42話
ウォルターは走りながら、右の剣をグランへと投げつけた。一直線に飛んでくる剣を、グランは鈍器で防ぐ。その間も向かってくるウォルターから眼は離さない。ウォルターは右、グランの左側へと回り込むように近寄りつつ、新たな剣を拾い、一気に間合いに踏み込んで右の剣で斬りつけた。鈍器を傾けるだけで剣を受けるグラン。ウォルターはその動きに対し、その腕と鈍器の死角となるだろう、下から潜り込ませるように、左の剣をねじ込んだ。狙いは鈍器を持つ手首である。
グランにその動きは見えてはいなかったが、当然左の剣が動かないとは思っていない。見えなくとも、操っている本人をどうにかしてしまえばそれでいい、と右脚による下段回し蹴りを繰り出していた。
繰り出されていた左の剣は、脚に巻き込まれ軌道が逸れる。その蹴りは自身の脚が切り裂かれるのを無視して、ウォルターへと迫った。ヒトの大人ほどの体躯にしてもその脚は、ゴブリンの筋力が膂力だけでないと感じさせる重量感があり、剣や鈍器ほどのプレッシャーをウォルターに与えている。ウォルターはその脚を半身になって避けつつ、身を低くして地を這うような後ろ回し蹴りを放った。
グランは鈍器と右脚の姿勢から捌くのは無理と判断し、後ろにわざと転がってこれを避けた。一撃くらいなら蹴りをもらっても耐えられるとは思うものの、相手が未知の吸血鬼となると、自分の知らない術が込められていてもおかしくはない。なるべくなら接触はしたくなかった。
転がり、体勢が崩れたところへウォルターが剣を投げつける。後転から前を向いていたグランは飛んでくる剣に、咄嗟に鈍器を大きく振ってしまっていた。軽い金属音で弾かれ、上へと飛ぶ剣。しかし、振り上げてしまった鈍器に、グランは焦りを持った。重い鈍器は引き戻しが遅い。
ウォルターは逃すまい、と走り寄っての突きを繰り出した。低い姿勢から大きな機動は難しい。グランは横へ転がってこれを避けた。鈍器を抱えるようにしながら転がるグランに、ウォルターは剣を横へ切り返して斬撃を放つ。グランは牽制代わりに、転がりながら鈍器を振っていた。それはあまり有効打となりそうにない一撃だったが、ウォルターは先程の飛ぶ斬撃を警戒し、咄嗟に追撃を諦めて大きくこれを避け、一旦距離を取った。
体勢を立て直すグランと、離れてから別の武器を拾うウォルター。グランは脚の傷をちらりと見るが、粗悪な部下どもの剣ではたいした傷になっていない。心配したような血の操作と言った類の術も見られず、相手の剣への警戒度を少し下げた。ウォルターは左腕の痺れが取れたのを、軽く肩をまわして確認。
それぞれが確認を終わらせると、示し合わせたかのように、ゆっくりと間合いを詰めはじめた。もたもたしていれば後方の二部隊だけでなく、ゴブリンたちが集まって来てしまう。そう考えはするが、焦って倒せる相手でもない。次はどう繰り出せば効果的となるのか、とウォルターが考えていると、後方から大きな声が上がった。
「ゴブリンの大将! 今すぐ戦闘をやめなければ、このゴブリンを殺すぞ!」
ちらりと見れば、オルフが鎖に巻かれたゴブリン、イワンを手に仁王立ちとなっている。ついでにウォルターは男たちが隊列を組んで、ゴブリンたちとぶつかりあっているのを確認した。足首をやられていないとは言え、武器と数が違う。やはりあまり猶予はないか。
「んだぁ? ああ、イワンの奴ぁまだ居たのか」
「オルフ?」
「ふん。今更だ。そんなことより水さしやがって。良い勝負だったろうが」
「マイ、今」
オルフの狙いは人質で注意を引いて、足を止めさせることだった。目論見通り、激しく動き回っていたさっきと違って、グランの足は止まっている。オルフの指示によって後ろでしゃがみ込んでいたマイは、指で二回地面を叩いた。それにより術が発動。グランはそれが何かわかっていなかったが、ウォルターにはそれが何かよくわかった。簡略版の魔導砲。しかし、この鈍器使いも布かぶりも飛び道具が通用しないという結論にオルフも納得したのではなかったか。ウォルターの疑問の前で、蒼い眼が確かに飛んでくるマナの塊を捉えていた。
