29話
「オーフェンさん、すぐ移動してください。すぐそこが戦場となっています」
広場西の作業場では、慌ただしく人が行きかっていた。多くの志願者が手伝いから離れ、西へと避難していたが、責任者のオーフェンだけは、最後のひとつを仕上げようと、かがり火のそばから離れようとしなかった。
「待ってくれ。これが終わればすぐに行く。だが、こんな時にこそ、僕の仕上げた革鎧が役立つはずだろう? 僕にはこれしかできないんだ。させてくれ」
「しかし、もうほとんど組みあがってるじゃないですか。渡してください!」
「ダメだ。まだ縫いが甘い。この鎧は、皆の命を預かる鎧なんだぞ。せめて装備くらい、出来るだけ良くしなきゃ、ただでさえ不利な状況だって聞いているんだ」
「あーもう、わかりましたよ。伝令は伝えましたからね! 俺は他の伝令もあるんです。もう行きます。終わったら置いておいてくれればあとで回収しますので。それでは!」
伝令は諦め、走っていった。オーフェンは片眼鏡のずれを直し、ひたすらできつつある革鎧へと向き合っている。
「あとで、じゃ困るじゃないか。あとで、じゃ。今、鎧をつけずに戦っている人だっているんだろうに」
呟くオーフェンは血がにじむ指で、針を進めていた。強く握って引っ張らなければ。繰り返し何時間もやってきた作業により、革紐で手が擦り切れ、余計に滑り、酷使された筋肉はいう事をきかない。最後の一つ。最後の一つなのに、ここにきて震える手がその完成を遮っていた。
「オーフェンさん、まだここにいたのか! 敵がくるぞ!」
「弓隊下がれ! 槍前! 隊長、術を」
ウォルターがオーフェンの脇へ立つ。その目は淡い蒼に光っていた。ジロの指示で、弓部隊が攻撃をやめ、交代するかのように槍が前へ出る。その先、敵は黒い霧の中にいた。ウォルターの術のひとつ、暗闇によって、視界も五感も奪われたゴブリン達は、思うように動けずにいた。いくら飛んでくる矢を払い落す実力があろうと、目も耳も肌の感覚も封じられては対処ができない。闇で包み、困惑させているうちに弓部隊が絶え間なく矢を放つ。
不意打ちでまたも多くの死傷者を出していた守備隊だったが、今はこの作戦で敵の動きを封じ込めていた。ウォルターだけは、夜目を通すほうの術で、暗闇のゴブリンたちを観察できている。弓の初撃で二匹ほどは倒せたものの、落ちていた盾や死体を使い、無作為の弓は対処されてしまっていた。次いで、この暗闇が術だと察したゴブリンたちは、死体を盾にとにかく前進してきたのだ。一体どういう神経をしていれば、封じられた五感で盾を用意できるのか。
暗闇はウォルターの意志で動かすことができたが、全力で走るゴブリンに合わせていてはいずれ壁か味方にぶつかってしまう。そのため、弓で脚を緩めながら、槍部隊の隊列を急がせたのだった。
「暗闇晴れるぞー! 槍構え!」
ジロの掛け声に、何十人も並んだ槍部隊に緊張が走る。直後、ゴブリン達を包んでいた闇がかき消えた。正確には、闇がその場に留まったことで、ゴブリン達だけが抜き出てきたのだが、槍を構えていた部隊にはそう見える。唐突に入ってきた光と戻ってきた感覚に、ゴブリンたちは四方へ散ろうとするが、前方は槍。後方、左右は先程の闇が留まり、不気味な見通しの悪さを保っていた。
生き残っていた五匹のゴブリンのうち、三匹は前へ、二匹は左右の闇へと突っ込んだ。右に入ったゴブリンへと、ウォルターが駆ける。暗闇の中で感覚が通るのはウォルターのみ。いくら手練れのゴブリンとはいえ、この混乱した状況で不意打ちの刃は防げない。特に、さきほどまででこの暗闇は中の者の五感を奪うとわかっているからこそ、そこに突入してきて斬りつけてくるものなど、想定できなかった。
右に入ったゴブリンは、その手に鈍器を持っていたが、それを構えることもなく、ウォルターの剣一閃に打ち倒された。感覚が麻痺しているため、斬られた痛みという、内部の事しかわからない。流れ落ちる自分の血も、倒れ伏した地面の冷たさも、感じることなくゴブリンは果てていく。
