってみせましたが、私が真相そのものを知っているわけではありません。さっき言ったとおり、私が部屋を訪ねたときには、すでに魔王様はお亡くなりになっていました。犯人をこの目で見たわけではありません」


「ならば、お主は何をするというのじゃ?」


 低い声が静かに響き、ざわついていた幹部たちを静めた。亀の魔族が発したものだ。

 白くなった長い髭をたくわえて、いかにもご意見番といった感じ。亀爺と呼ぶことにしよう。


「はい。こう見えて私は、人間では知恵者として通っている身。貴方たちの話を聞き、状況を推察し、魔王様を殺害した者の真実を解き明かそう、といった所存です」


「ほう、それは面白い」


「面白くねえ!」


 体をカタカタ鳴らしながら骸骨が机を叩いた。まあ、何が面白いのかは私も理解できないけど。

 反感を買うのが当たり前のことを言っている自覚はあるし。亀の考えることはよくわかんない。


「どうせ魔王様を殺したのはこいつだろう!? だったらさっさと拷問でもして吐かせてから処刑すればいいだけだろうが!」


「この人間とはさっき剣を交えた。魔王様を殺害する事は愚か、傷の一つもつけられないのは確認済みだ。話を聞いてみる価値はある」


「甘いぜバゼルの旦那。きっと卑怯な手を使ったんだよ」


 強行派が出るのは想定内だ。ここでもバゼルに剣を向けたことに利点が生まれる。

 わずかでも私の話に興味がある魔族と、聞く耳持たずで処刑を主張する魔族。魔王という頭が欠けている以上、これれだけでも仲違いに発展する一要素になる。


 私は火花を散らすバゼルと骸骨の間に入って、両手を上げた。


「私はやっていません――とだけ言っても貴方たちは信じないでしょう? ここは魔族の城、人間の私が足を踏み入れる場所ではない。どちらにせよ、私の命は風前の灯火というやつでしょう。ならば、死を前にした最後の言葉として、耳を傾けてくれてもいいんじゃあ、ありませんか? 思わぬ真実が見つかる可能性もありますよ」


「お主の話を信じる方法はあるぞ。これを見よ」


 さらに割って入ってきた亀爺が取り出したものは、黒一色でなんの装飾も施されていない首輪だった。

 亀爺に促されたバゼルがそれを手に取り、手早く私の首に巻いた。


「それは嘘を否定する首輪じゃ。お主が一つでも嘘をついたとき、この首輪はお主の首を体から切り離す」


「…………」


 え、何そのとんでも道具。

 嘘? 嘘をついたらダメなの? 嘘ってどこまで?


 こういった魔道具は、誓約の判断基準が重要になる。

 勘違いしている事、知らなかった事でも嘘と判断されるほどわからず屋な道具なのか、推測を語るくらいなら許される緩いものなのか。

 どちらにせよ、確かめるなら早いうちにした方がいい。多少の危険はあるが、もはや避ける手段はないのだから。


「なるほど、相当に強力な呪いが込められたアイテムですか。これで死んだら呪いで魂までも地獄をさまよう羽目になりますね」


「お主の魂などに興味はない。お主が死ねば肉体は魔物の餌になるが、魂は天国にでも行くんじゃないかのう、お主が善行を積んでいる人間であったなら、じゃが」


 よかった、緩い、と私は心の中で笑った。

 死後の魂に影響を与える道具なんて存在しない。それを知っているけれど、私はあえてこの道具の特性を想像して言ってみた。結果は無反応。

 道具についての知識が無かったから、首輪は反応しなかったわけだ


 つまり憶測は嘘にはならない。想像上の話は間違ってても構わない。

 ならばこの首輪は私を縛るものではなく、私の発言に説得力を持たせるものだ。


「魔王様を殺した者を見つける。面白い、いくらでも語るがよい。お主がボロを出して、いつ首が飛ぶかが見物じゃわ」


 なるほど。やっぱり亀爺も魔族らしく性悪だ。

 だけどまあ、この程度の道具で私をどうこうできると思ってるなんて、人間を舐めすぎだけどね。

 こういう道具は語らせるのではなく、答えさせないと。


「準備は整った。が、貴様にはまず聞かねばならぬ事がある」


 ここでバゼルが会話を区切り、その黄色い瞳で私を見据えた。


「問おう、貴様は魔王様を殺したのか?」


「いいえ、私は魔王様を殺していません」


「ならば共犯者はどうだ? 貴様は殺していないが、貴様の仲間が魔王様を殺したのではないか?」


「いいえ、私に仲間はいません」


 私は一切たじろがず、バゼルの視線を正面から受け止めて返した。

 当然ながら首輪はなんの効果も示さない。だってあの剣が勝手に魔王を殺したのだもの。私は見てただけ。


「……ということだ。すべての話を聞くまで、この人間に危害は加えるな」


 バゼルが幹部たち全員に視線をやった。骸骨や牛男が不承不承といった感じで押し黙る。


 ラッキー! と私は舞い上がりたい気持ちをどうにか抑えていた。

 まさかこんな簡単に疑いが晴れるなんて。や、まだ疑ってはいるんだろうけど、そう簡単に私を殺せる状況ではなくなったことは確かだ。

 あとは穏当に犯人をでっち上げさえすれば、もうこっちのもの!


