1-6 帰還(上)
都市マターファ。
迷宮都市とも学園都市とも、そして商業都市とも言われる事のあるマターファは、カナーンでも有数の都市の一つである。この都市の特徴を一つあげて言えば多様性だろう。海運の要衝でもあり、メンブラナ湖、ズヴェーリ森林、ウリャフト山脈なと様々な自然と資源に恵まれている。これらは冒険者などの狩り場ともなっているが同時に学園の生徒達の実習場所ともなっており、質の高い教育を求めて外国からも生徒がやってくる程だった。
もちろん専門分野に限って言ってしまえばマターファよりも上の都市は幾つか存在する。だがこれだけ幅広い分野に対応している都市はカナーンでも他になかった。また海外とのやりとりを積極的に奨励しているカナーンの国策もあり、マターファは非常に国際色豊かな都市となっている。
結果、大抵のものはマターファで揃うというガイベルク大陸においては非常に珍しいレベルの国際都市が出来上がった。マターファで提供されるサービスは様々だ。学園、魔具、武具などの一般的なものから奴隷や盗品、売春などの裏に近いものまで手広く提供されている。
そしてこのような成り立ちの都市であるマターファにはもう一つ大きな特徴がある。
支配権を持っている勢力がはっきりしないのだ。
誰がこの都市を支配しているのか?
大抵の場合この問いに答えることは難しくない。だが複数の多種多様な利権が存在し、上位の組織である国もそこまで強い影響力を持っていないというのが現在のマターファの状況だ。必然的に各勢力は利権争いを始めるし、事によっては談合を始める。その結果一つの勢力に集約されれば安定したのかも知れないが、現在においてもそのようにはなっていなかった。
ただこういったマターファの構造が成立してからそれなりに経っている。現在ではそれなりに勢力は集約され、慣習などの暗黙的なルールも成立している。結果そこまで大きな抗争が頻発している訳ではない。
しかし諍いの元が消えた訳でも無ければ、争いが消えた訳でもない。マターファの裏では様々な利権を狙う各勢力が日夜暗闘と諜報を繰り広げている、と言っても過言ではなかった。
キリカが祖国であるヤイウェンから追放されるようにして送られた都市マターファ。
その表向きの理由は留学だ。だがそれ以上に、この混沌とした都市であるマターファがキリカという厄介者を受け入れるだけの懐の深さを持っていたと云う事も多分にあった。
それゆえに別にマターファという都市にキリカが望んでやって来た訳ではない。だがキリカがこの都市にやって来て三年。それだけいれば流石に愛着も湧く。
ましてや危地からやっと帰ってこられたと云うのなら尚更だ。
「……やっと出られた」
キリカたちが外へと出るともう日が落ちるところだった。夕焼けが辺りを染め、迷宮へと入った時とはまるで違う光景を映し出していた。出口付近には人影は見えず、少し離れた場所にバリケードが張られており何人かの武装した人間が此方を監視している。それらの男がキリカたちが迷宮から出てきたのを見て急に騒がしくなる。
「何ッスかね、アレ?」
ユキが不思議そうに呟きながらもキリカの前へと進み出た。万が一の場合キリカの盾になる為だろう。手に持ったフレイルをいつでも振るえるようにさり気なく持ち直す。
「さあ」
軽く肩を竦めてタリスが言う。
キリカはそんなタリスへとちらりと視線をやった。結局の所キリカ達三人では不可能に思われた迷宮からの脱出は、この男一人の力で容易く成し遂げられた。「ではちょっと行ってきます」などと云う軽い言葉を残して一人迷宮の出口へと向かい、「終わりました」等という言葉と共に帰ってきた男。
その力に憧れを抱かないと云えば嘘になる。だが同時に、その圧倒的な力はキリカにとってどのように受け入れればよいのか戸惑わせるところがあるのも確かだった。
「あの……」
「すまんが少し話を良いだろうか」
何事かを言おうとしたキリカの言葉は、急ぎ足でやって来た武装警察の男の声で断ち切られた。隊長らしき男の後ろには何人かの人間が控えており、さり気なくキリカ達を警戒していた。
「はい、なんでしょうか」
そんな武装警察に対応したのはカリムだった。決断自体はリーダーであるキリカが受け持つが、交渉などは看破技術を持つカリムが受け持つ事も多い。今回もその流れだろう。命を狙われたばかりで武装警察が信用できないと思っているのかも知れない。
「君たちはキリカ・ライトフォーンをリーダーとする女三人、男一人のグループで間違いないか?」
「…………」
武装警察の男のその言葉にカリムの眉がピクリと動く。キリカをリーダーとしているグループは女三人だ。男は入っていない。カリムはキリカの方へ視線を向ける。キリカはそんなカリムの視線を受けて一つ頷いた。
