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2 SCOTCH AND RAIN

 入学式から2ヶ月が過ぎた。

 新しく始まる生活に順応するのが精一杯でこの2ヶ月は飛ぶように過ぎていった。私は講義の準備をしたり、指導教官に教えを乞うたりと、週末だけが楽しみの慌ただしい生活を送っていた。。

 それは桐原クンも同じとみえて、廊下などですれ違ったりするときに世間話をするくらいで、それ以上の進展は何もなかった。


 7月も半ばに差し掛かった頃、私が次の講義のために図書室で資料を探していると、桐原クンとバッタリ出会った。今日も桐原君は爽やかだ。学生たちにもとても人気があるらしい。

 いつものようにお互い挨拶だけで離れていこうとすると、桐原クンが呼び止めた。

 「高校のクラス会があるねん。一緒にいこう。」

聞けば人気者だった桐原クンの帰郷を祝って、ほとんど学年全員を呼ぶようなクラス会があるらしい。

 「もうすぐカオルコさんにも案内行くと思うけど。」

懐かしい。カオルコさんなんて高校卒業以来呼ばれてない。大学ではもとの目立たない水城さんに戻ったから。


 「秋津も来ると思うで。一緒にいこう。」

心臓が止まるかと思った。不意打ちは勘弁してください。

 「おしゃれして行こうや。そんで告白したらええやん。」


 桐原クンは私のこと好きだって言ってくれてたはず。なのに告白したらいいって言うの?入学式の日から何もいってくれないのはなぜ?

 桐原くんにぶつけたい言葉は胸の中で渦巻いている。その中で一番聞きたいこと。

 「どうして私に告白させようとするの?」


 桐原クンはしばらく黙っていたが、思い切ったように口を開いた。

 「アンタがきっと自分から告白したりできないのわかってた。思いきることができなくて何年か引きずる。それでいつまでも思い続けるんや。」


 どうしてこの人はそんなことがわかるのだろう。胸が締め付けられる。息ができない。


 「俺から告白してみたらどうなるだろうと思った。薫子はきっと断らない、優しいから。俺を傷つけないように、一度付き合ってみたら、そんな言葉にコロッと騙されてくれるだろう。

 それでどうなる、そのまま付き合いを深めていくのか。薫子はどうするだろう。」


 「そんなこと考えてたら何も言えなくなった。薫子は秋津に気持ちを伝えるだろうか。それとも俺を好きになるだろうか。秋津を好きなまま、何も言わず俺と付き合い続けるだろうか。」


 「アンタが耐え切れんようになって行動を起こすまで待とうと思った。けど、ええ機会や。俺が告白して薫子の恋の決着をつけたる、そう思うたんや。」


 「な、クラス会、行こう。思いっきりオシャレしといで。一緒に行こう。」

そういう桐原クンに、私は涙を目にいっぱい浮かべて、うんうんと何度もうなずいた。





 今日はクラス会。桜色の綺麗なAラインのワンピース。薄い若草色の肩掛け。秋津君は桜のイメージだからこの洋服を選んでみた。

 ヒールは7センチ。こんな高いヒールは初めて。華奢なデザインの靴。ストッキングまでちょっとラメの入ったものにした。

 髪も切りに行った。美容師さんにうまくセットできる方法を教えてもらって、練習もしてみた。ムースやワックスもバッチリ揃えた。

 お化粧も上品なメイクを教えてもらった。ほんの少し目元にグリーンを入れて、ちょっとラメのはいったゴールドをほんのりまぶたに。


 桐原クンはびっくりしたようだった。いつもはリクルートスーツのような地味なスーツばかりだったから。

 それからにこっと笑って、

 「よう似合ってる。行こか。」

そういって横に並んで歩いてくれた。


 桐原クンもいつもにもましてかっこいい。紺色のスラックスに細いチェックのトラッドな感じのシャツ。ちょっとかっちりした感じが桐原クンには似合う。

 「桐原クンもかっこいいね。」

 「いつもやろ?」

私たちは笑いながらクラス会に向かった。





 「うわ~カオルコさん、きれい! どうしたの~?なんかいいことあった~?」

 「桐原クンと一緒の大学で働いてるんだって? あやし~。」

 「桐原クン、かっこいい~、惚れ直しちゃう~。」

私たちはすごい騒ぎの中、迎えられた。いつもは静かに暮らしている私は少々ヒトにあたって、のぼせてしまった。


 「おっ、秋津、ひさしぶり!元気だったか?」

誰かのかけた声に、秋津君が手を挙げてあいさつする。

 「お前今でも剣道やってんの?」

 「時々道場に通ってるよ。大会にはあまり出てないけどな。」


 懐かしい秋津君の声、よく黙って聞いていたな。懐かしさに浸っていたら桐原クンと目があった。にっこり笑いかけてくれる桐原クンに励まされて、秋津君に声をかけようとそばに寄って行った。


