40話
「スージーさん状況は!?」
重要箇所の治療を終え、額の汗を拭っていたスージーは後ろからかけられた声に振り返る。暗いことと眼鏡がないことでよくはわからなかったが、声から察するに、月明かりで辛うじて見えるシルエットはオルフたちのようだった。
「よくここが。というか、私よく見えてないんですけども、見えてます? 隊長が敵将と決戦中で、今さっき闇を解いたみたいですです」
「どうにか。先生、弓を相手に向けてるみたい。相手は、動いてない?」
「あれはマナを溜めている。何かする気」
マイに言われて、スージーは再びマナを練って耳に集中させた。術感知、とは要するにマナの動きを見る技である。乱れや大きな術によって作用するマナというのは、生命の胎動として、肌に耳を当てれば筋肉の動きがわかるように、聴き取ることができた。ウォルターの闇がないため、他の音が混ざってわかりにくかったが、確かに敵将からは大量のマナが動く、水流のようなわかりやすい音がしている。
「隊長、マナ溜めてます。何かしますよめいびー!」
「全員伏せろ!」
スージーの警告を皮切りにグランは動いた。脚を少し開き、右肩に乗せられていた鈍器を持ち上げる。グランの肩に乗せられた鈍器が、少し持ち上がるのを察知したウォルターは、叫びながら二本の矢を放っていた。
矢は真っ直ぐに飛び、動き出したグランの肩と腕へ突き立つ。しかしグランの動きは止まらなかった。矢などまるでなかったかのように、グランは頭上を通し、左から右へ、円運動をのせた横薙ぎに、その鈍器を振るう。ウォルターはグランの動きから蒼い目を離さず、弓を捨てて地面に身を投げ出していた。
頭すれすれを何かが通る。ウォルターの目の前で、放り出していた弓が空中で真っ二つになっていた。鈍器から遠距離の斬撃。何かが来るとは思っていたが、まさかそんなものが出てくるとは。不意打ちでこれを使われていれば、二つに分かれていたのは自分だっただろう。地面に身を打ち付けながらそう思っていたウォルターの耳に、捕虜たちの方向であがった悲鳴が届いた。
「無事か!」
「捕虜負傷。右にゴブリン」
暗い中、金の虹彩で視線を通したマイが言う。スージーやオルフたちはウォルターの声に反応して身を伏せていて無事だった。壁際で震えていた女子供も同じく無事だったが、どうにか助けになろうと前へ出ていた男たち数名が巻き込まれ、血を撒きながら倒れ伏していた。呻きや水音はするが、倒れている人物の詳細までは見えない。
「マイさん教えてください。治療が必要そうな人はいますか!?」
衛生兵であるスージーが真っ先に声を上げた。
「二名即死。四名負傷。おそらく呪詛の印がのった斬撃」
「スージーさん、男たちを揃えて戦う準備をしないと。治癒術が効かないなら治療は女性に任せよう。右のゴブリンってどのくらいなのマイ」
オルフが対応策を考えながら話す。呪詛の印がのっているなら、治癒術で対処ができない。そうなれば普通の応急手当しかできないのだから、貴重な士官であるスージーは回せない。
「15ほど。布被りなし。多分伏兵として側面を押さえていた。現在こちらへ前進中」
「ヘンリー、胸の傷は?」
「問題ない」
「乱戦じゃないなら、穢せるね?」
「! ああ、いけると思うぜ」
「なら頼んだ。もう少し引きつけてから突撃で」
「任せろ」
「スージーさん、ヘンリーが時間を稼いでる間に戦える者を集めて乱戦に備えよう」
「あはは、オルフ君指揮官やってくれません?」
ウォルターは立ち上がりながらそのやり取りを耳にし、後ろは任せて大丈夫そうだと判断した。その眼は常にグランから離さず挙動を見ている。グランは振り抜いた姿勢から、ゆっくりと構えを解いていた。連発しないところを見ると、消耗が激しい技なのか。開幕用の一発芸か。どちらにしても、とウォルターは地面に突き立てていた自分の愛剣を見て考える。
その剣は先程の飛んできた斬撃をまともに受けており、両断とまでは行かなかったが、鍔と握りが欠けおち、刀身が大きく曲がってしまっていた。
