表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

2.騎士団の華

 この世界には、二種類の『人』がいる。

 『人族』と呼ばれる、人型以外姿を変えることのできない者たちと、『人狼族』と呼ばれる、人型と狼型の二つの姿を持っている者たちだ。

 人狼族は、己の意思を以って、肉体を自在に変えることができる。二足歩行の人型と、毛皮を纏った四足歩行の獣に。

 人族は人狼族を『半獣』と呼び、忌み嫌った。狼に変わった彼らの大きな体躯や牙は、恐怖の対象でしかなかったのだ。

 人狼族とて、人族を嫌った。人族は牙に対抗して様々な武具を作り、それを以って威嚇してきた。殺戮を目的とした武具は、己の牙よりも余程、恐ろしかったのだ。

 人族と人狼族は、理解しあえることなく、諍いを繰り返す。それは、この世界に両種族が生まれ落ちた、その時からである。


 さて、大陸の西に位置するゴッペリア王国には、五つの騎士団が存在する。王都デルフェを守る中央騎士団と、東西南北を警護するように配置されるアントネ・シルフェ・カイナンシュ・クーデリアの四騎士団だ。

 ゴッペリアの北には人狼族が治めるトウラン国があり、トウランとの国境を任されているのが、クーデリア騎士団であった。

 二百年前の大乱では最前線であったその土地は、今も民が多くない。街道に沿って小さな町が幾つか点在しているだけの、いわば、辺境の地である。そこを守る騎士団の内部では、今日、一つの任命式が執り行われていた。

 普段は質素な団長の執務室に、仰々しい緋色の絨毯が敷かれ、立ち会う者たちは皆正装である。

 絨毯よりも深い緋色のマントを身に纏ったアルフレッドが、厳しい顔つきで宣言した。


「クレア・エクスリーン。これにて任命式は終了だ。この時から君は、我が騎士団の副団長として、その責務を果たしてもらうこととなる。心して励むように」


 アルフレッドは精悍な男だ。陽光を受けた鈍色の髪は静かに煌めき、切れ長の深緑の瞳に、完璧なカーブを描く鼻梁。少し薄い唇は品良く持ち上げられている。

 団長の威厳に溢れた麗しい騎士は、目の前で片膝をついた娘に恭しく、一振りの剣を与えた。


「ありがとうございます」


 双頭の蛇が月香樹に絡みついた、クーデリア騎士団の紋章を施した剣がクレアの手に渡る。女の細腕では振るいにくかろうと思われる大ぶりな剣であったが、クレアは気にする様子もない。す、と綺麗な所作で立ち上がり、腰に差した。

 クレアは、二十になっていた。

 上質の黒の生地で仕立てられている団服に包まれた体は女性らしい凹凸に恵まれ、胸に至っては主張しすぎなくらいに膨れ上がっている。きっちりと結い上げられている髪も、解けば腰に届くほどまで伸びた。

 しかし顔立ちは、余り目立たない。パーツごとの形は悪くないし、理知的な榛色の瞳は、よい輝きを孕んでいる。配置も悪くないのだが、しかしどうしてだか目立たず、地味だと評されることが多い。年相応に化粧でもすれば印象が大きく変わるのかもしれないが、いかんせん、本人にその気がないので検証できない。

