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腐肉の王  作者: 坂田京介
6/21

1-4 脱出(上)



 水の中をたゆたっているような浮遊感。

 不快ではない。寧ろどこかのんびりとして心地よいくらいだ。


 ……こんな風にしてていいんだっけ?


 うすぼんやりとした思考でキリカはそんな事を思う。それが切っ掛けになったのだろうか。まるで水の中から引き上げられるように意識が浮上する。


「……んー」


 目覚めはそれほど苦痛ではなかった。朝が苦手なキリカにとっては随分と珍しい事だ。まだ寝ぼけ眼のまま、キリカはゆっくりと目を開ける。


「あ、おはようッス。身体の調子は大丈夫っすかっ?」


 横からユキの声が聞こえる。だがその言葉は音だけ耳に届いたが、理解することは寝起きの脳が拒否した。


 ……えーと。


 中々働き出さない脳を強引に動かし、キリカは状況を整理する。まずは意識を失う前に何があったのか。

 身体中を得体の知れない感触が走り、辺りの景色が一変したら魔物の大群が出てきて死霊術士の男がそれを退治した。


 ――うん。ここまででも十分に訳がわからない。


 キリカ自身の記憶は死霊術士の男が魔物の群れを倒したところで区切れている。限界だったという事もあるが、多分判りやすい脅威がいなくなった所為で安心したのだろう。


 ――しかし……。


 キリカは起き上がって辺りを見回す。キリカが寝ていた身体の下には、二人の内のどちらかが敷いてくれたのだろう、簡易の絨毯のようなものが置いてあった。


 辺りの様子は意識を失う前から一変していた。もっと言えば元に戻っていた。得体の知れない発光体が一面を覆い尽くしているのではなく、ごく普通の石畳が敷かれている。命を狙われている事を思い出してしまえば口が裂けても安全とは云えないが、少なくとも全く見知らぬ場所ではない。


 だが全く同じと云う訳でもなかった。場所は確かに元の場所なのだが、大きく違うところが一つ。


「ああ。おはよう御座います」


 にこやかに此方へ向かって挨拶する男。その男についてキリカは見覚えがあった。いや、実際に見た事があった訳ではない。意識を失っている間に見た妙にリアルな夢。そこでキリカは確かにその男の顔を見たのだ。


 ――『腐肉の王』タリス・マンチェス。


 その名前を、キリカは舌で転がすようにして脳裏で反芻した。タリスの表情は今は紳士然としている。夢の最後の方に見た雰囲気からは想像がつかない程だ。


「……取り敢えず何があったか聞いても良いかな?」


 本来ならタリスに挨拶を返すべきなのかもしれない。だが先程まで見ていた夢の事もある。正直そこまでの余裕がなかった。キリカはタリスに会釈だけを返し、カリムの方に向かって声を掛ける。カリムはさり気なくタリスを警戒しているようだがそこまで念入りという訳でもない。まああの実力を見れば抵抗するのも馬鹿らしいと思うのも無理はないだろう。


「そうですね……。まあざっくばらんに言ってしまいますと、まずそちらのタリスさんが魔物を倒したのと同時にキリカが倒れて、その少し後に辺りが元の迷宮に戻りました。そこから少し話したんですけど、どうやらタリスさんはこの大陸の出身ではないようなので……」


 そう言うとカリムはキリカの方をちらりと見た。ガイベルク大陸では外の大陸との繋がりは殆どない。それを考えればタリスが他の大陸出身だという事は驚くべき事だ。だが現れ方が現れ方だったし、夢の事もある。正直キリカには余り不思議に思えなかった。

 カリムはそんなキリカを少し意外そうに見たが、やがてまあそんなものかと納得したのか、言葉を続けた。


「まあこの大陸での伝手やら何やらを協力して欲しいそうです。私たちは現在進行形で命を狙われていますから、そこら辺を協力して貰えれば言う事無いのですが……肝心のキリカが意識不明でしたからね。取り敢えずキリカが目を覚ましたらまた改めて条件を詰めるというような話になっていました」


 キリカがタリスの方を見ると、「まあそんな感じです」と軽く肩を竦めながらタリスが返す。その顔からは今一つ何を考えているのかは窺えなかった。


「幾つか聞きたい事があります」


 キリカがタリスの方へ向き直って尋ねる。タリスは言葉の続きを無言で促した。


「私たちの事情についてはどこまでご存じなんですか?」

「貴女が隣国ヤイウェンの姫であり、後継者問題に関して複雑な地位にある事くらいは教えて貰いましたよ。後は現在進行形で命を狙われている事もね」


 後継者問題に関して複雑な地位にある……ね。

 微妙な表現だ。正しいようで微妙に的を射ていない。多分カリムの言葉だろう。

 キリカは強いて無表情を装うと言葉を続ける。


「それでも私たちを護衛してくれるのですか? 意識が薄れていた中で見ただけでも判りました。貴方の力はずば抜けています。正直な話、逃げるだけなら一人でも出来るでしょうし、伝手を頼るのでしたらここで私たちを見捨てて個人で動いても何とでもなるでしょう?」

