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腐肉の王  作者: 坂田京介
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1-7 帰還(下)



 キリカの屋敷の食堂は来客が来ることも前提として大きめに作られている。中央に細長いテーブルが置いてあり、壁には微笑んでいる女性の油絵が掛けられている。出入り口が三つほどありその内一つは厨房へと繋がっているようだ。テーブルの大きさからして許容量は大体十人から二十人程度だろうか。そこにキリカ達三人とタリスの計四人というのも随分と寂しい感じがする。


「本当はもっとこぢんまりした場所がいいんですけどね、厨房に近い適当な部屋が無いものですから」


 そこら辺はタリスと同意見だったのか、作った食事を皿に載せて持ってきたカリムが苦笑を浮かべた。どうやらメインの献立は白身魚のムニエル、スープ、パンといったものらしい。スープに使われているハーブの香りが食欲をそそる芳香となってタリスの鼻腔をくすぐる。


「それよりも本当に良かったんですか、料理は私たちの分だけで。もう一人前作るのくらい大した手間じゃありませんでしたよ?」


 気がかりそうなカリムの言葉に今度はタリスが苦笑を浮かべる番だった。


「ええ。お恥ずかしい話ですが味覚が駄目になっていましてね。余り食事は楽しめないのですよ」

「……そうなんですか」


 カリムは微かに表情を曇らせた。キリカとユキも同様だ。特にユキは随分と絶望的な表情をしている。タリスはそんな三人を見て、口元に浮かべていた苦笑を深くした。


「まあもう随分と前の事ですから、お気になさらず」

「あれ、でもそれならわざわざ私たちに付き合う必要もないんじゃないッスか?」

「いえ、食べるのは好きじゃありませんが、食べている人を見るのは結構好きでして」

「……何だか変態ちっくッスね!」

「まあ、あえて否定はしません」

「いえそこは否定して下さい」


 軽く肩を竦めたタリスに対し、どこか呆れた様子で突っ込んだのはキリカだった。キリカは厨房から持ってきた料理を手際よくテーブルに並べている。どうやらこの屋敷で食事を用意するのはキリカとカリムの役目らしい。タリスも一応調理の技術はあるが、余り得意でもないしそれに信用が第一の調理人に突然立候補するというのも非礼だ。


 タリスがいた大陸でもそうだが、ここガイベルク大陸でも食事というものは非常に重要な位置を占める。だがそれに必要な食材が農耕のような形で安全に手にはいるかというと答えは否だ。結局の所十分な栄養、魔素を吸収するには魔物を狩るなどしなくてはならない。だが魔素を無害にし調理するのは専門知識とそれに見合っただけの力量、場合によっては器具を必要とする。


 つまり調理師というのはある程度の魔導の知識が求められる。結果として家で殆ど調理しないという人間も都市、農村問わずに多い。それを考えるときちんと本格的な厨房があり、それを使いこなしているキリカ達というのはやはり上流階級なのだろう。


「――この糧に感謝を」


 皿を並べ終わり全員が席に着いた後、簡単な祈りと共に食事が始まる。

 やはり育ちがよい所為だろうか。テーブルマナーという点では三人ともそれなりに洗練されていた。だが詳しく見ていくとそれぞれ性格が見えて面白い。

 教科書通りの完璧なテーブルマナーで食事をするカリム。作法は完璧なのだが少々はしたないペースでもぐもぐと咀嚼しているキリカ。教育は受けているようだが余りそれに拘泥せずに好きなように食べているユキ。


 タリスはそんな三者三様な食事風景を視界におさめながら、懐から丸薬のようなものを取り出す。色はどす黒く、お世辞にも美味しそうには見えない。それを慣れた様子で口に含み、強引に水で押し流す。


「…………?」


 気が付けばユキ達三人がタリスの事をじっと見ていた。ごく普通に食事をしているように見えたが、タリスは思ったよりも気にされていたらしい。特にユキは眉をハの字にして、信じられないようなものを見る目でタリスの事を見詰めている。


「……それが食事ッスか?」


 ユキのオッドアイが情けなく歪められている。その手は止まり、声は僅かに震えていた。カリムはユキを止めるべきか迷っているようだった。口元をナプキンで拭いて事態を静観している。キリカは肉をもぐもぐと咀嚼している。


