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腐肉の王  作者: 坂田京介
20/21

1-18 偽神(上)



 魔術師らしくない男だ。

 それがキリカのヤイカへの第一印象だった。

 身長はそれほどではない。だが肩幅が広く恰幅がよい。太っていると云う訳ではない。体付き全体が男らしくしっかりしているのだ。そこら辺はやや中性的な印象を与えるタリスとは対照的だろう。


 彼が自らを狙っていることはカリムから聞いた。カリムはその事についてタリスから聞き、タリスは敵からその情報を奪い取った。


 ――死霊術。


 禁忌とされながらも研究され続けているのには、やはりそれなりの理由があるのか。


「おい」


 そんな事を考えていると、フエルテが声を掛けてきた。手には主武装である戦斧をヤイカの方に向けて構えている。


「……なんです?」

「俺が取った手法に色々言いたい事はあるだろう。それは良い。これが終わったら幾らでも聞いてやる。だが、俺がヤイカの奴を片付けたいってのは掛け値無しの本気だ。そしてヤイカがお前さんを狙っているって云うのも多分嘘じゃないだろう」


 フエルテの言葉にキリカは無言で話の続きを動かす。右手に反りの浅いサーベルを構え、ヤイカの方を警戒しながら。だが余裕からなのか、それとも他に思惑があるのか。ヤイカは何か行動を起こす事は無かった。ただキリカの方を、無機質で、しかしどこか歪んだ熱を籠めた瞳で見詰めている。それはお気に入りの玩具を見る子供の目にも、実験結果に注目する研究者の目にも見えた。

 肌を舐め回されているような不快感。キリカの表情が僅かに歪む。


「ここはお互い賢く共闘といこうじゃないか」


 そんなキリカに気付いた様子も無く、フエルテは言葉を続ける。そんなフエルテにユキが噛み付いた。


「随分と都合の良い話ッスね」

「だが損な話じゃない筈だぞ」

「そもそもマッチポンプじゃないッスか」

「そうだな」

「それで――」

「ユキ」


 言いつのるユキの言葉をキリカが止める。小さな声だったが、ユキはそれでぴたりと口を閉じた。そして窺うような視線をほんの僅かキリカの方へ向ける。


「……フエルテさん」


 キリカが呟くように言った。どこか疲れたような声だった。


「なんだ?」

「何を考えているんですか?」

「……何の事だ?」

「貴方は戦士です」

「ああ」

「その貴方が策を弄したところで――」


 キリカはそこでちらりと視線をヤイカの方へと向けた。


「陰険な魔導師に敵うわけもない。それなのに誘いに乗るなんて」

「ははっ。陰険とは酷い言い草だな」


 ヤイカが朗らかに笑う。だがキリカは無視した。


「貴方は優秀な戦士です。尊敬もしていた」


 キリカの言葉は微かに震えていた。

 キリカはふとフエルテに教わった様々な事を思い出す。あの時はフエルテが自分よりも遥かに高みにいる人物に見えた。戦士と冒険者としての経験だけでなく、他のあらゆる面で自分より格上に見えた。


「ですがそれ止まりですね」


 だが今ではその欠点が手に取るように判る。人は万能たり得ない。そんな当たり前の事に今更ながらにショックを受けている自分がいる事に、キリカは自嘲の混じった驚きを覚えた。