「…………」


 キリカの言葉にタリスは何事かを考えるように黙り込んだ。そして幾ばくかの沈黙の後話し始める。


「そうですね。困っている女性を助けるのは紳士の義務だから、とかはどうですか?」

「……悪いですけど今は冗談に付き合っていられるほど余裕がないんです」

「それはいけませんね。適度な冗談は人生を楽しむコツですよ」


 賞金首にまでなった死霊術士の言葉だと思うと、それこそ悪い冗談にしか聞こえない。キリカは思わず頬を引きつらせた。


「……まあ確かに他にも理由はあります」

「それは?」

「カリムさんには少し言ったんですが僕は元々別の大陸にいまして、そこで少し厄介事に巻き込まれて異界に飛ばされたんです」


 名だたる英雄たちに殺されかける事をしたんですね、判ります。

 キリカはそんな思考を全く顔には出さず無言で話の続きを促す。


「――そんな僕がなぜ別の大陸にいるのか」


 どう思います?

 タリスが目線で問い掛ける。


「そこまでおかしい事じゃないんじゃないですか? 幾つかの異界は複数の大陸に渡って存在していると聞きます。ならばその異界を通って大陸を移動してしまう事もあり得るはずです」

「そうですね。そうやって流されることはあります。場所にもよりますし、それほど数は多くありませんけど」

「だったら?」


 何が言いたいのかわからずキリカは小首を傾げる。


「そういったケースには当てはまらないんですよ。今回は」

「なぜ?」

「貴方達があの場にいました」


 だから?

 意外な事を指摘され、キリカは目をぱちくりとさせる。

 そんなキリカの小動物めいた仕草を見てタリスは微かに苦笑した。姫などという割には随分と純朴だ。


「異界の通路を通って流される場合はほぼ間違いなく一方通行です。まあ川のようなものですから当然ですね。そしてその終着点の人間がその異界へ触れる事は至難のはず」

「だけど私たちはあそこにいた」


 キリカの言葉にタリスは頷いた。


「そう云う事です。自然発生的なものではあり得ない。何らかの意思が働いたはずです。そしてもしそうならば貴女達、いえはっきり言ってしまいましょうか――キリカさん、貴方は重要なファクターであった筈です」

「…………」


 キリカの表情にほんの僅か厳しいものが混じった。タリスは言葉を続ける。


「恐らく特異な触媒のような性質でしょうね。大変貴重なものです」

「……私にもしそんな力があったら利用したいと云う事ですか?」


 キリカの問いにタリスは軽く肩を竦めた。


「まあ言葉を飾らずに言ってしまえばそうなります。僕にも目的があります。そのために役立つ資質を持つ方とは、出来るだけ縁を得ておきたいし恩も売っておきたい訳です」


 そんな事を宣うタリスがどこまで本気かはキリカには窺えなかった。本人の意思を無視してキリカの力を利用する事など、このレベルの死霊術士にとっては容易い事の筈だ。


「…………」

「ちょ、ちょっと待って下さい」


 考え込むキリカ。それに割り込むような形で口を挟んだのはカリムだった。慌てたような口調でタリスへと言葉をぶつける。


「それではキリカが狙われたのは王位継承に関しての事が理由じゃないかも知れないと云う事ですかっ?」

「ん? ああ、その事ですか。まあそちらの事情を詳しく知っている訳じゃないですからどうとも云えませんが、ある種の魔導師ならキリカさんの性質は喉から手が出る程に欲しいでしょうし、利用されるくらいなら殺してしまえ、みたいに考える人が出てもおかしくない程度には貴重な資質ですよ」


 よく今まで生きてこれましたね?

 そんな事をタリスはあっさりと告げる。


「そんな……」


 カリムはショックを受けたように何事かを考え込む。


「少し大袈裟じゃないッスか?」


 それまで黙って話を傍観していたユキが横から口を出した。


「いえ、そうでもありませんよ。特殊で懸絶した才能というのは得てして制御が難しいものです。幼少時からの周りの理解と、そして特別な教育を受けなければ自身の能力の暴走で死に至る事は決して珍しくない。そして例えそれらの幸運に恵まれたとしても、様々な周りとのトラブルで結果的に死ぬことになる事も多いです。――心当たりはあるのでは?」

「…………」


 タリスの言葉にユキが押し黙る。確かに心当たりはあった。と云うより、今現在の状況が正にそうだ。そんな事はタリスも判っているのだろう。此方を見透かすような笑みのまま、タリスは言葉を続ける。


