第1話 雷電ヒーロー・ライデン
ヒーローにはなれない。
自分の身を犠牲にしてまで見知らぬ誰かを助けよう、なんてすばらしい理想を掲げられない。
それは死んで転生してからもそうだ。
馴染みのカフェで論文片手にレポートを書いていれば、カフェのガラスが粉々に砕けた。
窓際に座っていた人々は驚き悲鳴をあげる。
俺は奥のソファ席に座っていたから無事だった――とは暢気にしていられない。
ガラスが割れたことで外の音がよく聞こえる。
ビリビリという雷のような音と、建物が崩れるかのような轟音、地響き。
俺が転生したこの世界には、スーパーヒーローがいる。
ということはすなわち、スーパーヴィランもいるということだ。
筆記用具を投げ捨て、驚いて転んだ近くの店員を助け起こす。
「みんな、逃げろ!」
何度も叫び、人々を誘導する。
幸い、カフェの中に老人や子供はおらず、皆走れるほどの健康体であった。
店内に誰も残っていないことを確認してから、自分も外に出る。
そのタイミングが最悪だったらしい――俺は腹部に大きな衝撃を受け、壁に叩きつけられた。
衝撃でコンクリートの壁は崩れ、俺の背骨は折れたかもしれない。
「なんてことを!」
気持ちを代弁してくれたのはスーパーヒーロー、ライデンだ。
最近ニュースで話題になっている、日本初のヒーロー――だったかな。
ここはヒーローが戦う世界線だが、そうなったのは最近のことらしい。
少し前まで超常現象は架空の存在で、超人たちは皆息をひそめて生活していた。
その静寂を破ったのがヴィラン・デルタ。
デルタはどんな能力を持っているかすら不明だ。
しかし間違いなく統率力がある。
これまでスーパーパワーを持った人間たちは、いくら目立ちたいと考えても、公安に隠蔽されきってしまう程度の影響力しか持たなかった。
そんな特殊能力持ちの犯罪者をスーパーヴィランにまで昇華させ、デルタはなんらかの目的のために暗躍している。
デルタ配下のヴィランが次々に現れては暴れ回り、日本の治安は悪化の一途を辿っているところだ。
そこに歯止めをかけたのがライデンだ。
雷電の名の通り、電気を操る力を持った彼は、ヒーロースーツを身にまとい、身分を秘匿したままヴィランと戦っている。
たなびくマフラーがトレードマークだ。
このくらいの情報は、今や日本人なら誰でも知っているほどである。
毎日ニュースでやってるからな。
俺の腹部を強かに打ったのは、鉄骨でできた外骨格を持つヴィランであった。
腕に無数の鉄骨や金属片をまとい、操っていることから、金属なり磁力なりを操るスーパーパワーを持っているのだろう。だいぶ強キャラっぽい。
こんなに痛いのは生まれて初めてだ。
ヒーローとスーパーヴィランの戦いに巻き込まれるのも、やっぱり運動神経が悪いからだろうか。
走るのが遅いのは確実に影響していると思う――現実逃避していると、水っぽい咳が出た。
緊急事態のため、咳をするとき手で口を押えるマナーを無視して申し訳なく思う。
まず腕が上がらなかった。きっと折れている。口から垂れた血液を拭うこともできない。
「哀れなライデン、市民を死なせたな!」
「責任転嫁するなよ、お前のせいだろ!」
向こうでは、俺は死んだという方向で話が進んでいた。
誤解だが好都合だ。死体蹴りが趣味でなければ、これ以上の追撃がないことを喜べる。
死体に見えるほど自分の状態が悪いことにはがっくしくるが。
それから相手はヴィランなのだから、死体蹴りが趣味であってもなんら不思議ではないことも、俺の気分を落ち込ませた。
それからどうなったのかはわからない。
少し気絶していたらしい。あるいはちょっとの時間、黄泉の国を旅していた。
気づけばヴィランはおらず、俺の体をライデンが支えていた。
「よかった、生きてた! すぐに病院へ連れていくよ!」
ライデンが俺を抱えようとしたので、慌てて手で制する。
返事をしようとして、声より先に血が飛び出た。気管に詰まっていたらしい。
ゲホゲホ咳き込んでから、なんとか言葉を絞り出す。
「お……俺は大丈夫」
「すごく控えめに言うけど……今の君が大丈夫なんだったら、この世に怪我人は存在しない!」
「あー、ええと、他に怪我人はいないのか?」
「君よりひどいのはいないよ」
「そっか、よかった」
「よかっただって?」
「助けてくれてありがとう、ライデン」
俺がそう言うと、ライデンはマスク越しにもわかるほど驚いた。
お礼を言われ慣れていないのだろうか。そんなわけないと思うが。新人ヒーローだからか?