「というかぁ、その首輪を一人一人に着けて聞いていけば良いんじゃないんですぅ? お前は魔王様を殺したのか、ってぇ」


 サキュバスが手を上げて言った。

 それは困る。まだ魔族同士でまとまりがあるこの状況で、犯人が誰でもないことがわかってしまうのは非常にまずい。

 そうなれば『誰が殺したのか』ではなく『どうやって殺したのか』に思考が移ってしまう。それも、私が一番に疑われる形で。


 私が急いで対応案に頭を巡らせていると、バゼルが首を横に振った。


「無理だ。この首輪は我ら魔族にとっても特製の魔道具でな。解呪して外すのに一年はかかる」


 何してくれてるんだこのトカゲ野郎と亀野郎。

 私は喉まで出かかったその言葉を必死に呑み込んだ。

 嘘をついたら即死の恐怖が一年も続く? いらないよそんなドキドキ感。


 文句の十や二十は浴びせたかったけれど、立場が悪くなるだけなのでなんとか堪える。

 私は咳払いで心を落ち着け、亀爺に視線を向けた。


「このような首輪まで着けたのです。最後まで私の話を聞いてくれると考えてもよろしいのですか?」


「約束しよう。存分に語るがよい」


「ありがとうございます。それでは始めましょう」


 私は頷いて、幹部全員の顔を見渡した。


「まずは魔王様の死亡時間の絞り込みですね。昨日の夜に魔王様の姿を見た方はいますか?」


 絞り込むも何も、魔王が死んだのはついさっきなんだけどね。

 けれど順序を踏まえるのは大事。私が知っている情報は隠しつつ、私が知らない情報を得て、全員の共通認識を作っていく必要がある。

 私の問いに真っ先に反応したのはバゼルだった。


「魔王様はいつも日が変わる時に就寝なされる。昨日も同じように寝室に入っていくのを俺が見送った」


「それ以降に魔王様を見かけたという方はいますか?」


 返事はない。ここは引っ張るところでもないし、さっさと話を進めてしまおう。


「では魔王様が殺害された時間は、バゼル将軍が見送ってから私が魔王様のご遺体を見つけるまで。おおよそ半日ほどの間ということですね。この間に、就寝している魔王様の胸を誰かが貫いた」


「ああ、そうなるな」


 バゼルが頷く。


「その間、魔王様の寝室に近づける者はどれほどいるんです?」


「何度も城に来ていると言っていたのに、城の構造を知らないのか?」


 狼男が横槍を入れてきた。けれどその程度の追及はどうってことない。

 私はあっさりと首を縦に振った。


「はい。私は魔王様の寝室から出たことはなかったので。内密な相談役なんてそんなものでしょう?」


 城に来たことがないんだから、魔王の寝室から出たことがないのも当然だ。嘘はつかない、ただ言い方を変える。

 そうやって少しずつ認識を誤らせていく。私が魔王の相談役だったと、毒のようにじわじわと思考を塗り潰していく。

 そうすれば、真実なんてどうとでも歪められる。


 それでも突っ込まれ続けるのは面倒なので、私がさっさと話を次に進めようとすると、サキュバスがまた手を上げて甘ったるい声で話しはじめた。


「気になってたんですけどぉ、魔王様が人間に何を相談してたんですぅ?」


「それは……今は言えません」


 だって相談なんてされてないし。首輪が無かったら簡単にでっち上げられるけど、今は納得させられる内容を作れない。


「隠し事はよくないと思いますよぉ」


「物事には順序があります。その事については後で必ずお話しします。どうかそれまでお待ちください」


 嘘ではない。魔王が何に悩んで人間を相談役に設けたか、これはクリアしなければいけない問題だ。それはわかっている。


「ふぅん、まぁそれでいいです」


「…………」


 問い詰めてくるかと思えばそうでもない。サキュバスの興味はそれきり、爪の手入れに移っていった。

 さっきから面倒な発言ばっかりしてくるし、そのままずっと黙っててほしい。

 静かになったサキュバスたちに代わり、バゼルが語り出した。


「魔王様の寝室は幹部塔にあるため、寝室に入れるのはここにいる幹部たちだけだ。逆に、我ら魔族は人間と違って施錠という習慣がないため、幹部は誰でも魔王様の寝室に出入りができる」


「なるほど。つまりここにいる誰もが魔王様を殺せる機会があったというわけですね。半日もあればアリバイもどうとでも出来そうですが、寝室に近付くのは時間的に不可能だったという方はいますか?」


「いない。さっきの犯人がいるという発言は、これらを知っていての事だと思っていたのだが?」


「それは勘違いです。私がああ言ったのは、動機の面の意味合いが強いので」


「動機?」


「はい」


 誰でも魔王を殺せる可能性があった。こう思わせる事は非常に大事。

 だって、やってないという証拠は提示できないんだから。

 無実を証明するものは、培ってきた信頼と、言葉を尽くす以外に方法はない。


 魔族といえど、疑わしきは罰せよとまではならないだろうけど、疑いが芽生えるだけで私には十分だ。


「吸血鬼のあなた」


「ヴァレル、と呼んでくれたら嬉しいな、メリッサ。美しい女性には名前を呼んでもらいたい」


「ではヴァレル」


「なんだいメリッサ」


 気持ちわる、なんだこの男は。

 いやまあいいけど。私の嫌いなタイプだから、安心して好きに言えるし。


「魔王様殺害の動機。つまり、魔王様への殺意は、あなたが群を抜いて高いです」「あなたが魔王様を殺害した犯人です」


「……ほう、そう思う根拠を聞こうか?」


 吸血鬼にほのかな殺気が灯る。

 私はそれを無視して語りはじめた。


「幹部たちの中であなたが一番、魔王様を嫌っています」


「僕が? どうして?」


「あなたはさきほど、魔王様を魔王と呼び捨てにしました」


 呼び方、というものは軽いようで意外に重要だ。

 少なくとも部下という立場でありながら、国のトップを呼び捨てで呼ぶ奴に忠誠心があるわけがない。


 とまあ、一概に言えるものでもないけれど。それでも言葉の選択は日常から注意しておかないと。

 他者からの評価というのは、そんな些細なことから印象づけられていくのだから。


「呼び捨て……まさか、それだけかい?」


「そうですね。魔王様の死にあなたは関心が薄い。おそらく久しぶりであろう、人間の私の血にしか興味がなさそうでしたね、とまで言った方がいいですか?」


「…………」


 日頃の行いとも言う。たとえこの吸血鬼が実は魔王を慕っていたとしても、それを知る者がいなければ関係ない。

 事実、魚人なんかは『こいつならやりかねないな』なんて態度をしてるし、狼男に至ってはあからさまに不審な視線を吸血鬼に送っている。


「魔王様を嫌っている理由は簡単です。そしてそれが魔王様を殺害する動機にもなる」


 私は椅子から立ち上がって言った。もし吸血鬼がキレて襲いかかってきたら全力で逃げよう。

 運が良ければ、バゼルあたりが助けてくれる事もあるかもしれない。


「あなたは一年も休戦している現状が気に入らなかった。なぜなら吸血鬼の好物は人間の血液だから。人間と戦わず、支配しているわけでもなかったら、ずいぶんと人間が不足してるんじゃあないですか?」


