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 あの頃の私はまだ恋愛を恐れていなかった。好きだから好きなんて理屈にもならない理屈。ただ見つめるだけの日々。

 

 高校二年生の私は恋をしていた。

 相手は同じクラスの男の子で、他の男の子たちと同じように校則のチェックが入る生活指導の日だけ校則を守っているような普通の男の子。ちょっと他の人より遅刻が多くて、授業中もやる気ありませんといった風情だったけれど好きだった。


 好きになった理由はちょっとよく分からないけれど、文化祭の日に友達に連れられて私の所属する茶道部でお抹茶を飲みにやってきた時に猛烈に意識し始めたのだけは正確に記憶している。ただの名前と顔が一致するクラスメイト、私のことを知っているのかはわからなかった。


 黒髪がいつもつやつやとしていて、窓から差し込む光にきらきらと輝いていた。居眠りをする横顔を彼からは大分距離のある斜め後ろから授業を聞きながら眺めるのが私の毎日の楽しみだった。


 話してみたい。


 そんな欲求が無かったわけではないけれど、クラスでも地味で大人しい私は話しかけるチャンスも掴めず、ただ見つめ続けた。友達にも打ち明けられずに、秘めたる想いは私の中で増幅していった。


 毎日毎日眺め続けて、秘めておくことに耐えられなくなった私は当時仲の良かった友達にだけ、心を打ち明けた。彼女も片想いを続けている相手がいて、お互いに今日の彼について話し合った。それだけで、幸せだった。好きでいることは私を幸せにした。そのうえ、同じ気持ちを共有できる友達がいたのだから、どんどん夢は膨らんだ。彼の彼女になれたのなら。


 気持ちばかりが膨らんでいく。


 そのまま三年生になった。私達のクラスは私立文系のAクラスで、MARCH(+G)狙いだったため、そっくりそのまま持ちあがった。彼と同じ空間にまた一年いられるという喜びがあり、また意識もしていなかった一年前の春と関係性だけはあまり変化していなかったのが悲しい。

六月の晴れた日、球技大会の日に活躍する彼を眺めた。

青い鉢巻をネクタイ結びした彼はそれをなびかせて走る。いつも静止画のように動かない彼を見ていただけに華麗にボールを奪う彼の足が、そして彼自身が私の目にどれほど輝いて映ったかは想像に難くないはずだ。

「○○頑張れ―。」

クラスの女子が活躍する彼にエールを送る。今回の球技大会でクラスの女子の中でも中心的な位置にいるグループは普段たいして仲良くもない男子のこともファーストネームで応援することにしたらしい。黄色い声援が飛ぶ。


 私もクラスの女子の一人として、名前を呼んで応援したいと思った。クラス全員、お揃いの青い鉢巻をポニーテールのリボンに結び直した。

「頑張れ―。」

やっと声に出来たのは「頑張れー。」なんて不特定多数への言葉。本当はこの中にいる誰よりも彼の名前を呼んで、叫んで、応援したかった。でも、呼べなかった。心の中でだけ、こっそりと彼の名前を呼ぶ。好きだから、軽々しく彼の名前を呼ぶことなんてできっこない。


 私は貴方のことが好きなのよ。


 そのまま季節は巡っていく。模試の回数が増え、徐々に大学受験が差し迫ってくる。それでも私は彼の背中を見つめ続けた。たった一度、教室の出入り口でお見合いになって道を譲ってもらって照れてちゃんとお礼も出来ずに無愛想に「ありがと」と呟いてしまったこと、夏にたまたま第四ボタンまで開けて着ているワイシャツの中が偶然見えてしまって赤面したことが、彼に関する背中以外の印象的な出来事だった。


 高校三年生の受験前最後のイベントは文化祭で、クラスの出し物のお化け屋敷で彼と同じセクションになった。


 彼は私を刺す男で私は刺される女。

 その文化祭の準備で彼とほとんど初めて話す機会を得た。本番はクラスと部活でばたばたとしてしまい、話すどころではなかった。その分、彼にくっついて一緒に片付けもやった。たぶんクラスの半分以上に私の気持ちは筒抜けだ。そんなことはどうでも良かった。はさみを渡すことすら奇跡みたいに思えた。

 今年の文化祭は茶道部に来てくれなかったようだ。


 文化祭の打ち上げはクラス全員でお好み焼きだった。彼が割と近くに座っていたせいで全然食べられなかった。駅前でなんとなく解散をためらってみんながばらばらに話している時間、彼が一人で携帯をいじっている隙をついてアドレスを聞き出した。


 私はメールを送る女で彼はメールを返す男。


 私と彼のメル友生活は彼の優しさで成り立っていて、私は確実に舞い上がっていた。毎日毎晩メールを送った。彼の好きなことを聞きまくった。質問を続けることで私は彼との電波交信を一通でも多くしたかった。


 それでも、クラスで話すことはほとんどなかった。


 毎晩数通の電波世界だけでの繋がり。迫る受験。焦燥。


 十一月になっていた。季節は秋を染め、冬に染まる準備が進んでいく。どこかで終わりにしないといけないと思っていた。どう足掻いても彼の気持ちは手に入りそうになかったし、私は受験という目の前の現実を見据えねばならない。それにこれ以上狂ったように恋をすること、近いようで全く近くない距離感への焦燥に呑みこまれていくのが怖くなっていた。好きという気持ちばかり積み上げてしまった私の心は倒壊の危機に瀕していた。


 メールで告白した。振られた。


 その後も連絡してもいいかなと未練がましくいう私に、友達なんだから当たり前だと返してくれた。それで私の一年以上の片想いは終結した。


 それから私は受験に向けて勉強した。メールもしなかったし、物思いもしなかった。ある模試の帰り道、駅のホームで顔も名前も知らない他クラスの男子に名前を呼ばれた気がした。突然のことに振り向くと、顔を背けられ、こそこそと話をしていることと、彼と私の名前が囁かれていたのがわかったので、彼が友達に話したのかなと思った。それだけだった。


 春には、志望校のMARCHを見事に滑りきって、手頃な女子大へ進学することになった。

 

 恋を断ち切った私は恋を失い立ち上がることがわからない。断ち切ることはとても怖かったが、自らが選択したことだ。すっきりとした想いとやりきれない何かがこごっている。


 しかし、失恋はどうだろう。相手から突きつけられることではないか、それは。それは私にとってとても怖い、恐ろしいことに思えた。受け入れられないことに恐怖した。


 大学に進学した私は勉学とサークル、そして女子大を言い訳に恋愛から逃げた。いいなと思う男の子に出会うこともないことはなかったが、恋というものには発展しなかった。二回程ごはんにいっただけで顔もすぐ忘れた。


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