表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

88/112

第87話 ぷっちょん


 神歴1012年5月15日――レクの町、第3区。


 午後5時1分――第3区、中央メインストリート。


 それは、()()()()()()だった。


 つぶらな瞳、もふもふの肌、手のひらサイズの小さな体躯。


 そして――。


「ぷぅぷぅ」


「可愛いーっ!!」


 アリスは神速で、()()()()を捕獲した。


 と。


「可愛い! 可愛い! 可愛いーっ!!」


 興奮気味に自らの語彙力のなさを白日の下にさらすと、アリスは捕獲したばかりのその生き物にさっそくほおずりした。


 心地の良い感触が、彼女を楽園へといざなう。


 アリスは隣を歩くルナに向かって、


「ルナ、見て-! 可愛いを捕まえた!!」


「見たことない生き物ですね。リスにほんの少しだけ似ていますが……」


 確かに。


 言われてみると、リスに少し似ている。


 が、やはり一目でリスではないと分かる。


 リスよりも、もっと『もふもふ』している。


 もふもふ感が強い。


 そして何より――。


「ぷぅぷぅ」


 ぷぅぷぅと鳴く。


 これが、なんとも言えず可愛かった。


 アリスは――レプがタンタンをそうしていたように――その小動物をちょこんと頭に乗せた。


 なんとも言えない、心地の良い重量感が、彼女を幸せの極致へと連れていく。


 アリスは、夢見心地にニンマリと笑った。


 それを見たルナが、あきれたように言う。


「なに子供みたいなことやってるんですか。そんな生き物かまってないで、早くリアさんたちのところに戻りますよ。もうだいぶ待たせてしまっています」


 ブレナたちのお土産を買いに、二人で近くの饅頭屋(肉まんを三つ買った)に立ち寄ったのが今から十五分前。


 肉まんを買うか、餡まんを買うかで十分以上悩んでしまったため――つまりは一足先に中央広場へと向かったリアたちを、だいぶ待たせてしまった計算になる。


 状況的に、急がねばならないのはアリスとて百も承知だったが、でも彼女にはその貴重な時間を使ってでも、ルナに宣言しなければならない大事があった。


 アリスは急かすルナの手を取り、彼女の動きを止めると、決意を込めた口調で力強く言い放った。


「ルナ、あたしこのコ飼う! ペットにする! 今日からずっと一緒っ!」


「…………え?」


 ルナの表情が、分かりやすく固まる。


 彼女はその後数秒間、道端の石像よろしく硬直すると、やがてハッと我に返って、

 

「マジですか? マジに言ってます? ホントにそのコ飼うんですか? なんの動物かも分からないのに?」

 

「うん、飼う! なんの動物か分からないけど、飼う! とにかく飼う!!」


「……そんな、両目に星を宿して言われても。レプのときも思いましたけど、生き物飼うって大変ですよ? ただでさえ、わたしたちは世界を旅する身の上なんだから」


「うん、分かってる。分かってるけど、もう飼うって決めたの。これから、あたしとぷっちょんは一心同体。生まれたときは違えど、死ぬときは一緒なんだからっ」


「なにどこぞの義兄弟みたいなこと言ってるんですか。ブレナさんが前に話してくれた『三国志』とかいう物語の影響めちゃ受けてるじゃないですか。てゆーか、さりげに『ぷっちょん』って。まさかそのコの名前じゃないですよね?」


「このコの名前だけど? 可愛いでしょ。今さっき、思いついたんだー」


「いやダサくないですか!? めちゃダサい名前じゃないですか!」


「ぐなあー、ダサくなんてないー! 可愛いー! じゃあ、ルナだったらどんな名前つけるのよー!」


 思ってもみなかった反応に。


 アリスはムキになって、ルナの言葉に噛みついた。


 と、受けたルナが、


「わたし……だったら? ああ……そう、ですね……」


 そう言って、右手をあごの先に潜らせ、黙考する。


 沈黙は、だが数秒。


 短い沈黙それを経て、そうしてルナはどうだと言わんばかりにその名を告げた。


 両目をキラリと光らせ、これ以上はないほどのドヤ顔で。


「アレクサンドリア、略して『アレク』とか?」


「なんだそのイカつい名前っ! ぜんぜん可愛くないー!!」


 全然可愛くなかった。


 ビックリするほど可愛くなかった。


 略されても、まったくもって可愛くなかった。


「な、なんでですか!? カッコいいじゃないですか! 可愛いより、カッコいいほうが良いに決まってます! アリスさんはネーミングセンスが子供じみてますよ!」


「こど……!? じゃ、じゃあ、リアさんとセーナさんにどっちが良いか訊いてみようよー!」


「いいですよ。でもアリスさんのネーミングセンスが幼稚すぎて馬鹿にされても、わたしは責任持ちませんからね」


 ――五分後。

 