「…………」


「だからあなたは魔王様が邪魔だった、憎かった。休戦を決めて人間との戦いを止めた魔王様が」


 何も休戦は魔王の一存で決めたものではないだろうけど、幹部を名乗るこの連中には人間への敵意がある。

 だったら休戦には魔王の力が大きく働いた可能性は高い。


 もちろん、休戦には様々な理由がある。

 魔王が休戦について十分に説明をしていれば、人間への敵意を持ったまま休戦を受け入れているという状況は有り得るだろう。


 けれど、それはないと私は考えた。

 なぜなら私が魔王の相談役という嘘を、怪しみながらも受け入れているから。

 こじつけというか、願望に近いかもしれないけれど、魔王と幹部たちは情報の共有が甘いと踏んだ。


 まあ、休戦に対する推論が間違っていても、しれっと軌道修正してみせる自信もあるし。

 だが魔王が休戦を求めていた、という事実は一番の有効打になる。できればそうであって欲しい。


「ふむ……」


 そんな私の期待はどうにか通じたようだった。

 幹部たちは私の意見に心当たりがあったのか、亀爺なんかまで一考の価値があるとばかりに頷いている。


「そして吸血鬼といえば、コウモリやカラスなど多くの眷属を持ち、煙になってどこにでもいけるという種族と有名です」


「それがどうだって言うんだ?」


 と、狼男が興味ありげに私に問い掛けた。

 狼男と吸血鬼は仲が悪いとは聞いたことあるけれど、本当なんだろうか。だとしたら何とも都合がいい。


「つまりヴァレルは眷属を使ってか、あるいは自分で魔王様の部屋に忍び込むなりして、私が来るのを事前に知っていた。そこを狙って、魔王様を殺害したんじゃあないでしょうか。人間の私に罪を着せるのが目的で。私はそう考えています」


「なるほどな、陰険なコウモリ野郎なら考えそうだ」


「実際、人間との戦争を再開するにはいい手ですからね。人間が魔王を殺した。魔王様がいなくても十分な戦力を持っている魔族なら、報復ですぐさま戦争が再開されるのは容易に想像できます」


 そこまで言って私は首輪を一撫で。

 これは全部でっち上げだけど、あくまでも私の推測という形を取っている。

 嘘を断罪する首輪は反応を示さない。


「以上のことから、私はあなたが魔王様を殺した犯人として有力だと考えます」


 ざわざわと、私が最初の爆弾を投下したとき以上のざわめきが起きる。


 吸血鬼をかばう骸骨と牛男の声、だが有り得る話だと首をひねる魚人の声、唸る亀爺、静まれと叫ぶバゼルの一喝。

 思った以上に効果があった。そう安堵している私に待ったをかけたのは、狼男だった。


「残念だけどな嬢ちゃん。この男に魔王様は殺せねえよ」


「なぜですか?」


「こいつが根性無しだからだよ。いくら人間を喰いたくて魔王様に不満があったからって、魔王様に牙を向けるなんて真似はできやしねえ。ま、そこの骸骨を唆して魔王様を襲わせるなんて事はするかもしれねえけどな!」


 狼男が快活に笑って、怒りが込められた骸骨の視線を軽く受け流す。


「お前も俺に言わせるんじゃねえよ! 魔王様にビビッちまうから無理ですとは、プライドが邪魔して言えねえか!?」


「ふん。君ほど雑な性格じゃないからね。そもそも、魔王様に力で上回れる存在なんてこの世にいないだろう?」


「ハッ、違いねえ!」


 バシバシと背中を叩く狼男に、吸血鬼が無愛想に答える。

 ……なんだ、仲が悪いってほどじゃないのか。残念。

 ともあれ、最初の犯人当ての戦果としては上々だ。むしろこれ以上に深追いをしても害ばかりで益はない。


「わかりました。今の意見は取り下げましょう」


「ずいぶんと簡単に引き下がるんだな。いい加減な発言は信用を失うぞ」


「信用なんて元々ありませんからね。それに私は候補のひとつを語っただけですよ。最後まで話を聞いてくれる約束ですしね。大丈夫です、損な思いはさせませんよ」


 厳しい視線を向けてくるバゼルに、私は平然とした口調で言った。

 バゼルは腕を組んだまま、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「約束がどうあれ、貴様が魔王様殺しの犯人だと俺が確信すればその場で殺す。よく考えて話すことだ」


「もちろんです。冤罪で殺されるのは御免ですからね。さあ、それでは次の意見を披露しましょうか」


 私は言った。静かに、亀爺を見つめて言った。


「お名前をお聞きしても?」


「ログガンじゃ」


「ログガンさん、あなたが魔王様を殺した犯人だと、私は考えました」


「ふむ、ではヴァレルに倣おうかのう、そう考えた根拠はなんじゃ?」


 私が次の言葉を発する前に、激昂したのは骸骨だった。


「人間が、いい加減にしろ! この方はな、誰よりも魔族の事を考えている最古の魔族なんだぞ! この城にも何代も前の魔王様から仕えている偉大な方だ!」


「だからこそです」


「はあ!?」


「今代の魔王様以上に城にいて、魔王様以上に魔族の事を考えている。だからこそ、今の魔王様の政治が気に入らなかったんです」


 重鎮っぽい亀爺を犯人とするのは吸血鬼よりも危険が伴う。けれど、これが通ったときの見返りは大きい。

 私は骸骨に言葉を挟まれる前に、畳み掛けるように続けた。


「ヴァレルと同じです。休戦して一年、魔族が腑抜けていくのはログガンさんのような方には我慢ならないでしょう。魔族と人間は戦争の歴史を積み重ねていますから、昔を知る方ほど休戦は耐えがたいはずです」


