最終話
「オーランド、ここに居たのか」
ウォルターが広場南、守備隊の休憩所に入ると、入ってすぐのところでオーランドが横になり、コルとバリーが仮眠をとっていた。看病からそのまま寝てしまっていたらしい。声に反応して起き上がるオーランドは、コルとバリーに手刀を食らわせながら、ウォルターへと真剣な眼差しを向けた。
「ウォル坊かい。戻ったってことは、終わったんだね?」
「何とかな」
「そうかい。なら一安心だね」
「一応は。コル、バリー、お前らも御苦労さん」
報告に安堵した表情のオーランド。寝ぼけていたバリーとコルも、その報告に反応していた。
「隊長ー、俺らかなり活躍したっすよー。俺らが居なかったらオーランドさん殺されてましたもん。なぁコルー?」
「それは、そうかもしれないけど。僕らだって、隊長や皆が居なかったら、とっくにゴブリンに殺されて……」
「ったくもー。真面目だなぁ。いいんすよー、俺ら下っ端は自分の手柄を誇ってりゃー」
「ラウロとジロは?」
「今仮眠中っす。ともかく、一段落しましたからねー」
「叩き起こせ」
「え?」
「叩き起こせ。昼には援軍が来て砦へ引っ込む。移動の準備だ」
「援軍は来ないんじゃなかったんすか」
「敵将を倒したことによる褒美みたいなもんだ」
「なんすかそれー。やばい大将がいなくなって安全になったから来るってことっすかー?」
「否定はできんが、まぁこれで住民たちは救われる」
腕を組み、ウォルターは隊員たちを見回していた。何はともあれ、この人数でよくゴブリンたちの襲撃を凌いだものだ、と感慨深く思う。そして結局、目の前の彼らや住民たちを助けるためには、どうしたって帝国の力が必要なのだと改めて思い、迷いや反発は首を振って振り払った。結局西の戦争と一緒。やらなければならないことがあるだけだ、と。そんなウォルターの様子を横から見て、オーランドは表情を和らげていた。
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「お母さん!」
「ああ、レティ! それにヘンリーも!」
一通りに治療を終え、横になっていたリーネは、駆け寄ってくる娘を見て起き上がっていた。あちこち包帯の巻かれた姿となっていたが、足首の腱は無事で、手足の欠損もなく、抱き着いて来た娘をしっかりと抱きしめ返せている。
「良かった。本当に、良かった。無事で何よりだわ。どこも、怪我してない? 大丈夫?」
一度娘を離し、忙しそうにレティアの身体を眺めるリーネ。
「レティは大丈夫なのよ? でも、お兄ぃは」
「ヘンリーが?」
レティアの隣まで来ていたヘンリーへ、リーネは目を向けた。その姿はお世辞にも無事とは言えなかったが、左腕を吊り、首元まで包帯で覆ったヘンリーの姿から、穢れの黒染みは見ることができない。
「ああ、ヘンリー。その腕はどうしたの? あなた、あの恐ろしいゴブリンと戦っていたでしょう?」
両手を広げるリーネに、ヘンリーは少しだけ包帯や腕の具合を確認してから、その胸へ飛び込んでいた。万が一にも、こんなことでせっかく助けた母親を死なせるわけにはいかない。
「うん。俺は大丈夫。死ぬところだったんだけど、レティアとオルフと、マイさんのおかげで助かったんだ」
多くは語らず、ヘンリーはそう言った。自分の母親に呪いのことについて言うかどうかは、まだ迷っていた。それよりも伝えねばならないことがある。
「マイさん?」
「いや、そのことは良いんだ。もう終わったことだし。それよりも、二人に伝えなきゃいけないことがあるんだ。親父の、父さんのこと」
「お兄ぃ……?」
「あの人は、無事なのヘンリー?」
二人の問いかけに、ヘンリーはすぐに答えることができなかった。脳裏をよぎるのは、最期の父の姿。自分がもう少し早ければ。いや、頭ではそれだけでどうこうなる問題じゃないとはわかっていた。わかっていたのだが、理屈じゃなく、ハウエンの死はヘンリーの心にのしかかっていた。