 騎士団は女性を主張するべき場所ではないとクレアは考えているから、これからも難しかろう。

 それに加え、表情が乏しい。笑うことなど怱々なく、いつも気難しそうに口を一文字に引き結んでいる。

 偏に生真面目な性格ゆえのことである。


「これからよろしくね、クレアちゃん。君には色々補佐をしてもらうことになるから」


 剣を授与する立場であったアルフレッドが、役割を終えた途端へにゃりと笑った。


「はい。ご迷惑をおかけしないよう、頑張ります」


 クレアは規則通りの角度でお辞儀をした。顔を上げれば、敬愛してやまない、己の剣を捧げた唯一の男がにこにこと笑んでいた。


「俺のほうが迷惑かけちゃうよ? 前任のロビンズさんにも毎日叱られてたから」


 ロビンズは六十を機に退役した前任者である。熊のような体躯の強面の男であったが、見た目に反して神経細やかで、有能な副団長であった。


「でも、クレアちゃんに叱られるなら、それはそれで嬉しいかな」


 えへへ、と笑うアルフレッド。齢三十三になるのだが、その笑顔は二十代初めの青年のようにあどけない。剣を持たせれば鬼神の如く強く、命の穂を全て刈り取ってしまうほどなのだが、その片鱗も感じられない。


「私のような小娘が団長を叱るなど、団員の士気に関わります。堂々としていらしてください」

「そんなことないよ。クレアちゃんに叱られたいって言う奴、いっぱいいるよ? ねえ?」


 アルフレッドが、周囲にいた側近たちを見渡す。厳めしい男たちは野太い声で笑った。


「そうですな。副団長殿でしたら、いつでもお叱りを受けたい」

「その声で『うつけ!』と罵ってもらいたいものです」

「うちの隊の奴らは踏みつけられたいと言ってましたぞ」

「……馬鹿にされていると判断してよいのでしょうか?」


 盛り上がる男たちを眺め、クレアは不快そうに眉根を寄せてぼそりと吐く。これからは自分の部下になったとはいえ、先輩であることに変わりはないし、彼らの方が自分より何倍も経験を積んでいる。所詮、肩書きだけのことで、何一つ変わっていないのだ。彼らの中に入れば、クレアはまだまだ、若輩者である。


「何言ってんのー。みんな本気だよ? ね」

「おう。クレアのこと、みーんな大事にしてんだぜ? っと、今日から副団長、だったな」


 クレアの肩を抱き、あっけらかんと笑ったのは第六小隊の隊長、ライ・トリアだった。赤銅色の髪と蜜色の肌が良く似合う、南方出身のライは、クレアより三つ上の二十三歳。異国の武具だという大きなアックスを愛用している彼は、愛器同様大きな体躯の持ち主だ。アイラインでも入れているのではないかと思うくらいキリリとした目元には力があり、意思の強さを窺わせる。実際、彼の屈強さはクレアが感嘆するほどであった。


「まあ、とにかくさ。これからは俺たち全員が、クレアちゃんのしもべだからね

「団長、そういう趣味の悪い冗談はやめてください。私を含め、団員はみな、貴方にしか膝を折らないと思っているんですよ」


 ふう、とため息をつくクレア。ロビンズには「大変だろうけど頑張れよ」と言われたけど、これは本当に大変かもしれない。任命式直後ですら、これなのだから。

 ロビンズのように威厳のある副団長になりたいものだが、前途は多難だ。


「まあまあ、今日はそんな顔しないで? お祝いの食事会が待ってるよ。さあ、食堂へ行こう!」

「え? そういうものは必要ないと申し上げたはずですけど」

「やらないわけにはいかないよー。さあさ、行こう!」


 アルフレッドがとん、と背中を押す。周囲の仲間たちも笑顔で「そうだそうだ」と言う。その笑顔が、クレアに幸福感をもたらす。


(ああ、これから頑張らなくちゃ)


 十二の年から、この騎士団で生活してきた。辛いことも悲しいこともあったけれど、それでもここでの生活は何にも代えがたいくらい、大好きで、大切だ。与えられた幸せを、私は彼らに返してゆかなくてはならない。

