故意は盲目
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彼はそうですね、なんと申し上げればよいのやら。
変人とはまた別の感じがします。えぇ、違いますね。
天才? 彼が? 違いますよ。彼は天才なんて部類の人間では決してありません。
彼は『俺は天才だー』とかなんだと言っておりますが虚栄を張っているだけです。
イメージと違いますか? ふふっ、そうですね。私も彼の近くに居なければただの変人だと思っていました。彼は鈍感で臆病で誰よりも人を信じていない癖に自分に嘘をついて傍に寄る。
器用貧乏で味に五月蠅くて……、彼と喧嘩した半数は料理の味付けだったと思います。
すいません。嘘を申しました。半分は言いすぎですね。
銀貨三十枚? あぁ、私が彼を買った値段ですね。
彼も私を金貨一枚で買いました。私の方が高い? 驚きですか?
別に怒りはしませんよ。彼らしいですね。私には金貨一枚の価値も無いのに彼といったらほんと――っと、失礼、少し感傷的でしたね。すいません。
彼との最初の出会いですか? そうですね。彼と最初に出会ったのは私の父が領主をしておりましたヘンブル領東のレネージュと呼ばれる場所で彼が必死に自分の価値を見出そうと畑を必死に耕している時でした。その時、私はというと、恥ずかしい話なのですが、自分の領地でありながら迷子になっておりました。
それが主人、マスターユーリとの数奇な運命の始まりでした。
先ほどから言われているMissと言うのは止めていただけませんか? 私はもう、Mrsです。えぇ、ご存じなかったのですか?
それはすいません。昨日入籍したばかりでしたがもう周知のように惚気てしまいました。
祝言をありがとうございます。
ともかく、彼を一言で言うのなら『王様』ですね。
でも、私にとっては『神様』ですけどね。そして私は『傍若無人の神様に捧げられた生贄』ですけどね
―ヘグレシアタイムズ 特別号より一部抜粋―
夜が明けるも未だに日の光が表に立たない薄暗い頃、コッケイ種と称される鶏の鶏鳴が山々に反響しレネージュに住む住人達を眠気の泥沼から引き上げる。
レネージュは三方向を山で囲まれており、毎年この時期になると北側の山岳部から下りてくる霧の群れの中にすっぽり覆われ静けさに呑まれる。
重い目蓋を開け睡魔を大きな欠伸と共に派出する。眠たさによって欠伸の大きさは違うのだが今日は特に大きく、起きる気力を刈り取ってしまいそうだった。
目を擦り睡魔を払いのける。
「ユーリ、早く起きなさい。今日はエーテルと一緒に狩りをするのでしょう」
ボロ部屋の木製扉が開かれるとレシレルさんが不機嫌そうな顔をのぞかせた。
ユーリとは俺のことで、この異世界で仕事をしない領主が保有する荒れ地を肥やそうと奮闘している開拓民もどきをする夫婦の元で暮らしている。彼ら夫婦と俺に血縁関係はなく赤ん坊の頃に『レネージュの拠所』というレネージュの名前の由来となった御神木の根元で拾ったらしい。
正確な年齢はわからない。拾われて七年は経過しているので一応七歳ってことになっている。体が年相応であるので七歳で間違いないだろう。
俺の拾われた経緯は簡単なもので夫婦は結婚から日が浅く子供が欲しいと思っていた矢先に俺が捨てられていた。夫婦からすれば棚から牡丹餅だ。
当時の二人は神の導きだと信心深くもない妻のレシレル・カトーレア(旧姓ライオンハート)さんは考えるほどで、この世界の捨て子は珍しかった。
縛りの緩い奴隷制度があり奴隷商に売ったほうが金になっていい。少なくとも金貨二枚、レネージュの平均年収の大凡二年と三カ月程度である。
夫であるハバット・カトーレアは一つ返事で俺を育てることを良とした。
彼ら夫婦はもう一人子供がほしいかったらしく俺を拾った一年後に男の子を産んだ。お盛んなことだが子供であるが一応精神は大学生の身。
ませた子供である俺には刺激が強かった。
血の繋がっている子供の名前はエーテル・カトーレア。拾われた俺の名前はユーリ・カトーレアと名付けられた。どちらも男なのだが女らしい名前になってしまっている。
俺は間違いなく異世界で生きている。生前の記憶はハッキリとはしていないし確証はもてないが生まれ変わっているなとは思った。
子供になったのだから生まれ変わったのは当たり前のことだろうと考えるわけだが、どうやら俺の女性に似た顔は輪廻転生型だったらしくレシレルさん曰く、俺を拾ったときに女の子かと思ったけどまたに棒が生えているのを見て驚きやっと男の子だと思ったらしい。
生まれ変わっても、世界が変わっても、この呪いはついてくるのかと自我を持ち始めた頃は絶望したものだ。なぜ漢になれないのかと。
「わかった。今から準備するけどエーテル起きてる?」
「起きていたら私はこの卵を焦がしてないわよ。あと横で寝ている子はだれになるのかしらね」
