1-3 夢
かなり広い空間だ。
石畳が敷き詰められ、壁際には無数の篝火が焚かれている。中央には何かの儀式に用いられたのか、巨大な石像と祭壇らしきものが座しており、篝火の灯りによって不気味にライトアップされていた。祭壇の四隅には不思議な文様を刻んだ柱が建っており、まるで中央の石像を守護しているかのようだ。
その祭壇の前方に複数の人影が見える。
その内の一人はタリス・マンチェス。腐肉の王とまで謳われ畏れられた死霊術士。
タリスは祭壇へと繋がる階段に座り込んでいる。いや、座り込んでいるというよりは倒れ込んでいるといった方が正確かも知れない。タリスの腹部には投げ槍が突き刺さり、その穂先はタリスの腹部を貫通し背中まで突き出ている。その傷口からは赤黒い血が止めどなく流れ落ち、負傷の深刻さを物語っていた。
決して軽い怪我ではない。常人では致命傷とも云えるような怪我だ。だがタリスの双眼は力を失っていない。寧ろ不気味にぎらつき、自らを傷つけた敵を静かに睥睨している。
「『獅子王』に『封絶』。それに名うてのバウンティハンター三人による不意打ちですか……」
呟くようにタリスが言う。その声音は小さいものの掠れてはいない。まるで脇腹を貫かれている苦痛など感じていないかのようだ。
「ははっ。誇り高い獅子王は腐肉を漁るハイエナにでも転職しましたか?」
どこか嘲るような揶揄するようなタリスの口調。応えたのはタリスと対峙していた内の一人の男だった。男は豪奢なプレートメールに身を包み、宝石がちりばめられ精緻な細工が施された剣を腰に差している。だがそれは決して鑑賞目的で作られた美術品ではない。見る者の目を奪う程の美麗さ。そして同時に畏怖させる程の武威。それら二つの要素を兼ね備えた、まさしく獅子王の二つ名を持つ戦士に相応しい業物だ。
だが彼の装備の中で最も異彩を放っているのは、細緻の限りを尽くしたそれらの装備ではなかった。獅子王の背に担がれるようにして携えられている簡素で無骨な斧槍。白一色の柄に穂先。斧刃と鉤の部分だけが鈍い金属の光沢を放っている。飾り気のない一品だ。だがそれだけにその本質が際だって映えていた。
敵を殺すという武器の本質。斬り裂き、貫き、叩き潰す。それらを象徴化したような武具。
ある意味それも当然だろう。獅子王の持つ斧槍。それはかつて国を荒らし回っていた悪竜を討ち滅ぼし、その骨より造られた一品。ある意味獅子王という戦士の象徴とも云える武具なのだ。
「ふん。只の獅子なら腐肉などあさらんさ。だが相手が腐肉を量産するような慮外者なら、王として討たねばならんだろ? それがどんなに気が進まない事であってもな」
本人の言葉通り獅子王――ラルヴァ・ホットライの口にはどこか気乗りしない様子が見えた。そもそも戦闘に向いていない魔導師を戦士が集団で不意打ち。しかも気配を隠蔽する事に限っては並ぶ者のない封絶の魔導師の協力を得て、挙げ句に大陸でも有数のバウンティハンターまで雇っての襲撃。それもかつての友であり戦友であり恩人である相手をだ。
一人の戦士としては絶対に避けたい事であった。だが今のラルヴァは一介の戦士ではない。国を率い国民を守る義務を背負った獅子王だ。
「お仲間はどうしたんです? いよいよ愛想を尽かされましたか?」
「……貴様相手に多人数で攻めるなど自殺行為よ。殺され利用されるくらいならば連れてこない方が百倍はマシだ」
タリスは話しかけながら気配を探る。契約しているアンデッドとのラインが薄い。どうやらかなり念入りに準備した挙げ句の事らしい。そしてそのような仕儀を可能とする人物にタリスは心当たりがあった。
『封絶』の魔導師――リスフェン・シャンヴェント。
タリスの魔導の師であるニム・カートリア。その二つ名である『封絶』を受け継いだ魔導師。タリスにとってみれば姉弟子に当たる人物だ。
ちらりと視線を向ければリスフェンはかつて会った時と殆ど変わっていないようだった。いや、初めて出会った時から彼女はこんな様だった気がする。白地に蒼をベースにした刺繍が刻まれたローブを纏い、整った目鼻立ちに浮かぶ鉄面皮。絹糸のように細く美しい赤毛を腰近くまで伸ばしている。美人だがどこか他者を排斥しているような、そんな硬質な雰囲気を漂わせた女だ。
「想像は付いているだろうがお前の死霊術は防がせて貰った。これで全てが封じられると自惚れている訳ではないが、それでも普段通りという訳にはいくまい?」
封絶。
その二つ名が示す通り、リスフェンの魔導の精髄は気配の隠蔽や能力の封印などだ。タリスの死霊術とは相性が悪い。ましてや今のように相手が入念な準備を調えた後の襲撃では尚更だ。
「……お久し振りです、姉弟子。相変わらずの見事な腕前ですね」
「お褒めいただき有り難う、とでも言うべきかな」
