1-1 出会い(上)
迷宮を駆けるなんてこれ以上ないくらい愚かな行為だ。
その殆どが薄暗い迷宮では死角に何があるか判らない。しゃがみ込み待ち伏せしているゴブリン。天井に張り付いたスライム。曲がり角にいる盗賊。危険はいくらでもある。だからこそ、迷宮を探索するときは専門の訓練を受けた人間が先頭に立ち安全を確認しつつ進むべきだ。できるなら二人。片方には明かりを持たせ――。
教官のしたり顔の解説が頭を左から右へと流れる。
……それが出来れば苦労なんてしないっ。
キリカは内心で毒づきながらも走り続ける。小柄な少女だ。冒険者としては軽装の装備に身を包み、その横には仲間とおぼしき女性が二人併走している。その二人の顔にも余裕はない。
だがそれにもまして、キリカの顔には悲痛とすら云える色が浮かんでいた。
つらい。
内心忸怩たるものを感じつつもキリカはそれを認めた。体力の限界と云う訳ではない。探索者としては体力がある方ではないが、それでも最低限度の身体能力はある。キリカを消耗させているのは、むしろ精神的なものだった。
馴染みのチームを連れて何時も通りの迷宮探索。しばらく潜ったところでそれは起こった。まず後衛の二人が矢を射られて殺された。助けを求めようと辺りを窺うが、いつもだったら少しは見かける筈の同業の人間もまるで見あたらず。仕方ないので前方へと逃げ出したが、案の定待ち伏せ。そこで前衛一人が殺された。
彼女たちの最期が頭の中で何度も繰り返される。視界が自然とにじんでいく。
彼女たちはキリカがこの街に来て以来、数年来の付き合いだった。
……一体だれが。
そんな疑問が頭の中をぐるぐると回って離れない。だが同時に、どうしても一人の人間の顔が思い浮かんで仕方ない。
「……父さん」
キリカは小さく呟く。頭に浮かぶのは端正な顔立ち。血の気の引いた青白い肌。ぎらついた瞳。そして――キリカに向けられた殺意。
第十七代ヤイウェン国王マイセン・ライトフォーン。
それがキリカの父親だ。
隣国ランデロットとの戦線が圧倒的に不利な状態で父王ラズベルドを弑逆して即位。その強力な指導力で戦線を安定化させた武断の王。その苛烈すぎる政策に批判もあるが、それで救われた人が大勢いるのも確かなのだ。だけど――。
「――ッ!」
思いっきり奥歯を噛み締める。すると少しは効果があってくれたのか、何とか意識がフラットに戻ってくれた。今の自分にはヤイウェンを追い出された時から傍にいてくれた二人の仲間がいる。そう簡単に死ぬ訳にはいかない。ましてや二人を死なす訳にはいかない。
「前方200に蛇型の魔物三体、ゴーレム一体。このままではぶつかります」
しばらく無言で走り続けていた三人だが、ふとその中の一人――カリム・イシロンドが口を開いた。まだ冒険者としては年若いと云える年代だが、三人の中では最も年上の女性だ。クロスアーマーを着込み、各所に短剣類を携えている。手には薄手の白いグローブを嵌めており、それだけが平凡な装備の中で一種異彩を放っていた。
「こっちも確認したッス。蛇のレベルは大体五程度。ゴーレムは七程度。長期戦になったら少しきついッスね」
カリムの声に応えるような形で口を開いたのはユキ・ショップポート。小柄なキリカより更に一回り小柄な少女だ。レザーアーマーを着込み、手にはフレイルを装備している。その容姿に特別なところは無かったが、左右の瞳の色がそれぞれ違うという特徴が彼女の雰囲気に独特のアクセントを加えていた。
「……私が蛇一体、カリムが二体。ユキはゴーレムを抑えて。迂回する余裕は無い。手早く決める」
「了解ッス」
「了解しました」
一瞬の思考の後、キリカが指示を出す。ユキとカリムはそれにそれぞれ肯定の返事を返した。ユキの持つ鈍器はゴーレムなどの金属生命体に有効だし、カリムのメイン武器である鋼糸は多人数を相手取るのを比較的苦にしない武器でもある。それを考えればキリカが出した振り分けはベストなものと云えるだろう。普段ならば何の問題もない。
だが今は状況が違う。
キリカ達は疲労し、時間を掛ける訳にもいかない。今後どれだけ敵と遭遇するかも未知で、その敵の質も数も不明だ。こんな中では戦力は出来るだけ温存したい。特にユキは三人の中で最も攻撃力に優れているが、逆に継戦能力は最も劣っている。消耗が激しくなるであろうゴーレムとの一対一などは出来るだけやらせたくはない。