「ええ」
カリムが武装警察の男の言葉を首肯する。一瞬あった妙な沈黙に武装警察の男は少し奇妙な顔をしたが、すぐにどうでもよい事と思ったのだろう、次の質問へと移る。
だがその前にキリカが口を挟んだ。
「すいません。私たちと共に迷宮に入った人たちについては?」
その言葉に武装警察の男は少し沈鬱そうな顔をして「全員死亡が確認されている」とだけ返した。
「……そうですか」
もしかしたら、とも思っていたのでキリカも消沈する気持ちが抑えられなかった。
「それで――」
男がそんな感傷を振り切るように事務的な言葉で話を続ける。結局キリカ達が解放されたのはその後三十分は経ってからだった。
迷宮に本来あり得ないレベルの個体が確認されたため出入りが中止。
武装警察の男の話ではつまりはそういう事らしい。キリカ達と迷宮に入った仲間たちもその魔物に殺された事になっている。またタリスに関してはキリカのグループの臨時の仲間という扱いがされていた。
そういった意味では殺されてしまった仲間と同じだが、彼らは独立した冒険者パーティでもあった点が異なる。つまり他のパーティと共に迷宮などに潜った場合その実績がきちんと評価されるかといった点だけの違いなのだが、今回の事態に関してはそれは余り関係が無い。
「……問題は誰がやったかですか」
カリムが進行役のような形で話し合いを始める。
場所はキリカの屋敷だった。実質上の追放と言っても表向きは留学だ。それに金で解決するならそれでよいと思ったのかも知れない。キリカはそれなりに立派な屋敷を一つ与えられていた。掃除の手が回らない為使わない部屋はそのままにしてあるが部屋の数だけはある。そんな屋敷の居間にタリスを含めた四人が集まっていた。
「この街の事情はよく判りませんが、それは誰にでも出来ることなのですか?」
「それは無いですね。ただ迷宮の封鎖自体は偽情報などを流せば可能なところはかなりの数あるでしょう」
タリスの問いにこの手の事に最も詳しいカリムが答える。
「では迷宮に入る時に提出した情報の書き換えは?」
「それは……」
カリムが言い淀む。カリムとて技能を身に付けているだけで別に裏社会に生きている訳でもない。具体的にこのマターファの裏でどのような組織がどのような力関係で暗躍しているかなど知るよしもなかった。
「結局のところ私らみたいなパンピーが幾ら考えても判らんでしょう。それだけ判ってれば今日は十分だと思う」
「そうッスね。今の状態からあんまりあれこれ想定してもしょうがないでしょう」
キリカの言葉にユキも頷く。
「それは私も同感ですが、明日からどうするのかと云う問題もあります。この件を深追いした方が良いのか、距離を取るべきなのか。タリスさんとの約定をどのように果たすかという問題も当然残っていますし……」
カリムはそう答えるとちらりとタリスの方へと視線を向けた。タリスは軽く肩を竦める。
「僕のことはお気になさらず。伝手が欲しいのは確かですが、換金しやすい物も幾つかあります。まあ何とかなりますよ」
「いえ、そういう訳にもいきません」
どこか他人事のようにも聞こえるタリスの言葉をキリカが否定する。命を救われているのだ。キリカとしてはせめてその恩だけは返したかった。そんなキリカを援護するようにカリムが口を開く。
「それにこのマターファは伝手か正式な身分でもないと何かを売ったりする事は出来ませんよ。勿論腕が立つとなれば色々な所から引く手あまたでしょうけど、かなり目立つ事になりますし、場合によっては他の都市などにも回状がまわるかも知れません」
「……あー。それは確かに面倒ですね」
カリムの言葉にタリスは呻くように答えた。考えてみればもう随分とまともな社会生活を送ってきていなかった。その事が随分と自分の常識をずれたものにしている事にタリスは今更ながら気が付いた。聞いてみればこのマターファでは何の身分証明も保証人もいない人間はまともに宿を借りる事も出来ないらしい。
それは確かに困る。タリス自身は単なる魔導師に過ぎないのだ。ローグのように隠密技術を持っている訳でもないし、戦士のように直感で敵の攻撃を防げる訳でもない。無意味に目立つ事は避けたかった。かといって随分と情報量の多そうなこのマターファという都市を離れるのも躊躇われる。
その後暫く四人で話し合いが続けられた。結局決まったのはタリスは暫くキリカたちと行動を共にする事。その際の身分は何者かが偽造したようにキリカ達のパーティの臨時メンバーとする事。調査自体は行うが細心の注意を払い、余りにも危ないようなら引き返す事、等々。
そんな事を話し終えるといつの間にか夕食の時間になっていた。