「父さんは、俺らと母さんを。助けるために、囮になってくれてたんだ。労働区で。他の捕虜たちと一緒に。足首も切られて、眼も潰されてたのに。戦ってくれてたんだ。俺は、間に合わなかった。あと一歩、早ければ……」
ヘンリーは、最初こそ気張っていたが、段々と震える声となっていた。リーネはそれを聞き、衝撃がなかったと言えば嘘になる。が、あんな状況で生き残れる方が奇跡だと、身を持って知っていたのと、目の前の息子があまりにもそれを気負い過ぎ、今にも潰れてしまいそうだったのを見て、すぐに母としての心へ切り替わっていた。
「そう。ハウエンが。いいのよヘンリー。お前たちが無事で、きっとあの人も喜んでいるわ。そうでしょう? あの人、口はぶっきらぼうだけど、いつもそうだもの。あなたたちや私を守るために、囮になるだなんて、あの人らしいわ」
リーネは優しくそう言い、震える息子を、娘と一緒に抱きしめていた。レティアも、自分の父が助からなかったことが衝撃ではあったが、それよりも、目の前で震える兄が気がかりで、悲しかったが、自分だけ泣くことはできなかった。今泣きたいのは、きっとお兄ぃだと、そう思って、レティアも兄を抱きしめる。
ヘンリーは暖かい抱擁に、嗚咽を漏らし、ひっそりと、静かに泣いていた。大きくなる嗚咽に、レティアも我慢が出来ず泣き出し、リーネも静かに涙を流す。二人の大きな泣き声は、治療を受けていた人々や、朝まだ起きていない負傷者にも響いたが、誰も文句を言うことはなかった。誰しもが、似たような痛みを抱えていたからだ。
それを遠巻きに見つめる者が一人。スージーは医療品の整理をしながら、視界に入ってしまったそれを眺めていた。オーランドが倒れ、今治癒術を使えるのは自分しかいない。朝から祭りの準備と、昼は慣れない指揮を執り、揚句夜は徹夜で敵陣を突破して、眠くないわけがなかったが、無理矢理術で活性化した身体を動かしていた。
このままいけば昼に到着した部隊と連れ立って砦まで移動。つまり今夜も下手すれば徹夜だなぁ、とぼんやりと考えていたスージーは、隣にいつの間にか立っていた人物に気づかなかった。思慮外から急に手を掴まれ、スージーは慌てて変な声を上げる。
「ひゃい!?」
「おい、おいスージー」
「あれ、マーティさん起きたんですか? もう、驚かさないでくださいよ」
驚いたスージーは、自分の手を掴む、起き抜けで包帯まみれの男を見てため息をついた。またゴブリンでも現れたのかと一瞬肝を冷やしたが、何の事はない。自分が傷を治療し、包帯だらけにしたマーティだった。
「ああ、ここは?」
「広場ですよ。街の。無事で何よりです」
「そう、か。息子たちは?」
「お子さんたちは怪我もなかったので、診療所の仮眠所で眠ってもらってますよ。安心してください。北の砦から救助が来て、全員砦に避難することになりましたので、ゆっくりもしてられませんが。めいびー」
「良かった。それなら安心だ、ぜ」
「あ、ちょっと。マーティさん? 熱が出てるんだから安静にしといてくださいよもうもう」
言うなり力なく倒れてきたマーティをスージーは必死に支え、彼が寝ていたベッドへと引き摺って行った。誰もかれも限界まで働きづめである。自分を棚にあげ、彼らの休息のためにも、早々に援軍が必要なのは確かだ。そのために、まさか自分が英雄なんてものにならなければならないとは、考えたくはなかったが。見殺しにして逃げることもスージーにはできなかった。ならば、今はとりあえず医療品の整理と運ぶ準備を終わらせておこう、とおよそ英雄に似つかわしくない仕事を続けるのだった。
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「オルフ。司令を殴るとは本気?」