「ぷっちょん」


「ぷっちょん」


「即答!? な、なんでですか!? ぷっちょんですよ!? めちゃダサいじゃないですか! ぜったい、わたしがつけたアレクサンドリアのほうがクールですよ!」


 ルナが納得できないとばかりに食いつく。


 駆け足で待ち合わせの中央広場まで向かったアリスたちは、その場所にたどり着くなり、待っていたリアとセーナにくだんの問いを投げかけたのだが、二人からの答えは思いのほか高速で返ってきた。


 アリスが望む、パーフェクトな形として。


「アレクサンドリアはないわー。びっくりするほどないわー」


「アレクサンドリア、ってなんか響きが怖いんだけど。てゆーか、どっからその名前出てきたの?」


「ど、どこからって……その、語感、とか……? カッコいい、かなって……」


 言いながら、でも途中からルナの声がだんだんと露骨に小さくなっていく。最後のほうは、ほとんど聞き取れないくらいの小声になっていた。


 アリスは勝利を確信した。


「ふっふっふ」


「うわ、ムカつく! その顔、ムカつく!!」


 くわっ、とルナ。


 どうやら、自然とそんな(ムカつく)笑みを浮かべていたらしい。


 アリスは、言った。


 その笑みを浮かべたまま、勝ち誇ったように。


「じゃあ、レプも退屈そうにしてるし、そろそろ宿に戻ろっか」


「戻る! レプは早く戻ってチロと遊ぶ!」


「だね。いっぱい遊んだし。リアじゃないけど、さすがにブレナに悪いもんね」


「ルナ、行くよ。くだらないことでしょげてないでさ」


「しょげてません! 別になんとも思ってないです! 思ってないですからね!!」


 後方で響く、ルナの言い訳が心地よく背中を叩く。


 アリスは早歩きで、宿へと向かった。頭の上の、新たな『家族』と共に。


 新しい町での新たな夕日が、これ以上ないほどアリスの心を高揚させる。



      ◇ ◆ ◇



 同日、午後5時3分――宿屋2階、客室。


 それを見るなり、ブレナは両目を瞬かせた。


「……トッド、おまえ……なに描いてんだ?」


「変わった絵だね。ヘタウマな感じ? でも、トッドはまだ五歳だから、単純に下手なだけか」


 下手。


 チロの言うように、それは下手くそな絵ではあった。


 ただ、真っ白な大きな紙に、たくさんの色のクレヨンを使って、見ようによっては幾何学的とも見えるような、なんとも言えない不思議なその絵には、なぜかは分からないがゾッと背筋を凍らせる不気味さがあった。


「なんか紋様みたいにも、怪物みたいにも見えるね」


「怪物? そんなふうに見えるか? ああ……でも、そうだな。視点を変えたら確かにそんなふうにも……」


 見えないこともない。


 いずれ、ブレナは気味が悪くなって、トッドの右肩に軽く左手を置いた。


 そのまま、言う。


「おい、トッド。お絵描きの時間はそろそろ終わりだ。もう夕方だが、メシの前に軽く昼寝でも……」


「…………」


 返事がない。


 よほど夢中になって描いているのだろう。手を休めることなく、一心不乱に(でもなぜか表情は虚ろげ)創作作業に没頭している。


 ブレナはその作業をやめさせようと、左手に少しだけ力を加えた。


 が。


「…………ッ!?」


 ()()()()


 否、()()()()()


 レプくらいの年の子でも、容易に動かせる程度の力を込めたのに、一ミリたりとも動かせない。


 動かせなかった。


「ブレナ、邪魔したら可哀想だよ。そのうち飽きてやめるだろうから、今はそのまま描かせてあげたら?」


「…………ああ、そうだな。そうするか」


 チロの言葉に頷き、トッドの肩から手を離す。


 ブレナは、窓の外を見やった。


(……考えすぎか。自分で思っていたよりも、力を加減しすぎただけだよな……)


 このときは、そうして自分を無理矢理に納得させた。


 が、直感というのは思いのほか、精度の高い機能である。


 のちになって、彼はそのことを痛烈に理解する。


 阿鼻叫喚の、地獄絵図の中で。


 わずかに生じた不穏の風が、ブレナの心を冷たく吹き抜ける。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