24話
「イワンはどこに行きやがった。あいつが種馬とガキの管理をしてるはずだろう」
グランは泥に浸かりながら、報告に来たボロ布をかぶったゴブリンにそう言った。労働区東、オルフの作戦で水没した地域は、あたり一面が水浸しとなっている。もともと水はけが悪く、ぬかるんでいたところに大量の水が溜まった結果だったのだが、泥浴をするゴブリンには絶好の場所となっていた。そこかしこに休憩中のゴブリンたちが泥を塗ってはそれを乾かしているのが見える。
グランは全身に泥を塗り終え、立ち上がる。本来なら昼前に塗り、日光で暖まりながら乾いていく泥が好きだったのだが、一仕事終えたあとに泥を浴びたくなるのはゴブリンの性か。日が落ちて来ているにも関わらず、多くのゴブリンたちがその身に泥を浴びていた。
「泥は良い。怒りを鎮めてくれる。あの忌々しい呪い師はどうだ?」
「見つからない」
「あれ一匹で計算が狂う。なんとしても殺さねぇとダメだ。それで、飯とガキ、戦士の数はどうなってるんだ」
「イワンいない。わからない」
「おめぇも数は数えられただろう」
「イワンほど違う」
グランは顔についた泥を弄りながら、思案する。戦闘の素質がある戦士を特別鍛えた布かぶりではあったが、数や目の前以外の事を想定して考えられるコマではなかった。その点イワンは申し分なく、グランは副将として取り立て重宝している。しかし、なんだかんだと武力のないイワンは部下に舐められているところがあった。結局言う事を聞かせられないのでは意味がないし、かと言って布かぶりは強くした反動で自尊心が高く、イワンの護衛など務まらない。
「まったくもって、使えねぇ奴らばかりだ」
改善しなければいけないことが多すぎる。部下も族長も、どうにかしないと苛々が止まらない。そのためには戦果をあげねばならず、その足を引っ張るバカどもも、敵の人間どもも憎らしくて仕方がなかった。グランは内に燃える怒りに拳を震わせながら、自ら動くことにする。
「戦士どもとガキはどのあたりだ。案内しろ」
「ボス。武器を」
「いらねぇ。今武器持ったら、また部下を殺しちまいそうだ」
乾くのに任せるのが好きだったが、グランは指で余計な表面の泥を弾きながら、怒りに任せて歩を進めた。うしろに従う布かぶりは、泥をかぶらないよう、少し距離をとって後ろに続く。
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「鹿波舞さん、でしたっけ」
「マイで良い。鹿波舞は、あなたより年下」
「あ、そうなんだ」
ヘンリーが診療所だった建物、今では仮眠所として使われているそこへ入ってから、オルフとマイは外で待っていた。中は狭く、可能な限りベッドや毛布を運び込んでいるためか、通路と呼べるスペースがほとんどない。流石に付き添いだけで、そのスペースを使ってしまうのは通行の邪魔だろうと、ついていかなかったのだ。
「何か用?」
「あ、ううん。いや、用かも。マイって、力を使う時、すごいその」
「怖い?」
「いやいやいや、全然。むしろすごい綺麗だなぁって」
「綺麗?」
「え、あ。う、うん。その、目がさ。黄金色っていうのかな。すごい輝いてて、きらめいてて、思わず」
見惚れてしまった、とは気恥ずかしくてオルフは言えず。言葉が尻切れトンボのように途切れてしまった。マイは小首を傾げ、不思議そうにそんなオルフの顔を見ていた。
「ええっと。その、何かな」
「オルフは変。鹿波舞、43号の眼は黒沼の眼。すべてを呪った姫のなれの果て。命あるものは恐怖する。そういうもの。そういうものであるべき。畏怖を失った力は弱まる」
マイの口調は、どこか語気が強くなっていた。少なくとも、オルフはそう感じた。
「えっと、怒った、のかな」
「……鹿波舞は怒らない。ヘンリーでさえ、鹿波舞を恐れている。自分の命を終わらせた存在。本能的に怖がるのが普通」
