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腐肉の王  作者: 坂田京介
10/21

1-8 朝



「――え?」


 いつもの迷宮探索。最初に異常に気付いたのは誰だったか。一応は注意していたつもりのキリカは、矢が風を切る音すら聞こえなかった。ただ数年来の付き合いである仲間――エリシュカの上げる不思議そうな声がやけに耳に残っている。彼女はいつものように分厚いワンピースのようなタイプのローブをクロスアーマーの上に着込み、身長ほどのスタッフを手に持っていた。そんなエリシュカの胸から幾つもの矢が突き出ているのが振り向いたキリカの視線に映った。


 ごぼりとエリシュカの口から冗談のように大量の赤黒い血が吐き出され、そのままエリシュカは迷宮の床へと倒れ込んだ。

 そして第二射。進行方向にも敵がいるかも知れない。そんな疑問もあった。さほど時間を空けず放たれた射撃にキリカ達は陣形を変える余裕は無かった。

 だがそれでも、キリカの護衛であるユキとカリムは素早く対応していた。ユキがキリカから矢を防ぐような立ち位置に移動し、フレイルを構える。カリムが敵の攻撃へ備えキリカを抱え込むようにして自らの胸元へ寄せ、即席の鋼糸の結界を展開する。


 今度の敵の狙いは後衛のブラジェイだった。弓矢による援護を得意とする彼は、だが逆に敵の矢に対して有用な防護手段を持っていなかった。幾つかの矢は体捌きで避けるが雨あられと降ってくる矢を全て躱しきる事など出来ない。首筋に矢傷を受け、血が流れ出す。すぐに治療すれば助かるかも知れない。だが――。


「ブラジェイは無理だっ! 逃げろっ!」


 そんなキリカ達の迷いを断ち切ったのはエリシュカをリーダーとする冒険者チーム『ヴェーク』、その最後の一人である戦士のエフィムだった。


「走れっ!」


 エフィムは有無を云わさぬ迫力で叫ぶ。その言葉にまず最初にユキが対応し、次にカリム、そして最後にキリカもそれを受け入れて走り出す。エフィムも先頭を切って走る。道を選んでいる余裕はない。襲撃と敵影。それから逃げるようにして迷宮を今までやったことのないペースで走り続ける。


「ちっ」


 エフィムの口から舌打ちが漏れる。その理由はキリカにも想像が付いた。敵の動きがかなり洗練されている。まるでこの迷宮を知り尽くしているようだ。彼らはまるでキリカ達を狩り立てるようにして襲撃を繰り返す。いや実際にその通りなのだろう。人狩り。彼らがしているのは正にそれだ。


「このままではジリ貧だっ。防備の薄いところを狙って――」


 最年長者としての責任感だったのだろう。エフィムはキリカ達の様子を確認しようと後ろを振り向き、そしてそれが命取りになった。闇に紛れ、驚くほど接近していた暗殺者。それがエフィムの太腿に深くナイフを突き立てた。エフィムの武器はメイスだ。体重を掛け全身の力を込め振るう鈍器だ。それが足を負傷し満足に扱える筈もない。ましてや身軽なローグから逃げ切れる訳もない。

 エフィムは咄嗟にメイスを捨てると、暗殺者に対し掴み掛かる。メイスを振るう戦士の握力はそれだけで十分な脅威だ。暗殺者が後ろに引き下がりそれを躱す。


「いいからとっとと逃げろっ!」


 片足でよろけながらもエフィムが叫ぶ。だがキリカは戸惑って動けない。頭では判っている。ここで加勢しても敵に守勢に回られればすぐに片付ける訳にはいかない。幸運にも増援が来る前に片付けられたとしても、走れないエフィムは足手まといになる。


「キリカっ!」


 裂帛の叫び。カリムの声だった。視線をやれば、普段の穏やかさとは懸け離れた厳しい顔つきのカリムがいた。


「……行きますよ」


 低く抑えられたその声は反論を許さない険しさがあった。何よりキリカに反論できる何かは存在していなかった。

 結果、キリカ達三人は走り出す。まだ生きているエフィムを置いて。





 暖かいベッドの中でキリカは昨日の記憶を回想していた。

 酷く苦く、そして後悔の残る記憶だ。タリスはキリカに対し、余り背負いすぎるな、と言った。だが自分の所為で起こったいざこざで死んでいった者たちを前にしてそうする事は、少なくともキリカにとっては非常に難しい。


 そしてそれにもまして後悔しているのは自らの至らなさだ。適切な判断も出来ず、カリムにつらい判断を任せる形になってしまった。カリムはローグの技術を学んでいるが、基本は良いところのお嬢様だ。幼い頃から悪い意味で特別扱いであったキリカ。下級騎士の生まれであるユキ。この二人に比べてその毛並みの良さは明らかに上だ。


 だがキリカ達三人の中ではカリムが最年長であり、技量的にも最も優れている。ユキが護衛としてキリカの傍を余り離れたがらない事もあり、交渉、情報収集、調理、戦闘、そして汚れ仕事に近い荒事までカリムにかかる負担というのは非常に大きい。キリカ自身何とかしたいと思っているのだが、キリカの力でカリムの代わりを務める事は無理だったし、それはユキも同様だった。結局のところ自力を上げ、自らの役目をきちんと果たす事ぐらいしか出来る事は無い。


