第五十七話
思いがけない事が起こっていた。
それは、ほんの数分前、
『君ほどの人が、指名手配犯を逃がすとは…』とか『情報閉鎖を行うほどの問題ではなかっただろう?』など、
事態を甘く見ている警察関係者の嫌味を伴う嘲笑は、どうでもよくなってしまったほどだ。
面会にと、やって来たのはセルフィとアラバ。
セルフィは、衣類を持って来てくれたのだと予想できたので、労いをかける余裕はあったが…。
私は特殊ガラスを挟んで、見える『彼からの贈り物』に視線を送る。
そこには未だに着替える事もしないで、俯いたままのあの日のままのロウファがそこにいた。
私の後方にいる、監視員は戸惑っていた。
無理も無い、私はあの男がいる時点で、何か起きるなと予感はしていたが、免疫の無い人はそうはいかない。
倒れ、起き上がるトランクの中から、まるでどこぞかの推理小説のように、トランクから猿ぐつわに両手足を縛られたロウファが出てくるのだから…。
その時は、さすがに外部に連絡をしようとしていた。
しかし…。
「駄目ですよ」
たった一言だった、普段、聞く事のない声がこの一室に響き渡り、その男は確かに言った。
「レフィーユさん、ミクモ君の言ったとおりになったじゃないですか…」
『ミクモ』というキーワードに、ロウファは反応した。
何を言ったのか、ロウファは聞きたそうにしていたが心境的に聞き出せないのだろう。
「このまま行けば、ロウファは駄目になる…だったな?」
代わりに聞くとアラバは頷いたが。
「お前は、私に何か出来ると言うのか?」
『危険だ』と何度言っても聞かなかった自分に対して、ロウファは皮肉と取ったのか俯いたままだった。
「私としても何とかしてあげたいですが、彼は私の担当ではございませんからね」
「だから、私が何とかしろというのか?」
じっとアラバを見るが、アラバは冷徹にも言い放ち。
「私が迎えに行った時、玄関越しでしたが、モノを投げつけられました。
そんな人が私の言う事なんて聞くと思いますか?」
嫌味たっぷりにロウファを見ていた。
「ですが…」
ただワザとらしさが、そこにはあった。
「…今、彼に必要なのは、こういう時間ですよ」
「ふっ、誰も説教を好きだとは思えないがな?」
「それでも、今はするべきですよ」
……。
そう言って、アラバはロウファに携帯を渡して、さっさと出て行った。
しばらくして、セルフィも近況を伝えて、ロウファを一瞥くらいはしたが何も言わず出て行った。
残されたのはロウファと私と、監視に一人の女の警察官の三人がいる。
この警察官はどうやら先ほどの彼の迫力に気圧されたらしく、事の成り行きを見守っていた。
これも普段、怒る事のない人間が怒ると、こうも融通が効くのかと思いもして、普段の自分の行いを改めようかと思いもする中、ロウファは静かに言った。
「朝、お母さんから電話が掛かってきて…」
「何て?」
労いの言葉が、その時、予想はしていた。
「…ボクを心配してました」
「そうか…」
さすがに安堵したが、ロウファには暗さがある事に気付いた。
「これを見て、ください…」
そう言って、先ほどアラバから渡された携帯を見せた。
形状から見て、アラバのモノではないのがわかっていたが…。
ロウファの見せたのはメールの内容だった。
「……」
そこで両親との何が行なわれていたのかがわかって、絶句してしまうほど酷いモノだった。
『○月×日
深夜、私はレフィーユさんの再三の注意、情報閉鎖も行なったにも関わらず。
自分の実力も理解できないまま、勝手に出撃して、みなさまに多大な迷惑をお掛けしました。
今後、このような事のないように実力をつけます。
みなさまに迷惑の掛からないよう努力を惜しみませんので、本日はまことに申し訳ございませんでした。
この内容を釈放されたレフィーユに言いなさい。
当然、自分の言葉で言いやすいように変換をする事を忘れないでね』
事実、理由、対策、それはまるで反省文だった。
これを見た途端、タイミング悪く、アラバがやって来たのだろうか。
「ふっ、投げつけたくなるのもわからんでもないな」
振りのつもりで言ったつもりだった、だが、どうやら図星だったらしく、黙り込んでしまう。
しかし、それがロウファ話し出すきっかけになったらしく呟くように言った。
「でも、おかしいんですよ。
