32話
「はい。全員並んでくださいお願いします。これから術で心肺機能を一時的に強化します。下水管に入る前にしっかり息を吸って、止めておいてください。苦しいと感じても肺から空気を吐きださないこと。いつもの感覚で苦しいと感じているだけで、肺に空気さえあれば持ちます。めいびー」
「多分じゃ困る」
下水管の前に並べられた面子と、それを前に説明を始めるスージーとウォルター。オーランドは下水管の前で準備を終えて、術の開始を待っていた。バリーとコルも、見届けてから動くつもりなのか、民家の土壁へ寄りかかって待っている。レティアとオーフェンは先に戻っているようだった。
「途中で水飲んじゃっても私が居ますから、安心してください」
「安心できないんだが。まぁというわけで。オーランドの術起動から三秒で幕を流し、不純物の排除と受け皿を作る。そこからはぶつからないよう五秒置きに一人ずつ。即時戦闘も視野に入れて、俺からスタートし、黒沼、ヘンリー、オルフ、スージーと続け。現地からは俺とスージーは敵将を狙いに動く。オルフ、ヘンリー、黒沼、お前らは捕虜を探して確保。闇に紛れろ」
「先生、いいんですか?」
オルフが思わず聞いていた。流石に自分たちが敵将との戦いで役に立てるとも思っていなかったが、捕虜確保に回してもらえるとも思っていなかった。それも二手に別れるなんて。
「今回はどちらかといえば暗殺だ。ただでさえ集団戦闘に不慣れなお前らは邪魔だからな。集団戦を訓練した隊員は広場を守るのに必要だし、個人戦をそこそこ俺とやっていて、それでいて員数外なうえにオルフの判断力と、ヘンリーの力に黒沼の術。悪くない采配だろう?」
「甘ちゃんだねウォル坊」
下水管に手を置いたまま様子を見ていたオーランドがにやつきながら茶々を入れた。ウォルターは咳払いをひとつ、説明なのか言い訳なのか、話しを続けた。
「どうせ見つかって戦い始めたら数で勝てないんだ。ここはオルフの判断力と、黒沼とヘンリーの力に頼ったほうが、そういう突発な訓練をしていないうえに、強い意志で労働区に向かうわけでもない隊員より良いだろう」
「わかったわかった。そういうことにしといてやるさね。ほら、スージー動きな」
スージーは頷くと、まずはウォルターに近づき、喉と胸へ手を当てて術を使い始める。マナは生命力となり、細胞の働きを活性化させる。治癒術はそれらを肉の再構成に用いて傷を塞ぎ、衰弱を防ぐが、損傷のない箇所を正しく活性化させることが出来れば、身体能力強化にも役立てることが出来た。
この術をかけるだけなら、スージーはここに残っても良かったのだが、この身体強化や何かあった時のための衛生兵として、ウォルターは労働区へ連れて行こうとしていた。皮肉なことに、昼にスージーが求めていた、衛生兵としての本懐にようやく戻れたという、本人にとっては喜んで良いのか悪いのか微妙な話となっている。
不慣れなうえに自分の判断で大勢の命がかかっている指揮官よりはマシ、とも思うが、なんだかんだ。目の前で死地へ行く子供たちを見て動かされたというのも大きかった。下に守るべき者が出来て初めて、人は大人になるのかもしれない。そんな事を感慨深く考えながら、一人一人に術を施し終えたスージーは、最後に自分へと術をかけた。
「準備はいいかい?」
オーランドの問いに、術を掛けられた全員が頷いた。ウォルターは革鎧に剣を装備し、投げ込むための幕を手にしている。マイはバリーから受け取った革鎧をそのままつけており、ヘンリーは左腕を首から吊り下げ、一応隊員用のサーベルも装備していた。オルフとスージーも同じくサーベルを装備し、水中で外れたりしないよう最後の確認をしている。
「んじゃ行くよ」
オーランドが言いながら下水管に指を二回叩くと、外した蓋から見えていた水流が一気に激流へと変わった。三秒カウントでウォルターは幕を流し、自身も五秒のカウント後、息を吸い止めて飛び込んだ。続いてマイが似合わない大口を開けて息を吸い込み続く。ヘンリーは一回だけレティアの方を見て親指を立て、飛び込んだ。
そこから五秒のカウントを持って入ろうとしたオルフは、急に後ろから突き飛ばされた。前につんのめりながら転がるオルフ。背中の痛みと、受け身を取ろうと擦りむいた右腕が痛む。
何事かと後ろを見たオルフは、さきほどまで自分が立っていた位置に突き立った、歪な剣に気が付いた。いくつも枝分かれした鋭利な刃物。それは柄の部分から紐が上へとのびており、その先を視線で追えば、赤い顔にピアスを付けたゴブリンが、丁度屋根から飛び降りるところだった。
「オルフ、オーランドさんを守ってください!」
オルフを蹴りだした姿勢のまま、スージーはサーベルへと手をかける。衛生兵とは言え、一般的に戦えるよう訓練を受けてはいた。この場でまともに戦えるのは自分しかいない、とスージーはサーベルの柄をしっかりと握る。
オーランドはその様子を見てはいたが、術へのマナ供給を断つわけにはいかず、動けずにいた。オルフが立ち上がり、オーランドへと向かうのと、着地したゴブリンがオルフたちの方へと地面を蹴ったのはほぼ同時だった。
ゴブリンは着地と同時に剣を引き抜いていた。その手には二本、同じ歪な剣が握られており、行動に迷いがない。脅威度的にこちらにくると身構えていたスージーは走る。