 休戦についての推論が正しいのなら、これを使わない手はない。

 魔王は休戦したい、他の魔族は戦争したい。この齟齬は、あらゆる角度から魔王殺しに説得力を持たせる武器となる。


 実は亀爺が休戦賛成派だという可能性は、限りなく低いと見る。

 でなきゃあこんな悪趣味な首輪を着けさせて、楽しもうなんて思わないでしょ。


「だからログガンさんは邪魔な魔王様を殺した。私が訪れるのを察知していたかまでは、現状の材料では何とも言えません。ですが、ログガンさんほどの発言力をお持ちの方なら、人間が魔王様を殺したという事実がなくとも、人間との戦争を再開させることは可能でしょう」


「なるほど、一理あるな」


 この意見に同意を示したのは魚人だ。

 そしてそれを聞いて、骸骨が机を壊すほどの勢いで立ち上がった。


「お前はさっきからなんなんだよ! 人間の味方をするのか!?」


「味方をしているわけではない。可能性としてないわけではないと言っているだけだ」


 魚人の意見は客観的といえばいいのか、なんにせよ私にとって都合のいい意見だ。

 この流れは相当にいい。やはり亀爺を選んだのは間違いじゃなかった。

 ほら、口論に火が付きはじめて、牛男まで立ち上がった。


「そりゃあ味方してんのと一緒だろうが!」


「そんなに怒る必要はないと思うね。彼女の意見は僕の時とさほど変わりない。理屈はあるけど根拠に乏しい。そして証拠はもちろんない。冷静に否定したらいいじゃないか」


「お前は真っ先に疑われといてなんでそんなに冷静なんだよ!」


 吸血鬼に狼男までがこの諍いに参戦する。もっとやれ、とまでは思わない。

 頭に血が上りすぎて、私の話が頭に入らなくなっても困る。

 ある程度のところでやめさせないと。


「話にならねえ」


 骸骨が剣を抜いた。


「やはり人間はロクでもねえ。さっさと休戦なんて破って殺すべきだ! ついでに人間の味方をするその生臭え魚野郎もな!」


「休戦は魔王様がお悩みになって決めたことだ。軽々しく破ることは許されない」


 バゼルも立ち上がる。諭すような事を言っているけれど、剣呑な気配は隠し切れていない。


「でもよお!」


「落ち着いてください」


 ここらが限界と判断。同時に最後の爆弾を放つタイミングもここだと考える。

 私は静かに、強い口調で言った。


「落ち着いて、剣を納めて、座って話してください。なんですか、魔族の幹部ともあろう方々が取り乱して、情けない」


「元はといえばお前が――」


「その点は謝罪します。混乱させて申し訳ございませんでした。ログガンさんとヴァレルにも失礼をしました。ですが、私はまだ全てを語ってはいません。私の話を最後まで聞く、そういう約束でしたよね?」


「…………チッ」


 私の態度の変化を感じ取ってくれたのか、人間なんかに説教されたのが気に食わないのかはわからないけど、骸骨は無言で席につく。

 それを見て、立ち上がっていた他の魔族たちも座り直した。


「それでは話しましょう。私の本当の考えを」


 視線が私に集中する。落ち着きは全員が取り戻せたようだ。

 私は軽く首輪を一撫でして、最後の勝負を開始した。



 ====== ====== ====== ====== ======



 私はずっと考えていた。

 どうやって、この窮地を切り抜けられるのかを。


 私が生き残るための問題はいくつかある。


 剣が魔王を殺したという真実を知られないこと。

 私が魔王の相談役だと信じ込ませること。

 魔王を殺した犯人をでっち上げること。


 そして、魔族である幹部たちに、人間である私へ危害を加えてはいけないと思わせること。これが最大の難関だった。


 だって、魔族にとって人間は敵でしかない。


 私が魔王殺しの犯人に幹部の誰かを提示して、それが受け入れられたとして、それで私はどうなる?

 死んだ魔王の相談役、魔王が死んだ真相を導き出した功労者、そんなものが見逃される理由になるのだろうか?

 私はそうは思わない。犯人が見つかったから用済みだと、殺されるに決まっている。

修正済み

 それが人間と魔族の関係。何もおかしくはない。当たり前の事だ。

 私たちは長い年月を、そうやって過ごしてきたのだから。


 ならば生き残るには、それを覆すものが要求される。

 私が作る魔王落命物語。それは犯人を提示すると同時に、私を無傷で人間の国へ帰そうと、そう思わせるものでなくてはならない。


 真実からはどこまでも遠いその物語を、私はずっと考えていた。



 ====== ====== ====== ====== ======



「今までの話は全て、魔王様の描いたであろう夢を語るための布石。私はみなさんに実感してもらいたかったんです」


「……なんの話だ?」


 狼男が落ち着いた口調で問う。


「いくら指導者が不在。皆が慕っていたであろう魔王様が崩御されて間もないとはいえ、結束力がなさすぎるとは思いませんか? 幹部という、亡くなった魔王様の代わりに魔族をまとめていかないといけない方々が」


 骸骨を筆頭に押し黙る幹部たち。

 本当はそんなこともない。かき乱したのは私だけど、魔王が死んだ動揺はやはり大きいのだろう。想像以上に揺れてくれた。

 けれど、責任ある立場に負い目を被せれば、その事には気付けない。


「この様では何であれ事を成す前に、魔族は同族でいがみあって瓦解してしまうでしょう。それを避けたかったからこそ、私は貴方たち幹部に一石を投じたのです」


 これも私の本心。魔族領土で内乱でも起きてしまえば私も巻き込まれる。それは何としても避けたかった。

 

「さて、それを心に刻んで、今からする私の話に耳を傾けてください。まず偉い人が殺される場合、理由はいくつかの種類に分類できます」


 私は指をひとつ立てた。


「まずは恨みつらみ。私がヴァレルを犯人とした理由に近いものですね。国を動かすという立場にいる以上、喜ばれ敬われる事もあれば、怒りや恨みを買う事もまた必然です」


 もうひとつ指を立てる。


「次に対立した思想を持つ者による暗殺ですね。つまり魔王様の政治が気に食わない、自分の方が上手く国を動かせるはずだ。そう思い込んで、国を動かす立場を取って代わろうと考えるのです。あるいはそれは使命感や正義感によるものかもしれません。私がログガンさんに言ったことも、これに類するものでした」


 そしてさらにひとつ。


「それから痴情のもつれ……はいいでしょう。今は関係のない話です」


 こわっ! あのサキュバス、『もつれ』の『も』くらいでめちゃめちゃ殺気飛ばしてきた!

