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昨日の自分にさようなら

作者: 結城つばさ

 ねぇ、母さん。

 この世界には酷い人間が沢山いるけれど、それと同じように優しい人も沢山いると思う。

 僕は悪い人ばかりではないということを、この場所で学んだよ。

だから、お母さんも元気を出して。


 なま暖かい春の風。

 誰かが暖かく見守ってくれているかのように、心地よい朝の日差しが賑やかな市場を照らす。

 市場の大半が木で出来た茶色い屋根の店。大きな白い砂の道の両脇に建ち並んでいる。

 そこに花束を携えた、春の季節に相応しくない地面を引きずるほどの長く黒いロングコ

ートを着た少年が白い砂の道をゆっくりと歩いていた。

 ロングコートのフードを目深に被り、何かを警戒するかのように落ち着かない様子で店を通り過ぎる。

 市場の人々は少年のことを気にもせずに商売をしている。

 誰も僕の存在など認知していない……。

 そう思い、うつむきながら歩いていると

 ドンッ!

 と、走ってきた、まだ六歳くらいの快活そうな男の子に真正面から衝突した。

その反動で子供は地面に大の字で倒れ、華奢な少年はその場でしりもちをついた。

 慌てて近寄ってきた朗らかな雰囲気の女性――この子の母親だろう。

 この町では見かけない顔だ。きっと他の村の人だろう。

 ぶつかった少年に謝り、泣く子供を抱きかかえ頭を撫でた。

 少年はゆっくりと立ち上がり服についた砂を叩き落として、

「こちらこそごめんなさい」

 少年はフードをさらに目深に被り、謝った。

 母親のそばにいる女の子。もう一人の連れ後だろうか。男の子と同じ年くらいだろう。生意気な顔をしている女の子が少年を指差した。

「ねぇ、お母さん。どうして、このお兄ちゃん変な格好してるの?」

 母親は慌てて女の子を叱責するが、しつこく尋ねてくる。

 少年は一瞬だけ怯えるように肩を震わせた。その時――。

「お兄ちゃんは、寒がりだからだよ」

 横から優しい男性の声が聞こえた。

 目をやると、細い浅黄色の瞳で精悍な顔つき。髪は猫毛の金髪の青年が子供に微笑みかけていた。

 クリーム色のタートルネックのような服に紺色のズボンが好青年という印象を持たせる。

 母親はごめんなさいね、と言って子供を連れて、そそくさと少年の前から去っていく。 

「ありがとう。クリスさん」

 まだうつむきながら、そう言った。

「アシュレイ。いいんだよ」

 クリスと呼ばれた青年は少年の名を呼んで、また微笑んだ。

 クリスさんはアシュレイの家の近所に住んでいて、親しくしてもらっている。けれど、

その優しさが同情のように感じて嫌だった。

 すると、再び、あの生意気な女の子がアシュレイの前に現れた。

 小動物のような丸い瞳でアシュレイを見つめ、

「やっぱお兄ちゃん変だよ」

 と、言った瞬間――突如、突風が吹いた。

 舞い上がった白い砂が目に入らぬように路上を歩いていた人々は目を瞑る。

 女の子が目を開けた時、短い悲鳴をあげた。

 目深に被っていたフードが後ろに戻ってしまっている。アシュレイは顔を両手で隠そうとしたがもう遅かった。

 助けを求めるように女の子は母親の元へ逃げていく。

