ネズミ男爵・ラットロード①
「てなことがあってですね」
「知らない人についてっちゃダメだよ?」
「落ちてたんで拾っただけっす」
「落ちてるもの食べないでね」
月島教授は俺のことを幼児だと思っているらしい。
アイアンクラッドを拾った話を聞いた感想がこれとは恐れ入る。
のんびりした顔で試験管を振っているのは、月島壮一。
丸眼鏡をかけた壮年の紳士で、俺の大学の名物教授だ。
たまにテレビに出たりとかもしている。
医師免許を持ち、週に何度かは病院で診察もしている多忙な人物だ。
それでいて月島教授の研究室は、国から補助金を受けている名門である。俺もそこにいる。
教授の専門は分子遺伝医学や遺伝子修復、細胞再プログラミング。
特定の遺伝子変異を修復し、正常な細胞機能を取り戻す技術――がんの治療とか、そういうのだと思ってもらえばいい。
俺が最も世話になっている教授で、俺の異能力を知っている唯一の一般人である。
「一応薬は予想通りの作用を示しましたが、ミュータントに使った場合と一般人に使った場合の違いを知りたいんですよね。教授打ちません?」
「あはは。嫌~」
へらへら笑いながら断られた。かわいいおじいちゃん先生だ。
そりゃまあ人体実験だ、断られて当然だろう。でもほら、治験。これ治験だから。
実験の手を休め、月島教授は自分の腰をポンと拳で叩いた。
「ぎっくり腰になったら考えようかな~」
「月島教授、家庭菜園始めません? ガーデニングとか。自分が食べる分の畑耕すの楽しそうですよ」
「なんとか腰を痛めさせようとしないでね」
「教授の眼鏡って分厚いですよね。相当目悪いんじゃないですか?」
「うーん。今の祈くんが作った薬では、視力矯正までは望めないんじゃないかな」
「クソッ、この人俺より俺の薬に詳しいまであるもんな。騙せねえ」
「汚い言葉使わないの」
月島教授は遺伝子治療、俺は再生医療と、分野が似ている。
俺の卒論は自己幹細胞と再生誘導物質の応用。
俺の再生能力を「偶然発見された自己治癒遺伝子の作用」と偽り、「治癒促進物質の開発」という形で研究に落とし込んだ。
「いつかは若返りとかそっち方面までやりたいですけどね。とりあえずは足生やさなきゃ」
「あはは。おたまじゃくしの悩みみたい」
「動物実験、両生類まで対象にした方がいいんかな……ミュータントの多様性考えると哺乳類からかけ離れてるのも多そうなんだよな。アイアンクラッドなんて金属部分多すぎて半分無機物みたいなもんだし。家の床抜けないか心配」
「女の子なんだからあんまり危ないことしちゃだめだよ」
月島教授は60近いのでジェンダー意識は昔ながらだが、悪い人ではない。
ともかく常に穏やかでにこやかなのがいいんだこれが。
診療には患者を安心させる必要があるから、そのあたりで磨かれたテクなのかもしれない。
「最近もほら、近くに不審者……ヴィランだっけ。出たって聞いたよ」
「そんなんしょっちゅうじゃないですか」
「なんだっけな、ネズミ男みたいなのが出たって」
「コスプレじゃなくて?」
「街中でコスプレしてたらちゃんと不審者だよね」
「それもそうですけど、TPOをわきまえないコスプレイヤーとヴィランは同列ではないでしょう。危険度的に」
「どっちにしろ危ないことには変わりないでしょ~」
月島教授には俺がかよわい女の子に見えているらしい。
やってること割とマッドサイエンティストだと思うんだけどな。
ヴィランをモルモットにして、自分の細胞から作った薬の研究を進めたのは、かなり倫理的な問題がある。
俺だって自分がモルモットになるのは嫌だと思って、特殊能力を隠しながら生きているのだ。
自分が嫌なことを他人にやってはいけないという道徳の授業は受けたが、自分が嫌なことが他人にとっても嫌かどうかはわからない。
合意の上だったもんな。仁には選択肢なかっただろうけど。
「焦るのはわかるけどね~。お父さん若めだもんね? がんはなあ、若い方が進行はやいからなあ」
言われた通り、俺は焦りを感じていた。
薬の開発ってのは、そんなにすぐできるもんじゃない。
月島教授から多大な協力を得て、実験設備や資金の優遇をしてもらっても、まだまだ道は遠い。
大学に入ってからずっと取り組んできた。
もう3年だ。まだ3年なんだろう。
ひとりではなんともできない部分も多かったので、信頼できると思った月島教授を頼り、随分形になったが、それでも足りない。
俺の父は事故で片足を失っている。
俺はそれを取り戻したい。そしてそれには時間がない。
父はがんだと宣告された。俺はそれも治したい。
ライデンに母が交通事故で死んだ話の次、父ががんになった話をしようかと思っていたのだが、ライデンの気分がどん底になりそうだったのでやめた。
月島教授に興味を持ったのは、父がきっかけだ。
教授は最先端がん治療の権威なのだ。
大学に入学した当初はのんびりしていたが、父のがん告知を受け、タイムリミットができてしまったのだ。
父に足を生やすだけなら、今の薬でも可能……だと思う。
だが、がんは……たぶん、無理だ。
今の薬をいくら発展させようが、がんを治すところまでいけるビジョンが見えない。
下手をすれば、がん細胞を活性化させて進行をはやめてしまう可能性すらある。
アプローチを変えて新しい薬を開発するべきか。
だがそれには3年以上かかるだろう。
父のリミットが何年かわからない。
余命を宣告されたのかさえ知らないのだ。父はそこまで教えてくれなかった。
俺も無理には聞かなかった。怖かったからだ。
具体的な数字になってしまうと、父の死が現実味を帯びてしまうような気がした。
とにかく、俺は急いでいる。
焦っている。今はこの薬に懸けるしかないと思っている。
それには俺の力では不足だ。このままでは、奇跡でも起きなければ薬は完成しない。
しかし、奇跡は待つものではなく起こすものだ。
超常の力にまつわる薬なのだから、もっと超常の力を使って発展させていくしかない。
俺は、本当に焦っている。
そりゃもう、道に落ちてるヴィランの手も借りたいほどである。