「一線を越えた存在に対する警戒が、認識が、そして対策が――甘すぎる」


 キリカの言葉にフエルテは苦虫を噛み潰したような表情をして見せた。

 ある程度自覚はあったのだろう。


 策士相手に策に乗ってそれを打ち破る。そんな事が出来るのは英雄だけだ。常識の外、理の外にいるような存在だけだ。

 フエルテは間違いなくそんな存在ではない。


「話は終わったかい? それじゃあそろそろ始めようか」


 ふとヤイカが声を上げる。


「ユキ、カリム。取り敢えず優先はヤイカの撃退。フエルテさんと共闘して」


 その声を受け、キリカも二人に指示を出す。

 少し気になったのは、屋敷で待っている筈のタリスの事だった。





「はっ!」


 ヤイカとの戦闘の口火を切ったのはフエルテだった。

 手に持った戦斧を構えつつ、その重さを感じさせない俊敏さでヤイカに迫る。だが――。


「なっ!?」


 驚愕の声がフエルテから漏れる。

 ヤイカは事もあろうにフエルテの戦斧、その柄を素手で掴んで止めていた。尋常ではない身体強化と反射だ。只の魔導師に出せるレベルではない。


「キリカっ!」

「今やってる」


 カリムの声とほぼ同時。キリカは解析の魔導を発動させる。対象は当然ヤイカ。先程までは隠蔽されていて判らなかった。だが今はその異常がはっきりと判る。


「なに……これ」


 ヤイカの身体を流れる魔力の質は、異常だった。これでどうして人格と形質を維持できているのか判らないほどだ。身体の幾つもの部分に魔物の生体素材をベースにしたナニカが移植されている。それらが奇跡的なバランスを保ちつつ、ヤイカの魔導師離れした身体能力を支えている。

 明らかに自然なものではない。無茶苦茶な人体実験の結果だ。それもどう考えても少ない数ではない。


「あなた、その身体は……」


 呆然としたキリカの声。ヤイカはそれに対し少し怪訝な表情を浮かべたが、やがて納得したように一つ頷いた。


「成る程。流石は姫巫女の血筋。その正統か。ある種の魔導に対する適正は流石としか言いようがない」

「そんな事よりっ!」


 キリカの叫びにも似た問い。ヤイカはゆっくりとその顔をキリカの方へ向けた。

 フエルテがチャンスと見たのか、腰のナイフを持って斬りかかる。首筋の急所へ向けた一撃。だがヤイカはまだ握っていた斧の柄を振り回す事であっさりとそれを防いだ。そしてそのまま、まるで投石機のようにフエルテを投げ飛ばした。


「……っ!」


 フエルテが壁に叩き付けられ、呻き声を上げる。そしてそのまま地面に滑り落ち、片膝を付いた。ダメージはそれほど無さそうだが、その心的衝撃は大きいだろう。

 だがヤイカはそんなフエルテには目もくれず、真っ直ぐにキリカの方を見詰めている。どこか狂的な熱情を湛えたその瞳。そこには陶酔、恍惚、そして狂気の色があった。

 その瞳の色そのままに、ヤイカは夢見心地の声音で口を開く。


「師を超え、この閉ざされた大陸を飛び越え――俺は神になるんだよ」


 ……何を言っている?


 キリカが眉を顰めた瞬間――。


「だから、見せてみろっ。この大陸で最も古い血族。姫巫女の正統。その受け継がれてきた力を――!」


 ヤイカが突進してくる。凄まじい速度だ。それは戦士のような洗練された動きではない。どちらかと云えば動物の突進のようだった。だがその破壊力と脅威は桁外れだ。技など無い。己の身体能力に頼った動き。力尽くのソレは単純であるが故に厄介だった。


「ちっ」


 カリムが鋼糸による束縛を試み、ユキがフレイルによる攻撃を試みる。キリカも魔導によってその動きを鈍らせようとするが、如何せん地力が違いすぎる。焼け石に水だ。


「……っ」


 突進を大きくばらける事で避ける。力は大きいが動きは洗練されていない。それだけが救いだが、それでも厳しいものがある。

 キリカはヤイカを警戒しながら、フエルテの方へと移動する。ユキとカリムもキリカを庇う形でそれに続いた。


「……フエルテさん、何か手は?」


 キリカが尋ねる。フエルテは一瞬考え込んだが、そこは歴戦の戦士。すぐに口を開いた。


「この中で攻撃力が一番あるのは俺。そして次いでユキだ。だが――」

「その二人が単に攻めても先程のフエルテさんの二の舞になると」

「ああ。陽動がいる」

「消去法で、私かカリムか」


 此方は四人しかいないのだ。必然そういう事になる。


「では私が」


 カリムが、それが当然と云った風に名乗り出た。それ自体はキリカにも否定できない。技量のレベルも、そして質もカリムの方が適任だ。だがどうも危険な場面を任せているようで気が引ける。