 やっぱり危ない女だ。もしかしてこれが真実で、実は全部この淫魔の陰謀だったりするんじゃないだろうか? いやまあ、怖いから関わるのはやめておこう。


「ええと、それとですね」


「……まだあるのか?」


 骸骨が険しい顔で言う。骨だから表情はわからないけど。雰囲気でそんな顔をしている気がする。


「これが最後です。それは……単純な権力欲です。国のトップが消えれば、誰かが代わりを務めないといけません。権力を欲するのは、人間も魔族も変わらない。そして、上の椅子がひとつ空けば、誰かがその椅子に着くのも同じ……ですよね? 魔王がいなくなれば、誰かが代わりに魔王をやらなければいけない」


「――――」


「ちなみに、対立した思想なんて必要ありません。先代の思想に反する必要はない。もっと単純に、もっと楽に、治世をそのまま乗っ取る事も可能でしょう」


 にわかにざわつく室内。含みを持たせた私の言い分に気付いたようだ。

 骸骨が感情を噛み殺した声を出した。剣を抜いたのを反省しているのだろうか。


「おい、それってまさか、バゼル将軍がやったって言いたいのか……?」


 次代の魔王は、魔王に次ぐナンバー2の立場がなるのは何とも自然だ。

 死んだ者がいなくなることで、利益が一番出る者が犯人。なんともありがちで罪を被せやすい。

 だけど私はバゼルを犯人に仕立てるつもりはない。これは保険のために恩を売っておきたいだけの行為。


 私は骸骨に視線をやり、ゆっくりと首を横に振り、


「将軍が犯人とは簡単に言えないですよぉ」


 横槍を入れてきたサキュバスへ振り向いた。


「将軍が魔王になったら得する連中もいますし、将軍が魔王になったら幹部の誰かが将軍に、そして新たな幹部も出てきますよねぇ。そういうスライド構造である以上はぁ、将軍以外もその理屈に当てはまるわけなんですよぉ」


 なんなのこいつさっきから? 胸のでかい奴は頭の栄養が足りないという迷信になんで従わないの?

 せっかく疑いを向けさせて私が助けて、味方アピールしておこうと思ったのに。


「そうですね、バゼル将軍が犯人だということはないでしょう」


 こうなったらしょうがない。せめて同意は示しておこう。

 多少なりとも印象はよくしておかないと。私がバゼルを陥れようとしたみたいになってしまう。


「付け加えると、私は魔王様のご遺体を目にした将軍の取り乱しようを見ました。あれは演技ではありません。私はそう断言できます」


「お前の太鼓判なんていらねえよ。なら今のうんちくはなんだったんだよ」


 私だって大したこと言えなくて残念なんだよ。苛立った口調の骸骨にそう言いたかったけど、そこはなんとか我慢する。

 これは言ってみれば前置きみたいなもの。どうせ本番はこの先にある。


「落ち着いてください。今のは単なるおさらいです。物事には例外が付き物です。そして魔王様の死も、私があげた道理には入らない例外なのです」


 私は胸に片手を当てて、深呼吸をひとつした。 


 大丈夫。

 情報は揃った。(人間)の言葉にも影響力が出始めている。土台は筋書き通りに整った。

 後はこの最後の爆弾を放てば、私は勝てるはずだ。


「まず、皆さんが勘違いをしていることを正さねばなりません。今まで大前提としてあったものは、『魔王様は眠っている間に胸を貫かれて殺された』です。そもそもこれがおかしい、破綻しているんです」


「何がおかしいんだ?」


 牛男の問いに私は頷いて、淀みなく言葉を返した。


「はい。魔王様の寝室には争った形跡すらありません。貴方たちの知る魔王様は、寝込みを襲われたくらいで、抵抗もせずに殺されるような、そんな情けないお方だったのですか? そんなわけがないはずです」


「――――」


「これまで私は、魔王様を殺すに足る動機を語りました。けれど、方法は? 私では魔王様に傷すらつけられないと、私はバゼル将軍に証明してみせました。ですが、私だけじゃありません。貴方たちの信じる魔王様は、ここにいる誰もが――いえ、この世界の誰もが、殺す事など不可能な無敵の存在だったのではありませんか?」


 静まりかえる会議室。私は骸骨へと視線をやった。


「さきほど貴方は、卑怯な手を使って私が魔王様を殺害したと言いました。問いましょう、よく考えてください。どのような手段を用いれば、誰が魔王様を殺害する事が可能だというのですか?」


「う、あ……」


「気付きましたか? 他者に魔王様を殺す事は不可能だろうと。魔王様を殺せるとなると……それこそ魔王様くらいの実力者でないといけません」


 もしかしたら魔王に次ぐ実力者のバゼルなら、可能性はあるのかもしれない。

 けれどその目はさっき潰した。


 私の問いに骸骨から返ってくる言葉はない。

 いや、幹部の誰もがこの事実に言葉を失っている。


 誰も殺せないなら、魔王はなぜ死んだのか。誰が魔王を殺したのか。

 きっと今、私が紡ぎ上げたひとつの答えが頭に浮かんでいる。


 実際は魔王を殺したのは謎の剣だ。他にも探せば殺せる手段はありそうだけど、そんなとこには触れない。

 きっとその考えは、人間である私にしか出せないものだから。


 休戦を決行するような人格はともかく、実力については魔族の誰もが魔王に敬意を払っている。

 魔王、不可侵の絶対的王者。魔族の頂点に位置する最強の存在。


 ならばこの解への反論は、魔族の誰にもできやしない。


「…………つまり、貴様はこう言いたいのか」


 沈黙の続く会議室に、次代の魔王であろう竜人の声が響く。


「誰が魔王様を殺したのか? この問いの答えは、魔王様、自身だと……」


 ゆっくりと、私は無言で頷いた。返事をすると嘘認定されそうなので。

 誰もが口を開けない。魔族の頂点が自殺など考えられない、考えたくない。けれど、いかなる状況であれ、魔王を殺せる者などさらに考えられない。


 私が、殺害方法やヴァレルが魔王に怖じ気づいた話題をすぐに流して、動機の追求ばかりしていたのはこのためだ。

 王が自殺したなど誰だって想像したくない。だから他の可能性を提示してあげた。

 (方法はともかく)魔王を殺した者がいる、そう思わせるために。


「それでは理由を語りましょう。前もって言っておきますが、今から私が語ることは、私の想像も含まれています。信じるか信じないかはご自由に。私の望みはただひとつ、最後まで私の話に耳を傾けてください」