「うん。なんだそのことか。急だから何の話かと思った」
広場北端の舞台前には、オルフとマイの姿があった。ヘンリーからあまり離れるわけにはいかなかったが、レティアが寝ていた診療所と、リーネの居る治療所との中間で、それでいて人気がないというのはここしかなかった。
催しもののうち、劇や見世物があるときに使われる石畳で出来た大きな舞台と、そこを囲むように、半月に配置されたいくつもの椅子。そのうちの真ん中あたり、そこに並んで座って、オルフたちは話していた。白みがかった空。未だ観客席は影となっていたが、それでも、お互いの顔はよく見えている。
「そりゃまぁ、本気だけど。マイだって、リットン司令が言ったことが本当なら、本当は殺すのを誇りに思うようなこと、したくはないんでしょう?」
「それは、まぁ」
「はっきり言って」
「したくは、ない」
「なら、する必要ないよ」
「でも、アヌラグロワールは多くの犠牲の上に成り立っている」
「そんなの関係ない。というか、そんな勝手な押し付けに付き合う必要なんてないよ。そもそも、マイだってもともとは東の国の人だったんでしょ?」
「そう聞いている」
「なら、それこそ。盗人猛々しいじゃないけど。むしろ復讐しても良いくらいじゃないか」
「何も、知らないくせに」
「そりゃ知らないよ。マイ話してくれないし。話してくれたら聞くよ?」
「む。それは誘導。鹿波舞はそんな誘導には」
「はいお仕置き二個ね」
「そ、それは何?」
「カウントしとくから」
「……変態オルフ。その、お仕置きの内容は?」
「内緒。ともかく。もう、滅ぼし殺すことが誉れ、なんて言わないように。これからは、僕らは英雄になるんだから。なら、殺した数じゃなく、救った数を数えよう。そっちの方が、いいよ。同じことをするのだとしても、暗いより明るく、ね。マイのグロワールは、救うこと、そういうことにしようよ」
「明るく殺す英雄とは一体」
「いいんだよ。大事なのは自分がどう思うか、だし。それで、マイはどう思うの? 僕らはそうしようって決めたけど、マイはどうなの?」
「かなみ……こほん」
言いかけたところで、オルフの目が露骨に半眼となったため、マイは咳払いを一つ挟んだ。
「私は、オルフが何とかしてくれると言うのなら、付いていってもいい。ヘンリーのこともあるし、司令からも許可が出た」
「僕の親友であるヘンリーを言い訳に使わないで欲しい。きちんと、自分の意志でそう決めたと、そう言って。これからの自分の道なんだから」
オルフはわざとらしくむすっとした顔で、半分冗談として言う。
「鬼畜オルフ。……こほん。私は、オルフが何とかしてくれるなら、付いていく。何とか、してくれる?」
言いながら、マイは口元をほころばせ、知らず微笑んでしまっていた。兵器としての扱いをされること。そうであるように育ってきた自分が、今ここで、はじめて自分の意志で決めることを求められている。それがとても心地よく、前からオルフに感じていた奇妙な感覚は、自分を人として扱おうとするオルフの姿勢によるものだったのだと理解した。
「うん。そうするつもり。これからも宜しくね、マイ」
「よろしく、オルフ」
二人は笑い合い、しっかりとした握手を交わしていた。言いくるめられたような、そんな気がマイはしないでもなかったが、不思議と悪い気はしなかった。
華奢で小さく、握ったら壊れてしまいそうな、そんなマイの手を握りながら、その手にいくつもの痛みと殺しをやらせてきたあの司令も、この力も、何とかしようと。オルフは再び決意し、これからの道行きは楽しいものにしようと、そう考えていた。
マイもヘンリーも、辛いことばかりじゃないのだと、呪いの主にだって、そう思わせられるように。そう心から願っていた――。