前方に飛び込んだ三匹のうち、先陣を切った双剣のゴブリンは、巻き込むように二本を用い、突き出されてきた槍衾をこじ開けた。そこへ追加で突き出される槍を、二匹目の剣使いが防ぎ、三匹目の長剣もちが、隊員へと斬りつける。隊列に穴が開いた。懐に入られると、槍では対処が難しい。二列目で待機していた剣装備の隊員が前へ出る。
左右に分かれたうちの一匹、左のゴブリンは小振りの薙刀を持っていた。小振り、というのは人間から見てであり、ゴブリンにとっては適正サイズではあったが、それを振り回し、側面へと回り込もうと進む。
「はいはいストップ! 起動印シフト!」
広場をぐるりと囲む街道、そこへの境で、スージーは地面へ手を付けて待ち構えていた。薙刀を持ったゴブリンがそこへ近づいたまま、何かに弾かれたかのように後方へと飛ばされた。術特性としては、マイが行ったもののもっと軽いものではあったが、それが広間と道の間に仕掛けてあった。闇が晴れた場合のゴブリンの行動から、後ろなら闇でまたイタチごっこを。槍部隊から見て左、街道に抜けようとしたらスージーが。右ならウォルターが対処する手筈となっていた。
「ギギ、お前も呪い師? 殺す」
「ったく、たった七匹でここまで暴れるとは、舐められたもんだな」
ゴブリンが転がった先、背後にはウォルターの姿があった。振り返りながら薙刀を振るうゴブリン。ウォルターは下から切り上げるような薙刀を、剣を置いておくだけで軌道を逸らした。そのまま、空振りになったゴブリンへ、すべるように剣先を突き入れる。剣が右腹から胸部へと差し込まれたゴブリンは、血を吹きながら、相手であるウォルターの、蒼く光る目を見て絶命していく。
「お前もマジナイシって、術士と43号の力の区別がついてないんでしょうか。めいびー」
「囲まれてお終いだと思わなかったのかね。いや陽動か。とりあえず向こうの手当てだ」
ウォルターは剣を振り、ゴブリンの身体と血を地面へと飛ばした。向かう先は崩されかかっている槍と剣の部隊だ。
そのウォルターの動きを視界の隅に入れていた双剣使いのゴブリンは、仲間二匹に声をかけ、食い破りかけていた剣部隊を突き放し、三匹揃って横へと走り出した。
「まずい!」
ウォルターもその動きを見て走る。槍と剣の隊列の隙間を抜けられたら、その先は誰も守っていない。槍は槍で向きを変えるのも一苦労だし、志願者や戦い慣れていない者では咄嗟に道を塞ぐ動きなんてできない。あのまま抜けられそうで抜けられない剣部隊に食いついていればいいものを。
「隊長、闇は使えないんです!?」
「この距離じゃ無理だ。それに捉えたとしても、走り抜けられたら意味がない」
槍部隊の前を、ゴブリン達と並走するように走るウォルターたち。横から見て、先頭の双剣使いが、懐から何かを取り出すのが見えた。それは丸薬のようで、紐が巻き付けられているようだった。ウォルターがそれが何なのかを思い出す前に、ゴブリンはそれを投げていた。
目を焼く閃光。そちらを見ていたウォルターたちは、破裂音と共に、視界が白く焼き付けられた。咄嗟に止まり、自分の位置へ闇を展開するウォルターと、真っ白になった挙句五感を封じられて転び、ウォルターへと突っ込んだスージー。外ならば光の過剰さで目が戻らないが、五感を絶つ闇の中、術で視界を得るのなら、肉体の目に頼らない分ウォルターには見える。ゴブリンたちはこちらへ攻撃の意図があったようだが、広がった闇を見て諦めたのか、武器を仕舞って走っていった。
その間も、慌てて恐怖したスージーがこちらを容赦なく掴んだり触ったりしてきている。もみくちゃにされるウォルターだったが、スージーには触っている感覚すら絶たれているため、止まらない。挙句言葉で言っても通らない。ゴブリンを追うのを諦め、ウォルターは闇を解いた。
「ひぃ! あれ?」
「良いから離せ」
半泣きでしがみ付いてくるスージーを引っぺがすと、ウォルターはジロを呼び、部隊を再編制させる。先程の三匹で、こちらは七名ほどが負傷していた。
「厄介だな。ともかく捜索隊を組もう。それと、他からの伝令がないか一度戻って確認だ。あいつらがどこから来たのかも特定しなきゃならん」