 ――そう思っていた。だが昨日、それすら満足に出来なかった。


「……はぁ」


 キリカは憂鬱な溜め息を吐きながら、ベッドから背を起こした。

 いつもは寝汚いキリカも今日は二度寝する気に全くなれなかった。昨日湯あたりした所為もあるのだろうか、身体がやけに重い。そんな重い身体を引き摺るようにして立ち上がりカーテンを開ければ、朝日の淡い光が部屋を照らす。美しい光だ。昨日の事もキリカの不調もまるで関係ない陽光。

 時計を見ればまだ明け方近い。そろそろカリムも起き出す時刻だろう。キリカはもう一度溜め息を吐いて朝の身支度を始めた。



 キリカの屋敷では朝食は基本的に簡単なもので済ます。

 理由は大したものではない。キリカが朝に弱いため余り大したものを食べられないのだ。そして屋敷において調理の技能を持っている二人の内の一人。そのキリカがこんな調子のため必然的に朝食の用意はカリムに一任される事になる。カリムはカリムで多忙だし主であるキリカが食べないとなるとやる気が出ないのか、朝食はあっさりとしたものを用意する事が多い。朝に強いユキは時々不満を言ったりもするが、多数決と、そして何より決定権を持つキリカの判断によってその意見は封殺されている。


「それで今日はどうするッスか?」


 そんな簡単な朝食を食べ終え、食後のお茶を飲んでいるときユキが口を開いた。食卓にはキリカ達三人とタリスが座っている。朝食でもタリスはあの怪しげな丸薬を一粒水と共に飲み下すのみだった。朝の食事には余り相応しくない気がしたが、今日ばかりはキリカも大して変わらない。胃が参っているのか、スープと少しのパンを強引に流し込むのが精一杯だったのだ。それでも食べないよりはマシだろうと、そして何より昨日の醜態を思い出せば自分にそんな弱り目は許されないような気がして、キリカは砂を噛むような気持ちで朝食を取った。


「取り敢えずホシアさんの酒場に報告に行く必要があります」


 キリカがユキの言葉に答える。昨日の迷宮探索で死んだヴェークのメンバーはホシアの仲介で紹介されたものだ。少し遅れたが報告に出向く必要はある。


「そのホシアさんというのは?」

「酒場のマスターですね。冒険者達に依頼を紹介したりする事もやっています」

「ああ」


 カリムの言葉に納得したようにタリスが頷く。


「ですがタリスさんをそのまま連れて行くんですか? 正直怪しまれるってレベルじゃないと思いますが……」

「此処で待っていてもらって、報告が終わってから合流すれば良いんじゃないッスかね」


 キリカは二人の言葉に考え込む。タリスの方を見遣れば相変わらず底意の見えない笑みを浮かべている。確かに報告だけならそれほど時間は掛からない。だが昨日何があったのかを聞き込むとすれば、それにどれだけ時間が掛かるかは判らない。その間ずっとタリスを放っておく訳にもいかないだろう。

 ではタリスを含めて四人で聞き取りを行うか? これは下策だろう。ある程度顔も性格も背景も知っている者同士なら教えてくれても、全く知らない人間がその場にいるのに同じように教えてくれるとは思えない。


「……そうですね。二手に分かれましょうか」


 暫しの黙考の後、キリカが口を開いた。


「どのように分かれるんですか?」

「私とユキがホシアさんの酒場へ。カリムはタリスさんと一緒に行動して」


 カリムの問いにキリカが答える。それに不満そうに口を挟んだのはユキだった。


「でも狙われているかも知れないのに二手に分かれるのは危ないんじゃないッスか?」


 その言葉も尤もかも知れない。だが――。

 キリカはちらりとタリスの方へ視線をやってから、ユキの問いに答える。


「うーん。失礼ですけど街中での護衛という形ではタリスさんそこまで役に立たないんじゃないかと……」


 他者を守るというのは非常に難しい。そして死霊術士という職は間違ってもそれに向いた職ではない。確かにタリスは卓越した死霊術士だ。アンデッドを召喚する事で護衛も出来るだろう。だが街中でアンデッドを引き連れて歩くなど、具体的にどんな問題が起きるのかキリカには想像付かない程に非常識な問題行為だ。

 そうなると街中においてタリスを護衛として連れて歩く、というのはそれほど利点がない事になる。むしろタリスが力を発揮するのは他者の目を気にしなくてよい状況下における戦闘だろう。


「そうですね。誰かを守るという事に関して僕ほど不得手な人間も珍しいでしょう。なにせ機会だけはあったのに全敗ですから」

「……返事に困る諧謔は止めてください」

「それは失礼」


 キリカの言葉にタリスは軽く肩を竦める。自身の評に関してはまるで気にしていないようだ。


「でも……」


 ユキがなお不満げに口を挟む。キリカの直接の護衛という事もあって神経過敏になっているのだろう。キリカはそんなユキを説得するように言葉を重ねた。


「多分だけど街中で敵は仕掛けてこない気がする」

「…………」

「あの戦力があれば私三人などどうにでも出来たはず。それでも今まで仕掛けては来なかった。ならきっと街中では駄目な理由があるんだと思う」

「……どんなッスか?」

「それは……判らないけど」


 言い淀むキリカをユキは真っ直ぐに見詰める。キリカもそれを真っ直ぐに見詰め返す。先に根負けしたのはユキだった。


「はぁ。仕方ないッス。主の判断には従うのが番犬の務めッスからね」

「うん。ありがとう。頼りにしてる」



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