「ええ。味覚が駄目になった僕は考えました。味というものを全て無視した究極の料理を作ろうと」


 料理という形でマナを吸収する事でそれを食べた人間の魔力量は僅かながら上昇する。つまり料理というものは味というファクターだけでは評価できないのだ。尤も余程の高級料理でもなければその効果は微々たるものなので、普段の食事でこの効果を当てにしている人間は殆どいないが。

 タリスの丸薬はその効果を極限まで煮詰めたものだ。恐らく味は酷いものだが魔力を安定させる効果がある。


「その試作品がこれです」


 タリスは丸薬を一つ取り出し見せる。随分と禍々しい。ユキの表情におののきが混じった。


「まあ僕以外に食べさせた事は無いですが、もし食べたら多分無事じゃすまないと思うので試食は遠慮してください」

「……頼まれても食べないッス」

「多分それは料理とは言わないと思います」


 ユキは嫌そうな顔で、キリカは無表情に言葉を返す。そんな中、そういえば、とカリムが口を挟んだ。


「高位の魔導師や戦士は食事を取る必要すら無いと聞きましたが、タリスさんでもやはり食事を取る必要はあるんですか?」


 魔導は万能だ。魔力さえあれば物質を作ることも生命を作ることすら出来る。そしてその魔力は大気中から吸収する事が出来る。結果として食事の必要性というものは下がっていく。だがそれにも幾つか問題があるし、タリス自身の魔力的特質から云っても余りそれに頼る事はしたくなかった。

 だがそんな事を一々説明する気にもなれない。


「まあ必要ないと云えば無いんですけどね。何だかんだ言って有用ですから」


 結局タリスの口から出たのはそんな言葉だった。


「そんなもんですか」

「そんなもんです」


 カリムが頷く。タリスもそれに頷き返す。

 少々ぎこちなかった空気が段々とほどけていく。キリカはそれを感じ、口元に微かな笑みを浮かべた。





 湯気とほどよい熱気が浴室を覆っている。

 キリカの屋敷にあった風呂場は木造の大きな浴槽が備え付けられたかなり豪華なもので、キリカ達三人が入ってもなお余裕がある程に広かった。木造と言っても実態は大掛かりな魔具なので、掃除もそれほど手が掛からず維持管理も簡単というかなり便利な代物だ。特に冷え性で風呂好きのキリカにとって欠かすことの出来ないものであった。


 夕食の後、ゆっくりと疲れを落としたいと云う事でキリカ達三人は風呂に入る事にした。普段は余り三人で入る事はないが、今回は珍しくカリムがそうするように二人を誘った。そして反対する理由もないキリカとユキがそれを受け、現在このように三人で入浴を楽しんでいる訳だ。


 浴室の奥の方でユキが天井を仰ぐようにしてリラックスした状態でお湯につかっている。その表情はふやけきっている。一歩間違えればそのまま沈んでしまいそうだ。

 カリムは備え付けられているシャワーの前で木製の風呂椅子に座り、身体をタオルで洗っている。

 そしてキリカは温かいお湯に胸まで浸りつつ、浴槽の縁に肘をつきながらそんなカリムを胡乱な眼差しで見詰めていた。


 視線の先のカリムはどこか清廉な色気があった。髪を上げて露わになったうなじから背中へのラインはしなやかに柔らかな曲線を描き、白くきめの細かい肌は汗ばみほのかに桜色に彩られている。整った眉目に理知的な瞳。まだ成長しきっていないその顔つきはどこかあどけなさを残し、それとは対照的にその体付きは成熟した女性のもので――。


 キリカの小さな手には余りそうな胸。肉付きのよい尻にキュッとしまったおなか。そしてそれらが生むくびれ。


 ……一体どこで差がついたんだろうなぁ。


 キリカは自らの身体と比べ合わせて嘆息する。薄いブロンドの髪。薄い青にも灰色にも見える瞳。白い肌。凹凸の薄い身体。自分の身体がそれほど嫌いという訳ではないが、流石に比較対象がこうだとなけなしの女のプライドが刺激される。特に通っている学園でも自分よりスタイルの良い人間が大多数となれば尚更だ。