とレシレルさんは木皿の中にあった炭化目玉焼きを俺に見せると俺は眉を顰めた。
清涼な朝が一瞬にして一蹴されてしまい乱反射して窓から出て行った。
待ってくれ俺の清々しい朝よ。
実はレシレルさんは料理が大の苦手で目玉焼きを作ろうものなら炭に、スープを作ろうものならゲル状になったしまうほどの不得手。逆に夫のハバットさんは得意としており、近所の人からはどうしてあんな娘さんと結婚したのだと未だに言われ続けている。
いつもなら、ハバットさんが仕事に出かける前に家族分の朝食を作ってくれているのだがここ最近は仕事である田畑の管理等が忙しいらしく家に帰ってきてはすぐに眠っては誰よりも朝早くに出て行ってしまう。高度経済成長期の技術者みたいな暮らしぶりだ。俺も手伝いたいのだが若いころから過酷な労働を強いるわけにはいけないと父、ハバットさんが許さないので狩りと自分のうちの畑で効率的に作物の取り方を模索している。
生前の記憶は役に立っている。
二毛作はすでに技術として存在していたので、牛糞を使う肥溜めを提供した。壺に牛糞等を入れ発酵させ、水に薄めてから使用すること、使いすぎると逆効果になってしまうことを指摘した。
発酵させないで堆肥とすると窒素飢餓が発生し根腐れを起こす。初期段階ではいいが寄生虫の卵や発酵熱(七十度)に耐える種類などがあれば健康を害する。
そこはミミズを使い補っている。本来は専用とも言うべきミミズがいるがわからないので畑に居た奴を増やして使っている。
後々は窒素、リン酸、カリウムを科学生成まで持ち込めればいいが俺にそこまでの知識はないが魔術でつくれるそうだ。
輪作もしたかったのだが見たこともない野菜ばかりなのでどの野菜でサイクルを組めるのかまだ試験段階で実用には至っていない。
肥溜めと輪作だけでは野菜は取れるが収穫量を底上げるならば害虫に病気などの対策を講じなければならない。
害虫は害虫の天敵を放てばいいだけなとど安易ではないがアブラムシ程度なら牛乳と火酒を混ぜた液体を薄め吹きかけすぎないように野菜にかけておくと良い等をハバットさんに教えている。
村一番の賢者とは俺のことで通っている。
この世界の識字率は高くなくお隣さんのペトスさん、御歳六十三のご老体は読み書きができないでいるし寧ろそれが当たり前なのだとのこと。
紙も羊皮紙で印刷技術も筆写のみ。活版印刷など夢のまた夢である。
料理も煮込む、焼くといった簡単なものしかなく、保存食は塩漬けだったり高価なものだと胡椒を使っている。
「ホント、母さんは料理が壊滅的にダ――」
一陣の風が頬を通過したと感じたのはレシレルさんの拳が真横にあったときだった。
扉にいたレシレルさんはいつの間にか俺の目に立っており耳のすぐ横には年にそぐわない綺麗な腕。遅れて空気がなくなる。
「いい腕ですね。とてもいい。えぇとても」
「よろしい。早くエーテルを起こして朝食を作って狩りに行きなさい」
そう言い残しレシレルさんは俺に炭化料理が入った木皿を渡すと部屋を出て行った。こう見えるが昔のレシレルさんはヘンブル領の近衛騎士団隊長で近隣諸国に恐れられた人だったらしいが母となった彼女に見る影はない。
ハバットさんと結婚するため領地も名誉も金も全て捨てたと毎晩聞かされたが浪漫溢れる内容だが一言で言うなれば恋は盲目。
俺に眠り続ける余地はなく俺のベッドで寝ているエーテルを起こした。なぜ、今まで起きないのかと疑問に思うが人は慣れることや日常に強い生き物だと痛感した。
「エーテル、起きろ。狩りの時間だ」
「ううっ、まだ眠いよ御姉ちゃん」
「おうおう、朝からジョークが冴えているな、そんな君には母さんの愛情をあげよう」
と、俺は問答無用で弟の口の中にとてもおいしい目玉焼きを押し込む、無論、気道に入らぬように最初に手を突っ込み指で舌を触ってから押し込んだ。
効果は言わぬが花。毒を盛られて小悪党のようにのたうちまわる弟に兄である俺は寛大な心で先ほどの無礼を許してあげた。罪を憎んで人を怨まず。とてもいい言葉。
「ゲホッ、ゲホッ、いきなり酷いよ。にいに」
涙目のエーテルは俺に似て女の顔に似ている。肩ほどある金色の髪は無垢な顔をより純粋なものに変え、大きな目と小振りの唇はあどけなさを含有する。男ではないのなら誇らしいが兄としては複雑で母のレシレルさんとしては着せ替え人形が増えたと喜ぶが父のハバットさんはずっと男がほしかったとぼやくも息子を溺愛している。親バカの存在は世界を超えても確かに存在することが立証され続けられている。
「早く起きろよな、ほら朝ご飯作るから顔を外の井戸で洗って来い」
「にいにのご飯は好き! 今日はどんなのにするの?」
「う~ん。卵とパンとシカ肉の残りだけだからな、塩に余裕あるならシカ肉サンド。なかったら仕方ないので卵焼きで夜は豪勢にしようかな」
「りょーかい。おいしいのを待ってるよ」
この後、数十分後に俺達二人は弓とナイフなどを持って狩りに出かけた。




