液状ヒーロー・フラックス①
アイアンクラッドより先にヒーローに転職するヴィランがいたらしい。
「というわけでヒーローを目指すことにしたわ」
「どういうわけかちゃんと言ってくれ、聞いてやるから」
朝起きて顔を洗おうとしたら、蛇口からフラックスが出てきてそう言った。
夢かと思った。急すぎて逆に落ち着いてしまった。
家の中に不審者が入り込んでいる。治安が。俺の安全地帯が。
「アナタのところに来たのは謝るためよ。ごめんなさいね、殺しといてこの程度で許されることじゃないでしょうけど。ビンタくらい食らっといてあげましょうか?」
一度ライデンに倒され、人間の体になっているのを見たが、こうして液状でぷるぷるしているボンキュッボンを見ると女にしか見えない。
言葉遣いと仕草は完全に女性のものだ。
心が女性ということでいいんか? こういう質問ってデリケートだからしにくいな。
「液体だからビンタしてもダメージないんじゃねえの?」
「わざと食らうことくらいできるわよ」
「そうか、器用なんだな。そんで律儀。ビンタはいいからなんで急にヒーロー目指すことにしたのか教えてくれ。それからなんでここにいるのか教えてくれ、捕まったんだろ?」
「ライデンに惚れて脱獄したの」
「非常に簡潔、ありがとう」
ライデンに惚れたから同じ立場になるためにヒーローを目指し、ヒーローを目指すために脱獄したと。
あまりにあっさり脱獄を成功させていることに対し、警察とかそのあたりを責めたい気持ちになるが、フラックスは厄介な能力者だ。一般人には荷が重いだろう。
非正規の方法で世の中に出てきている時点で、ヒーローになるためには善性を得なければならないという思考回路はないらしい。
こっからでも目指せるヒーローがあるんですか?
まあ、ヒーローに免許とかねえしな。前科持ちでも構わないだろう。
罪償ってねえから前科ですらないか。え、指名手配犯? 俺今結構ピンチ?
いい加減ヴィラン多すぎるし、誰か転職しねえかなと思っていた。
アイアンクラッドにそれを期待していたが、別のヴィランでも構わない。
俺はフラックスを応援しよう。たぶんライデンは応援しないだろうし。主に恋の方を。
「恋バナする?」
「……いいわねえ!」
適当に提案すれば乗り気だった。フラックスはきゃぴきゃぴした。
女子会だ。今までやったことねえ。
2名で会を名乗っていいのか不明だが、女子と言われる年齢じゃなくても女子会を名乗っていいらしいから自由なんだろう。
「お茶飲む?」
「水の方が好きよ。不純物が少ない方が操作効きやすいのよね。お茶を出されても茶葉を排除して吸収することになるからもったいないし、結構よ」
「んじゃ水飲む?」
「お気遣いありがとう。あいにく喉の渇きとは無縁なの」
素敵な断り文句だった。
幸也を煽ったときのお手前からも、言葉選びのセンスがすごいと思っていた。
色んな語彙のある人間とは話してて面白いな。
俺は理系なので、文章はそれほど得意ではない。
このきったねえ言葉遣いからもおわかりいただけるだろう。
フラックスは頬杖をついて、うっとりとため息をついた。
「あのビリビリ痺れる感覚。あれが恋なのね……」
「ライデンの能力では?」
「でもドキドキしたわよ」
「ダメージ食らったからでは?」
「ま。このアタシにダメージを入れられるほどのヒーロー相手なら、ときめいて当然でしょ?」
「その理論で行くと雪狐とインフェルナにも惚れそうだけど大丈夫か」
「……うん、アリね」
「アリなんだ」
マゾってこと?
暴力振るわれたら好きになるんだとしたらかなり不健全だ。幸せになれなさそう。
だからヴィランをやっていたのだろうか。
誰か悪い男に騙されて? というかこの場合デルタなのか?
