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腐肉の王  作者: 坂田京介
14/21

1-12 接敵(上)



 マターファの中心部より少し離れた場所にある一画。

 歴史を感じさせる屋敷が一軒建っていた。屋敷自体はそれほど大きくはない。だが敷地自体はかなり広く、その周囲は全て塀で囲まれ門には槍で武装した兵士が詰めている。その扉から窺える屋敷の庭はよく手入れされており、品の良い観賞植物などが置かれていた。

 広さを除けばごく普通の屋敷だ。少なくとも一見したところでは。

 だが実際は違う。表からは見えない敷地の一角では危険なものを含む植物が生い茂り、離れにある建物では奴隷を使った人体実験などがひっきりなしに行われている。

 それもある意味当然なのかも知れない。この屋敷はガイベルク大陸全土に広がる魔導師達の結社――シュールバニパルのものなのだから。

 現在ではその幹部であるヤイカ・コードウェルが屋敷の主としてその管理を受け持っている。


 ヤイカの表向きの顔は多岐に渡る。

 魔導師達への講師。迷宮などの魔導的な管理者。マターファの有力者との調整役。

 そんな表の顔の彼と付き合っている人間たちの大部分は彼の裏向きの顔を知らなかったが、中には薄々と気付いている者もいた。だが殆どは黙認していたし、一部は積極的に協力していた。結局の所、彼は非常に有能で便利な男だった。気前よく有形無形の援助を与え、自らの利はそれほど追求しない。それは彼らの求めるモノが完全に異なっていた所為でもあったが、それでも彼の便利さには変わりがなかった。


 そんなヤイカの屋敷に女が一人近づいている。

 黒いスーツを少し崩して着ている女性だ。スレンダーな体格ともあいまって男装にも見える服装だが、顔は女性的な優美さを備えている。軽くウェーブの掛かった髪を肩当たりまで伸ばし、その目は不機嫌そうに自らの向かうヤイカの屋敷を見ていた。

 女の名前はリージヤ・ヴォロノフ。

 ヤイカと同じくシュールバニパルに所属する人間だ。


 リージヤは屋敷の門番にシュールバニパルの印章を示し、中へと入る。一歩敷地へ足を踏み入れた瞬間ぞわりと背筋が粟立った。それはリージヤの戦闘者としての本能だった。ここはヤイカの庭だ。純粋な一対一ならばリージヤはヤイカにも負ける気はしない。名うての魔導師であるヤイカとて本分は戦闘ではない。純粋な戦闘者であるリージヤの方に分がある。

 ――だがこの場では違う。


 ヤイカのような魔導の探求を第一とする魔導師の怖いところは力の底上げが出来るところだ。触媒を手に入れる事で、時間を掛けた儀式を行う事で、他者を犠牲にする事で、彼らは己の限界をいとも簡単に超える事が出来る。それは戦闘時に安定した力を発揮する事を第一とするリージヤのような戦闘者には到底無理な事だ。


 背筋が粟立ったあの感触。あれは他者に命が握られているという警告だ。


「いらっしゃいませ」


 敷地内の舗装された道を経て屋敷の建物へと辿り着くと、執事服を着た男がリージヤを迎えた。どうせシュールバニパルの人間だ。挨拶を返す気にもならない。無言で案内をされるがままにリージヤは付いて行く。

 執事服の男は屋敷の扉を開け、中へと入る。その後を付いて行き屋敷の内部へと入ると、リージヤを迎えたのはよく手入れの行き届いた内装だった。正面には赤絨毯の階段が上へと続き、右側には守衛室、左側には奥へと続く廊下がある。どうやらヤイカがいるのは左の廊下の先らしい。執事服の男は左の廊下を暫く歩き、やがてある扉の前で立ち止まった。


「開いてるよ」


 執事服の男のノックに張りのあるバリトンの声が答える。執事服の男がその声を受け、扉を開けた。それに促される形でリージヤは部屋の中へと入る。執事服の男が一礼して扉を閉め去っていった。


「久し振りね」


 リージヤは部屋を一瞥して口を開いた。

 部屋の中には三人の人物がいた。

 一人はヤイカ・コードウェル。背は平均より少し高い程度だが、肩幅が広くがっしりとした印象を与える。研究を本分とする魔導師としては随分と珍しいタイプの男だ。その服装も魔導師というよりは世慣れたものを感じさせる。

 もう一人はアマーニエ・バルトシェクとか云う女だ。腰近くまで伸びたブロンドの髪にエメラルドのように美しい緑色の瞳、そして女性らしい起伏に富んだ体付き。艶やかだが、どこか退廃的で破滅的な感じを漂わせている。彼女についてはリージヤもよく知らなかった。ある日ヤイカが連れてきて傍に置いているとしか知らない。