雷電のごときスピードが売りと聞いているので、人からお礼を言われる前にその場を立ち去っていたのだろうか。忍者みてえ。ヒーロースーツのデザインもそれっぽいし。
疑問に思いながらも、近づいてくるサイレンの音を聞く。
「救急車に乗るから大丈夫だ。ほら、ちょうど来たみたいだし」
「あれはパトカー」
「……まあ、だいたい同じだろ?」
「君より3歳児の方が車の区別つきそう」
ライデンのジョークに思わず笑ってしまう。
たぶんそんな場合ではないのだが、そんな場合ではないからこそ面白かった。
本当なら救急車にも乗りたくなかったが、歩けなかったので仕方がなく担架で運ばれた。
ライデンは最後まで心配そうに俺を見ていたが、警察が駆け寄ってきたことでその場を去った。
覆面ヒーローをやっている以上、事情聴取に応じる訳にはいかないのだろう。
俺も拒否してえな。無理だろうな。
さて、俺の特技は回復力だ。
だから致命傷を受けても悠長にしていた。
既に傷はゆっくりと治り始めているが、俺はこの力を世間に隠している。
化け物と呼ばれるくらいならマシな方で、実験体として切り刻まれたりなんかしたらたまらないからだ。医療機関を含む、公的機関にはあまり関わりたくない。
超能力者、ミュータント、妖怪――呼び方は様々であれど、そういった異能力者が認められ始めたのも、やっぱり最近のことらしい。
たぶんまだあんまり人権とかがないんだよな。法整備が存在しない。
アメリカの方はもっと進んでいるらしいが、保守的な日本ではまだまだだ。
だから俺のように能力を隠して、一般人のふりをしている人は大勢いるのだろう。
怪我を理由に事情聴取は後回しになり、内心ガッツポーズをした。
精密検査を終える頃には、破裂していた内臓はすっかり元通りだ。
予想以上に軽傷であることに医者は首を傾げっぱなしだったが、俺がスーパーパワーを持っているなどとは思ってもいないようでなによりである。
医者は俺が壁にたたきつけられてぐちゃぐちゃになった瞬間を見ていないのだ。
血まみれだったけど意外に平気だったんだな、くらいで流された。
入院することになったが、折を見て病院から抜け出した。
もっと長く治療を受ければ、流石に異常であることがバレてしまう。あと警察も来る、めんどっちい。
俺の傷は深部から修復されていく。
内臓や血管、筋肉を優先とし、次に骨、最後に皮膚が治る。
最終的にはかすり傷ひとつない状態になってしまうので、入院などもってのほかだ。
このくらいの傷なら完治には三日程度かかるが、常人だったら三ヶ月はくだらないだろう……そもそも初手で死んでたかもな。
足を引きずりながらも歩けるようになった段階で、窓からこっそり抜け出した。
運動神経がないため、着地に失敗し両足を折った。おーまいがー。
力を持ったからには、人のためになることをしろという論説があるが、少なくとも俺がやるべきことはヒーロー活動ではない。
ヒーロー着地なんて土台無理だからだ。
それでも、裏方としてできることはいろいろあるだろう。
ヴィランにボコボコにされたが、あれをポジティブに捉えれば、俺が犠牲になったことで他の誰も傷つかずに済んだのだ。
将来はそういう仕事に就いてもいいかもな。
ヴィランの犠牲屋さん――どっから金出るんだそれは。
少女が持つ将来の夢にしては希望がなさすぎる。
転生してきた俺の名前は片桐祈。
元々は擦れたおっさんだったが、今や学生生活を謳歌する15歳の少女である。
回復能力を持つ可憐な少女になってしまったが、この能力は自分にしか適応できないので、ヒロインポジションはノーセンキューだ。
TSしようが、心まで女になるつもりはない。
鏡を見るたびにうわっ妙にかわいいなとビビリ続けている点から言っても、こっから正統派ヒロインになるルートはありえない。
両足を折った俺は、匍匐前進で近くの公園に逃げ込んだ。
折れ曲がった両足をまっすぐに伸ばして、木陰で小一時間ほど座る。
完治とはいかずとも、そろそろ歩けるくらいにはなっただろうか。内臓破裂と違って骨折は治りが早い。
やれやれ、ちょうど親元を離れたところでよかった。
寮母はカンカンだろうが、俺の無断外泊は初めてではない。
まさか死にかけて入院、そこから脱走しているとは思っていないだろう。
寮の部屋が一階なのも都合がいい。
こっそり出入りするのに、両足を折らなくて済む。