 ……おんなじもの食べてるはずなんだけどなぁ。


「……えーと、キリカ、目線が怖いですよ」


 キリカの視線に耐えかねたようにカリムが言う。


「気にしない。減るものじゃないし」

「今私の中の何かが確実に減っていってるんですけど……」

「気のせい、きっと」





 腐臭。死臭。血臭。阿鼻叫喚。

 もう随分とそんな場所で生きてきた。


 酸鼻極まる戦場。絶望的な戦場。負けられない戦場。あらゆる戦場で敵にも味方にも畏れられ、疎まれ、嫌悪され、最後には味方がいなくなり命を狙われる事になった。

 そのことに対してどう思うかといえば、特に何も思わない。タリス自身敵に回った彼らの正しさは認めていた。だがタリスがそれを受け入れる事が出来なかっただけだ。


 死者の声に耳を傾け、それに殉じる。自らの立てた誓いを遵守する。

 それが望んで犠牲になった者たちに応える事だと思ったし、自らが滅ぼした故国に、そして犠牲にした沢山の人々に応える事だと思った。タリスは今でも頑なにそう信じている。だが――。


 ――腐肉の王。


 皮肉な二つ名だ。

 それは死霊術士としての卓越した力量に対しての畏怖が込められた、ある意味では尊称だ。だが同時に、それは嘲りと憐憫の込められた蔑称でもあるのだ。

 守るべきものを失い、その腐肉を寄り合わせたアンデッドを駆る惨めで憐れな死霊術士。


「……ふう」


 タリスはキリカの屋敷の居間で独り吐息を零した。この場所に来てから自身のペースが随分と崩れている事は自覚していた。この大陸の人間はあの大戦に全く関与していない。そしてタリスの行った行為についても知らない。多分これが原因なのだろう。

 だがその更に深いところについてはタリス自身今一つ自身の気持ちを把握しきれていなかった。騙している気がして後ろめたいのか。それとも慣れない距離感で戸惑っているのか。過去の日常を思い出すのか。


 タリス自身の元々の精神構造は常人だ。むしろ子供っぽいとすら云えるかも知れない。

 それが戦争によって歪み狂的なものを帯び、天与の才と合わさり死霊術士の才として開花した。だが同時に、その才がタリスを完全な狂気へとは引き摺り込まなかった。それは当然だろう。死霊術士とは死霊を制御する者を言うのであって、死霊に支配されている者の事ではないのだから。


 だからこそ、ごく普通の日常ではごく普通の人格が顔を出す。異常なものは孕んでいても、タリス自身にごく普通の平穏を求める気持ちはまだ残っているのだ。

 だが今更生き方は変えられない。

 何を犠牲にし、何を許容するのか。タリスはこの大陸での行動規範をまだ決めかねていた。


 そんな事をとめどなく考えていると、軽いスリッパの足音がした。

 振り向けば、湯上がりで頬をほてらせたカリムがやって来ていた。水色のパジャマに上にガウンを羽織っている。タリスも立ち上がり、そんなカリムを迎え入れた。


「お風呂あがりましたので、ご自由に使って下さい」

「あれ? キリカさんとユキさんはどうしました?」

「あははっ……。お恥ずかしいですが、キリカがのぼせてしまって、ユキはその付き添いで」

「ありゃ、大丈夫なんですか?」

「ええ。キリカはお風呂が好きなのは良いんですけど、放っておくと茹だりきるまで入っている事も時々あるんですよ」


 困ったものだと云った風にカリムが溜め息を吐く。その仕草は随分とお姉さんっぽかったが、カリムはすぐにその表情を真面目なものへと変えた。


「……タリスさん」

「なんです?」

「色々と有り難うございました」


 そう言ってカリムは深く頭を下げる。


「お礼ならもう三人から貰ってますよ」


 実際迷宮を出た折などにお礼の言葉は十分に貰っていた。

 そんなタリスの言葉にカリムは顔を上げ、どこか透明な微苦笑を浮かべた。


「それだけじゃ到底足りませんよ」


 小さな声だ。掠れているようにすら聞こえる。


「多分タリスさんも勘付いている通り、この都市にも裏道は幾らでもあります。そしてその裏道に入らなくては手に入らない情報、伝手なんてものも幾らでもあります。でも……私は迷宮に入ったメンバーの書き換えを行った相手の候補すら出す事が出来なかった。私たちに、私に用意できる伝手と情報なんてその程度なんですよ」