 そして最後の一人はある意味リージヤが非常によく知る人物だった。

 エイルマー・アーモンド。

 リージヤに戦闘技法を叩き込んだ師匠筋に当たる人物だ。背は平均程度で痩せ形。少しひねた印象を与える男で、顔も平凡。余り目立たない風体の男だがその実力は本物だ。特に隠密からの致死の一撃や密偵技能においてはリージヤの上をいく。


「ああ、久し振りだな」


 ヤイカがリージヤに返す。

 リージヤとヤイカは同じ組織に属し同じ街を拠点にしているが、指揮系統が違う事もありそれほど繋がりは無かった。それでもこのようにしてわざわざやって来たのは当然用があったからだ。


「バレイが死んだそうね」


 ――バレイ・ロンベルト。

 キリカ・ライトフォーンを襲撃する部隊の指揮を執った男だ。リージヤはバレイとは旧知の仲だった。親しい、とは言えない間柄だったが、色々と世話になった事も多い恩人とも云える相手だった。リージヤ自身も恩義を感じていたし、その人柄には好意を持っていた。それがどのような種類の好意かはよく判らなかったが。


「……殺されたよ」


 そう言うヤイカの言葉からは特にどんな感情も窺えない。


「それで、わざわざロートルのバレイを危険な任務に出したのはどういう事かしら? それにキリカ・ライトフォーンに対する独断専行。彼女に関しては監視にとどめると云う事になっていた筈よ。貴方が何をしたかったのかは知らないけれど、やり過ぎではないの?」

「はっ。シュールバニパルはあくまで互助会みたいなもんだ。またそうでなくては自分勝手な魔導師達が協力できる訳もない。その程度の事は上も十分に判ってるはずさ」

「そう」


 強弁とも云えるヤイカの言葉にリージヤは一つ頷いた。


「ならそれが失敗した責任を問おうかしら。なにか弁明はある? ――ヤイカ・コードウェル」


 その視線と声に鋭いものを乗せリージヤが言う。それは査問にも似ていた。いや、実際に査問だったのだろう。

 リージヤはシュールバニパルの実働部隊の一人であり、同時に内部粛正のための処刑人でもある。そのリージヤの言葉に一気に部屋の空気が張り詰めたものになる。


「それに関しては申し訳ないとしか言いようがないな」


 だがそんな雰囲気を気にした風もなくヤイカは口を開く。それが殺されない自信があるからなのか、それとも只の虚勢なのかはリージヤにも判らなかった。


「そもそも変な横やりが無ければ実験は成功していた筈なんだ。あのライトフォーンの血族、その正統についての秘密が手に入った筈だ」

「ライトフォーンに関してはラスムス師が関わっていたとも言うけど?」


 シュールバニパル総帥――ラスムス・ノートランド。

 人外の域にまで達した魔導師だ。限りない時を生きていると伝えられ、現在ではシュールバニパルの部下達に指示を出す事も殆どない。同じシュールバニパルにいるリージヤとてラスムスが現在何を目的に動いているのかなど見当も付かなかった。

 そんなラスムスの愛弟子と噂されるヤイカ・コードウェル。


 ――やりにくい男だ。


 リージヤは内心で歯噛みする。


「おいおい。出藍の誉れを目指すのは弟子の義務だろ? ラスムス師におんぶにだっこじゃ一人前とは言えないさ」


 この言葉も何処まで本気かまるで掴めない。


「……はぁ、まあ良いわ。どうせそこまでの指示は下っていないし、独断で貴方を処刑する権限もない」

「判ってくれて幸いだ」


 揶揄するようなヤイカの口調。それを無視するようにしてリージヤはそのまま言葉を続ける。


「それで何のために私を呼んだの」


 その言葉にヤイカは表情を改めた。社交的な好人物の顔から名うての錬金術師であり死霊術士の顔へと。

 無機質でどこか狂的なものを秘めた瞳がリージヤを見詰める。

 ヤイカはゆっくりと口を開いた。



「――タリス・マンチェスを殺したい」



 どこか粘着質な悪意を内包した声だった。まるで肌を汚らわしいものでねぶられているような不快感が走り、リージヤは思わず顔をしかめた。


「タリス・マンチェスと言うと……外からやって来たとおぼしき奴の名前ね」

「ああ。自慢じゃないが俺の儀式に横やりが出来るレベルの魔導師なんてこの大陸でも数えるほどだ。だが今回は挑発めいた書類の改竄が行われている。そんな小細工を好むのはその中でも一人しかいない」

「――イシュケ・ペルヘムリアか」


 占術士イシュケ・ペルヘムリア。

 大陸でも最も優れた占術士であり、戦闘の腕前もかなりのもの。そして何よりシュールバニパルと敵対している組織であるブリガンテのトップでもある。


「イシュケが呼び出したと云う事もあるが、キリカ・ライトフォーンを利用するのにもあいつは邪魔だ」

「だから……殺せと?」


 リージヤの問いにヤイカはあっさりと頷く。


「ああ。お前にとってもバレイの仇になる。――丁度良いだろう?」


 そう言うヤイカの顔には不気味な笑みが浮かんでいた。



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