1-15 路地裏での戦闘(下)
死霊術士。
そう呼ばれる存在が忌み嫌われ、畏れられるのにはそれなりの理由がある。
極めていくにつれて人を外れていくから、ではない。それはどの魔導の分野においても大なり小なり同じ事だ。錬金術などにしたところで、外法と呼ばれる技術に通じている者など腐るほどいる。
問題は死霊術と呼ばれる魔導分野が、そのとば口から外法に浸かっていると云う事だ。全体の一部が外法と呼ばれるソレなのではない。実際は逆だ。全体の中のほんの一部がまだ尋常の枠内にあるに過ぎない。
魔導というのは極めていけばいずれ異端に至る。人倫というのをどこか無視したものとなる。それは確かだ。
だが最初からそれに特化した存在がまともな人間かと言えば、それは違う。
精神支配。能力吸収。戦場などに溜まった死者由来のマナの利用。
どれも死霊術としては一般的なものだ。だが同時にその制御をしくじれば、いやしくじらなくてもその精神を病んでいく危険な技法でもある。
生物が死んだときに残る魔力。それには様々な情報と特色が残されている。死んだときの感情。その人間の能力、癖、記憶。死霊術士はそれらを利用する事に長けている。そしてそれは同時にそれらに浸食されていくと云う事でもある。
結果として、死霊術士という存在は高いリスクと引き換えに、他者を殺しその力を利用する事に酷く長けた存在になっている。
一言に利用と言っても、実際にその利用方法は多岐に渡る。例えば、純粋に戦力としての利用。魔力を持った触媒としての利用。記憶などの情報源としての利用。特殊な異能を持った存在としての利用。
勿論これらの行為は禁じられている場合が殆どだ。だが酷く便利な時があることもまた確かだ。そしてそれ故に、大っぴらに認めている国こそ少ないものの、公然の秘密という事で死霊術士を飼っている国は多い。これはギルドのような組織も同様で、そのような場合は死霊術士は表向きは錬金術師など別の専門を持っているように装う。
タリスとてその資質が特化しすぎている為に錬金術師など他の分野の魔導師としては二流も良いところだが、かつては表向き錬金術師としてギルドなどに所属していた事もある。
詰まるところ、死霊術士とは死者を利用する術に長けているため、敵を捕らえて尋問する等という選択肢が最初から存在しないのだ。
場が調えられてしまえば後は出来レースだった。
リージヤも抵抗しようと奮戦したが、地力が違う。ましてや他の仲間を片付けたアビスガードにリッチロードが戻ってきて、エリシュカもあっさりと滅ぼされてしまったら尚更だ。
「……ぁ」
小さくか細い声が薄暗い路地裏に響く。リージヤの声だ。
彼女は吊されていた。
タリスの持つ宿り木の杖。それが変化した無数の木の集まり。ほつれ、絡まり合った球のようなものに埋め込まれるような形で、リージヤは身体の自由を奪われていた。その腰元から下は木の集まりに埋もれるようになっており見えない。両手は広げるように吊り上げられており、肘から先はやはり木の絡まりに埋め込まれていてはっきりとは見えなかった。
満身創痍。
その言葉が相応しいだろう。
表に出ている上半身だけで幾つか深い傷跡が見える。そこからはまだ血が流れ落ち、ぽたぽたと血溜まりを作っている。だがそれにもまして酷いのはその顔だ。レイスなどの精神攻撃に晒され続けたリージヤの顔は、既に当初の面影は無い。獣のような精悍さもなりを潜め、怜悧さの見える瞳は落ち窪み、その憔悴を露わにしていた。
「殺すのなら……さっさとやったら」
小さくか細い声。だがそこにはまだ意思の力が残っている。
「へぇ」
タリスが感心したように呟いた。
「では、お言葉に甘えまして――」
その言葉と同時にタリスの右手の袖の中から木が出てくる。それはまるで幾つもの蛇が這い出てくる様にも似ていた。やがてそれらは絡まり合い、一つの杭のような形を作りタリスの手に収まった。
「……っ」
息を飲む声が聞こえた。
カリムだった。
彼女はアロガンフォースに守られつつ、タリスの方を見詰めている。その顔は微かに青ざめている。足下にはかつての知り合いであり、既にアンデッドにされていたエリシュカが倒れている。
既に辺りを覆っていた木々は無い。少し薄暗いが広い路地裏の空き地。辺りは高い建物に覆われ、人気はない。此処へやって来た当初とそこは変わらない。変わったのは所々にある戦闘の跡。そして、血の臭い。
鉄サビのような血の臭いに混じって微かに漂う腐臭。それがタリスが捻れた木を合わせて作ったような杭を構えた途端に濃くなった。
