ソラクラゲ
シニカルな作品を目指してみました。
ソラクラゲと呼ばれているそいつらは、世界中の殆どの都市、町、村に同時発生した。
地上から大体三百メートルくらいの上空。
確かにクラゲに似ている。
直径十メートル程の半透明の傘のような上部に、その底から二十メートル程の触手のような物が四本。
傘のような上部は、圧迫されたかのように縮んだり元に戻ったりを規則正しく繰り返し、触手のような物は不規則にあたりをかき回している。
何かを捜しているようでもあり、何かを追っ払っているようでもある。
あるいは、ただ手持ち無沙汰にブラブラとさせているのかも知れない。
ほんの少し上下に動くだけで、それ以外の移動は全くしない。
強風が吹いても飛ばされることはない。
大雨が降っても落ちてくることはない。
強烈な太陽光線で干上がることはない。
雪帽子を被ることはあっても、それを振り払いはしない。
ただプカプカと空中に浮かんでいる。
生き物のように見えるが、定かではない。
ソラクラゲが発生したのは、今から何十年も前のこと。
予告もなくいきなりプカプカと空中に現れたもんだから、人々は面食らった。
ありゃなんだ。
新種のクラゲ、遺伝子操作の失敗、大国による生物兵器、宇宙からの訪問者、ただの悪戯、何かの宣伝、いやいや共同幻想、ばかでかいウィルス、大気汚染が生んだ化け物、だったら地球温暖化じゃないの?
色々な説が流れたが、人々はただ不安に慄くだけだった。
とにかく、何も判らないのだ。
ならば、捕まえて調べればいいじゃん、と当然誰もが思った。
そりゃそうだ。
訳の判らない物をそのままにしておくのは、英知ある人類にとって愚行でしかない。
さっそく、世界中でソラクラゲ捕獲作戦が開始された。
「ヨーイ ドン!」で始まった捕獲作戦は、どの国が一番にゴールテープを切るかに注目が集まった。
やっぱアメリカだろう、いやいやロシアだ、意外とボリビアかも知れない、日本はどうなの? あかんあかん、あそこは。
世界各国で始まった捕獲作戦に、人々は熱狂した。
テレビは連日連夜ソラクラゲを画面に映し出し、各国の進捗を詳細に報道した。
各国は自国の威信をかけて争った。
お互いの腹を探り合い、時にはフェイントをかけて騙し合った。
各地で国家間の小競り合いが発生し、マスメディアは「ソラクラゲ大戦勃発か?」と世論を煽った。
世界中できな臭い匂いがプンプンし始めた。
そして、あわや「核兵器使用か!」の緊迫状態まで達した時、「ちょっとうちら、このまんまでいいんかいの?」と各国はハッと気が付いた。
ソラクラゲ危機は回避された。
「ケンカの原因は……そうだ! ソラクラゲだよ」
その間、ソラクラゲは相変らず「僕たち関係ないもんね」とプカプカと空中に浮かんでいた。
結局はどの国も捕獲に成功しなかった。
どでかい捕獲網で捕まえても、網の目からヌルリとすり抜けてしまう。
どでかい掃除機で吸い取ろうとしても、吸引力にビクともしない。
エサで誘き寄せようとしても、そもそも何を食べているのか判らない。
リボンをつけた「メス・ソラクラゲ」で誘おうとしても、そもそもオスなのかメスなのか、両性具有なのか判らない。
第一、ソラクラゲに性別なんてあんのか?
とにかく、何をどうやってもソラクラゲは捕まってはくれなかった。
そのうちに「もう面倒だから抹殺しちまおうぜ」と、どこかの国が提案したら、殆どの国が賛成した。
そもそも、ただプカプカと空中に浮かんでいるだけで、捕まってくれさえしない、訳の判らない存在なのだ。
訳の判らない存在に対しては、不安がっているよりも排除しちまった方が手っ取り早い。
訳の判らないまま消えてくれれば、訳の判らなかった自分たちを恥ずかしがる必要もないじゃないか。
異分子なんてこの世には必要ないのだ。
人々もタイミング良く不安に慄くことに飽きてきていた。
だってソラクラゲったら、何もやらかしてくれないじゃん。
不安はイライラへと形を変え、やがてソラクラゲへの怒りに取って代わった。
時は来た! やれやれ! やっちまえ! ソラクラゲなんか死んじまえ!