 思わずそっと笑めば、それをみた仲間たちが嬉しそうに声を上げた。


「クレア! 今日はお前がお姫様だ! ほら、かついでやる!」

「ライ小隊長! 肩車なんて子供じみた真似はやめて頂きたいんですけど!」

「ずるいぞ、ライ! 次は儂だな」

「ドーシュ小隊長! 貴方までふざけないで!」


 男たちが我も我もとクレアを持ち上げる。

 クレアを囲んだその日の宴は、夜更けまで続いた。



 国王からの遣いがクーデリア騎士団のもとにやって来たのは、それから六日後のことだった。


「私とエクスリーン副団長を王宮へ召喚? どうしてです?」


 執務室で使者と向かい合ったアルフレッドが訝しそうに言った。


「東のゴロニーと小競り合いをしている最中で、それが今にも戦に発展するかもしれないという微妙な時期ですよ? 我が団も七から九小隊をカイナンシュ騎士団に出向させています。そんな時に団長・副団長を揃って呼び出すとは」


 ゴロニーとは、東にある大国である。前年に新王が起ったのだが、それが酷く好戦的な人であり、ちょこちょことこちらにちょっかいをかけてくるようになった。東には良質な金鉱山があり、それが目的のようである。父である亡き前王が血を流すことなく築いた、大切な国交関係を、息子が叩き壊しているのだ。今、その諍いが大きくなりつつあり、東の国境が緊迫している。

 アホ息子が率いているとはいえど、ゴロニーは屈強な兵を多く有した大国である。その国と本格的な戦になれば、国内が荒れる。そんな時、他国が黙って行く末を見守ってくれるとは考えにくい。

 これまでこちらに無関心を貫いているトウランであるが、隙を見つければどう出てくるか分からない。攻めてこないという保証はどこにもないのだ。


「トウランは攻めてきません。ですから、どうか御両者揃ってお願い致します」

「攻めてこない? どうしてそう言えるのでしょう?」


 脇に控えていたクレアが言えば、使者は躊躇うそぶりを見せた後に、厳かに言った。


「トウランは、第一王子の妃として、我が国の姫を妻問いしたいと申し入れてきたのです。その姫さえ嫁いでくれれば、友好国として力を貸すと」

「は?」


 驚きの声を上げたのは、騎士団の二人である。

 トウランとは長く国交が途絶え、この二百年、文一つ交わしていない。両国の間には鬱蒼とした森が横たわり、それが互いの壁となっている状態だ。人族と人狼族は完全に切り離されており、幼い子供らに至っては、人狼族は空想上の生き物と変わりない存在になってしまっている。

 そんなトウランから、婚姻の申し入れがあった?


「まさか」

「いいえ、本当でございます。四日前、トウランの王印を携えた者が王都の門をくぐりました。絢爛豪華な異国風の馬車に目を瞠るほどの宝物を積んでいらした。これで花嫁支度を整えて、嫁して欲しい姫がいると仰って」


 寝ずに早馬を走らせてきた壮年の使者は、充血した瞳を夢見るように遠く彷徨わせて続けた。


「野蛮な一族と聞いておりましたが、全く違うのです。優美な顔立ちで、仕草も洗練されておりました。醜い狼など一匹もおらぬし、彼らがそのような異形のモノに代わるなど、到底思えませんでした」

「人狼族は毛むくじゃらではなかったのですか?」


 クレアが驚く。人狼族は人型にはなれど全身に獣の毛がびっしりと生えているというのが、常識だったからである。

 使者は首を縦に振った。


「私もそう思っておりました。しかしなかなかどうして。誰一人として、そのようなものはおりませんでした」

「まあ、そうなのですか」

「ええ。それでですな、トウランの使者殿は告げたのです。第一王子リヴァイス殿の妃として我が国の姫を迎えたい旨、それが叶えば、ゴロニーとの戦に勝利をもたらしましょうという旨を。

 陛下はその申し出をお気に召されまして。話を受けたいというお考えであらせられるようです。元老院も、半数がそれに賛同いたしている様子でした」

「前例のない、人狼族と人族の婚姻を御認めに、ですか? 人の好い国王はさておき、頭の固い元老院まで?」


 不敬なことをさらりと零しつつ、アルフレッドが目を見開いた。


「トウランの申し出はそれほどに好条件と言うことでしょうな。私は詳しくは聞かされておりませぬが、この話がまとまれば今は封鎖されている街道を開放するという話ですよ」

「ふう、ん。なるほどねえ」 


 これまで大きく迂回をして行っていた北方諸国との貿易が楽になる。どころか、トウランの地に眠っているといわれている希少な鉱石を取引できるかもしれない。それはとてつもなく美味しい。