「…………」
タリスがカリムにちらりと視線をやる。
カリムは何事かを言おうと口を開いた。だが言葉は出てこない。これにはカリムが持っている殺人に対する忌避感もあった。死霊術に対する恐怖と拒絶もあった。だがそれ以上に、タリスに対する不安があった。
カリムはタリスを信用していない。いや、寧ろ恐怖していると云った方が正しいだろう。
これは心理的なものもある。元々カリムは生まれ付き異常に関しては過敏な性質だ。そう云った意味ではタリスの持つ禍々しい雰囲気。それは普段においては殆どの人間が気づきもしないレベルで隠蔽されている。だがカリムにとっては恐怖を感じさせるのに十分なものだった。
そしてもう一つ。もっとはっきりとした理由もある。
カリムにとって何より大事なキリカ。彼女をタリスが脅かすのでは無いのかという不安だ。
キリカはタリスという魔導師が興味を惹くのに十分な資質を持っている。そしていざタリスがその気になればキリカの同意を得る必要すらない。あっさりと全ての障害を排除し、キリカをアンデッドとして利用する事が出来るだろう。カリムとユキにそれを防ぐ力はない。
出来ればもっと早くに別れたかった。
だがカリム達では戦力が圧倒的に足りなかった。タリスと出会った時の襲撃。それすらタリスに助けてもらわなければ抵抗する事も出来なかった。
だからこそ自分に出来ることなら何でもやろうと思っていた。この身を捧げる事も、命を賭ける事だってやってみせよう。必要とあればこびを売り、望みとあらば這いつくばろう。
だがそれでもタリスがキリカの事について知ったら、ライトフォーンに関する情報をしっかりとした形で手に入れたらどうなるのか。
それがカリムには酷く不安だった。所詮は自分など只の小娘でしかない。それは十分に判っている。大した札には成り得ないのだ。例え身命を賭けても。
その事が酷く悔しいとカリムは思う。
「……ぁ」
押し殺した声。
視線の先ではタリスがリージヤの胸へ向かって杭を突き刺した所だった。リージヤの口からどす黒い血が吐き出され、血溜まりに新たに落ちていった。重く粘着質の水音がやけに響く。
胸元を杭で貫かれたリージヤはその頭を左右に振り痙攣した。逃れようとしているのか、それとも反射的な行動か。
だがカリムの目にはそれが単純な死に対する防衛行動ではなく、もっと根本的な自分が侵されていく事に対する拒絶に見えた。
記憶を奪い、人格を改変し、能力を徴発する。
死霊術士。
酷くおぞましい力と業だ。
だがそれを止める力も理屈も今のカリムには無い。
「…………」
黙って見守るカリムの視線の先で、やがてリージヤは力を失い動かなくなった。それと同時にリージヤを捕らえていた木々も吸い込まれるようにタリスの袖の中へと消えていった。
全てを終えたタリスがくるりと此方へ振り向き、真っ直ぐに見る。その表情は平坦で相変わらず何を考えているのかカリムには今一つ掴めなかった。
――覚悟を決めなくてはいけないのかも知れない。
タリスの瞳を真っ直ぐに見据えながら、カリムはそんな言葉を胸中で独りごちた。
「――まいったな」
薄暗い室内に三人の男女が座っている。その中の一人――ヤイカ・コードウェルが言葉通りどこか困ったような口調で呟いた。だがその表情にはどこか驚愕と興味、そして僅かな興奮の色があった。
「よろこんでいる場合か」
それを退廃的な女――アマーニエが呆れたように見遣る。
「……リージヤと精鋭の暗部が手も足も出ず、か」
彼女は一つ溜め息を吐くと、先程まで受けていた報告を反芻するように呟いた。
「なんかあると思っていたが、予想以上だ」
僅かに弾む口調でヤイカ。
「そうだな。で、どうするんだ? まさかこのまま引き下がるんじゃないだろうな?」
「幾らなんでもそんな事はしないさ。第一あの姫さんに手を出しお前さんを引き受けた時点で、こっちのケツには火が回っちまってるも同然だ。後戻りは出来ないさ」
アマーニエの言葉にヤイカは肩を竦める。
「判ってるなら良いがな」
ヤイカのそんな言葉にアマーニエも納得する。
結局のところ、後がないのだ。そして猶予の時間もない。それはヤイカにも十分に判っている筈。それを忘れていなければ後はアマーニエの口出しする所ではない。
上からの指示通りに行動しようと、自らの欲を優先しようと。
それはヤイカの勝手だ。
「――やるしかないさ」
そしてそれはアマーニエ自身についても同じ事だ。何を望み、何を為すのか。
アマーニエは次の行動を開始しようとしているヤイカを眺め遣りながら思考を巡らした。