ここに、世界はひとつになった。
ただし、どんな反撃が待っているか判らない。
とてつもない攻撃をされたらたまったもんじゃない。
そこで、緊急の国際会議が開かれ、第三世界のちっぽけな国で試し撃ちをしようということになった。
「なんでオラの国でやらにゃならんのだ」とそのちっぽけな国は不満タラタラだったが、先進国にとっては「あんな国、あっても無くてもどうでもいいもんね」だった。
いざ、ソラクラゲ成敗!
戦闘機からミサイルで攻撃してみた……傷ひとつ付かない。
火炎放射器で燃やしてみた……焦げ目ひとつ付かない。
焼いてもだめならフリーズだ……カチリともしない。
ええい、こうなりゃ核兵器だ……そ、そ、それだけは……。
核兵器を持っている国は、どうしても使いたいよとジタバタとダダをこねたが、持てない国の方がわずかに多かったため、なんとか却下された。
それにしても、どんな攻撃も受け付けないし、どんな反撃もしてこない。
ソラクラゲは相変らず「痛くも痒くもないもんね」とプカプカと空中に浮かんでいた。
多くの人々は失望した。
だって、反撃してこないじゃない……可愛げがない。
そのちっぽけな国だけは、ほっと胸を撫で下ろした。
「ああ、良かった、何も起こらずに済んだのね。私達、生きているのね」
通りに飛び出して万歳をして喜ぶ群集、涙を流して寄り添う家族、乳飲み子をしっかと抱きしめる母親。
そんな感動的な様子が全世界に配信されたが、人々の反応は「チッ!」だった。
捕まえることも、退治することも出来ない、反撃もしてこない、全くもって訳の判らない存在。
どうするべぇか、と各国の首脳は思案に暮れていたが、こういうことには民間の方が柔軟に対応する。
特に日本の民間企業は、その商魂魂にメラメラと火を付けられた。
玩具会社がソラクラゲにまん丸い目をつけた人形を売り出してみた。
まん丸い目はキョロキョロと動く仕組みになっていて、四本の触手のような物は、人間の腕にしっかりと抱きついてくる。
「キョロキョロ・ソラクラゲ」と名付けられたその人形は爆発的に売れた。
老若男女、街行く人々は皆、腕に「キョロキョロ・ソラクラゲ」を付けて闊歩した。
するとライヴァル玩具会社も負けじとばかりに類似品を発表した。
バッテンの目をした「バッテン・ソラクラゲ」や、クルクルと目が回っている「クルクル・ソラクラゲ」。
地方限定の「オダワラ・ソラクラゲ」や期間限定の「サークラ・ソラクラゲ」には多額のプレミアが付いた。
製菓会社も黙ってはいない。
「お口の中でヌルリと消えちゃう ソラクラゲ綿飴」
「ソラクラゲ・スナックを食べてソラクラゲ・カードを集めよう」
「君は全部揃えたかな? ソラクラゲ食玩付きフレイク」
エトセトラエトセトラ。
内容はどれも、喰えたものでは無かった。
出版社も黙ってはいない。
「ライ麦畑でソラクラゲ」
「色彩を持たないソラクラゲ」
「ソラクラゲ写真集 まるっと丸見え!」
エトセトラエトセトラ。
内容はどれも、読めたものでは無かった。
音楽業界も黙ってはいない。
「世界で一つだけのソラクラゲ」
「今、話したいソラクラゲがいる」
「ソラクラゲ・ナイト」
エトセトラエトセトラ。
内容はどれも、聴けたものでは無かった。
映画会社も黙ってはいない。
「ゴジラ対ソラクラゲ」
「三丁目のソラクラゲ」
「妖怪人間 ソラ クラ ゲー」
エトセトラエトセトラ。
内容はどれも、観られたものでは無かった。
旅行会社も黙ってはいない。
「エッフェル塔の元でソラクラゲを見ようツアー」
「あなたも世界各国のソラクラゲを堪能しませんか 豪華客船ソラクラゲ号で行く世界一周の旅」
「オーロラとソラクラゲの幻想ツアー」
特に好評だったのが「オーロラとソラクラゲの幻想ツアー」だった。
オーロラに照らし出されるソラクラゲの姿は、それはそれは神秘的で神々しいのだ。
ただし、ソラクラゲはいつでも見られるのに、オーロラは気紛れにしか発生しなかった。