ボクは怖くて、テレビもネットもずっと見続けても、ニュース流れなくて…
なんで…ミクモ…死んだのに…」
「情報閉鎖の所為だろう。
今はこの地域の治安部リーダー、私の権限でマスコミ及び周辺の情報は封鎖されている。
バレるのは時間の問題だろうが、私は、お前の名前は一切、挙げないつもりだ」
「そうじゃなくて!!」
ロウファは声を上げて立ち上がった。
この時、ホントは彼にとっての『痛み』に触れたのが、私でもわかっていた。
「何でみんな、アイツの心配しないんだよ!!」
ここに来て、ようやくアラバが彼を連れて来たのかわかったからだ。
「眠れ無かったよ、ずっとテレビ点けっ放しで、朝だって、母さんなんか心配すらしてなくて…」
だから、あえて言った。
「ふっ、今まで評価ばかりを気にしているヤツの発言だとは思えないな」
一瞬、静寂が辺りを覆った。
みるみるとロウファは顔を興奮で赤くして椅子を蹴飛ばした。
「キミ、やめなさい!!」
さすがに警察官もこれには、ロウファに注意する。
しかし、止めようにも特殊ガラスを向こう側に彼はいるのだ。
私を睨みつけて叫んでいた。
「もう一度言ってみろよ!!」
「こちらこそ今さら何を言っている、教えてほしいものだな。
お前は、私に媚びるために、ミクモを利用していただろう?」
「ふざけるなよ」
次の瞬間、ロウファは転がった椅子でガラスを叩きつけた。
「取り消せ…、取り消せよ!!」
声を裏返しながら、特殊ガラスを椅子で叩き続ける。
しかし、時代も進みガラスと表現されているとはいえ、この特殊ガラスは東方術の重い武器ですら壊れないように出来ていたためビクともせず、鈍い音が辺りに充満していた。
私は黙ってロウファを見ていると、警察官の一人がようやくロウファを取り押さえようとするが、鍛え上げられたのは伊達ではないらしく、半ば乱闘になりながら言い返した。
「アンタだって、ミクモに協力してたのに、なんでそんな言い方するんだよ!!」
「アイツにはアイツの、自分自身の考えがあった、だが、お前は言われるままミクモを利用した!!」
「違う!!」
とうとうロウファは、四、五人の警察官に取り押さえられる。
私もこちら側にいる警察官に胸を押されて制されていたが、ロウファは言う。
「確かにアイツはうっとおしかったよ!!
でもな、アイツは!!
誰よりも他人を心配出来るヤツなんだ!!」
「だが、お前は、そんな男の言い分すら、無視した!!
お前にとって、ミクモとは何だった!?」
「アイツな、アイツなぁ…!!」
とうとう押しつぶされるような形にロウファは…。
「…友達だったんだ」
ようやく気がついた。
彼の身体からどんどん抵抗する力が無くなっていったのを感じたのか、それとも事態を把握したのか取り押さえていた警察官はロウファから離れていった。
だが、起き上がろうとしなかったので、そんな彼にもう一度、聞いてみた。
「お前にとって、アイサカ・ミクモとは何だった?」
「……」
答えは聞く事はもう出来なかった。
警察関係者の中には、ロウファを立たせて強制的に退去させようとした人もいたが、状況を察した者もいたらしく。
ロウファを優しく、立ち上がらせて椅子の上に座らせていた。
「ふっ、アイツだけだった…」
ボロボロになったロウファには、まだ落ち着く時間が必要だった。
そんな中を私はミクモを思い出していた。
「お前と戦う事を選ぶ際に行った面接の時だ。
面接の時、私はいつも聞いていたことがあってな。
それが何だかわかるか?」
答えのわからない質問をして、ロウファの顔が上がったトコロで答えを一方的に答えた。
「『スーパーペインをどう思うか?』
こんな問いかけを全員にしていたんだ」
「全員に?」
「そうだ、これは極秘だったがペインの搬送の強行的に決まっていたのでな。
選考の基準は、身体能力面じゃない。
事の重要性を理解している人間を選び抜く事にあった…」
「事の重要性…」
理解出来ないようだったが、ロウファは冷静さを取り戻したのが見て解った。
「では聞いてみよう、ペインをお前はどう思う?」
しばらく時間がたった後、ロウファは答えた。
「百人以上の人を殺して、ミクモも殺した…人です」
「それは全員が答える『答え』だろうな」
「違うんですか?」
「ああ、違う…。
