気合を入れる為に……
まだ、冬の寒さも残る春の温かさが訪れる少し前のこの時期、とある街の繁華街にある一軒の美容室に1人の少女が店の中へと入って来た。
その少女は、濃い目の茶髪の美しくストレートな背中まで伸びたロングヘアーの髪型をしていた。
ロングヘアーであるのと同時に、頭の左右にはツインテールの様に髪を結んでいた。
その少女は、美容室に入ると、早速、美容室にいる店員に話しかけた。
「予約していた阪野麻奈です」
「阪野麻奈さんね。いらっしゃい!! さっさっ、あちらの席にどうぞ」
「はいっ!!」
少女の名は阪野麻奈といい、見た目は中学生と間違えてもおかしくないくらいの小柄な体格であるが、今年の春からは高校生になる少女である。
そんな麻奈は今日、新たな決意と共に気持ちを切り替える為に、自慢の美しいロングヘアーをバッサリと切りに、この美容室へと訪れていた。
そして麻奈は、美容室の店員の指示に従い、専用のイスに座ると、頭部の左右の髪を結んでいたゴム紐を解き、髪を切る体制に入った。
その後、美容室の店員が麻奈の後ろにやって来たあと、美容室の店員は麻奈の身体に服に切った髪がかからないようにする為の布をかけ、いよいよ散髪の準備を終えた。
そんな美容室の店員は、これから長い髪を切られる麻奈の髪を見ながら、少し心配そうな様子で見つめた。
「ねぇ、本当に切っちやっていいの?」
美容室の店員が、麻奈に心配そうな様子で声をかける。
「いいのよ。思い切ってこの長い髪を切って!」
「あらっ、本当にいいのね。あとで後悔しても知らないわよ。こんな髪を切るなんてもったいないわね……」
そう言いながら、美容室の店員は、麻奈の腰辺りまである長い髪を左手で触りながら右手で持っていたハサミで髪の先端部分を切り始めた。
美容室の店員によってチョキチョキと切られていく麻奈の髪は、そのまま美容室の白い床へと落ちていった。そして目の前にある大きな鏡に映る麻奈の姿は、腰付近まであった長かった髪は次第に肩辺りにまで短くなっていた。
「それよりもなんでまた急に髪を切ろうなんて思ったの? まさか失恋でもしたのかしら?」
麻奈の髪を切っている途中、美容室の店員はふと疑問を抱いたような表情をやりながら、目の前の大きな鏡に映る私の顔を見ながら問いかけてきた。
「失恋? 失恋なんかじゃないわ。私は高校に入ってから新しい部活に入ろうと思うの」
「その新しい部活ってなんなの?」
「私、この4月から通う高校で水泳部に入ろうと思うの!」
麻奈は目をキラキラと輝かせながら、大きな鏡に映る私の髪を切っている美容室の店員に言った。
「なるほどなるほど。水泳部に入るために髪を短くするのか。やっぱり、運動部は短髪じゃないといけないとか?」
「いや、その水泳部の規則が厳しいかなんて私はまだ知らないわ」
「じゃあ、なんで髪を切ろうなんて思ったの?」
「ただ何となくと言うより、高校という新しい環境に行く前に、少しでも私という自分を変えてみようかなと思って。それに水泳をやるんだったら、今までのような長い髪だとタイムを出すのに邪魔になるでしょ」
美容室の店員からの質問に、麻奈は少し頬を赤く照らし恥ずかし気な様子になりながら答えた。
「そうなんだ。水泳は昔からやっていたの?」
「いいえ、水泳は一度もやったことがないわ」
「じゃあ、なんで水泳をやろうなんて思ったの?」
「初めて高校のプールを見たときに思ったの。室内プールで広くて透き通るように綺麗な水。私はここのプールで泳いでみたい! そう思って、高校では水泳部に入ろうと思ったの」
美容室の店員の質問に、再び目をキラキラと輝かせながら麻奈は質問に答えた。
「へ~ そうなんだ。じゃあ中学までは何か別の部活をやっていたの?」
「そうねぇ、中学の頃は美術部に入っていたわ」
「なるほど、美術部か…… って、文化部じゃないか!!」
麻奈は中学の頃に、文化部である美術部に所属をしていたことを美容室の店員に言った途端、その店員は右手に持っていたハサミを落とすような勢いで驚いた。
「中学までは文化部だということは、運動部の厳しさを知らないってことだよな」
その店員は、驚きを隠せないのか少し恐怖心がある様にも見えた。
「ええ、知らないですけれども? 運動部たって、所詮は学校の部活動ですよ。そんなガチガチなスポーツクラブなんかじゃないんだから、初心者の私でもやっていけるよ。きっと」
「ちょっと、軽く考えすぎだよ…… いい、高校の運動部は、中学までの運動部と違って本格的なものよ。それに中学までの経験者だってやって来るのよ!」
驚きを隠せない店員に対し、麻奈は自信気になりながら高校での運動部でもやっていけると答えた。するとその店員は、少し呆れ顔になりながら高校の運動部は中学のものとは違うということを教えてくれた。
「大丈夫だって。始める前からそんなマイナス思考に考えないの。ブルーは水の色だけで十分だわ」
「そうね、やる前からマイナス思考に考えるのはよくないわね……」
美容室の店員はそう言った後、再び麻奈の髪を切る作業に集中し始めた。
そして、散髪が終わった頃には、先程まであった麻奈の背中まであった長かったロングヘアーはすっかりなくなってしまい、今は後ろ首がうっすらと隠れるくらいのスッキリとしたショートヘアーとなった。
「はいっ、お待たせ。なんやかんや言ったけど、やっぱり短い髪も結構似合うわね」
「うん。こんなに短い髪なんて小学生以来だから少し恥ずかしいかも」
散髪を終えて、短くなった新しい髪を触りながら麻奈は少々照れた様子でいた。
そして散髪を終えた途端、店員に案内されるがまま麻奈は、先ほどまで座っていたイスから離れ、会計を行う場所へと向かって行った。
「そう言えば、入学式ももうすぐよね。そしたらすぐに部活始めちゃうの?」
「始めるに決まってるじゃない! その為に今日私は気合を入れて髪を切ったのよ」
「そうだったわね。それじゃあ、部活がんばってね」
美容室の会計を行う場所で、麻奈は高校に入ってすぐに水泳部に入ると言うと、店員はクスッと笑った様子で最後に『がんばって』と応援のエールを送ってくれた。
「あったりまえじゃないの。部活、辞めたりなんてしないから~」
麻奈は、店員に部活は辞めないという事を伝えた後、美容室のドアを開けて少しまだ肌寒い風が吹きピンクの桜の花びらが空中に舞う春の外へと飛び出すように出て行った。