「終わったなぁ戦士よ。武器なしでどうするつもりだ。大人しくするなら、足首を斬り落とすだけで勘弁してやる。本当言やぁ殺してやりてぇが、それだけてめぇが優秀な種馬ってことだからなぁ」
「先生、大丈夫なの!?」
武器がダメになっている。会話からそれを知ったオルフは思わず声をあげていた。これには捕虜たちの元へ這っていき、戦える男たちをまとめていたスージーも。左腕の手袋を外し、曲がらないよう仕込まれた柄を引きだしていたヘンリーも、動きを止めてそちらを窺ってしまっていた。
「先生だぁ? こりゃいい。是非、うちのバカなゴブリンどもを教育してやってくれねぇかな先生さんよぉ。本当に、こいつらはバカで使えねぇ脳足りんばかりで、軍として運用するのも一苦労だ」
「生徒は間に合ってるよ。オルフ、お前は自分の仕事をしろ。こっちは俺の仕事だ」
言うなり、ウォルターはグランから距離を取る。走る先は先程ゴブリン部隊を壊滅させた地点。そこになら、まだまだ使える武器がいくつも転がっていたはずだ。その狙いを悟ってか、グランもウォルターを追って走り出す。
「マイ、雷撃いける?」
「危険な賭け。狙いがこちらになったら、防ぎ切れない。ウォルターに武器がない以上、下手に刺激して、あの時みたいに捕虜への攻撃や脅しが始まったらまずい。誤射も不安」
「なら先生が危険になったら対応できるように。いつでも撃てるようにしておいて」
「待ってオルフ、更にゴブリン20追加。あそこ」
マイの報告にオルフが見れば、集落そば、かがり火に照らされて何匹ものゴブリンが、路地から出てくるのが確認できた。ちらりと後ろを見るが、まだ男たちの準備は出来ていない。
「ヘンリー」
「おうよ」
ヘンリーは、自らの左腕を括った棒を手に、ゴブリンたちへと走り出した。かがり火に照らされたゴブリンたちはこの接近に気づき、走ってくるヘンリーに武器を向ける。たった一人で走り込んでくる、武器には見えないものを持っているヘンリーに、ゴブリンたちは笑い声をあげならが、その手の剣を振っていた。
ぶつかりあう段階で、その剣を横から払いのけるヘンリー。硬い金属音がして、手甲に弾かれた剣が横へと逸れた。横に振った武器もどきで突きの構えを取り、黒く染まっている手の平を、ぺちりとゴブリンに突き入れる。
「なにそれ。あれ?」
ゴブリンは攻撃と思っていたものがたいした衝撃も痛みもなかったことに笑い、そして次に黒く染まっていく自分の腹部を見て、そのまま倒れ込んでいた。周囲のゴブリンは何が起きたのかわからず止まる。ヘンリーは反応を無視して、更に並んでいたゴブリン数匹へと黒い手を振って、撫でているかのような接触を繰り返した。触れられた部分から広まっていく黒いもの。それをお互い見て確認したゴブリンは、ようやくその意味を悟ったのか、慌てたようにヘンリーから距離を取る。しかし、一度触れた穢れは消えなかった。同じように黒くなり、倒れていくゴブリンと、広がっていく黒に動揺して仲間へとしがみつくゴブリン。接触点から穢れは次々と広まっていく。
「やばい。これあれだ」
「触るな逃げろ」
昼の攻防を知っていたゴブリンがいたのか、その様子に慌て、隊列を崩して逃げ始めた。絶好の追撃機会だったが、ヘンリーの役目は時間稼ぎだ。目の前の部隊を追い散らしても、その間にもう片方の部隊が自分を無視して走り出しては困る。思いのほか冷静に穢れを扱っている自分に驚きながら、ヘンリーはゴブリンたちを油断なく見ていた。
仲間同士の距離が離れ、一時的に黒いものが伝わらなくなると、ようやくゴブリンたちは冷静になっていた。引けた腰ながらも集まり、作戦会議のようなものを行っている。
「あの腕だ。武器もどき。気を付ける」
「武器と同じ。当たらなければいい」
「囲んで叩く。みんなで一緒」
ゴブリンたちは、ヘンリーを囲んで同時にかかろうと決めた。片方が死んでも片方が殺せればいいという、ゴブリンの思考はここでも発揮されている。左右に広がり距離を取りながらヘンリーを包囲しようとするゴブリンたち。ヘンリーはじりじりと下がりつつ、どうするか考えていた。