高速で飛んでくるマナは、グランにも見えていた。前へ突き出していた鈍器でそれを下から弾くようにするグラン。しかし、マイの魔導砲の術式は、転移術を飛ばしているに過ぎない。鈍器の先が急に重くなったような、そんな衝撃がグランの腕に伝わった。それと同時に現れた、金の眼をした少女。
マイは着弾点である鈍器の上にしゃがみ込んでいた。全身が軋み、相変わらず脚に負担がかかったが、眼を発動しているマイはさっきほどのダメージを受けてはいない。そのまま間近となったグランへ、黒く染まった手を伸ばそうとするマイ。しかし、その金の虹彩と、黒いもの、その恐怖に覚えがあったグランは、手遅れになる前に鈍器を上へと振り上げた。乗っていたマイは、上がる鈍器に付き合わず、後ろへ宙返りしてその場へ着地。間髪入れずにグランへと突き進む。そして、グランの注意が前方の脅威に向いたそのタイミングで、オルフのそばでは別の声が上がった。
「行きます!」
スージーが言いながら地面を二回叩いていた。そして再び高速で飛ぶマナがひとつ。着弾点はグランの後方。自分に当たるわけでもないそれに、グランは注意を向けていなかったが、自身のの真後ろから感じる新たな気配を、強化された感覚は捉えていた。
そこには自らの左腕を手にしたヘンリーの姿があった。前方の危険な少女は黒い血を滴らせており、目を離すことができない。しかし、後ろから感じるプレッシャーも、確かに黒いものと同じもの。グランはどう対処するか少し迷ったものの、迫ってくる前方の脅威に、鈍器を振るっていた。
対面しての戦闘能力がそれほどないマイは、横から迫る鈍器を避けられないと見て、左腕を閉じて防御の姿勢をとった。横からまともに鈍器を受けるマイ。覚悟していた衝撃よりもそれは強く、受けた左腕と、カバーしていたはずの肋骨がいくつも砕け、自身の肺と臓器の一部が破裂するのを、マイは冷静に分析していた。食いしばっていた歯の隙間から黒い血が吹き出し、マイは焦点がぶれる目で、空を飛んでいることを認識する。弾き飛ばされた。
もともと小柄な少女というのもあり、鈍器の衝撃をまともに受けたマイは踏ん張ることもできず、回転しながら宙を舞っていた。衝撃で全身の血管も破裂したのか、ところどころ黒ずみ、黒い血をまき散らす。無茶な作戦、ひどい作戦をやらされたものだ。しかし、その捨て身が生んだ時間で動く二人があった。
「また会ったな不細工野郎!」
「てめぇなんで生きてやがる」
グランは後方の脅威を見て驚いた。昼間に殺したはずの相手が、そこには立っている。しかも、感じる脅威はあの黒いものだ。後ろから突きだされてくる左腕と、前方から剣を手に駆け寄るウォルターの気配を感じる。
「ボス、危ない!」
後方、鈍器を運んできたうちの一匹が、何かの丸い玉を、投げていた。放物線を描くように、どこか間延びして飛んでくる光玉。広場でそれを目にしていたウォルターと、存在を知っているグランが同時に悟る。突き出される左腕を、辛くも避けながら、グランは飛んでくる光玉を見ていた。脇の下を通すようなすれすれの回避だったが、された方のヘンリーは悔しげに顔をゆがめる。ここまでさせておいて、また外すのか。これだけでは終われない。
どちらかと言えば、身体能力を強化している方向のグランの感知術は、強烈な光で視界が封じられるわけにはいかなかった。ウォルターは完全に別種の視界として蒼い眼を使っているが、グランのものは眼の延長、追加で少しだけマナを視覚化しているだけである。そのためタイミングを計り、破裂する寸前に、グランは眼を閉じるしかなかった。