「魔王様は貴様に自死を選ぶ意味を問うていたのではないのか?」


 いくらか事態を呑み込めたのだろうか、バゼルの声には少しの落ち着きが戻っていた。

 私は首を横に振って答える。


「いいえ、魔王様は思慮深いお方。いくら相談役を設けたとしても、直接的に悩みを話すものでしょうか? それも人間相手に。巧みに真意を隠し、知りたいことを引き出すものじゃあありませんか?」


「……そう、だな」


「だから私もこれが絶対の真実だとは言いません。魔王の矜恃として、自死の企てを誰かに明かす事など出来なかった、それでも真相を明かしてくれると信じて私が来るタイミングに死を選んだ。そう推測は出来ますが、それが真実だと決めるのは貴方たちです」


「なるほど……な」


 すでに幹部たちはこの物語に打ちのめされている。

 本来なら、魔王に相談されていたと言えば、もっと簡単に言いくるめられたんだけど。この首輪があればそうもいかない。


 魔王が語ったと言えば、私の首は飛ぶだろう。

 今までもこれからも、私がするのは虚言を真実のように語る事。けれど、単純な嘘を言ってはいけない。

 これは私の憶測だ。もっと言うなら創作だ。そう言い聞かせ、言葉を選んで、全てを語らないといけない。


「魔王様は戦争を憂えていたのでしょう」


 魔族が休戦を申し出た。私は国でそれを聞いた時、魔族の戦力低下が原因かなとなんとなく想像した。

 けれど違った。魔族の戦力は未だに充実している。それは幹部たちを見れば明らかだ。その気になれば、人間を一息に滅ぼせるほどに。


 ならば、休戦の申し出には別の理由があるはず。


 たとえば、内乱の問題。地盤を固めないといけなくなった。

 たとえば、強大な別勢力の台頭。人間に構っている場合ではない。

 たとえば、魔王が臆病者で戦いを避けた――


「そう、魔王様は平和を望んでいたはずです」


 臆病者呼ばわりはさすがに反感を買うので、平和主義者として話を進める。

 魔王が穏健派だとういうことは、これまでの流れからして明らかだ。


「戦いの命令は出していても、内面では心を痛めていた。敵が傷つき、仲間が傷つく、その両方を嫌っていた。最終的には、人間との和平を考えていたのだと思います。だけど、戦意に満ちた魔族たちを止める方法はなかった」


 幹部たちはこの意見に返す言葉は持てない。

 魔王の考えはわからなかった、魔族は戦いを望んでいた。全部、自分たちが言っていたことだ。


 私はその意味を繋いだだけ。

 すべてがでっち上げ、ただの作り話だけれど、それを証明できる者はすでにこの世にはいない。

 あるいはこれが真実だとしても、もはやそれすら誰にもわからない。

 残るはもう、それぞれが心に持っている魔王をどう信じるか。ただそれだけだ。


「それが、魔王様に自死を選択させたのではないでしょうか」


「待ってくれ。その話が事実だとして、それが魔王様が自殺する理由とどう繋がるんだ」


 骸骨が震える声で言った。一番単純に魔王を慕っていた男だ。この話にはよほどの衝撃を受けたのだろう。


「簡単です。魔王様の力は強大すぎたんです」


「どういう意味だ?」


「魔王様の力は強すぎた。魔族にとっては絶対的な英雄になり、人間にとっては恐怖の象徴になるでしょう。ならば魔族は勝てる勝負を捨てられず、人間は恐ろしくて矛を下げることはできない。つまり、和平を願う魔王様こそが、和平を妨げる一番の障害になるのです」

 