 居間を照らす光の加減だろうか。佇むカリムのその瞳は僅かに潤んでいるようにも見える。


「だからこそ、もし本当にキリカを守ってくれるのなら、私に出来る事は何でもするつもりでいます」


 その声にはひどく真剣な色が籠もっていた。そしてその言葉を証明するようにカリムは大きく一歩タリスの方へと近づいた。


「なにを……」

「ですので――」


 カリムが覗き込むようにしてタリスの方へと顔を近づける。お互いの鼻が触れ合いそうな至近距離。シャンプーと石鹸の清潔な匂い、そして火照った身体の熱気がタリスへと届く。シャツ一枚を通しての柔らかな胸の感触が微かに感じられる。鼻息がこそばゆい。吐息がくすぐったい。突如与えられた感触にタリスは思わず硬直した。

 そんなタリスの動揺を見て取り、カリムは満足そうにクスリと笑った。だがタリスにも、そんなカリムの頬が羞恥で僅かに紅潮しているのが見て取れた。


 カリムは白魚のような指先をタリスの首筋を撫でるようにして上へと滑らす。そして顎先を触れるか触れないかの柔らかな手練でくすぐるようにしてまさぐると、その頬を自らの手の平でゆっくりと撫でる。タリスがくすぐったさに身じろぎすると、それをあやすようにもう片方の手がタリスの頬へとそえられた。


「……っ」


 掠れるような呻き声がタリスの口から漏れる。そんなタリスの耳元にカリムはゆっくりと口を近づける。まるで抱きつくような体勢。年の割に豊かなその胸がタリスの胸元へ一層強く押しつけられた。カリムはそのまま顔を近づけていく。そしてついにタリスの耳へと唇が触れ合うまで近づくと、カリムは小さく口を開け、そのままタリスの耳たぶを口に含んだ。

 口内の熱くしめった感触。そして唇の柔らかな感触がタリスの耳から全身へと伝わる。だがやがてそこに新たな刺激が加わった。甘く鋭い刺激。そしてそれとは対照的のねっとりと粘着質な感触。甘噛みの歯の感触と、カリムの口内で艶めかしく動く舌の感触だった。

 カリムはタリスの耳たぶを舌で玩弄するように舐め回すと、その跡をまるでマーキングするように甘噛みし吸い付いた。ねっとりとした舌の感触に歯の感触がアクセントとなり、タリスに言い知れぬ感覚をもたらす。


「……はぁ」


 暫く後、カリムは満足したように口を離した。両者の口から自然と熱い吐息が漏れる。唾液が糸を引き、タリスの耳たぶとカリムの口の間に橋を作った。


「ふふっ」


 何がおかしいのか、カリムが微かに笑った。そして再びその顔をタリスの耳元へと近づける。だが今度の目的地は耳たぶよりも少し上。耳孔の辺りだ。そこに接吻をするように唇を近づけ、カリムは囁くように告げた。


 ――もしも襲いかかりたくなったら私にしてくださいね。


 甘い吐息がタリスの耳をくすぐる。艶やかな色気を伴った声だった。

 タリスが思わず顔を離し、カリムの顔を真っ直ぐに見る。何のためかはよく判らなかった。もしかしたらそのまま襲いかかろうとしたのかも知れない。だが――。


「……え?」


 思わずタリスの口から声が漏れる。視線の先。そこには羞恥で顔を真っ赤にしたカリムがいた。


「……あっ」


 カリムの口からも声が漏れる。その様子は年相応に幼く、先程までの妖艶な所作とは随分とちぐはぐで、タリスの動きは完全に止められた。


「…………」

「…………」


 お互いに無言で見つめ合う。少し顔を動かせば触れ合ってしまいそうな至近距離。そんな距離を離すでもなく縮めるでもなく、お互いに微動だにせずに随分と見つめ合っていた。

 やがて、今までの自らの所作を思い出したのだろうか、カリムの頬に一層の赤みが差した。タリスはまだどのように反応すればよいか判らずそんなカリムを見詰めている。そんな中、カリムは何事かをもごもごと述べると、そのまま逃げるようにして自らの寝室のある二階へと去っていった。


 カリムの寝室のある二階への階段は居間にもある。その所為で階段を上っていくカリムの後ろ姿はタリスの視界にはっきりと入っていた。

 湯上がりの所為か、それとも寝間着のせいか。素肌の曲線が容易に想像できるその姿。

 まるで名残惜しむようにそんなカリムの後ろ姿を見送ってしまい、タリスは大きく頭を振った。どんな感情がそこに込められていたのか。それはタリス自身にも判らなかった。



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