「無視ですかっと!」
走りながらサーベルを引き抜いたスージーは、ゴブリンの背中へと斬り付けた。完全に背中を向けているゴブリンへ、不意打ちが決まる。そう思ったところで、まるで見えていたかのように、目の前のゴブリンは身を翻した。
左向きに振り返りつつ、右の剣を突き出してくる動き。歪な枝のような刃を、スージーが繰り出したサーベルへと絡め、身体を一回転させて刀身を引き込む。そのまま巻き込む動作で歪な刃がサーベルの刀身へと食い込んだ。軽く耳障りな金属音。
「嘘でしょう!?」
振り返りからの回転によって、スージーのサーベルは折られ、剣先が空へと舞った。ゴブリンは何事もなかったかのように、その一回転だけで、スージーを無視してオルフを追っていく。
背中に目があるかのような反応速度と、無駄のない武器破壊の動きに、スージーは驚きを隠せなかった。歪な双剣使い。ぼろ布は被っていないが、おそらくはこいつが隊長と渡り合ったというゴブリンだろうと当たりを付ける。心肺強化で少なからず動きがよくなっているはずの自分がこれでは、とてもじゃないが太刀打ちできる気がしない。
弾かれた剣先が回りながら、スージーの隣へと突き立った。驚きと恐れで一瞬固まっていたスージー。その間にも、ゴブリンはオルフへと迫っていた。
「っしゃぁ!」
タイミングを計っていたバリーのナイフが飛ぶ。が、こちらも当たる直前、振られたゴブリンの剣により払い落とされていた。甲高い音をたて、ナイフがあらぬ方向へと飛んでいく。その音に、軽い放心から戻ってきたスージーともう一人は走り出した。
「バリー、もっともっと投げて!」
「うっす」
バリーは持っていたナイフ、残り五本全てを立て続けに投げつけた。ゴブリンが狙うのはおそらくオーランドだったが、投げ続けている限り、効かないにしても足止めはできる。三発、四発、五発。いずれも、ゴブリンは手首を返す程度の動きでナイフを弾き飛ばす。
「今!」
言いながら折られた剣を投げつけたスージー。その声に応え、一緒に走っていた一人、コルは、ウォルターの盾を持ってゴブリンへと、叫びながらの体当たりを行った。
投擲物への対応で足が鈍っていたゴブリンは、突撃してくる盾への対処が遅れる。剣を振るうだけでは、体当たりの盾は逸らせない。避けそこなったゴブリンは、抱え込むように盾へと組みつき、押し出されながら剣を掲げ、盾を持つコルへと狙いを付けた。
「あああああ」
コルの叫びに重なるように、新たな叫びが上がる。オルフは叫びながら、剣を振り上げているゴブリンへとサーベルを突き出していた。迫ってくる剣先を前に、ゴブリンはこれを優先。付きだされたオルフの剣を簡単に絡めて破壊にかかったが、これによりコルへの攻撃や、周囲への警戒がほんの少し緩んでいた。
「オルフ、息吸って!」
そこへ突進してきたスージーは、組みつきよろめいていたゴブリンと、そこへぶつかっていたオルフを掴み、倒れ込むように下水管、その開かれた点検口へと飛び込んだ。倒れ込んだ先の激流に、二人と一匹の身体は一気に奥へと押し流されていく。その場には、オルフが捨てた剣と、それに絡んだ片方の剣が落ちたが、ゴブリンの腰布に引かれたのか、歪な片手剣だけが引っ張られ、下水管の入り口へと引き込まれていった。
金属がぶつかり合う音を響かせながら、流されていく二人と一匹。見送りながら、地面に座り込んだコルは、バリーと視線を合わせていた。
「大丈夫、でしょうか」
「大丈夫だろー。いくらあのゴブリンが強いっても、肺はどう考えたって子供以下だぜー? 強化してる臨時隊長たちと違って、息がもたねぇってー。それよりコルどうしたん? 急に飛び出すなんて」
「今更、なんかほっとして腰が抜けちゃいましたけど。同じ、だと思ったんです。ううん同じじゃないですね。オルフ君もヘンリー君も、僕より年下なのに、あんな凄いこと考えているなんて」
「年下に感化されてやんの」
「わ、悪いでしょうか」
「悪かねーよー? ただまぁ、あのゴブリンはやばかったなー。強すぎだろ。あんなの相手に、感化されただけでよく飛び出せたよお前。酒場でさえあんなだったのになー」
「自分でも、びっくりしました。でもあれが、東門を突破して、南門の人たちを殺した奴なんです。そう思ったら、動かなきゃって。仇、討てたでしょうか」
「そうなん? よくやったじゃんコル。とりあえずその盾はコルのだなー」
言いながらナイフを拾いに向かうバリーだったが、思い出したかのように汗だくのオーランドを見て駆け寄った。
「オーランドさーん。おーい。コル、気絶してるぞーオーランドさん」
「ええ。さっきのゴブリン!?」
「いや、これはー。傷もないし、息もしてっからー。多分気絶」
「すごい汗じゃないか。そんなに術の行使ってきついのかな」
「わっかんねーけど、俺らで運ばないとまずいぜー」
「う、うん。担架みたいなの作らないと」
下水管の脇、民家の壁へともたれかかりながら気絶していたオーランドは脂汗を浮かべていた。水流はオーランドが離れたことで元の流れに戻っている。それを見て少し不安になったものの、コルは担架を作るため材料を探しに走り出した。バリーはコルを見送り、ナイフを拾ってからのんびりとオーランドの看病を始めることにした。