 母親はわが子を抱きしめ、その顔を見て、ねめつけるような軽蔑の眼差しを送って、言い放った。

「化け物!」

 アシュレイは泣きそうな顔した。表情を隠すように両手でフードを被り直した。

「……アシュレイ?」

 心配してクリスが名前を呼んだ。

「………」

 何も言わず目の前にいる浅黄色の瞳の青年を押しのけ、走り去っていった。

「アシュレイ!!」

 叫んだが、その声は届いていない。

 市場の人たちが気づいたのかアシュレイが去っていった方を見つめる。

 去り際に落としていった、黄色く花弁がふんわりと綺麗に開いていた花。無惨にも散ってしまっている。

それの姿はアシュレイの傷ついた心のようだった。


 町の中にある市場から外れた場所にある家並。

 白い屋根が立ち並ぶ。

 勢いよくロングコートの少年は家のビスケットのようなドアを開けた。

「アシュレイ、おかえりなさい。外はどうだった?」

 たれ目の大きな瞳で体系は恰幅な四十歳くらいの女性が台所で食器を洗いながら訊いた。

 アシュレイは返事もせず、台所のあるリビングの部屋を走って通り過ぎ、再び、ドアが閉める音が家中に響き渡る。

 次に激しく何かを叩く音が聞こえた。玄関の扉からだ。

 女性はため息をつき、食器を洗う手を止めた。


「また、なのね」

 恰幅な女性はそう言った。

 リビングで木製の円卓に向かい合わせに女性とクリスが座っている。

 さきほど激しく玄関の扉を叩いていたのはクリスだった。

 扉を開けたとき、息を荒らげていた。片手にはアシュレイが落とした花を持っていた。

 クリスは女性が出してくれた紅茶のカップを両手で包み、悲しそうな顔をする。

「あなたまで、そんな顔しないの」

 落ち着いた口調で青年を宥める。

「でも、レナおばさん。彼はせっかく外に出れたんですよ。それに今日は……」

「……そうね。前向きになれたのに。これはあの子自信、耐えなきゃいけないのよ」

「あの子、どうにか元気にできないですかね」

「……立ち直るには時間がかかるかもしれないわ」

 そう言いながら、円卓の隅にある写真立てを手にした。そこにはレナとアシュレイの姿が映っていた。

 黒髪に茶色に少し青が混じった丸い瞳。十八歳とは思えないような幼顔だが、どこか大人びたている。写真に写っている彼は無表情。左半分だけ見れば普通の少年だ。

 右半分は紫の髪に猫のようなつりあがった銀色の瞳。鷲を思わせる足と手。皮膚は乾燥した土のようだった。

 この世界には不思議な種類の生き物が存在する。

 人の姿ではない、動物とも呼べない人より優れた身体能力を持つもの。人間はそれを化け物と呼んでいる。

 なぜ、このような生き物がいるのか未だ解明されていない。

 アシュレイはその化け物と人間の間から生まれたのである。

 父親は化け物でアシュレイが三歳の頃に何者かに射殺され死んだ。その後、母親は周囲の人々から化け物を産んだ人間として散々苛められ、それでも彼女一人で少年を育てた。けれど、周囲の差別などに耐え切れなかった母親はノイローゼになり、アシュレイを育てられなくなり、母親の姉であるレナに引き取られた。

 両親の落ちぶれた姿を見てきたせいかうつろな瞳に暗い顔で暗澹な気持ちなのだろう。レナや他の人ともほとんど口をきかない。

 幾つもの鍵があっても、アシュレイの心の扉は開くことはないのかもしれない。

 