 それに、トウランと友好国になったと宣言すれば、ゴロニーは手を引かざるを得ないだろう。人狼族の戦い様は人のそれを凌駕しているというのは、伝説のように語られていることだ。ゴッペリアの戦力にそれが加われば、焼け野原になるのはどちらの領地なのか、自明の理だ。

 しかし、余りにも出来過ぎではないか。その条件は余りにも、ゴッペリアが有利過ぎる。そんな餌をちらつかせてまで、わざわざ姫を迎え入れる必要性がどこにあるのか。


「夢草子のような、良いお話ですね」


 アルフレッドが上辺だけの言葉を吐く。


「それに加えまして」


 使者が厳かに言った。


「実は、王子自らがお越しなのです」

「ほほう」

「その方は稀に見る美丈夫でしたぞ。城内の女官どもが情けないほどに目を奪われておりましたわ」


 この使者に立った男、話好きであるようだ。人選を間違っているのではないかと、傍で聞いているクレアは思う。会話の内容は非常に扱いの難しいものだ。相手が聖騎士アルフレッドといえど、おいそれと語って良いものではないのではないか。

 しかし、それにはやはり理由があったのらしい。


「何やら大層なお話の様子。分かりました、副団長と共に参りましょう」

「おお、ありがとうございます」


 壮年の使者は、頷いたアルフレッドに、ほっとしたように胸を撫で下ろした。その様子を見ながら、アルフレッドが続ける。


「しかし、何故私たちが呼ばれるのかは、未だ解りかねます。もしかして、その姫が副団長だったりとかしませんよね? あはは」


 これは無論、アルフレッドのくだらない冗談であった。のだが、使者は驚いたように目を瞠り、こくこくと頷いたのだった。


「おお、やはり名を馳せた騎士アルフレッド殿ですな。話が早い。その通りなのです。トウランの王子が名指しで指名なさったのは、そこにいらっしゃるクレア・エクスリーン姫なのでございますよ」

「は?」

「はぁぁぁぁぁぁ!?」


 クレアの小さな声は、アルフレッドの叫び声でかき消された。普段はのらりくらりとしている団長の我を失った様子の声は訓練中の団員たちの耳にも届き、すわ国家転覆かと大騒ぎになったのは、余談である。



「……クレアを狼野郎の妃に、だと?」

「そう、らしいんだよねえ」

「勿論、開戦だな?」

「いやいや。待って、ライ。まだ早い」


 血気溢れたクーデリア騎士団の団員たちが執務室に駆け付け、一騒ぎを起こした、その半刻のち。団員に揉みくちゃにされてフラフラになった使者を除いた、騎士団の幹部が揃った執務室である。

 国家転覆という勘違いはすぐに払拭された。が、団員たちはクレアがトウランの王子に妻問いされているらしいと言う話を聞けば、暴れた。


『貴様、クレアに何ろくでもねえ話を持って来てやがる。殺すぞ?』


 ただでさえ、荒くれ揃いと言われているクーベニア騎士団である。強面ばかりの野郎に囲まれた使者は、ショック死しないのがせめてもの幸いであった。

 アルフレッドがどうにか彼を救出し、用意した部屋に引っ込んで頂いたが、団員たちの怒りは冷めやらない。ライを筆頭にした若者数人は、さっきからずっと、全身から殺気をダダ洩れにしている。

