● 映画館の話
僕は映画は好きだが、映画館で観るのは嫌いだった。
何しろ、他人が傍に居るのが嫌だったし、トイレに行きたくなったら映画どころではない。
それにマナーの悪い客もいる。
携帯が鳴ったら許せないし、何かを食べる音も気になる(僕自身ポップコーンを食べるのは好きなのだが)。
マナーとは違うが、笑い所ではないのに笑う客、驚きの声が大きい客も気に障る。
だから映画は一人でレンタルして家で観るに限る。
間違っても男二人で観に行く物ではないし。
それが、特に興味を惹かれていない映画ならばなおさらだ。
それでも人付き合いは重要だし、その映画を観た事を話し合うのも嫌いじゃない。
だからこうやって電車に揺られて映画館のある街に向かっているのだ。
前に立っている奴は中学の同級生で、高校に入ってからもちょくちょく会っている、お互いの学校の文化祭に行ったりもしている。
中学の時から映画の話でよく盛り上がって、映画のタイトルでの尻取り、あるいは映画俳優での尻取りで一日中熱い戦いを繰り広げた事もある。
それを思い出しながら、僕は電車内で多少マナー違反だが、そいつに話しかけていた。
「なぁ〜、前からちょっと疑問なんだけどさ、『ダイハード2』って映画見た事有るか?」
「ああ、有るよ。それがどうした?」
「あの映画でよ、主人公のブルース・ウィリスが演ってるジョン・マックレーンがさ、飛行機の中でちょっと動いた時に懐の拳銃が見えてさ、横にいるおばさんが警戒して、その後に『大丈夫、刑事です』みたいな事を言うんだけどさ、これっておかしくないか?」
「? どこがだ」
「だってよぉ、いくら刑事だろうとよ、飛行機の金属探知機をパスして機内に拳銃を持ち込めないだろうが? それともアメリカじゃ当たり前なのか? 怖いな銃社会アメリカ」
「それだったら、『キル・ビル』でさ、ユア・サーマンは日本刀を持って飛行機に乗っていたぞ、映画の中のそういう部分を突っ込んだらキリが無いだろうが」
「だーかーらー、もっとそういう細部に凝った作品を作って欲しいんだよ、俺は。あいつら何億も使ってんだろ? ジョークかどうか知らんが、外国映画の日本描写は酷いぞ」
「はは、確かにな」
「んで今日見る映画は何だっけ?」
「視力を失った兵士が、それでも愛国心に燃えて眼が見えないことを隠して出兵する戦争映画」
「んな、ナンセンス映画見る訳? 眼が見えなきゃ蜂の巣じゃん、それに視力試験とかどうやってパスすんの? もうちょっとマシな物観ようよ」
「意思を持ったバイブが、無差別に人を襲って食べる映画を文化祭で上映したのはどこの誰だったかな」
「面白かったぜー」
「客は午前午後合わせて五人だったんだろう? マッド・バイブレーションって何だよ、B級映画どころじゃないぞ、ZだZ級! 自分の金じゃないからって無駄に使いすぎだって、映画を舐めんな」
傍からみると口げんかをしているようにしか見えないだろうが、これが日常のやり取りだった。
ついつい熱くなりがちだが、決定的な喧嘩なんて無い。
剛速球でキャッチボールを楽しんでいると言った所か。
それにしても最近の映画は結末が予測できる。
わざと結末に意表をつく形を持ってこようとしている作品だと、そのせいで中盤のストーリーがグダグダだったりする。
まっとうな作品のラストシーンは、もう大抵のパターンが分かる。
部活で映画研究部なんぞに入っているくらいだから、映画に詳しいんだろうと言われるが、別にそれは関係ない、それ以前から映画は好きだ。
それにしても、いい加減、結末を期待に胸振るわせるほどの作品に出会いたい物だった。
映画が始まって五分。
僕はポップコーンを片手に着席していた、飲み物は飲まない、トイレに行きたくなってしまうからだ。