 夕刻。

 燃えるような赤い景色が空に広がる。

「……クリスさん帰ったの?」

 部屋に閉じこもっていたアシュレイがリビングに顔を出し、とても消え入りそうな声で訊いた。茶色い瞳で辺りを見渡す。

「さっき帰ったわ」

「そう……」

 アシュレイは悲しげというよりも、申し訳なさそうな顔をした。

 リビングから離れようとした時――レナに呼び止められた。小首を傾げ、向き直る。

「はい」

 レナに手紙を渡された。何なのか尋ねるとクリスからの手紙であると答えた。

 アシュレイは手紙を開き、文章を読んだ。

『夜の九時。この村で一番大きな酒場にくるように』

 と、男性とは思えないような綺麗な字で書かれていた。本当にクリスの字だ。

 ポンッとレナに肩を軽く叩かれる。

「行きなさい」

 そう言って朗らかに微笑む。

 アシュレイは首を横に振った。外に出るのが怖いのだろう。

「大丈夫よ。夜だし、私もついていくから」

「……うん」

 レナおばさんが一緒なら、と思い弱々しげに小さく頷いた。


 夜になり、市場はポツポツと店の前に置いてあるロウソクの火に灯されている。

 いつものとおりアシュレイはロングコートのフードを目深に被り体を隠しているが、この時間帯でもやっている店はあるはずだ。今日は店が全て閉まっていた。

 それでも誰か出てきたら怖い、と思い隠したままだ。

 「コート脱いだら?」

 いきなりレナが言った。

 アシュレイは黙り込む。

 「いいから脱ぎなさい」

 と、言われ首を横にふり嫌がった。

 「大丈夫だから。私を信じて」

 レナがそう言うと、少年と同じ目の高さまでしゃがみ両手を包みこみ見つめた。

 「あなた、誰かを一度でも信じたことある?」

 アシュレイは黙り込んだ。

 そういえば、ないかもしれない。

 「私でも誰でもいいから信じれば、人って変われるのよ」

 言葉を聞いて、少年は自然にコートを脱いでいた。

 レナおばさんの言うとおりだな、と自嘲した。

 レナに言われた言葉。

それでも怖いのは拭えない。

 この醜い姿、誰かに見られたら……。

 『化け物!!』

 朝に言われた言葉を思い出す。あの差別するような瞳。思い出すだけでも泣きそうになる。

 大きな白い砂の道をしばらく二人で歩いていると、クリスの手紙に書いてあった店に着く。

 時代を乗り越えてきた趣のあるも木製の酒場。

 キィ……。

 色が剥げている木の扉をゆっくりとレナが押し開ける。

レナは扉を押し開いたまま、アシュレイに先に入るように促す。少し躊躇ったが店の中に

足を踏み入れたけれど、人が誰もいない。

 すぐ少年の目に入ったのは正方形の赤い大きな箱だった。レナと顔を合わせると彼女は頷き、箱の所に行くように、と目線を送った。

 怪訝な顔をしながら箱に歩み寄る。箱の上には『ゆっくりと開けてください』とクリスの字で書かれた文章があった。

 開けるのが怖かったが、書いてあるとおりにしようと、両手で箱を掴んだ。

 箱の蓋を上に持ち上げた瞬間――。

 突如、少年の両脇から爽快な破裂音が幾つか轟いた。

 アシュレイは体を一瞬だけ震わせ何が起こったのか判らず呆然としてしまっている。

 店のカウンターの古びた扉の奥からクリスが出てくる。市場の人々も店の色々な扉から出てきた。

 アシュレイはこの醜い姿を見られるのが嫌だったのか逃げようとした。後ろにいたレナに両肩を掴まれ、

 「大丈夫よ」

 と耳元で囁いた。

 クリスはアシュレイの前まで来て、息を大きく吸った。

 そして――。

「お誕生日」

 そう叫ぶと

「おめでとう!!」

 次に店にいる全員が叫んだ。

 さきほどの大きな音はクラッカーだ。

 そう、今日はアシュレイの十九歳の誕生日なのだ。

「……えっ!?」

 アシュレイはまだ状況が把握できてないのか、狼狽している。

そんな少年にレナは優しく伝えた。

「クリスがあなたの誕生日を祝うために村の皆を呼んだのよ。よく見てみなさい。村の皆、全員いるでしょ」

 レナの言うとおり、村の皆が居る。ここは小さな村で知らない顔はいない。

「なんで、僕のために……」

「あなた判ってないでしょうけど、皆から受け入れられているのよ」

 レナの言葉を聞いたとたん、アシュレイの瞳からしずくがこぼれた。

 自分は醜い生き物で誰からも受け入れられていないと思っていた。ただ僕は自分のことで精一杯で周りが見えていなかったのかもしれない。

「……皆、ありがとう」

 涙を服でぬぐいながら、感謝の言葉を心の底から言った。

 箱の中身は色んなメッセージが添えられたクッキーが入っていた。全て、皆の優しさがつまった文章がクッキーの一つ一つにつづられていた。


 翌日の朝。

 アシュレイは鬱蒼と緑が茂る丘の上に来ていた。

 そこは村全体を見渡せる所。この場所に来た理由はただ一つ。死んだ父親に十九歳にな

ったことを知らせることだった。

 十字架の墓の前に、黄色い花を置いた。


 ねぇ、お母さん。

 もっと視野を広げて世界を見てみよう。

きっと僕たちのこと受け入れてくれる人がいるよ。

 だから、早く元気になってね。

 ――僕と一緒にこの大きな世界を見よう。

今回のお題は難しかったです。

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[一言] 私は小説を描く才能には恵まれていません←正直なとこ。 でも、本はこれまでに何冊も読んできました。 このサイトにある短編の数々でこの作品は、私の視線を引っ張りました。 まず、この題名がいいです…
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