 召喚の命が書かれた王印入りの書簡を、こめかみに浮かんだ血管をひくひくと痙攣させながら眺めているライ。それを、ため息交じりにアルフレッドが諌めた。


「まだ、王宮に呼ばれただけだ。まだクレアちゃんはここにいる。そうだろ?」

「王宮に行きゃ、クレアはここに戻って来られねえんだろ!? 違うのかっ?」


 大切な王直筆の書簡をあっさりと握り潰したライが、クレアの肩を乱暴に抱く。

 書簡には、副団長の任を降りるよう、指示があった。それは、クレアをトウランに出す為の準備の一つに他ならないであろう。

 使者の弁の通り、国王はこの話に非常に乗り気なのである。


「こいつを狼野郎に喰わせろって? 俺は嫌だね」

「それは俺も嫌だよ。でもさ、ここにいて嫌だ嫌だって言っていても仕方ないだろ? とりあえず、明日王宮に行ってみるよ」

「で、ちゃんと連れ帰って来るんだろうな? じゃなきゃ、お前を殺すぞ」

「ライくん。俺、君の上司だからね? えーと、クレアちゃん」

「…………」


 ライに困った笑みを浮かべて見せたアルフレッドがクレアに声をかける。が、クレアは呆然としており、視線は虚空を彷徨ったままであった。


「クレアちゃん? あちゃ、まだ心がこっちに戻ってないや」


 クレアは、只々自身を喪失していた。

 騎士団の一角を担う者として頑張っていかなくてはならないと気持ちを新たにしていた、その矢先である。恋や愛などとは遠いところにいた自分には、一般的な娘としての結婚など、絵空事でしかなかった。生家の両親もクレアの生き方を認めており、立派な騎士団員として職務を全うするよう言われていた。

 自身の歩む道に、何も問題はなかったのだ。

 それが、妻問いされた? 国交に関わるような問題とともに?

 目の前で繰り広げられている騒ぎを見れば、それが嘘偽りの事ではないと分かる。けれど、どうして自分なのだ。


「クレアちゃん? 大丈夫?」

「え⁉」


 アルフレッドの端正な顔が、吐息がかかりそうなほど近くに寄せられて、初めて我に返る。慌てて周囲を見渡せば、皆が心配そうに自分を見つめていた。


「あ、そ、その、すみません。驚きすぎて、その」


 情けないことに口ごもる。頬を掻けば、いつの間に崩れたのか、ほつれた髪がはらりと落ちた。


「心配すんな、クレア。お前は人狼なんかに渡さねえ。俺たちが守ってやる」


 ライが、肩に回した手に一際力を込める。大きな手のひらに包まれた肩が痛い。


「そうだそうだ。儂たちが副団長をそんな奴に嫁にやるものかよ」


 第一小隊長を務める、白髪頭のドルフが言うと、隊長勢が皆頷いた。


「カイナンシュにいる奴らが聞いたら、すぐさま戻って来るぜ」

「誰か鳥を飛ばして、一報伝えてやれ。知らんままだったら、後で殺されるぜ」

「みーんーなー! 落ちついて俺の話を聞いてー!」


 一喝したのは、アルフレッドの声だった。


「この俺がクレアちゃんと一緒に行くんだよ? 絶対に、クレアちゃんを危険な立場に置いておかない! だからとりあえず、落ち着こう」


 声音が変わる。凛とした声は、クーデリア騎士団の総括団長のそれだった。

 ざわざわした空気が、ぴんと張りつめる。全員が、アルフレッドに視線を向けた。


「王都に行って、状況を見てみないと話は進まない。だから、とりあえず俺はクレアちゃんと共に明日、王都に向かう。今後は、どうなるか分からない。君たちはいつ開戦してもいいように、警備を強化すること。武器庫の確認を怠るなよ、万全の態勢を取っておくように」

「え? あの、あの」

「おおっ かしこまったぁぁ!」


 狼狽えたクレアの声を、野太い声がかき消した。壁を揺らすほどの怒号である。その声は別室で休んでいた使者の耳にも届き、震えあがらせた。が、ライだけは違った。剣呑な瞳をアルフレッドに向けた。