リスフェンはそう答えると、何かを躊躇うように口を閉じた。果断な性格の彼女にしては珍しい仕草だ。だがそれもそれほど長くは続かない。ほんの僅かの逡巡の後、リスフェンは再び口を開いた。その声音には悲壮さにも似た険しさが含まれていた。
「――諦めるつもりはないのか?」
リスフェンの問い。もはや懇願にも聞こえるソレに、タリスは歪んだ引きつった笑みで答えた。
「あると思いますか?」
くつくつとタリスは喉を鳴らして嗤う。その視線だけが異様に鋭くリスフェン達を射抜いている。
「全ての元凶相手に休戦? お互いに痛み分けで手打ち? ゲートの強化で時間稼ぎっ!?」
タリスの声は興奮でうわずっていた。その瞳が不気味にぎらつく。
「ははっ、あははははははっ!」
どこか狂的な笑み。
「笑っちゃいますね。足りない。足りません。全く足りませんよ!」
「…………」
「そんな事の為に僕は戦場を戦ったのですか?」
「…………」
「そんな事の為に僕は祖国を死の土地に変えたのですか?」
「…………」
「そんな事の為に僕は愛する者たちをアンデッドへ堕としたのですかっ!?」
「…………」
タリスの叫びにリスフェンは答えない。またタリスも答えを期待してはいなかった。まるで独白のようにタリスは言葉を続ける。
「今なら! 僕なら! 僕たちなら! 届く筈です。あの先へ。あの地下へ。全ての因縁の大元、その根源を絶つことが!」
「出来んよ」
ラルヴァがタリスの叫びを冷徹に断ち切った。タリスはくるりと視線をラルヴァの元へと向ける。まるで機械人形のような無機質で人間味の感じられない動きだった。タリスはラルヴァを伽藍のような空漠の瞳で見詰める。
ラルヴァはそんなタリスを意に介した風もなく言葉を続ける。
「長引く戦乱で国の疲弊は限界に近い。今から新たな戦争など出来るわけがない」
「ならばっ! 僕だけでもっ!」
「お前さんを送り込めば確かに上手くいくかも知れん。だがそうはならないかも知れん。何の情報もない場所に貴様を送り込んで首魁を殺す事を期待する。成功すればこれ以上ないくらいの英雄譚だな。だが失敗すれば、露見すればどうする? 全面戦争へ一直線だ。国のトップとして飲める訳なかろう、そんな案」
ラルヴァは背から斧槍を引き抜き、穂先をタリスに突き付けるようにして構えた。
「新たな魔王をつくる訳にはいかん。戦友にして恩人よ。――ここで死ね」
ラルヴァの宣告。そこには既に迷いは見えない。
「…………」
それを受けて、タリスはゆっくりと立ち上がった。脇腹からごぼりと赤黒い血が流れ落ちる。タリスはそれを気にする素振りすら見せない。
そんなタリスの口元には――笑みが浮かんでいた。
今までのように判りやすく歪んだものではない。上品で紳士的な笑みだ。だがその笑みはどこまでも静謐に、洗練され研ぎ澄まされた狂気を湛えていた。
「成る程、成る程。確かに貴方は王ですよ。自国のため他国を犠牲にする。多数のために少数を犠牲にする。極々まともで優秀な王様ですよ」
まるで言祝ぐようなタリスの口調。その口振りは流々と淀みない。だがその足取りはふらついていた。ともすればふらりと身体が傾いで倒れてしまいそうに見える。しかしそれを見る五人の姿に油断は無い。寧ろ一層の警戒をもってタリスを見詰める。
「バリアス。想定通りに」
ラルヴァが背後に控えていたバウンティハンターのまとめ役であるバリアスへと合図した。バリアス達三人はそれを受けて前方へと移動する。
それに合わせるようにタリスの魔力が強くなっていく。広い空間を満たすかのように甘く蠱惑的な腐臭が漂い、壁際に並べられた篝火がなにかに呼応するように揺らめく。その所為だろうか。篝火によってタリスの影が巨大な影法師となって、祭壇の奥にある石像へと浮かび上がる。まるでタリス自身がこの祭壇の祭神にでもなったかのようだった。
タリスはラルヴァ達の方へと歩を進めながら口を開く。一級品だった筈の投げ槍。タリスの脇腹を貫いていたソレが、ぐしゃりと腐り落ちる。
「我こそは腐肉の王――」
託宣を告げる神子のように厳かな声。
「腐り落ち、打ち棄てられし屍たちの主にして代弁者――」
それは狭いとは云えない空洞内を反響し、どこか不吉な抑揚を伴ってラルヴァ達の耳に届いた。
「摂理を曲げ外法に殉じ、宿願を果たさんと渇望する者なり」
その言葉が終わるとほぼ同時だった。巨大なタリスの影法師。そこから浮かび上がるように、音もなく三体のアンデッドが現れる。『腐肉の王』タリス・マンチェスの三体の従僕。その一体を取ってみてみても、一流程度の冒険者では束になっても敵わない規格外のアンデッドだ。
「打ち棄てられた屍たちの声から耳を閉ざし、泥濘の静穏の中にその身を沈めるつもりなら是非もない」
タリスの瞳に冷徹な殺意が宿る。
「貴様ら自身も打ち棄てられた屍となり――」
辺りを噎せ返るような甘い腐臭が漂う。おぞましく、だが酷く蠱惑的な魔力が満ちていく。
「――腐泥に沈め」




