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腐肉の王  作者: 坂田京介
12/21

1-10 学園



 キリカの此処マターファにおける公的な立場は学生である。

 学生なので当然学んでいる事がある。では何を学んでいるかと云えば、吟遊詩人のスキルを学んでいると言うのが一番近いだろう。キリカがこの学園で学んでいるのは基本的には戦闘技術である。そして戦闘技術において圧倒的に優れているのは近接武器だ。短剣、剣、槍、素手。種類は様々だが、こと戦闘において職業戦士ほど高レベルで安定しているクラスはない。


 だが単純な戦闘力で全ての問題が解決できるほど冒険者稼業は甘くない。

 迷宮探索一つにしたところで罠の解除や装備の持ち運び、薬の生成、素材の鑑定など必要となる技能は多岐に渡る。それらの技能を身に付けているのは一般的に魔導師と呼ばれる専門教育を受けた人間に限られる。キリカもかなり特殊だがこの魔導師の一種に含まれる。


 だがこのような魔導師が実際に迷宮探索などにおいて役に立つかというと、実はそのハードルはかなり高い。その理由は単純明快で――死ぬのだ。魔物による不意打ち、飛び道具、範囲攻撃。危険は幾らでもある。無論このようなものは戦士職の人間にとっても危険には違いない。だが戦士職ならば難なく耐えられるレベルの攻撃でも、同レベルの魔導師には致命傷になり得る。このような場合カバーにはいるのが前衛の役割なのだが、常にこのような可能だとは限らない。


 よって魔導師でも街中で比較的安全に仕事を行うのではなく戦闘を前提としている魔導師は、自らの身を守るための近接戦闘の技法をかなり念入りに学ぶ必要がある。キリカがサーベルを曲がりなりにも扱えるのは、そういった理由があるのだ。無論それは専門の戦士、例えばユキなどと比べればつたないものだが使えるのと使えないのでは雲泥の差だ。


 キリカの通っているズナーニエ学園では、主にそんな戦闘を本業としていない魔導師達相手に武器の取り扱いや戦闘に役立つ魔導の使い方などを教えている。

 キリカが此処で吟遊詩人のスキルを学ぶ事を選んだのは、何よりも母親の影響が大きい。


 キリカの母アレナ・ライトフォーンは何時も笑っているような人だった。キリカと同じ薄いブロンドの髪に灰色にも見える碧眼をした美人で、キリカと違い女性らしい肢体と、そして何より感情の起伏を素直に表す性格を持っていた人だった。


 キリカがアレナから受けた影響は非常に大きい。住んでいた離宮から殆ど外へ出る事も許されずに幼少期を送ったキリカにとって、母との、そしてユキやカリムとの付き合いが全てだった。だがユキは基本的に戦闘訓練があったし、カリムにしたところで訓練にそれなりの時間が取られた。結果、最も一緒にいたのは母だった。


 キリカはカリムから社会常識や戦闘技術を。母から魔力の取り扱いと、そしてピアノなどの楽器演奏を習った。


 だがカリムは兎も角として、アレナが良い教師だったかと言うとそれにはかなり疑問符が付く。キリカ自身もし自らの母が良い教師だったかを問われれば、苦笑をにじませて誤魔化すか、平坦な表情で言下に否定するだろう。


 キリカの母であるアレナは、親バカと言っても良いくらいにキリカの事を溺愛していた。しかもやたらとキリカに甘かった。そして本人も随分と子供っぽい人であった。まだ幼かったキリカですら、ちょっとどうよと思う事が多かった気がする。

 そんなアレナに代わってキリカを叱るのは、大抵の場合カリムの役目だった。まあアレナ自身もよく叱られていたが。


 キリカとそれほど年の変わらないカリム。彼女が一部とはいえキリカに対する教師役を務める事になったのは、アレナのそんな教師役としての適才の無さが絶対に関係している。キリカは密かにそう踏んでいた。


 そしてその事に対し、キリカは真面目に申し訳なく思っている。

 カリムはキリカから見ても才に溢れている。戦闘技術、魔導技術、各種知識。学習能力が非常に高いと言っても良い。だからこそ短い学習時間で様々な技術を身に付ける事が出来たし、年のさほど違わないキリカの教師役などを務める事が出来た。だが逆に言ってしまえば、その時間を更なる学習に向けていればカリムは更に上に行けた訳だ。

 カリムがその事に対してどう思っているのかを尋ねた事はない。だがそういったカリムに対する申し訳なさとも呼べるような感情は、胸に刺さった棘のようにキリカの胸中に残っている。


