8話
篠宮さんから、初めて朝の挨拶を返されてから数週間がたった。
直接声にして返されたのはあの時だけだったが。あれ以来篠宮さんは無言だが僕の挨拶に対して会釈をする形で返答してくれるようになった。
初めの内は会釈だけでも大きな進歩だと喜んでいたが、そこは人間の性。今ではすっかり現在の状況に慣れてしまい、再び彼女の肉声でおはようの言葉を聞きたいと、日々画策している。
ある日は脅かすように、不意を付いて後ろから大きな声で。
ある日は朝礼開始のチャイムがなるまで彼女の前で仁王立ち。
ある日はおはようにメロディーをつけて適当に歌ってみたり等々。
いろいろな方法を試みているが彼女は毎回同じように静かに会釈を一回するだけだった。
確かに会釈だけなのは寂しかったが、明日はどんなことしようかと考えるのも中々楽しく、きっと篠宮さんも毎朝、今日は何をするんだろうと本心では心待ちにしているに違いない。はず。
と、希望を持っていないとやるせなくなるぐらいには落ち込んでいる、ここ最近であった。
「それじゃぁ今からテスト明けにある体育祭で、誰がどの種目にでるのか決めたいと思います。種目は黒板に書いてある通りです。やりたいのが決まった人からそれぞれの種目名の下に名前を書きに来て下さい。定員オーバーした場合は話し合ってください。最低でも一人1種目、多くても2種目までです。」
我が校では毎年一学期末テスト後にクラス対抗の体育祭が2日かけて開かれる。勉強で溜まったストレスを運動で解消させようとするのが意図だろう。
そんなこんなでこの前追試が終わったと思ったのに一学期末試験初日を明日に控えた今日、学活の時間を利用して委員ちょちゃんが皆にそう言った。その言葉を受けてクラスではザワザワとどれに参加しようかと席が近くのもの同士で話し合っているのが聞こえてくる。
種目は大きく分けて2種類で、団体競技と個人競技である。
団体競技のほうはあらかじめ仲間内で話し合っていたようで、既に名前が埋まっていた。
一方個人競技のほうはまだ全然埋まっていない。
「ねぇ浅野君。浅野君は何に出るの?」
僕の前の席に座る波多野さんが、僕のほうを向いて聞いてきた。
「ある程度埋まるの待ちかな。」
「希望とかないの?」
「僕、優柔不断だからね。自分で決められないから余ったのを取ろうかと。」
それにそれだと揉める事もないからね。
ほらあそこの男子みたいに。
やはり人気のある種目というのは存在して、人気のある種目=モテる種目と言うことで、その種目を巡って揉めるのはよくある。僕は争いごとが嫌いだから、平和主義者だから余り物にするんだ。
「じゃ、じゃあさ、私と、その、男女混合二人三脚に出ない?」
僕がいかに平和が素晴らしいことか力説しようと思っていたら、顔をほんのり赤く染めた波多野さんが爆弾発言をした。
「え?」
「駄目かな……」
篠宮さんが僕に代わって波多野さんとメールをした日以来、時折見せる波多野さんのこういった顔。
ホント篠宮さん何したんだ?
「えっと、駄目ではないんだけどね、うん」
そういうとパッと明るい笑顔を浮かべる波多野さん。
君絶対僕に恋してるよねぇ?僕ヘタレだからちゃんと聞けないけど、きっとそうだよねぇ?
ホント篠宮さん、何したの?