 魔王を立てつつ、魔王の願いを死へと向かわせる。

 幹部たちが集まる間の数時間、私は必死に考えた。根拠は出せない。真実はひとつも見えていない。

 だけど、これを覆せる意見が出るはずもない。


「……その話を、信じろというのか?」


「最初に言ったとおりです。この話を信じるか信じないか、それは貴方たちが決めること。私は私の考えを語るだけです」


「俺は納得できねえ!」


 憤怒の顔をもって立ち上がったのは牛男だった。

 怒りのまま机に拳を叩き付ける。硬い石で出来ているはずのそれが、繊細な装飾品のように軽く砕けた。


「魔王様が誰かに殺されるわけはねえ! だが自分で死ぬなんて事もあるわけがねえ! お前はでたらめな事を言っているだけだ!」


 私に掴みかかろうとする牛男。その腕は私の体を容易にぐちゃぐちゃにできるのだろう。さながら挽肉をこねるように。

 私は動かない。というより動けない。殺気にあてられて、体がすくんでしまった。

 誰かがキレるのは予想していたけど、まさかここまで圧力が強いなんて。 


 しかし私だってここまで準備をしてきた。

 恐怖はあるが勝算だってある。

 いよいよ私に触れる寸前まで迫った牛男の両腕を、止めたのはバゼルと狼男だった。


「やめろ」


「なぜ止める!?」


 静かに言うバゼルに、牛男が叫ぶ。


「俺はこの娘の言葉を信じる事にした」


「ああ、俺もだ」


 バゼルの言葉に狼男も続いた。

 牛男は腕こそ下げたものの、まだ引く気配はない。

 睨み合う三者。私の思惑通りに、魔族たちは揺れている。


 私の意見を信じない者が出るのはいい。元よりこれは魔族にとっては悲劇。信じたくないと目を背けてしまう物語だ。

 肝要なのは、否定される要素をできる限り排除すること。

 そして最も大切なことは、現状で一番の権力者であるバゼルの信を勝ち取ることだ。


 だからこの物語は、魔王の意思を尊重できるように組み上げている。

 魔王を敬愛していたバゼルの行動できる選択を狭めるために。


 私は立ち上がり、いまだ剣呑な気配を見せる牛男に視線を向けた。


「信じないというのは構いません。反論も受け入れましょう。けれど、具体的な論拠は示してほしい」


 誰がどのようにして魔王を殺せるのか。明確な解が出ない以上は、私の物語を否定しきる事はできない。

 牛男も私を正面から見据える。その瞳に迷いの色が浮かんでいるのが見えた。


「…………」


 やがて、牛男は無言で席に戻った。それを見てバゼルと狼男も着席する。

 ふう……と息を漏らし、私も固い椅子に座り直した。


「繰り返しになりますが、この結論を信じるか信じないかは、貴方たち次第です。そして、魔王様の考えを知って魔族がこれからどう動くのかも、貴方たち次第です。なぜなら魔王様はすでに死者となった身。これからの世を作っていくのは、生者である貴方たちなのですから」


 首輪を撫でる。幹部たちは黙って私の言葉に耳を傾けている。大丈夫、後は押し切るだけだ。


「生きていれば人間の支配という魔族たちの野望を増長させ、人間には魔族への恐怖を何倍にも膨れ上がらせる。魔王様が死を選択しようとする理由は理解できます。けれど、本当に改革を願っていたのなら、魔王様は死ぬべきではなかった。それがどんなに困難な道であろうと、生きて足掻き、それこそ死ぬ覚悟で民を導くべきだった。私はそう思います」


 口撃は止めない。思考に染み込むようにゆっくりと、けれど口を挟めない程度の速さで言葉を継いでいく。


「しかし、私の考えが正しければ、これは魔王様が命を懸けた最後の一撃でもあります。魔族に統制が足りていないのは先刻承知のとおり。魔王様はきっと、こう言いたかったのです。魔族よ一つになれ、と。その命を懸けて、魔族たちの進む道を平和な世にまとめ上げたかったのです」


「…………」


「前代魔王様の考えを尊重して平和の道に歩みを進めるか、しょせん死人に口なしと争いの道を行くか。決めるのは次代の国の担い手である貴方たちです」


 魔王を殺した犯人は魔王だった。

 私が積み上げてきた欺瞞ぎまんはこれで幕を閉じる。


 幹部たちの顔を見れば、結果を問う必要もない。

 一欠片の真実すら含まないこの物語は、真実へと成り代わった。


 残る問題は魔族たちがどう出るか。つまりは私の処遇である。

 人間を傷つける事を魔王は望んでいなかった、このでっち上げの真実にどういう判断が下されるのか。

 さて、どうなる――


「はいはぁい。あたし一個思っちゃいましたぁ」


 甘ったるい声を上げて、サキュバスが手を伸ばした。


「魔王様がそんな行動を取ったのはぁ、メリッサちゃんに原因があるんじゃないですかぁ?」


「どういうことですか?」


「つまりですねぇ、魔王様がメリッサちゃんにお願いしていた相談。それが魔王様に自死を選ばせたんじゃないですぅ? これってメリッサちゃんが魔王様を殺したようなものですよねぇ?」


 サキュバスが嫌らしく笑う。獲物を見つけた蛇のような目つきで薄く笑う。

 ……この淫魔は最後まで面倒な、と私は苛立った。


「メイプ、いい加減にしろ。貴様は」

「いいです将軍」


 サキュバスへの語気が強くなるバゼルを、私は手で制した。

 苛立ってはいるけど、表には出さない。ここまできて台無しにはさせない。

 私はサキュバスを正視して、落ち着いた口調を保って言った。


「否定はしません。私が魔王様を唆した、先程の話からそう解釈する事も可能でしょう」


「だったらぁ」


「ならばどうしますか? 私を殺しますか? 構いません。すでに言葉は尽くしました。魔王様の決意を語りました。私の語った魔王様の心意がわからないというのなら、殺せばいい。貴方たちの愚かさを読み切れなかった私の負けでしょう」


 首輪を撫でる。本音だった。私はできるだけのことをした。

 これで死んでも悔いはない。私は力の限り死に抗ったのだから。


「むぅ、開き直ったって事ですかぁ? それなら」

「もうよい」


 何か言おうとしていたサキュバスを亀爺が遮る。


「魔王様は優秀な男じゃった。この娘とどんな会話をしたのかは知らぬが、人間に唆されて自ら死を選ぶような愚か者ではない。お主もそのくらいはわかっておろう」


「…………むぅ」


 さすがに古参で権力の高い亀爺には反論しづらいのか、サキュバスは少し口ごもってからそっぽを向いた。


「それでは――」


「……うむ」


 ゆっくりと椅子を引いて立ち上がる私に、バゼルが深いため息を吐いて頷いた。


「我々は貴様の言い分を全面的に受け入れるものとする。また、崩御された魔王様の遺志を継ぎ、人間との休戦は継続しよう。ゆくゆくは和平を目指していくだろう」


 私にはそれが、身の安全への証明のように聞こえた。

 幹部たちからバゼルの言葉に対する反論は上がらない。


 終わった、という実感が体の芯からやってきて、私は天井を仰いだ。

 生き残ってやった。

 慣れていない戦闘、でっち上げを語り続けるひたすらに長い頭脳労働。限りなく死が近かった窮地を乗り越えて、とうとう私は生き残ってやった。



 ****** ****** ****** ****** ******



 応接室にて、私はバゼルと机を挟んで向かい合っていた。

 さっきの部屋と違って椅子がふかふかで心地よく、ようやく客の立場に出世したなと安心する。


 すでに幹部たちの招集は解除されており、部屋にいるのは私たち二人だけ。

 あの魔族たちの姿を見ることはもうないだろう。もう二度と会いたくない。


 我ながら上手く立ち回ったものだとは思うけど、やはりあんな高レベル魔族の集団と同じ部屋にいるのは精神的にきつかった。


「無関係とまでは言えないとはいえ、我ら魔族の問題でずいぶんと迷惑をかけてしまったな」


 バゼルが深々と頭を下げる。人間への和平を進めていくと公言した竜人の私への待遇は、思いのほか丁寧なものだった。出されたぶどう酒がとんでもなく美味しい。


「いえ。あの状況では無理のないことです。こうして命が残っているだけ幸いでした」


「貴様が魔王様を殺していなくて、あの場で全ての解決を示してくれて本当に助かった。もし貴様が魔王様の真意を語っていなければ、我々は人間を根絶やしにするために全力を尽くし、魔王様の願いを裏切るところだっただろう」