一番の見所は既に終わっていた、それは映画が始まる前の別の映画の宣伝だった。
何でこういう宣伝だけ見ると恐ろしく面白そうなのに、実際に見ると拍子抜けしてしまうんだろうか。
まぁそういう風に作っているのだから仕方ないといえば仕方ない。
映画が始まって十分。
多少苦痛が襲ってきた。
主人公の愛国心は分かるが、それを前面に押し出しすぎの勘がある、戦争扇動映画かこれは。
たぶん、こういう映画のラストは、主人公は命を失うパターンが多い。
ハッピーエンドなら良いってモンじゃないが、主人公が死ねば良いってモンでもない。
映画が始まって三十分。
いよいよ強敵が現れた。
映画の敵の事ではない、映画の中ではまだ淡々と戦場でのあれやこれやを解説している。
映画を観る上で強敵である睡魔が襲ってきたのだ。
強烈な睡魔だった。
さすがにいびきを掻いて寝るとは思えないが、万が一の場合もある。
それにうっかり寝てしまって、それを隣の奴に見咎められると、映画が終わった後にメシを食いながらまた「映画を舐めんな」と言われかねないので、気を引き締めた。
それにしても眠い。
昨日ちゃんと眠ったはずなのに眠い。
睡魔を撃退するには、外の空気を吸うとか他にも色々と作戦は有るが、それは全て映画館の中では不可能な事ばかりだ。
(眠い……、やべ……、落ちる……)
ついに、その強敵は意識の大半を蝕み、僕はとうとう眠りに落ちてしまった。
一体何分眠ってしまったのだろうか。
僕が眼を覚ますと、周囲に人の気配がまるでしなかった。
映画館の中は暗いままだが、周囲を見渡しても誰もいない。
横に座っていた友人も薄情にもいない、普通友達が眠っているからといって置いていくか?
それにしても妙だった。
映画はまだ上映しているのだ。
それなのになんで誰もいない?
おかしい。
何かがおかしい。
まだ夢を見ている? いや、さすがに夢と現実の区別くらいは付く分別ある高校生だ。
じゃあ、何で誰もいない? どういう説明が付く。
その時だった。
「助けてくれぇええっ!」
声が響いた。
聞き覚えのある声。
友人の声に聞こえた。
しかし、肉声というよりも何か妙な声だ。
まるで映画の中から響いてきたような――
僕は映画に視線を向けた。
戦争映画だ。
さっきまで観ていた続きがそこには流されている。
だが違う点がある。
この戦争映画には日本人が出ているはずが無い。
たまにこういう映画でも端役で日本人が出演する場合も有る、この戦争はベトナム戦争を題材にしているのだから、多少は出ていてもおかしくは無い。
だが、あんな格好をした兵士なんているわけが無い。
あんな格好というのはつまり、現代の日常で来ている服装の事だ。
映画の中の泥まみれの戦場に、軍服姿の米兵に紛れて何十人、いや何百人もの現代風の日本人が紛れているのだ。
は?
一瞬、僕の思考が停止した。
どう言う事だこれは。
まるで……
昔観た映画で、ラストアクションヒーローという物がある。
少年が魔法のチケットで映画の中を出入りできると言う物だ。
まさにこの状況は――
その日本人の群れの中に僕は一人の顔を見つけていた。
知り合いの顔。
泥まみれの顔だった。
その顔は恐怖に歪んでいる。
一緒に映画を観に来て、さっきまで横にいたあいつだ。
さっきの「助けてくれ」はまさしくあいつの声だったのだ。
どうする?
助けを呼ぼうにもどういう手段もない。
映画の上映を中止させれば戻るという保証も無い。
本当にこれは夢じゃないのか。
とりあえず――
僕は席に座りなおして、ポップコーンを口に頬張った。
周りに一切気兼ねする事など無い、大きな音を立てて噛み砕いた。
この映画の結末だけはさすがの僕も予想できなかった。
胸が高鳴った。