 そういった事はあれど、キリカの幼い頃の記憶は基本的に幸せに彩られれていた。

 母がいて、カリムがいて、そしてユキが時々やって来て――。

 小さな世界だ。広大な外の世界とは比べものにならない玩具のような箱庭だ。だがキリカはそんな事を気にした事は無かったし、その箱庭に何の不満もなかった。


 だがそれは長続きしなかった。

 外から何らかの干渉があった訳ではない。アレナが体調を崩すようになったのだ。

 キリカはそんな母に対し、教わったピアノを弾いて聞かせた。それは多分祈りにも似ていた。アレナはそんなキリカの想いが判ったのか、少し困ったような笑みを浮かべていた気がする。





 キリカ達はホシアの酒場での報告が終わった後、キリカの通うズナーニエ学園に向かう事にした。

 学園とは云ってもズナーニエではカリキュラムの選択はかなり自由だ。迷宮探索などに精を出し、最低限の座学しか取らない事も普通に出来る。マターファの正式な住民である事を証明する書類、それとある程度の前提知識と技術を持っていれば後は比較的自由に望む技術を学ぶ事が出来る。だが基本となる学費の他に講義毎に払う受講料もあるので、それほど沢山の講義を一度にとる人間は殆ど居ない。


 ズナーニエのような学園は、技術を学ぶ場であると同時に一つのコミュニティのような側面も持っている。特にズナーニエの持つ影響力はマターファにある学園の中でもかなり強い。冒険者などをやりながら少数の講義だけを受けている、と云う人間も多いため学園規模に比べて学生の数が多く、都市の運営に欠かせない魔具士や調理師などにこの学園で学んだ人間が多い所為である。


 そんな事もあり、ズナーニエの学園には学生相手に商売をしようと様々な種類の人種が集まっている。

 本来なら好ましくないのかも知れないが、迷宮探索や武器防具などについては教師が一から教える訳にもいかないため、行き過ぎと判断されない限りこのような商売は黙認されている。


 キリカが訪れようとしているのもそんな人間の一人だ。

 このズナーニエにおいて学生などを相手に情報の売買を行っている男で、名をイグナーツ・ベネシュと云う。イグナーツはキリカやカリムよりも年上だがまだ若く、生まれも育ちも此処マターファだ。とはいっても余り裕福な出ではなく、スラムの出身であり小遣い稼ぎとスキルアップを兼ねて情報屋のような事をやっている。所詮はアマチュアなので情報量やその質などについてはそれほど期待できないが、学生達などの動向などについてはかなり耳聡い男だ。

 そして学生達の中には迷宮探索を行っている者も多い。迷宮の封鎖についても何か情報が掴めるかも知れない。


「いらっしゃい」


 軽くノックして扉を開けると、いつものように少し陰気な声がキリカ達を迎えた。

 部屋の中へ入り辺りを見回す。相も変わらず乱雑な部屋だ。部屋の中央には様々な物が置かれたテーブルがあり、その両脇にはソファーが置いてある。そこに男女の二人組が対面で座っていた。

 男の方はイグナーツだ。小柄な男で、目付きは余り良くない。

 女の方も知った顔だった。エイミー・ボルクマン。イグナーツの相方だ。


「はろー」


 エイミーが軽い調子で挨拶しながら席を移動する。そしてイグナーツの隣へと腰を掛けた。


「まあ座ってよ」


 別に固辞する必要は何処にもない。エイミーの誘いに従って、キリカ達もイグナーツの向かいのソファーに腰を掛ける。


「色々と大変だったみたいだな」


 キリカが席に着くなり、イグナーツが口を開く。せっかちな性格も相変わらずだ。キリカはその事に少しおかしさを感じた。あれだけの事があっても周りの時間は平穏無事に進んでいる。そんな当たり前の事が改めておかしく思えたのだ。


「まあね。そんなに噂になってる?」


 此方の事情をある程度は把握している風のイグナーツに向かってキリカが尋ねる。


「そりゃ迷宮の一時封鎖、ヴェークのメンバー全員死亡となれば迷宮探索をしている連中でなくても気にするだろうよ。オレのところにもそれなりに情報を求める声が届いているしな」