「……まあ。それなら私は魔王様の相談役という肩書きがあるのに、人間たちにとっては勇者のような英雄的存在になってしまいますね」


 私の返答に、バゼルは快活に笑う。

 いや、全然笑えないから。誰だよあの変な剣を作ったの。危うく人類絶滅だよ。

 と、思いながらも私は微笑みを顔に張り付けて、演技力抜群の愛想笑いを返した。


「それで、私の帰国の件ですが……」


 この喋りづらい丁寧言葉を使うのもそろそろ終わる。もてなしてくれるのは悪くはないけど、早いとこ帰りたいのが本音だった。


「ああ……その事なんだが、メリッサ。貴様を魔王様の相談役だった人間と見込んで、頼みがある」


「……なんでしょうか?」


 正直やめてほしい。けれど魔王の理解者として振る舞った立場としては、そういう言い方をされて無下に断るわけにもいかない。

 よほど言いづらい事なのか、バゼルは一度ぶどう酒で喉を潤してから、私をじっと見つめた。


「三日後に執り行う魔王様の国葬に参列してほしい」


「――――」


 ああ、そうきたか! と私は内心で頭を抱えた。


「魔族はこれから和平を目指して行動していく。それにはまず地盤を固めなければならん。俺はその第一歩として魔王様と人間の貴様の関係を、国葬中に公表するつもりだ」


 それはずいぶんと性急じゃないかと思うけど、まあこの竜人は次期魔王となる男だし、上手くやる自信があるのだろう。

 しかし……これは困った。そんなものに出たいとは当然思わない。というか早く帰りたい。

 なにか、上手い断り文句はあるだろうか……


「そして貴様には、そのまま相談役として魔王城に滞在し続けて欲しい」


「――へ!?」


 さすがに予想外な言葉が飛び出て、私の声が思わず上擦った。

 焦る私に構わず、バゼルの声に熱がこもっていく。


「我ら魔族は戦う事ばかりが優秀だ。和平の実現は困難な道になるだろう。人間の意見は是非とも欲しい。その点で魔王様の相談役をこなしていた貴様はうってつけだ。それに、幹部ども相手にあれだけの立ち回りを見せたのだ。胆力も申し分ない」


「ちょ、ちょっと待って。――じゃなくて待ってください」


「貴様の身の安全は保証する。危害を加えないよう通達を出すのはもちろんだが、俺が常に目を光らせておいて貴様を守ろう」


「そういう問題じゃあなくてですね」


「もちろん、それなりの地位も与える。城暮らしになるから相当に贅沢な生活を送れる事も約束しよう。何も人間との交渉の矢面に立ってくれと言っているわけじゃない。いつでも戻れるよう、人間には貴様がここにいる事を秘匿する」


「…………少し待ってください」


 まずい、と私は首輪を撫でながら思った。思ってしまった――それは美味しい話なんじゃあないかと。

 当然ながら私に着けられた首輪の力は、まだ働いている。嘘をつくと首を刎ねる呪いの力が。


 断る事は、私にとっての嘘になるのかもしれない。が、実は本心では帰りたいと思っているのかもしれない。


 身寄りなんてないけれど、住み慣れた土地にはそれなりに思い入れもある、盗賊稼業も悪くない。

 けれど、ここの暮らしだって悪くはないはずだ。

 幹部たちの底はもうおおよそ把握している。私一人でも言葉で手玉に取ることは可能だし、バゼルの後ろ盾があれば危険はほとんどないだろう。


 地位。贅沢な暮らし。加えて、まだ見ぬ魔族の財宝―― 

 私は目を閉じ、自分の心とよくよく話し合った末、


「一つだけ条件があります」


「なんだ?」


 条件、という言葉にバゼルがわずかな警戒の色を見せた。

 私はその警戒を気にせず気軽に立ち上がる。つられてバゼルも腰を浮かせた。

 そして私は、ゆっくりと右手を差し出して、バゼルの黄色い瞳を見つめて微笑んだ。


「普通に喋ってもいいかしら? いい加減、面倒なのよね」


「――ああ、歓迎しよう。ようこそ魔王城へ」


 それにしても疲れた。本当に疲れた、とにかく疲れた。城に住むのなら、ふかふかのベッドはあるだろうか。

 今はとにかく寝たい。何もかも忘れてしまうくらいに、どろどろに溶けて眠りたい。


 次の魔王となる竜人の力強い握手を受けながら、私はそんな風に思った。



お読みいただき、ありがとうございました。


短編のわりに文字数が多くてすみません。最後まで読んでいただけた事をうれしく思います。

ブックマークと評価ポイントまで予想以上にいただけて、ただただありがたいです。


少し気がかりなのは推理ジャンルなのに推理していないことでしょうか。ミステリーものは未経験だったので、至らない点が多かったかなと、やや不安が残ります(ジャンル詐欺はしていないつもりですが)。


何はともあれ、全体として楽しめる読み物に仕上がっていれば幸いです。

一言感想でもいただけたらとても喜びますので、もし気が向いたらお願いします!

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― 新着の感想 ―
[良い点] おもしろ! 死と隣り合わせの状況を 嘘と屁理屈でなんとか切り抜けるのワクワクするよね
[良い点] 話としては非常に面白いものでした。 [気になる点] 嘘発見機がショボすぎて、主人公の葛藤を描くための道具と成り果てている。 嘘の範囲が広すぎるのです。 それならば首輪の効果は主人公の行動や…
[一言] 面白かったです。 嘘つきが嘘つかずに物語を決着させる上手さが良かったです。
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