ジョッキを叩き付ける音が酒場に響く。
冒険者などが集まる酒場であっても迷惑には違いない行為だ。実際店内にそれなりにいる冒険者達も何事が起こったのかと視線をそちらに向ける。だがカウンターに一人座っているその男の顔を見ると、殆どの人間は納得したように視線を元に戻し心なしか声を抑えめにして食事を続けた。また男をを知らない人間が訝しげな視線を向けても周りの誰かに止められていた。彼らの表情に迷惑そうなものはない。
それもそうだろう。カウンターに一人座っている男――フエルテ・ツンバオは、この酒場を利用するような冒険者ならば一度は何らかの形で世話になった事がある程古参で面倒見の良い冒険者なのだ。
そしてそんな彼が荒れている理由も周りの人間には簡単に想像が付いた。――誰かが死んだのだろう。
明日は我が身か。そんな事を酒場にいる冒険者は思う。突然の死は冒険者ならば珍しくない末路だ。だがだからといって平気で受け入れられる訳でもない。ぽっかり空いた恐怖を誤魔化そうとしているかのように冒険者達は酒を呷るペースを上げた。
「……荒れてんなぁ」
そんな冒険者達の注文をさばきながらフエルテに対しどこかのんびりとした口調で話しかけたのは、酒場の主人であるホシア・ユーエンだった。このようなタイプの酒場の主人にしては珍しくないが、ホシアも元は冒険者だ。中肉中背の男で、まだその気になれば現役の冒険者を続けられそうにも見えるような男だった。
それに対しカウンター席の男――フエルテは随分と大柄で筋肉質の男だ。年はホシアより上なのにその身体は衰えがまるで見られない。要所を金属で補強したレザーメイルを着込んでおり、護身用なのか右腰には短めのショートソードを差していた。
「俺はな、ホシア。目を掛けていた冒険者が殺されたから荒れている訳ではない」
「ああ」
ホシアがジョッキを拭きながら相槌を打つ。その声音は真摯に聞いているようにも聞き流しているようにも聞こえた。これはホシアが酒場を始めてから身に付けたスキルの中で最も役立っているものだ。
だがそんなホシアの相槌に構わずフエルテは言葉を続ける。酔っているのもあるだろう。顔は赤らみ、目は険を帯び、その声はどこか獰猛な色を伴っていた。
「だが『本来あり得ないレベルの魔物』が現れて、その犠牲になった人間の死因が刀傷と矢傷というのはどうなんだ? ああんっ?」
何かを嘲るようなフエルテの声。だがその底にあるものは怒りだ。
「お前……死体を見たのか?」
「ああ。たまたま封鎖始めに現場にいたからな。遠目だが間違いない」
そう言ってフエルテは再びジョッキに注がれていた酒を一気に呷る。
「尤もその魔物は大型だったらしく、喰われたと云うことであいつらの死体は戻ってこなかったがな」
「……証拠隠滅か」
「だとしたら随分とお粗末な事だ。もう少し工夫すれば証拠ぐらい隠せただろうに」
「まあその程度だと思われてるって事だろ? どうせばれても揉み消せる。証拠隠滅なんてある程度してあればどうとでもなるってな」
「胸くそ悪い話だ」
「だが事実だ」
冷徹なホシアの声。フエルテは酷く嫌そうな顔をした。そんなフエルテに対し、ホシアは言葉を続ける。
「闇から闇へ。珍しくないだろ、こんなこと」
「ああ。くそったれな事に珍しくはないさ。だが、だからといって、認められるかよ」
フエルテの声にはどこか鬼気が籠もっていた。それを聞いて初めてホシアが慌てた様子を見せる。
「おいっ。まさか首を突っ込む気か?」
「なに、成り行き次第よ」
「それって成り行き次第って突っ込むって事だろうがっ!」
「はははっ」
そんなやりとりの後、フエルテはふと真面目な表情を浮かべた。フエルテにしては珍しい表情にホシアが訝しげに尋ねる。
「……どうした?」
「今回のこと、少しおかしいと思わんか?」
「何がだ?」
「冒険者が陰謀やら裏切りに巻き込まれる事自体、まあ認めたくないがそれほど少ない訳ではない。だが同時にそういったものはそれほど複雑な構造をしていないのが常だ」
そんなフエルテの言葉にホシアも納得したように頷いた。
「ああ、今回の事はリスクとリターンがよく判らないって事か」
「そうだ。一体誰がどういった目的で動いたのか」
「あの嬢ちゃん、ヤイウェンの姫なんだろ。そこら辺じゃねぇの?」
「ヤイウェンの情勢は現在のところ安定している。今下手なことをすれば寝た子を起こしかねない」
「どこにも馬鹿はいるぜ?」
「それはそうだが……」
考えられる可能性は三通り。
フエルテは頭の中で思考を巡らせた。
一つ目。ホシアの言うとおり馬鹿が暴走した。
二つ目。ヤイウェンにおいてこれから騒動が起きる。
そして三つ目。ヤイウェンとは関係ない何かが起こっている。