 「おっ、なんだ、秋津、お前結婚したの?」

 「え~、あ、ほんとだ、マリッジリング?」

 「いや、まだだよ、これは婚約のほう。」

 「うわ~おめでと~、いつ結婚?」

 「ん、今年中にはとおもってるけどな。まだ式場が見つからなくて。」

 「おめでと~、ね、カオルコさん、秋津君結婚するんだって!」

ちょうどそばに歩いてきた私に気づいて、友達が私に声をかけた。


 「秋津君おめでとう。お相手は?」

声が震えてませんように。普通に話せますように。神様。


 「道場の先生の娘さん。高校の時からおつきあいしてるんだ。」

ほかのクラスメイトが羨ましそうに尋ねる。

 「うわ~、ね、ね、どっちがプロポーズしたの?詳しく教えてよ~。」

 「やだよ、そんなこと言えるか。」

 「え~、秋津君のけちんぼ!」


 よかった、普通に話せたみたい。笑いさざめいているクラスメイト達の輪からそっと離れようとした、そのとき。

 「水城さんもひさしぶりだね。きれいになったね。」

 「あ、秋津君、そんなこと言えるようになったんだ。」

 「はは、これは彼女には内緒にしておいて。」

笑って話せた。うれしい。よかった。もうこれだけでいい。


 笑って手を振り、ほかのクラスメイトの輪に紛れ込む。これでいい。もうこれでいい。





 クラス会も終わり、同級生たちはそれぞれ別れていく。さよなら、またね、また今度。名残は尽きないけれど、これでおしまい。


 「な、カオルコさん、飲み直そうや。」断ろうと思って振り向くと桐原クンだった。


 「俺のマンションの屋上、夜景がきれいなんや。時々一人で飲んでるの。」

ふっと笑いが込み上げた。

 「私、結構強いわよ。」

 「俺も結構強いと思うで。飲み比べしてみるか?」


 おつまみをいっぱい買いこむ。一口チョコ、柿の種、さきいか。

 「そんなに買うんか。すごいなあ。」

 「あまったら桐原クンにあげるよ。私のおごりで。」

笑いながら桐原クンのマンションに向かう。桐原クンが自分の部屋からグラスやお皿を取ってきてくれた。お酒は桐原クンの好みでスコッチだそうだ。


 さっきから二人でくだらないことばかり話して笑いあっている。桐原クンのゼミの先生の笑える話、東京の食べ物のこと。私も女子大の実態について赤裸々に話してあげた。

 うふふふとわけもなく笑いながらまたグラスを酌み交わす。ちょっと酔ってきたみたい。体がポカポカしてる。


 「うふふ、楽しいね。」

 「そうか、そんならよかった。」

 「わあみて、夜景がすごくきれい。」

二人で立ち上がって家々の灯りをながめる。


 「あの灯りのひとつひとつに人間が住んでるんやなあ。すごい数の人間が毎日あの灯りをつけるんやなあ。」

 「今日は桐原クン、詩人だね。」

 「俺はいつも心は詩人やで。」

 「スナフキンみたい。」

笑いあいながら私は言う。

 「こんな楽しいの久しぶり。今日はアリガトね。」

 「・・・こっちこそ、ごめんな。」

ぽつんと桐原クンがつぶやく。


 ずっと言いたかったのだろうか。秋津君に告白しろって言ったこと? クラス会に連れて行ったこと? 秋津君に告白できないまま、結婚を知ってしまったこと?

 なにがごめんなんだろう。


 私は聞こえないふりをしてグラスを傾ける。

 先ほどから霧雨が降ってきていた。

 「ねえ、スコッチの雨割り。」

グラス越しに見る街はぼやけて見える。

 「薄くなっちゃうね、雨割りで。そのまま飲んじゃお。」

私は顔を仰向けて口を開ける。雨は右手に持ったグラスに降り注ぐ。

 私の髪も、肩も、グラスを持つ指先も、そして頬も雨にしっとり濡れていた。


 「泣くなよ」

ぽつんと桐原クンが言う。

 「泣いてないよ」

私も負けずに言い返す。

 「でも、ありがとう」


 ありがとう、踏ん切りをつけさせてくれて。

 ありがとう、ずっと待っててくれて。

 ありがとう、私のことを想っていてくれて。

 ありがとう。


 7月の雨はずっと降り続き、私の髪も、洋服も、心の中まで染み渡るように濡らし続けた―――。

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