「え、ヘンリーが? そうかな」
「鹿波舞は命が見える。呪わなくても、そういう眼。生命が揺らぐのはわかる。オルフ、あなたは危険。リットン司令も揺るがない。似ている」
真剣に、真正面からオルフを見つめ、マイは言った。嘘や冗談という雰囲気ではなかったが、どうにも、あの恐ろしげなリットン司令と自分が重なるとは、オルフには思えなかった。
「えっと、冗談? 僕とあのリットン司令が似てるなんて。マイも変なこというよね」
「む。鹿波舞は変なことは言わない。揺るがない魂は危うい存在。物事に動じず判断を下す。その多くが将軍か、恐ろしい犯罪者」
「あれ、さっき怒らないって言ってなかったっけ」
「むむ。鹿波舞は怒っていない。変なのはオルフ。オルフが変。変はオルフ。変人オルフ」
「最後のは絶対違う」
「変態オルフ?」
「ないないない。はぁ、まぁ。マイが割と面白い人だというのがわかって、良かったよ。人間兵器だとか、言うことが特殊だし、もっと物騒な人かと思ってた」
「……鹿波舞は人間兵器アヌラグロワール。戦って滅ぼしてこそ、我らが誉れ。殺して、殺し尽くすために生まれたもの」
「言われたからって、そんなムキにならなくとも。殺すだけとか、そんなことは、ないんじゃないかな。戦いじゃない時くらい、普通の女の子に」
喋っていたオルフは、急に肩を殴られた。驚いて見上げると、マイが変わらぬ顔で、拳を突き出したまま止まっていた。
「それは侮辱。殺して殺さないと、先に逝った皆に申し訳が立たない。それが私の存在理由」
「私……?」
「失言。変態オルフはすぐ忘れるべき。行こう。ヘンリーと離れすぎる。危険」
「あ、ちょっと待ってよ。どのくらい離れたらまずいのさ」
マイは言うなり、建物の中へと入っていった。オルフも慌ててマイを追う。建物の中は通路ですら、左右にベッドが置かれ、何人もの人が横になっていた。負傷者のうち軽傷のものや、夜回りのために今のうちに寝ているものなど、色々な人員がここで休息を取っている。オルフとマイは、ヘンリーたちが見当たらなかったため、足元に気を付けながら進んだ。そんな中、オルフは周囲を起こさぬよう、声量を落として再び聞いた。
「ヘンリーはどのくらい離れると、その」
「だいたい街の半径外に出たら、即死」
「即死……。で、でもそんなに距離は大丈夫なんだ」
「そうでもない。それは即死の場合。離れれば離れるほど、呪いの進行は早くなる。黒い穢れが全身に回ったら、命が終わる。だから、なるべく離れないほうがヘンリーのため」
「なるほど。って、結構まずくない?」
「戻りが遅い」
「こんなに混んでたら、しょうがないかもしれないけど」
「オルフ。あそこ」
「あれ?」
マイがオルフの服を引っ張り、通路から見えた部屋の中を指差した。その先、オルフが視線を向けると、もぞもぞと動くレティアの姿があった。手狭な部屋に、六つものベッドを押しこんでいるため、通路がほぼない。そんな右奥、突き当りのベッドで、レティアは毛布をかぶったまま、座り込んでぼんやりとしているようだった。オルフとマイはぶつからないよう、気を付けながら進み、レティアへ近寄った。
「レティア、どうしたの? ヘンリーは?」
「オルフ? レティトイレ行きたいんだけど、場所がわからないのよ。だから、お兄ぃが聞いてきてくれるって」
「ヘンリーは馬鹿」
「え、急に何なのよ。確かにお兄ぃはオルフみたいに頭良くないけど、片言のマイちゃんに言われるほどではないのよ?」
「鹿波舞は片言ではない。もしや……鹿波舞はヘンリーより頭が悪いと思われている?」
「そう、みたいだね。あはは」
「レティア、それは間違い。変態オルフも何か言って」
「変態? オルフ、マイちゃんに何かしたの?」
「してないしてない」