ウォルターは、グランの眼だけを見ていた。光玉がどの程度で炸裂するのか、それを知っているのはこの場でグランだけのはずだ。それを逃すわけにはいかない。自分はともかく。
グランの眼が閉じ、光玉が破裂する瞬間に、ウォルターは闇を一瞬だけ展開していた。明暗するかのように、その場で光と闇が躍った。その光景に、後方でぶつかりあっていた男たちとゴブリンの動きが止まる。
闇により視界を封じられ、光から眼が守られたヘンリーは、その意味を、光玉を知らないがために理解はしなかったが、眼を閉じているグランの隙を、しっかりと見ていた。後ろから、体当たりするかのように動く。苦し紛れではあったが、組みつければ肩にも穢れがあるヘンリーにはチャンスがあるはずだ。
眼は閉じていたものの、感覚強化でその気配を察知したグランは、黒い穢れが何処に触れれば広がるのか判断がつかなかった。大袈裟にヘンリーを避けようと身を捩る。
「終わりだ」
そこへ、ウォルターは剣を見事に当てていた。グランにではない。ヘンリーが持った、ヘンリーの左腕にである。手甲がひしゃげ、肘を押さえていた棒が折れて散る。それにより黒き腕は、剣の衝撃で内側へと曲がっていた。
「て、てめぇ」
グランは眼を開き、肘が曲がったことで、ヘンリーの黒い指先が己の腹に触れているのを、こみあげてくる怒りに震えながら見ていた。広がっていく黒きもの。バカな部下が投げた光玉は、完全に悪手となっていた。
「くっそ、こんなぁ」
言いながら崩れ落ち、黒く染まっていくグラン。ヘンリーはその様子を間近に見て座り込み、ウォルターは巻き添えにならないよう、少し離れて見ていた。静まり返る場。最初にざわついたのは、その様子を見ていたゴブリンたちだった。
「ボスがやられた。まずい。逃げる」
「どうする。どうする」
迷っていたゴブリンたちも、自分たちのボスが真っ黒に染まりきり動かなくなるのを見て、逃げ腰となっていく。
「逃げる。逃げよう」
「やばいやばい」
鈍器を運んできた三匹が叫びながら逃げ出した。その様子に、男たちとぶつかりあっていたゴブリンたちも慌てたように逃げる。
「しんど、あの術に、こんな衝撃があったとは。マイさん平気な顔して飛んでたけど、これいつも我慢してたのかよ」
ヘンリーは仰向けに倒れ込み、全身を襲う痛みに身を抱いた。特に脚への衝撃が強く、骨がいかれているのかもしれない。言われた当の本人は赤くなった血を流し、全身が修復されたのか、左腕をさすりながら戻ってきていた。いくらリセットできるとは言っても、痛いものは痛い。術を使った呪いや反動ならともかく、今回は自分から囮になりに出て、半ば攻撃を食らうつもりで出ねばならなかった。自分で決めたならともかく。
「……オルフは人使いが荒い」
「使ってくれって言ったじゃないか」
イワンを引きずりながら、オルフはウォルターたち三人の元へ来ていた。悪気もないという風なその態度と台詞に、まともに鈍器を受けたマイが思わず食いつく。
「だから、鹿波舞は言っていない」
「マイ。それ使ったらお仕置きって言ったよね」
「うっ」
地雷を踏んだ、とでも言いたげにマイは一歩下がった。オルフは屈託ない笑顔でその様子を見ていたが、逆にそれが怖かった。
「……変態オルフ」
「何の話だ? ともかく、なんとかなったな。そのゴブリンは?」
「マーティさんが人質に使っていたみたいですよ。本人曰く副将だとか。めいびー。あ、ヘンリーこっちへ。ちょっと修復しましょう。って穢れが見えない怖い。誰かかがり火を持ってきてください」
ウォルターの問いに、駆け寄ってきたスージーが答える。
「ふむ。とりあえず小休止後全員移動。夜が明ける前に敵陣を脱出だ。俺の闇を使うが、ゴブリンには十分気を付けるように。捕虜たちをまとめるぞ」
何匹ものゴブリンが倒れ伏した場で、一同はようやく息をついていた。これからまだ敵陣を見つからないように移動していかねばならなかったが、ともかく一仕事終えたのだ、と。