「キリカは私のサポートをお願いします」


 そんなキリカの内心を理解しての事だろう。カリムがキリカに対して念を押した。


「……判った」


 少し迷ったがキリカは頷く。


「では――」


 カリムが白い薄手のグローブに鋼糸を張り巡らせ、構える。その顔には僅かな緊張が見える。頬を伝わる汗。そして微かに震える手。恐らくカリム自身は隠したいと思っている恐怖が、キリカにはまざまざと感じられた。


「……っ」


 サーベルを構える。中途半端な魔導は通用しない。キリカに出来るのはいざという時のフォローと、ヤイカの執着を利用した餌役くらいだ。


 ……そう考えるとキリカを餌にしたフエルテの考えもあながち間違っていなかったのかも知れない。


 そんな事をキリカが思った瞬間――カリムが飛び出した。続いてフエルテとユキも飛び出す。そして最後にキリカが続いた。


「しぃっ!」


 カリムがそのしなやかな指を虚空に踊らせる。そして僅かに聞こえる風切り音。ヤイカは反応すらしなかった。その身をあっさりと鋼糸の束縛に捕らわれる。だがその顔には焦りの色は無い。何かおかしい。だがそう思っても今更行動は止められない。


「せっ!」

「ふっ!」


 フエルテの戦斧の一撃が右肩から左脇までを斬り裂き、ユキのフレイルの乱打が顔と言わず、腕と言わず、ヤイカの身体のあらゆる場所に向かって叩き込まれる。いかに身体強化されているとは云え、武器の直撃を受けてしまってはひとたまりもない。ヤイカは原形をとどめないまでに破壊された。だが――。


「なっ……」


 それは酷く不気味な光景だった。

 潰され斬り裂かれた肉体。その傷口がまるで粘度の高い液体が沸騰するかのように泡立ち、そして再生していく。だが元通りになっていく訳ではない。剥き出しとなったその肌の色は、青黒く紫斑のような紫色。そして一回り大きくなり、不気味な蠕動を繰り返す筋肉。それは人間と云うよりもトロルなどの亜人を彷彿とさせた。だがトロルにしたところでここまでの異相は示さない。示す筈もない。


「ちっ!」


 いち早く我に返ったのは、ユキだった。

 拘束はまだ解けていない。フレイルをもう一度構え、振り下ろす――。


「遅い」


 その瞬間だった。

 ユキへ目掛けてヤイカの拳打が飛んだ。左右どちらの手によるものでもない。フエルテの一撃によって斬り裂かれた傷口。その中から生え出てきた三本目の腕による一撃だった。

 不自然極まる一撃。だがその威力は紛れもない本物だ。ユキの小さな身体がまるでボールのように吹き飛び、そして地面へと叩き付けられる。鈍い激突音がキリカの元まで聞こえてきた。ユキはそのままバウンドしながら転がり、壁にぶつかる事でようやく止まる。舞い上がった土埃の多さがその激突の激しさを物語っていた。


 続いて餌食になったのはフエルテだった。

 今度はユキのフレイルによって叩き潰された頭が変形し、四本目の腕になった。更に左右の腕は粘性のゼリーか何かのように変形し、カリムの拘束を抜け出す。フエルテが我に返り、後退しようとした時には既に遅かった。その両腕を掴まれ、更にもう二つの腕がフエルテに乱打を浴びせる。


「……っ」


 カリムがそれを悔しげに見詰める。助けたい。だが手が無かった。

 ヤイカは機械的に、いっそ無造作と云ってもよい所作でフエルテを殴り続ける。フエルテはまだ生きてはいる。だが既に戦闘能力は残っていないだろう。意識も朦朧としているようだ。このままでは遠からず死ぬ。