「踏み躙られた」
マイはレティアに抱き着き、言い放った。これには抱き着かれたレティアも、見ていたオルフも目を丸くする。お互いに別の意味で。
「オルフ。我慢できなかったの?」
「何を!?」
「るせぇぞガキども! 外でやれ!」
「す、すみませんすみません!」
三人は連れ立って、オルフだけが謝りながら、建物の外へと出た。レティアはうっかり毛布を持ってきてしまっていたが、まぁトイレが済めば戻るのだしいいかと、オルフはそのままにしておいた。
「レティア、ヘンリーは裏から出たってこと?」
「えっと、流石にわからないのよ」
「うーん。レティア、今のヘンリーの状態は、わかる、よね?」
「え。あ、まさか。そっか、マイさんのそばを離れると、お兄ぃ死んじゃうんだっけ!? ど、どうしよう。お兄ぃ馬鹿過ぎるのよ!」
「流石に忘れてるなんてことはないと信じたいんだけど。探しに行った方がいいのか、でも入れ違いになったら大変だし。うーん」
「お、落ち着いてる場合じゃないのよオルフ!」
「焦っても仕方ないよ。落ち着いてないと、考えもまとまらないし」
「流石オルフ、頼もしい言葉なのよ」
毛布片手に、もう片方で三つ編みを振り回していたレティアが、うんうんと頷いた。それで少しは落ち着いたのか、レティアの振り回していた三つ編みが、半回しくらいに収まった。
「でも、二手に別れたところで、マイと離れたらまずいんだから。となると、ヘンリー自身が、マイがここにいるというのを前提に、あまり離れないように動いてると仮定したほうが」
「穢れが半分まで進めばわかる」
「それは縁起でもないような」
「なのよ」
「つまり命の危機。そのくらい呪いが動くか、動揺すれば、呪いで繋がっている鹿波舞には感知できる。よって、最悪の事態は。ヘンリーが知らない間に死ぬ、ということはない」
「安心していいのかどうか」
オルフが苦笑して頬をかく。レティアは三つ編みを止め、真剣な顔でマイを見ていた。
「マイちゃん。あの、あの。ありがとう、なのよ」
「?」
マイは唐突に言われたお礼に小首をかしげる。言った本人、レティアは、そばかすの残る鼻を赤らめ、目には少し涙をたたえていた。
「落ち着いてきたから、きちんと言うのよ。お兄ぃを助けてくれて、どうもありがとう。レティは、もしかしたら。あそこで、家族の全員を、失うところだったのよ。お兄ぃが、本当の意味では助かってないのかもしれないけど、そんなこと関係ないのよ。あそこでお兄ぃを失っていたら、きっと、レティは壊れていたと思うのよ。だから、お兄ぃとレティを、救ってくれて、ありがとう。なのよ」
レティアは言い切ると、深々と頭を下げた。言われたマイは、何も言えず、口を開いては閉じ、何と返そうか迷っているように、隣にいたオルフには見えた。感謝されることに慣れていないのだろう、そう捉えたオルフは、微笑みながら戸惑うマイに声をかける。
「ほら、殺すだけじゃなかったじゃないか。僕だって。僕らの我儘に答えただけで、本人を救ってないとしても、僕だって感謝してるんだ。そのことは否定しないで欲しい。お礼はお礼で受け取ってほしい。人間兵器だって言うなら、そうだね。道具は使う人次第ってやつだよマイ。だから何も、殺す殺すって肩肘張らなくたって、良いんじゃないかな。殺せって言われた時だけ殺せばいいんだもの。道具だっていうならね」
「……もう、変な会話なのよオルフ」
何も言えなくなっていたマイに代わって、レティアが言った。マイはしばらく口を開けたまま二人を見ていたが、思い出したかのように口を閉じ、静かに目を伏せる。
「変態オルフ」
「えぇ」
「……まぁ、そこまで言うのなら、二人の感謝は受け取る。私が」
「そう言ってもらえて良かった。じゃぁ皆で馬鹿ヘンリーを探そうか」
三人は頷き合い、話し合いは振り出しへと戻った。




