液状ヴィラン・フラックス②
「あらやだ、ヒーローの護衛がいたのね。もうちょっと働いたらいいんじゃない? アナタの大事な子、一度死んだわよ」
俺が飲んでいたコップの中身が蠢いて飛び出し、コップの中身よりも明らかに質量を増し、水を固めたような人型へと変貌した。
嘘だろ、こんな近くにいたのか。
「美男美女が相手だから、珍しく名乗らせてもらいましょうか。アタシはフラックス、液状ヴィランの名前で親しまれているわ。ぜひご贔屓に♡」
彼女の体は、やや青味のある透明感の高い液体で構成されている。
瞳は虹色のように見え、髪には川のような水の流れが存在した。
「礼儀正しくどうも。知ってるだろうが俺も名乗っとくか。片桐祈、ぷりち~できゅ~とな医学部の院生だ」
「あらステキ。チャーミングな発言に対して表情と声のトーンがダウナーなのが、ギャップ萌えって感じね」
「ああ。中身はおっさんだからな。ダウナー系のおっさんだ」
「うふふ。面白い子ね」
笑うフラックスの水面は緩やかに波打ち、女性的な体のラインを液体で再現している。
腰から下はドレスのように広がって、その身体を支えていた。足は見えない。
スライム娘的な、流動的なフォルムだ。
性癖変になっちゃいそう。俺さっきまでこの娘飲んでた?
「でもごめんなさいね。アタシって飽きっぽいけど、受けた依頼は完遂するようにしてるの。信用って大切でしょう?」
「え~? じゃあ俺ってどうやったら助かるんだよ。逆にお前の依頼主を暗殺する依頼出せねえ?」
「あら~。それをやるならアタシ以外の暗殺者に依頼しなきゃね。ツテはある?」
「あるわきゃねえ。俺の呑気そうな顔を見ろ、どう見てもシャバで生きてきてるだろ」
「うふふ! 普通の子はあんまりシャバとか言わないわよ!」
あれ? シャバっておっさんの語彙だったか?
「ヒーローの護衛をつけられるんだから、もっとやりようがあるんじゃなくって? ま。ネズミも獲れない飼いネコちゃんくらいしか雇えないのなら、難しいかしら」
幸也がフラックスに向かって片手を突き出すと、氷がひび割れるようなピシピシという音が響く。
フラックスは「うふふ!」と笑ってその場で溶け、液体になって攻撃を躱した。
幸也に忠告する。
「着替えてからやれって。ただでさえ暗殺特化ヴィランに顔バレしたのに」
「殺された上犯人に煽られてよくそんないつも通りでいられますね、祈さん! 俺は全然冷静でいられないですけど!」
「煽られてんのはお前だけだしな」
氷雪ヒーローなのにすぐ熱くなりやがる。
煽り耐性がない。この場合フラックスの煽りが上手すぎるってのはある。
日々過労死寸前までヒーロー活動してる相手に対して「もっと働いたら?」は、やるなあと感心してしまう。
ネズミも獲れない飼い猫発言に関しては、フラックスが自虐で己をネズミと言ったのではなく、ラットロードのことだろう。
俺とラットロードが接触したことを既に知っているというわけだ。やるね。
食堂へヴィランが現れたことにようやく気づいた学生たちがざわめき、逃げ出し始める。
俺もいつも通り避難活動しよかなと立ち上がった。
幸也が着替えて戻ってくる間くらいなら一人でなんとかなるだろう。何回死ぬかな。
「今日こそ決着をつけさせてくれよ、フラックス! 俺は君のこと抱きしめたいくらい大好きなんだから、逃げていかないでくれ!」
軽口を叩きながら食堂に飛び込んできたのは、ライデンであった。
おいもうここで超常バトルやる気かよ。治安が。俺の安全地帯が。
「あらやだ、ライデンってばアタシのこと好きだったの? やぶさかじゃないわね」
フラックスは再び人型に戻り、たおやかに手を頬へ当てた。
ドレスを着た女性体とあいまって、プリンセスのような風体である。
嘘だろ、こっからラブコメ始まるの?
隣を見れば、幸也の顔面はガチガチに凍り付いていた。
もちろん比喩だったが、今にもそれが言葉通りになってもおかしくない気がする。
幸也は緊張や興奮でコントロールを失うタイプの能力者だ。
目の前に憧れのヒーローがいる状況、これは大変危うい。
「幸也。寒ィ」
「すいません……! つい……!」
既に冷気がもれている。
小声で謝った後、深呼吸した幸也は、能力を調整できたらしい。
俺の服に降りかけていた霜は消え、吐息が白くなくなる。
「行ったれ、ヒーロー同士協力したらいいだろ」
「ライデンさんの前でドジ晒したくない……!」
「晒す前提かよ」
「絶対やる……! 雛さんいないし……!」
呼んだところで、雛の到着が間に合うか微妙だ。
インフェルノは飛ぶことができるので移動速度は速いが、それはそうと今日は職業案内所に行くと言っていたので呼びにくい。
ヒーロー活動にはやく給料つけてやってくれ、国。
「俺が下手に手を出してライデンさんを困らせたらどうするんですか……!?」
「上手に手ぇ出したらいいだろ」
「祈さん、俺のドジ舐めてます!?」
「堂々と言うなよ。今も凍えかけてんだからわかってるに決まってんだろ」
「すいません!」
再び深呼吸して、幸也は能力を落ち着かせた。
ライデンがピンチになったら、どんだけ騒ごうが幸也のケツを叩いて助けに行かせよう。
仮にも初代ヒーローだ、苦手なヴィラン相手でもライデンはなんとかやるだろう。
まず負けることはない。勝てないってことはあるかもしれねえな。
取り逃がすかもしれないが、むしろ早めに逃がして大学に被害が出ないようにしてほしいくらいだ。
ただし、幸也はフラックスに顔が割れてしまった。
ここでなんとかしなければ、俺のように暗殺されるリスクがある。
温度が下がる度、幸也にしっかりしろと言い続けていると、ライデンはヴィランを叩きのめしたところだった。
幸也を宥めるのに必死で全然見てなかったんだけど。ごめんライデン。
苦手属性を克服したってことは新技とか出たのかな。後で聞こう。
「祈、無事!?」
後で聞こうもなにも、今聞けそうだ。
電流のような速さで駆け寄ってきたライデンは、無事フラックスを打倒したようだ。