「あー、それで学園を歩いてるとき変な視線を感じたんだ」

「まだそんなに広まってなくて助かったな。もうちょっと遅かったら質問攻めにされてたぞ」

「うへー。早めにきといて正解かー」


 うんざりしたような口調でキリカ。だがそこでふと気が付く。


「あれ? そういえば私の顔を知っている筈の他の情報屋みたいな連中もいたけど……話しかけてこなかったな」


 遠巻きに変な視線は感じたが、それだけだ。それを不思議に思ってのキリカの呟き。だがそれに対しイグナーツは「はっ」と呆れた混じりに笑った。


「自覚のない奴はこれだから……。素人なら兎も角、まともな神経をしている情報屋ならお前さんに近づくのは躊躇うさ」

「なにゆえ?」


 キリカの言葉にイグナーツはいよいよ呆れの色を濃くした。


「いや、よく判らない王族関係のスキャンダルなんて、常識的に考えて学生相手の情報屋ごときには荷が勝ちすぎるだろうが」

「……一応は隠してるんだけど」

「蛇の道は蛇ってな。お前ら此処に来たときは色々と脇が甘かったろ? それに持っている雰囲気っていうのはあるさ。そう簡単に隠し通せるものじゃない」

「…………」

「最古の国の一つ、ヤイウェン。その正統であるライトフォーン。そしてそこから追放された姫」


 ――怖いだろ、どう考えても。


 そんな風に言ってイグナーツは肩を竦める。その声には珍しく真剣味が含まれていた。だがすぐに元のどこか飄々とした態度を取り戻し、イグナーツは言葉を続ける。


「ま、そういうわけでお前さんからの情報を欲しがってる連中は結構いる訳だ。何があったか教えて貰えればある程度は融通も利かせるし、出来るだけ情報も提供するぜ?」

「…………」


 キリカはその言葉に考え込む。情報屋なんていうものは結局は信用商売だ。そういった意味ではイグナーツの言葉に嘘はないだろう。

 キリカは暫しの黙考の後、自分たちを襲った連中についてだけ話す事にした。


「……ふーん。やっぱ魔物じゃなかったか」


 大体の事を聞き終えた後、イグナーツはそれだけを呟く。


「まあね。それで連中についてなんか心当たりない? 随分と人を狩り慣れているようだったけど」

「……人を狩り慣れ、迷宮封鎖などをやってのける組織ね」


 イグナーツは転がすようにそんな言葉を呟くと難しい顔をした。


「……お前さ、さっきオレが言ったことをおぼえてるか? そんなこと学生相手の情報屋が知ってると思うのか?」

「連中は迷宮での人の狩り方に随分と熟練していた。なんか心当たりあるんじゃない?」


 キリカの言葉は痛いところを突いたのか、イグナーツは顔をしかめる。そんなイグナーツに向けて「ほれほれ、大人しく話しちゃいな」とキリカが水を向ける。


「……はぁ。まー噂話の類で良いならある」

「やっぱり」

「大体二年くらい前から、特に一年前くらいからが顕著なんだがな、原因不明の全滅が増加している」

「原因不明?」

「ああ。例えばウリャフト山脈へワイバーンを狩りに行ったパーティが帰ってこなかった、とかな。勿論事故って可能性はあるんだが、安全マージンを取り同じような依頼についての経験も豊富なパーティも全滅している。怪しげなのはその理由が今一つ掴めない事だ。例えば新たな魔物が住み着いたとかなら話はまだわかる。だがそういった事実も無く熟練のパーティが全滅するなんて事が続く、なんてのは正直とても胡散臭い」

「調査は行われてないの?」


 キリカの問いにイグナーツは首を左右に振った。


「増加してるって言ってもまあ偶然で片付く程度の話だしな。冒険者が狩り場に行ったら全て自己責任っていう原則もある。それにしたって調査されてもよさそうなもんだが……まあ、それはいいか。兎に角この話には更に胡散臭い続きがあってな」


 キリカは無言で続きを促す。


「――全滅したはずの連中を見たって証言があるんだ」


 イグナーツの言葉にキリカの眉が顰められる。そんなキリカには構わずイグナーツは言葉を続けた。


「例えば以前組んだパーティが全滅したはずの連中と迷宮の中で出会ったとか、夜の街中でうろついているのを見たとか、まあ怪談じみた話だ。だがこれが事実だとすると一つ思い当たることがある」

「……死霊術」


 キリカの呟きにイグナーツが頷く。


「ああ。生きたまま支配する術もあるって云うが、まあ一番ポピュラーなのは死体を操る死霊術だ。そしてそんな事を前提にして全滅した連中の顔ぶれを見ていくと、偶然と云うには少し出来すぎなくらい特殊な資質を持った連中が多い」

「……魔導師が実験体としてさらっていると?」


 厳しさをはらんだキリカの問い。


「さあ」


 イグナーツはおどけた調子で返した。キリカの視線に険が籠もる。だがイグナーツは顔に苦笑を浮かべて「どうどう」とキリカを宥める。


「ここら辺までが噂話の範疇だ。これ以上を聞きたいならフエルテのおっさんにでも聞くんだな」

「フエルテさんに?」


 ――フエルテ・ツンバオ。

 ホシアの酒場を拠点にしている冒険者達の顔役のような男だ。キリカ達もヴェークのメンバーを紹介して貰ったりと世話になっている。だがキリカ自身はその面倒見の良さを少し苦手にしていた。決して嫌いではないのだが。


「おっさんだってこの程度の事には気付いている。お前さん達が生き残った事で、連中の首根っこを抑えるチャンスが来たってエキサイトしているだろうぜ」



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