「国王がクレアに嫁げと命じたら、どうするんだ? 王命を無視して、俺たちだけで戦をおっぱじめるのか?」


 す、とアルフレッドが瞳を細めた。切れ長な瞳が益々細くなり、普段の明るい表情とも、団長のそれとも少し違うものに変わる。


「クレアちゃんは、俺の副団長モノだ。王命には、従えないかもね」

「団長の? 冗談じゃねえ。クレアは誰にも縛らせねえ」

「へえ、それは勿論君もだね? 君にもそんな権利はない」

「っ! ンだと?」


 向かい合う二人の間の空気は、張りつめている。普段は仲の良い二人がこんな風に対立することなど、今までなかった。周囲を取り囲むその他隊長たちは、固唾をのんで成り行きを見守る。ライの実力はアルフレッドに誰よりも近いのではないかというのが、彼らの暗黙の了解であったから、尚更である。


「あ、あの!」


 その間に声を挟んだのは、今まで呆然自失の呈であったクレアであった。二人に視線を向けられて、クレアは憤ったように言う。


「取るべきは国家の安全でしょう! 団長、隊長が一団員にそこまで情をかけてはいけません!」

「へ?」

「は?」


 きょとんとする二人。それをギッと睨みあげて、クレアは続けた。


「開戦など、許されません。ようやくこの地も豊かになって来たんですよ⁉ それをまた戦場にしようだなんて、いいわけないじゃないですか! 私たちはこの地を守る騎士団ということを忘れてはいけません! 有事の際は団員(私)一人くらい切り捨てなくて、どうします!?」


 依然、肩に回されていたライの手をパシンと払い、クレアは立ち上がった。椅子に座っている二人を見下ろし、低い声で言い放つ。


「私が妻問いされるなんて、何かの間違いでしょう。王都には麗しい姫様たちが大勢いらっしゃるんですよ? 私のような剣術しか能のない女は向こう様も願い下げでしょう。勘違いだったとすぐさま追い返されると思います。が、万が一私を真に望まれて、それが国の為になると言うのなら……」


 怒ったクレアは、怖い。

 長年の付き合いでそれを知っている二人は、これから先に彼女が何を言ってしまうかを察し、慌てた。このままだと、クレアはあっさりと婚礼衣装を身に纏ってしまいかねない。とりあえず、コクコクコクコクと頷いた。


「そうだね。行ってみたら杞憂だったってこともある。うん」

「そうだな。うん、クレアが正しい。うん、この話はおしまいだ」

「……分かって頂けたのなら、いいんです」


 ふん、と息を漏らして、クレアはアルフレッドに視線を向けた。


「な、なに? クレアちゃん」

「明日の出発は早いですし、自室に戻って休ませていただきます」

「あ、はい。どうぞ」

「では、失礼いたします。それからライ小隊長、先程から団長に対する口調ではなくなっている様子。自重して下さい」

「あ、はい。スミマセン」

「では、失礼します」


 す、と礼をしてクレアは静かに部屋を辞した。ぱたんと扉が閉まるのを待って、全員が息を吐く。


「やばかった。下手したら結婚しますと言い出しかねなかったね」

「団長が下手なこと言うからだろ!?」

「ライくんもだろ!」

「いや、お二方の連帯責任ですな」


 口論しかけた二人だったが、年嵩のドルフに諌められて肩を落とす。


「しかし、どうしてまたクレアを妃になんて話を持って来たんだ?」

「うん……なんでだろう」


 ライの呟きに、アルフレッドが返す。と、思い出すことがあったのか、腕を組んだ。


「あれ、かな?」

「なんだ?」

「いや……思い過ごし、かな。あれがこんな結果に繋がるわけがないか。俺ももう、寝るよ」


 はあ、とため息をついたアルフレッドだったが、ぐるりと室内を見渡した。その顔つきは、団長のそれである。


「トウランの目的が分からない以上、状況はどう転ぶか分からない。全員、心して職務に当たって欲しい」


 男たちは静かに頷きを返した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