ミクモはこう答えたんだ。
百人以上の人を『殺してしまう人』なんだと。
『殺すつもりは無くても、殺せてしまう人なんですよね。
だったら、ロウファと余計に戦わせるワケにはいかないじゃないですか?』
とな。
その時、私は最初、ミクモはロウファに協力するためにここにやって来たのかと思いもしたが、そんな事を疑われようとここに望んだミクモの決意に感服したよ」
出来る限り、ミクモの言った言葉をロウファに伝えた。
ロウファはさっきより、ボロボロになっていたが呟いた。
「…ホントはミクモを守りたかったんだ。
アイツ、親がいないから、前に、人にそこを馬鹿にされた時、ボクは治安部になって、守ろうと決めてたんだ。
何のために治安部になろうとしたなんて、ペインに言われて、ボク、嘘付いてた…」
「何故、どうしてそんな嘘を?」
ふとした疑問をロウファに当ててみたが、自分が迂闊な質問をした事に途中で気付いた。
「ふっ、言えるわけがないというヤツか…」
単純な話だった。
確かに『友達を守りたい』というのは立派な理由。
しかし、人に面と向かって言えば、意外と恥ずかしさすら感じる表現だった。
ましてや彼の母親、ミチコはそれを自慢とばかりに言ってしまう人間なのが、ロウファには、わかっていたのようだった。
「言えなかった…。
『困っている人を助けたい』って、誤魔化して…。
忘れちゃいけなかったのに…」
おそらく日々の鍛練が彼をそうさせたのだろう。
彼の一級、二級と剣術などの経歴は、それを物語っていた。
上に上がれば上がるほど、当然、鍛練とは厳しくなる。
それこそ剣術なら、いかに相手を倒そうと考えが埋め尽くされ…。
その度に母親に『貴方は何のために、治安部になろうとしたの?』など聞かれてしまえば。
厳しい鍛練との合間で先ほどの『困っている人を助けたい』と言い続けてしまい、その嘘は理由になってしまうものなのだ。
自分が気付かなれば、わからない問題だった。
『母親の期待に答えようとしている』という辺りから、その異変を…。
そして、私にはロウファの心境が自ずとわかってしまう。
「ロウファ、やめたいか?」
初心を忘れ、守るべき者も忘れ、得た実力ですら彼の味方にはならなかった、結果というには余りにも残酷な結末。
誰も聞けないでいた核心に、ロウファは言った。
「やめれるワケないじゃないですか…。
お母さんに、どう説明すれば良いんですか?」
ロウファは予想通り、自分の進む道に親を持ち出してしまっていた。
彼が今まで生きてきた道が、そう言わせていた。
母親の言いなりの生き方か…。
誰もが情けないと思うだろう。
だが誰もが通る生き方だった、ましてやロウファは初等部も卒業もしてないのだ。
「私は、やめる方を望んでいる」
ロウファは、何も言わず下を向いたままだった。
「それはミクモは望んでいた『答え』だと思うか?」
確かにここには治安部の私にしか言えない事があったからだ。
「一つ考えてほしい、ミクモはペインの脅威はわかっていたはずだ。
どうしてお前の元にやって来たと思う。
それはお前を助けたかったからだ…」
「でも、ボクを助けたせいで…」
「…そうだな、お前のせいで死んだ」
事実を突きつけられ、ロウファは目を見開いていたが言わなければならない事があった。
「だがな、死にたかったと思うか?」
最後までロウファの事を心配していた男だった事を、何としても教えたかった。
「お前は確かに見向きもしなかっただろう、だが、もう一度考えてもらいたい。
ミクモが今までやって来た事は何だった。
ミクモがお前を突き飛ばした、あの手は、何だった?
すべてはお前を、守るためだ…」
ようやく今までの事をロウファは理解したのかどうかは…。
「もっと…」
彼の涙が物語っていた。
「もっと話がしたかった…」
堪えても流れ続ける涙に、とうとう、いや、ようやく泣き出していた。
再度、警察官がやって来たが、彼を見て、何も言わなかった。
「ロウファ、やめるのはお前の勝手、いや、自由だ。
だが、どんなに辛かろうが、ミクモの思いに答える事は、お前にしか出来ない事だ。
それが生きている人間の義務だ。
その思いに答えて見せろ…。
人間は、そんなヤツの味方なんだ」
そう言うと私は立ち上がると、警察関係者は私を敬礼していた。