「デルタのことは? 好き?」
「それはそれはいい男だったわよ、今までにないくらい♡ 今はライデンが一番だけど♡」
「フラックス、お前惚れっぽいな。大丈夫か? 騙されねえか心配だ。ライデンが相手ならそういう心配は無用だろうが、雪狐とインフェルナはよくわかんねえわ。そんでライデンはデルタ倒すまで恋愛してる場合じゃねえだろうし、今は何言っても梨の礫だろ。そんなに人を好きになれる才能があんなら、もっといい恋人見つけられるんじゃねえのか?」
フラックスはたおやかに頬へ手を当て、俺を見てしばし考えた。
「……アリね」
「俺も!?」
ストライクゾーン広!
インフェルナをアリ判定するのなら女性も対象なのだろうが、いやそうかそういえば俺って結構顔がいい方だったな。
フラックスによる最初の挨拶でも、幸也と俺を美男美女と言っていた。
顔的にはオッケーってこと? これが顔パスってやつ? 違う?
「おい。二号か?」
リビングで新聞を読んでいたアイアンクラッドこと鍛谷仁が、不機嫌そうに言った。
まあいつも不機嫌そうなんだけど。
近眼なのか、読み物をするときは眼鏡をかけている。休日のお父さんかって。
俺は仁を家に連れ込んだ時、お前が一号だよと言った。
そんで仁は、二号が来たら家を出ると言ったのだ。
「ああ、フラックス家ある? ここ住むか?」
「あら、いいの?」
「いいぜ。フラックスって女の子だよな?」
「ま。どっちでもいいと思ってるわ。気絶でもしない限りどっちでもいられるし」
「じゃあ三号か。一気に男と女が増えたから、番号一つ飛ばして三号。仁、出てくか?」
仁は俺の屁理屈に目を閉じ、眉間を揉んだ。
新聞を読んでいたから眼精疲労を感じたのだろうか。
おっさんかって。おっさんだな。
「寝床は」
「シンクでいいわよ? トイレは勘弁してよね」
仁は視線を紙面に戻し、無言で新聞をめくった。出ていかなさそう。
家が狭くならないならいいってことか。
フラックスは機嫌がよさそうに「うふふ!」と笑って、両手をポンと合わせた。
どちらの性別でも構わないと言った割に、仕草は俺より遥かに女性的だ。
男性型をとるときはまた違うのだろうか。
「シェアハウスなんて初めてよ、楽しみだわ。それにしても祈、いつまでフラックスなんて呼んでるのよ。他人行儀ね!」
「え、じゃあなんて呼ぶ? ふ~ちゃん?」
「それもいいけど……あらやだ、アタシもしかして名乗ってなかった? ごめんなさいね、結城澪よ」
「めっちゃいい名前じゃん、澪ちゃん」
「ま。澪でいいわよ、澪くんになってる日もあるでしょうし」
我が家の居候、ヴィラン1、ヒーロー1なら、プラマイ0ってことでいいっすか?
男女比も1:1ということでよろしいか。ひゅう、なんて男女平等。
「それで祈は男の子ってことでいいの?」
「……! ああ!」
俺としたことが、澪に指摘されるまで自分を女として計算してしまった。
失礼しました、我が家の男女比は1:3である。
「大変そうね。再生能力があるとなれば、性転換手術をしたところで元の性別に復元されそうだわ」
「わかってくれるか! この苦労を!」
「もちろん。アタシ人生の酸いも甘いも経験してきてる方よ? ストリップショーで働いてた頃の話してあげましょうか?」
「絶対聞く」
おっといけない、その手の話題が苦手そうなお堅い男がいるのだった。
「仁はどうする? 聞く?」
「俺のことは気にするな。あまりにてめェがべらべらうるせェから、鼓膜を硬化して音聞かねェ方法を編み出した」
「たまに完全な無反応になるときそれだったのかよ」
俺を無視する技術が挙がってきているのかと思えば、消音性能を上げた方だったのか。
それも俺を無視する技術のひとつではある。
仁を煽りまくったりからかいまくったりしていたのは、俺が暇だからというのもあるが、仁の成長のためでもあった。
こいつわかりやすすぎるんだよ。それから取っ付きにくすぎる。
ヴィランを更生させるのなら、そういう地道なところから始めないとな。