「さて生まれ付きの懸絶した才を持つ人間には二通りいます。突然変異か、それとも特別な血族の生まれかです。キリカさんはどちらなんでしょうかね?」

「……それが、貴方に関係ありますか」


 カリムが緊張をはらんだ声でタリスに返す。


「…………」


 カリムの返答を受け、タリスの笑みがふと消えた。どこか得体の知れない平坦な瞳がカリム達を見詰める。たったそれだけでカリム達の背に恐怖にも似た悪寒が走る。カリムは自らの手が小さく震えている事に気付いた。だがタリスの瞳から視線を逸らすことはせず、カリムはタリスの双眸をまるで睨むように見返し続ける。

 やがて根負けしたのか、タリスが軽く笑ってその雰囲気を元の穏やかなものに戻した。


「いえ。仰るとおり下種の勘繰りだったようです」


 そう言うとタリスは口を閉じ、今度はキリカの方へと視線を移した。


「……なにか?」


 カリムとユキが警戒しているのがキリカの視界に端に映る。


「もう一つ良いですか?」


 そう尋ねるタリスの声は随分と真面目だった。少なくともキリカにはそう感じられた。


「……何でしょう?」


 だからキリカも居住まいを正して返した。


「もし今回の襲撃が貴方自身の意思や努力ではどうしようもない天賦の資質によるものだとしたら、その事について貴方はどう思いますか?」


 尋ねられた問いはキリカからしてみれば随分と意外なものだった。この男がそんな事を気にするとは思っていなかった。


「家族に狙われるくらいだったら、私自身の性質によって他人に狙われる方がずっとましです」


 取り敢えず正直に答えてみる。


「それが貴方自身の責任ではなくても?」


 タリスは問いを重ねる。キリカは首を左右に振ってそんなタリスの言葉を否定した。


「私自身の性質によって狙われるのなら、それは私自身の責任です」


 それはキリカ自身に言い聞かせているような言葉だった。自然とキリカの表情に自嘲にも似たなにかが混じる。

 実際のところ、キリカはそこまで割り切れている訳ではなかった。自分一人だけならまだ良い。だが今回は同行者が死んでいる。そしてヤイウェンから付き従ってくれた二人も同様に巻き込まれている。それをあっけらかんと受け入れられるほどキリカは達観していない。

 そんなキリカの表情から何事かを読み取ったのだろう、タリスが口を開く。


「余り背負いすぎない事ですね。事情を知らせず捨て駒にしたとかなら兎も角、貴女達自身も知らなかったのなら不可抗力です。ましてや危地に自らの意思で入ったのならそこから先は自己責任です。それを自らのものだと錯覚するのは、優しいのでも甘いのでもなく傲慢なだけです」

「……死霊術士の貴方には随分と似合わないセリフのような気がしますが」

「死霊術士だからと言って理屈を解さない訳でも、正道を求めない訳でもありません。まあこれは年長者からのお小言のたぐいです。もしよろしければ記憶の端にでも覚えておいて下さい」


 タリスはそう言って軽く笑った。





 結局のところ、常道を覆すのは難しい。

 多数を以て少数を攻める。魔導師に対して戦士職による奇襲を仕掛ける。死霊術士に対して少数精鋭で望む。

 セオリーとは有効だからこそセオリーに成り得る。そしてそれを崩す奇策は成功するのが希だからこそ、そして汎用性がないからこそ奇策と呼ばれる。


 偽情報で遺跡に誘われ、そこで満を持しての名だたる英傑による不意打ち。教科書通り、お手本にしたいようなハンティングだった。その獲物が自分で無ければ、タリスも素直に感心できた手際だった。

 ここまで用意周到に豪華絢爛な札を切られては流石のタリスも不利は免れない。案の定、絶望的とも云える戦いだった。そんな中バウンティハンターの三人を仕留めたのは正にタリスの卓越した力量を示すものだろう。もしこの死体を利用できれば話は違ったかも知れない。


 だがそうはならなかった。

 バウンティハンターたちの死体は、利用しようとした途端にあっさりと焼き払われたからだ。前準備がしてあったのか止める事すら出来なかった。ここら辺の容赦のなさ。恐らくタリスの姉弟子であるリスフェンの仕込みだろう。

 結局その後タリスが満身創痍でラルヴァとリスフェンと向かい合っていた時、突如遺跡が鳴動を始め、タリスは異界へと飛ばされた。そこで時間の感覚がなくなるくらいまで放浪し、ようやく人間に会えたかと思えば別の大陸だ。


 流石にこれを全て偶然で片付けるには無理がある。何らかの意思が介在していると考えた方が自然だろう。

 そしてそうならそうでタリスは構わなかった。状況が動くのは望むところだったからだ。だからこそタリスはキリカたちに協力する気になった。現状で有力そうな唯一の手掛かりなのだ。詰まらないことで失いたくはない。それに比べれば一国を敵に回すかも知れない事など無視できるほどに小さいリスクだった。伊達に元の大陸で全ての国に喧嘩を売った訳ではない。


 しかし……。

 タリスはキリカの言葉を思い出す。


 ――私自身の性質によって狙われるのなら、それは私自身の責任です。


 耳が痛い言葉ですね、全く。

 タリスは内心で誰にも悟られず嘆息した。



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