6・天駆ける地方公務員(2)
路地を挟んだ向かい側はコンクリートの法面に覆われた傾斜になっている。その上にあるのはフェンスと低木に囲まれた住宅地。
真斗は陸屋根の右端へ移動する。
建物と法面に挟まれたその路地の右方向に「それ」はいた。
体長約一メートルほどの真っ黒なクマに似た四つ足のケモノ。
クマに似ているように見えるが、見れば見るほどクマとは違う。
クマどころか「生物」ですらない、その姿は「異形」と言っていい。
体はクマのような厚みがあるがそこから伸びた四本の足には蹄がある。
頭には耳がなく、顔は猿に近い。
長い尾も生えているが、その形はトカゲのもの。
体毛はなく剥き出しの肌はぬらぬらとした泥のよう。
その姿は、「死」を思わせる「無」のような底の見えない禍々しい闇。
闇の化身とも見受けられるそのケモノは、体の周りに黒い雲煙のようなものを漂わせていた。
雲煙にしては密度が高く、その中で鋭い針金のような閃電が走っている。
小さな鼬雲――積乱雲を引き連れているかのように見える。
真斗は身を屈め、異形の様子を伺う。
今は比較的落ち着いているが、疲弊してるわけではない。刺激をしたらまた暴れ出す可能性が高い。
やはり路上で挟み打ちして叩くよりも、ここから狙撃するのが最良だ。
彼らの任務は「害獣駆除」のようなものである。
ケモノを見据える彼の瞳は飴色の光を絡ませたような黒翡翠。
少し下がり気味の下瞼は短い睫毛で縁取られている。
目元の造りは甘く艶めいたものだが、意思を宿したその眼差しは武人のように鋭く勇壮だ。
真斗はヘルメットの左、こめかみの横に付いている小型カメラのスイッチを入れる。
このカメラは駆除の記録のために搭載されているものだ。
駆除対象は止めを刺すと完全に「消えて」しまう。
確かに駆除を完了したと言う証拠のために必要なものだ。
取り逃しの隠蔽や駆除件数の水増しの防止――時代が進むたびに色々と神経質になっている。
「射程圏内到達。封鎖支援お願いします」
真斗はインカムでの右手奥の路地で待機している加瀬に伝える。
「こちらは万全の態勢。サポートはお任せあれ。まぁ出番があれば、だな」
耳に入ってくる彼の軽口に思わず「わざとハズしてそっちがお得意の「タイマン」をやらせてやるか」と一瞬思ったがさすがにそれはしない。
軽く息を吐いてやり過ごす。
「いつも通り一撃で「祓除」しろ」
加瀬の声色が一変して鋭く耳に響いた。これは命令だ、と。
「――目標「祓除」開始」
真斗はそう言うと陸屋根を囲うパラペットに左足を乗せ身を乗り出す。
加瀬と真斗は異形のケモノを「駆除」するとは言わず「祓除」すると言った。
彼らの任務は「害獣駆除」ならぬ「害獣祓除」――害をなす穢れを祓い除ける。
真斗は目下にいるケモノに向けて右腕を伸ばし、人差し指と中指でその姿をとらえる。
構えた右手を左手で押さえ上下に軽く動かし、拳銃を扱うかのように「照準」を合わせる。
拳銃ならば右手の人差し指と中指は「銃身」だろうか。
腕を構えたまま歯を食いしばると、漲った力に着火したかのように体から青みを帯びた雷光が弾け出た。
真斗は大きく息を吸い目を閉じて、その身から放出される青白い雷光を抑え付けるように体内に戻す。
目標を一撃で滅する能力を「最小限」の「高出力」で放出するよう体内で慎重にチューニングする。
体内に収めた青白い光は蔦を模した刺青ように彼の腕や顔に浮かび上がる。
光の筋は鼓動に合わせて巡る血のように、静かに瞬きながら全身を巡る。
真斗が目を開くと全身に走った光は強く閃き、一瞬で標的に伸ばした指先に集まる。
見開いた彼の瞳は黒翡翠から光を放つ蒼玉へと変貌した。
炯々と閃く瞳と指が歪なケモノの頸を捕えると真斗は体に力を込める。
それがトリガーとなり、指先から一筋の鋭い電光が放たれた。
撃ち込むのは弾丸ではなく祓えの雷。
電光は空を裂き路上の異形の首に突き刺さった。
貫通はせず、真っ黒に蠢く表側を破り体内に入っていく。
真斗が放った電光が取り込まれた異形のケモノは苦悶し、叫ぶかのようにその身を激しく捩る。
引き連れていた雲煙が消え、泥ついた闇のような体の表層に雷閃が走った。
荊のような光に蝕まれたケモノの体は壊死するように崩れ、跡形もなく消えてゆく。
こめかみの横に付いているカメラと同期しているかのように、彼の目は何の感情も介さずケモノが消滅していく様を写している。
最後の一欠片がアスファルトに落ちると同時に消えたことを確認すると、真斗はインカムで加瀬に「祓除」完了の報告をした。
そこで体の緊張が解けたのか、一気に汗が噴き出し首筋や額を伝う。
鼻先から落ちた汗が太腿に落ち、濃紺のズボンの生地に黒い染みが滲んだ。
何度か深呼吸をし、上がった息と体温を整える。
瞳から青みが引いて行き、その色は元の飴色を帯びた黒へ戻る。
能力を微調整しながら行使するのは通常よりも気力や体力を消耗する。
正直、直接警棒で殴って祓除する方が楽なのだが周辺住民への配慮のためにそうするしかない。
祓除は可能な限り「非暴力的」に――日頃からそう言われ続けている。
ヘルメットに付いているカメラのスイッチを切り顔を上げると、異形が消えた路地の右手から加瀬が歩いて来るのが見えた。
マンションの屋上に立つ真斗を見上げると「上出来」と言う意味合いを込め、手を叩いた後に親指を立ててニヤリと笑う。
ケモノが消滅したあたりで立ち止まり、彼はベストから端末を取り出して記録を取り始めた。
加瀬は真斗のように離れた場所から一撃で仕留めるほど強力な雷光は撃てない。接近戦の方が得意だ。
真斗は指先で額の汗を拭いパラペットの上に立つ。
路上に立つ加瀬の元へ戻るため、そのまま一歩踏み出し屋上から飛び降りた。
再び空中に身を躍らせた真斗が被るヘルメットの後ろには「Beast Strike Force」、ベストの背中には「宮城県獣撃隊」と記されていた。
彼は「獣」の形をした「死の穢れ」を祓う地方公務員である。