人々は訳の判らないソラクラゲよりも、科学的に発生が証明されているオーロラを非難した。
企画会社も黙ってはいない。
ある無謀な企画会社が「村おこし」という名目で、ソラクラゲが浮かんでいる寂れた村に話を持ちかけた。
「なあなあ、あんさん、ソラクラゲに夜光塗料をぶっかけて、夜ピカピカに光らせたらどないでっしゃろ?」
「んなことして、祟りとかあったらどないすんねん」
「大丈夫、大丈夫、あいつらただ空中にプカプカ浮かんでるだけやさかい、んなもんありはしまへん」
ということで、ヘリコプターをチャーターして大量の夜光塗料をソラクラゲに降り掛けてみた。
何しろ直径十メートルの傘らしき物に、二十メートルの触手らしき物が四本である。
かなりの費用と時間を労したが、その間ソラクラゲは大人しく夜光塗料を浴びていた。
果たして、企画は大成功。
夜空に浮かぶ赤く光るソラクラゲ。
ああ、なんて神秘的、それにとってもキュートだわ。
人々はその摩訶不思議な光景を見ようとワンサカと集まり、夜店で売られた「ソラクラゲ焼き」は村の名物となった。
夏になれば、赤く光るソラクラゲの下にやぐらを組み、「ソラクラゲ盆踊り大会」が開かれた。
盆踊りの為だけに有名作曲家と有名振付師に依頼した「ソラクラゲ・サンバ」は大流行となり、大人から子供まで我先にと踊り狂った。
世はまさに「ソラクラゲ・フィーヴァー」だった。
テレビや雑誌はこぞって特集を組み、携帯の待ち受け画面はソラクラゲ一色となり、「ソラクラゲ教」なる新興宗教が話題を呼び、女子高生の間では「ソラクラゲ語」が流行った。
「そんでソラさぁ、今度ディズニー・シーにクラゲ?」
「ソラ! じゃあクラゲはミユキ!」
「ええぇ! ソラ、ミユキは嫌いクラゲなのよ」
「ソラソラソラソラ ラッサッサァ まぁなんてクラゲだわよ? それはソラ知らドラミラクラゲだわさ」
当人達以外には、訳が判らなかった。
とにかく何処へ行ってもソラクラゲだった。
ソラクラゲの方はそんなバカ騒ぎなんてどこ吹く風と、ただプカプカと空中に浮かんでいた。
人間なんて所詮は飽きっぽい。
「ソラクラゲ・フィーヴァー」なんて、そんなに長続きはしなかった。
あっという間にソラクラゲのことなんて誰も気にしなくなった。
「キョロキョロ・ソラクラゲ」は押し入れの中で埃をかぶっていた。
「ソラクラゲ綿飴」を食べて虫歯になった子供達が町に溢れた。
出版物は古紙再生に回され、もう少しましな書物へと生まれ変わった。
CDは中古店ですらデッドストックとして溢れ返っていた。
映画監督は「ソラクラゲ」を題材にした映画を無かったものにしようと躍起になった。
旅行会社はパンフレットから「ソラクラゲ」の文字を全て排除した。
夜光塗料が剥げたソラクラゲは、まだらに赤いままプカプカと空中に浮かんでいた。
「ソラクラゲ教」の教祖は信者から巻き上げた大金を持ってトンヅラした。
女子高生達は新しい暗号を開発した。
なんてことはない。
結局は何も変わらない。
結局は何も起こらない。
ソラクラゲはただプカプカと空中に浮かんでいるだけなのだ。
存在理由も判らない、存在価値も判らない、そもそも存在しているのかどうか、実体があるのかどうか、意味があるのかどうか、何も判らないままなのだ。
ただただ、もう何十年もそこに「ある」だけなのだ。
既に多くの人々にとって、ソラクラゲは生まれた時からそこにある。
空を見上げりゃ、空にあるのだ。
もはや、誰もいちいち空を見上げたりはしない。
第一、首が疲れる。
人間なんて所詮は忘れっぽい。
異常な存在として発生したソラクラゲは、もう人々にとって日常なのだ。
消えてもらっては困る。
それこそ異常事態じゃないか。
実体があろうがなかろうが、意味があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。
ソラクラゲよ、いつまでもプカプカと空中に浮かんでいてくれ。