は、置いといて。
波多野さんと二人三脚をするのは少し困る。我がクラスのアイドルと二人三脚した日にゃ、嫉妬の嵐で血の雨が降るだろう。それはなんとしてでも避けたい。
そりゃね。僕だってしたいさ。二人三脚。肩組んで太もも密着させて、イッチニーイッチニー言いたいよ。それでゴールした後ハイタッチしたいさ。
でもね、僕は平和主義者なんだ。痛いのイヤだよー。
どうしよう。どうしよう。
「亜衣、やめといたほうがいいよ。アンタ自覚ないかもしれないけどクラスのアイドルなんだから。浅野君が男子達から嫉妬されて大変なことになっちゃうよ。」
僕がどうやって断ろうか考えていると波多野さんの斜め前に座る女子生徒が助け舟を出してくれた。
「そ、そうなのかなぁ?」
波多野さんが先程とは一変、気まずそうな顔で再び訪ねてきた。
「た、多分ね。だから誘ってくれたのは嬉しいんだけど……」
よし、これで一件落着だろう。
「…分かった」
僕はもう一度波多野さんに謝罪の言葉を言ってから、助けてくれた女子生徒に心で礼を述べた。
そして再び黒板がクラスメイトの名前でドンドン埋まっていくのを眺める。
結論から言おう。
結局僕は男女混合二人三脚に出ることになってしまった。
原因は男女混合という所にあると僕は考える。
主催者側からしたら粋な計らいのつもりだったのだろう。
確かに男女混合。青春真っ盛りの高校生にとっておいしい言葉ではあるである。
しかし、ペアを組むということはどちらかが誘わなければならない。これは実に難易度の高いミッションだ。意中の相手ではなくても異性を誘うのは勇気がいる。その点では波多野さんは尊敬できる。しかし、勇気を出して誘ってもその後も中々難しいのだ。僕のように周りの目を気にする人も多いだろうしね。それと同様の理由でたとえカップル同士であっても、よほどのバカップルでない限り男女混合二人三脚に参加するのは憚れる競技なのだ。やっぱり恥ずかしいんだよ。うん。
その他にも人数の関係やらいろんな条件のもと、我がクラスではこの男女混合二人三脚が余ってしまった。そして、余り物にしようと決めて待機している間に眠りに落ちていた僕は、次々と余り物が減っていく中、何も対応することが出来ず必然的にこの競技をやる羽目になっていた。
そして相手はなんと、篠宮さんだった。
彼女も僕同様に余り物にするつもりだったのだろう。
きっと読書でもしていたのではないだろうか。それで何が余っていってるか把握してなくて気づいたら、って感じだろう。まぁ篠宮さんの場合、ペアだろうがソロだろうが関係ないと、本当に最後に余ったものにするつもりで読書も何もしてなかったかもしれないけどね。
とまぁ、そんなこんなで篠宮さんと二人三脚をやることになってしまった僕。
波多野さんとの場合よりは嫉妬の目は少ないのだろうが、それでもいくつか鋭い視線を感じる。
そんなに男女混合二人三脚をやりたかったのなら勇気出せばよかったじゃないか。
今からでも代わってといわれたら僕、代わるよ?喜んで。
そして男子から向けられるのとは別の類の、心を抉る様な視線が僕に向いていた。波多野さんから。
ごめんなさい。こうなるなんて予想してなかったんだよ。
ごめんなさい。土下座するから許して。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
今日ほど授業中寝たことを後悔した日はなかった。ていうか初めて寝て後悔したと思う
僕の顔は今、申し訳なさと後悔とでわびしい顔になっているのだろうと思う。
でも今篠宮さんがどんな顔をしているかは席の都合で分からないが、きっといつものように無表情なのだろうなと思ったら少しおかしかった。
「それじゃあ、今からはもうあまり時間は残っていませんが明日に向けてテスト勉強してください」
委員ちょちゃんが元気にそう言った。
僕は気まずさと後悔と少しの期待を胸に机に顔を近づけた。寝るためである。
その瞬間波多野さんが、勢いよく椅子を引き、椅子が僕の机に当たった。
「あら、ごめんあそばせ」
振り向いてきた波多野さんが目をキッとさせて、小さくしかしどすの聞いた声で言った。
「あはは、き、気にしないで」
最初から気にするつもりは無かったのであろう。
僕が言葉を言い終える前に勉強する姿勢に入っていた。
僕は授業が終わったら何かおごろうかと思いながら再び伏せた。
何はともあれ、今年の体育祭は一波乱ありそうである。
ないかもしれないけどね。
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