キリカはメイン武器であるサーベルを握り締める。反りの浅いサーベルだ。刺突を重視したそれは殆ど直剣に近い。厚みもそれほど無いので、変に斬撃など放てば折れてしまうだろう。だが逆に言ってしまえば、それは刺突用として使うことによりキリカのように余り力のない人間でも十分な殺傷力を発揮できる武器でもあるのだ。
薄暗い通路を走り続ける事暫し。
隠蔽を施し隠れていた魔物達の姿がキリカの目にもはっきりと捉えられた。
ファイアスネーク一体。シャドウスネーク二体。そしてストーンゴーレム一体。
「私がファイアスネークを」
そう言って一足先に前へ飛び出たのはカリムだった。均整の取れた肢体が薄闇に映える。その姿は一見無防備にも見える。だが違う。カリムの両手に嵌められた純白のグローブ。そこから目に見えない細い糸が幾重にも伸びている。
それらに力を通す事で敵を切断し、絡め取り、身を守る。
俗に鋼糸使いなどと呼ばれるクラスだ。習得が非常に難しいものの酷く汎用性が高い。特にカリムはその年齢を考えれば出色と言っても良い腕前だ。
だからこそだろう。ファイアースネークの放った火弾。それをカリムはあっさりと躱す。次に向かってきたその牙を鋼糸によって絡め取る事で防ぐ。更に絡め取ったファイアースネークの動きを操る事で有利な立ち位置を確保し、一体のシャドウスネークを引き付ける。
次に飛び出したのはほぼ同時だった。キリカが残ったシャドウスネークへと。ユキがストーンゴーレムへと飛び出す。
「せっ!」
ユキは最初から全力でフレイルを振るう。ゴーレムの豪腕を紙一重で躱し、フレイルの連撃を叩き込む。効いてはいる。だがそう簡単にゴーレムは倒れない。逆にゴーレムの一撃をまともに食らってしまったら、ユキの華奢な身体など叩き潰されて一巻の終わりだろう。そんな危うい綱渡りをユキは躊躇うこともなく繰り返す。
上段からの振り下ろし。右に飛び退く事で躱し、同時に距離を詰めるために前へと飛び出す。捕まえる為に寄せられた両手をフレイルの乱打で叩き返し、次にゴーレムの膝へと一撃を叩き込む。業を煮やしたか、ゴーレムが焦れたように放つ連打を紙一重でよける。防ぐことはおろか、いなす事も難しい攻撃をユキは躱し続ける。
「しぃっ!」
他の二人に比べるとキリカの攻防は動きが少なかった。半身になりサーベルを前に構えた姿勢。その状態で距離を読み合い、動きを読み合い、時折短い攻防を繰り返す。
シャドウスネークもキリカも一撃離脱を基本とした戦術だ。シャドウスネークは噛み付きで、キリカは刺突で。敵との接触を最小限に抑え必殺の一撃を急所に叩き込む。必然間合いの読み合いになる。相手の一撃を躱しこちらの一撃を命中させる。極言すればそれだけなのだが、だからこそ一瞬の隙が命取りになる。キリカはひりつくような緊張感の中、サーベルを振るっていた。
三者三様の攻防。それを動かしたのは三人の中で頭一つ抜けた戦闘力を持つカリムだった。ファイアースネークを切断し、もう一匹のシャドウスネークとも対峙しながら、キリカが相手をしているシャドウスネークの動きも牽制する。
「はっ!」
その隙を逃がすキリカではない。渾身の突きがシャドウスネークの頭蓋を貫く。
後は消化試合だ。カリムとキリカが協力してもう一匹のシャドウスネークを仕留め、残ったゴーレムはカリムが糸で動きを封じ、キリカが防御力を低下させ、最後にユキがコアを叩き壊した。
「……はぁ」
戦闘が終わり、キリカは思わず深く息を吐く。
見回せばカリムはまだ余裕がありそうだが、ユキは肩で息をしている。もう限界に近いようだ。キリカ自身もまだ限界という訳でもないが、余裕がそれほどある訳でもない。襲撃地点から大分距離は離した。後ろから追ってくる気配もしない。ここら辺で少し休憩を入れてもよいかも知れない。
幸いと言って良いのか、少し先からは複数に枝分かれしている通路が見える。その奥まで行けば、追っ手がやってきてもすぐには見つけられないだろう。
「……取り敢えずこの先で休憩場所を見付けよう。魔物との接触はできるだけ避ける方針で。ユキはもうちょっと頑張って。カリムは先導を」
「はい」
キリカの指示にカリムは肯定の返事を返す。ユキも無言で頷くことで答えた。
「じゃあ行こう」
キリカの声で三人は再び走り始める。薄暗い迷宮の中、石畳を叩く軽い足音が響いた。