 カリムはそれを黙って見ているしかない。

 だが、ここでキリカが動いた。


「キリカっ!」


 カリムの制止の声も聞かずにヤイカの方へ向かって飛び出す。勝算などは無かった。だがヤイカはキリカに執着している。ならば――。

 その思惑は確かに当たった。ヤイカは手に持ったフエルテを興味なさ気に放り出すと、真っ直ぐとキリカに向かい合う。既に異形の姿となったヤイカ。だがキリカを真っ直ぐに見詰めるその瞳だけが変わらない。


 キリカを捕まえようと伸ばされてくる腕らしきもの。キリカは手に持ったサーベルで切り払うようにしてしのぐ。万が一を避けようとしているのだろう。その威力はフエルテなどに対するよりも数段遅い。だが――。


「っ!」


 所詮は地力が違う。サーベルの一撃を防がれ、同時にそれを握った手を掴まれる。後は身体を引き寄せられ、あっさりと自由を奪われた。

 カリムがキリカを奪い返そうと後ろからナイフを片手に襲いかかる。だが、ヤイカはそちらに視線をくれる事もしなかった。見もせずに放たれた裏拳でカリムはあっさりと吹き飛ばされていく。


「……キリ、カ」


 カリムは地面へと叩き付けられながらも、まだ意識はあるらしく何とか立ち上がろうともがいている。だが身体に力が入らないようだ。小さく痙攣しながらも、立ち上がる事が出来ない。ただキリカの方を見詰めている。


「……大丈夫」


 キリカはそんなカリムの方へ軽く視線をやり、小さくか細い声で呟いた。普段ならとても聞こえるとは思えないような声量。だけれど不思議と伝わった気がした。


 ――――!


 カリムがその瞳に涙を浮かべて何かをしきりに叫んでいる。だが何故か聞こえない。

 代わりにキリカの感覚を支配していたのは、視覚だった。すぐ近くにあるヤイカの身体。その異形。所々に紫斑めいた変色した部分を含み、今は背中から四本の蝕腕を出してキリカの両手両足を拘束している。

 キリカは空中に大の字を描くような体勢で吊り上げられていた。そんなキリカに対し、ヤイカは一歩一歩近づいてくる。


「……ぁ」


 自然と漏れた吐息。

 気が付けばヤイカは目の前だった。視界一杯にヤイカの顔が映る。狂的な熱と偏執さ、そしてどこか夢見心地の恍惚を浮かべたその双眼。それは真っ直ぐにキリカを捉えている。ヤイカはその双眸のまま、表情すらまるで動かさず、キリカの方へ向かって右手を伸ばした。


 向かう先はキリカの首筋。女性としてすら小柄なキリカのそれをあっさりとへし折れるであろうヤイカの手。それが喉元に微かに触れる。ぞわりと鳥肌が立った。

 だがヤイカはキリカの首を絞める事もなく、キリカの服の襟元を握りそのまま力任せに引き裂いた。キリカの胸元が露わになる。そして同時にキリカの掛けていたネックレスも露わになった。飾り気のない紐に付けられた、真珠のような石一つ。鮮やかさの欠片もないのに何故か人の視界を捕らえて離さない。その石はそんな不吉な存在感に満ちていた。


 ヤイカはその石を掴むと、キリカの胸の中心に押し付ける。

 ぞぶり、と石はヤイカの手ごとキリカの胸元に飲み込まれていく。同時に辺りに得体の知れない空気が漂う。キリカが湧き上がってくる感覚に絶叫し、まるで壊れた玩具のように激しく顔を振る。


 ――素晴らしい。


 そんな中、ヤイカが恍惚とした声で呟いた。

 倒れ伏しているカリムの耳に、ヤイカのその呟きはやけにはっきりと届いた。



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