第83話 最高の瞬間
神歴1012年5月12日――ミレーニア大陸東部、フェリシアの町。
午後3時37分――商業区、グローの別宅(グローファミリー隠れ家)。
「……え?」
それを見るなり、ルナは間抜け面で固まった。
一秒か、二秒。
三秒ということはないだろうが、いずれ理解が及ぶのに相応の時間を要したことは間違いない。
唐突に目の前に広がったその光景には、それだけのインパクトがあった。
「なんだ、おまえらもここに行き着いたのか。が、一歩遅かったな。獲物はコイツでラストだ」
「ま、待ってくれ! 頼むッ、命だけは助け――――ひぎゃあああああっ!!」
鮮血が、舞う。
最後の鮮血が、広大な室内をトドメの赤に染め上げる。
ハッと我を取り戻したルナは、同じようにその段になってようやく現状を把握したらしいアリスと共に、同じ言葉を同じタイミングで叫んだ。
「ブレナさん!」「ブレナさん!」
ブレナ・ブレイク。
数多の死体が彩る血の海の真ん中で、彼はいつもと変わらぬ表情を浮かべていた。
その表情のまま、冷静に言う。
「で、そいつらも組織の一員か? いや、訊くまでもなかったか。そうしたってことはそうなんだろうな。まったく、仕事が早くて助かるぜ」
「……え?」「……え?」
間抜けに呆けた言葉が、アリスのそれと再び仲良く重なる。
ルナは慌てて背後を向いた。
キース、リッジ、黒縁眼鏡店主(名乗られたが忘れた。下品な顔に似合わず大層な名前だった気もしたが覚えていない)の三人が、バタリと床に倒れていた。
「仕事が早いのは、あんたのほうでしょ? なんで一足先に片づけちゃってんのよ」
「あたしたちとは別のルートで、本丸に行き着いたみたいだね。ま、手間が省けて助かったけど」
パタパタと、両手を払ってセーナとリアが続けて言う。
どうやら自分とアリスが呆けているあいだに、瞬時に状況を察した彼女たちの手によってこちら側の仕事も完了していたらしい。
結局、自分たちは何もしないまま(できないまま)、呆気なくフェリシアの巨悪はつぶれて消えた。
何もできなかった無力感が、ルナの心にズシリと響く。
◇ ◆ ◇
同日、午後5時55分――商業区、中央メインストリート。
「結局、アタシらが気絶させたあの三人まで殺しちゃって、文字どおりの皆殺しじゃない。若い女の子をさらって、人身売買してたような極悪集団だし、スカッともしたけどさ。あそこまで派手にやらかしちゃったら、でもさすがにまずくない? ミレーニアは町によって法律が違うから、この町の法がどうなってんのかはよく分かんないけど……」
「捕まったら、少なくとも取り調べは受けるだろうね。あたしたちがギルティスの人間だって分かったら、心証は良くないかも」
「かもしれないな。が、ヤツらがやってたことはあからさまに一線を越えてた。おまえらには刺激が強すぎて聞かせられないような、おぞましいレベルのことまで平気なツラしてやってやがったんだ。お灸をそえる、程度ですませられるようなヤツは一人もいない。皆殺しが妥当だ。とはいえ、さすがに残党まで探して始末してる余裕はねえがな。面倒くさいことになる前に、このままこの町とはおさらばしよう」
ブレナは軽く、前方を指さし言った。
正直、派手にやりすぎてしまったかも、とは若干思っていた。
調べれば調べるほどに、どうしようもないクズ集団であることが判明し、感情的に動いてしまったのは否めない。皆殺しにするにしても、もう少し違うやり方があったのではないかと、わずかばかりの後悔が心の端に今さらながら芽生えていた。
(……いろいろあって、俺自身が苛立ってたってのも一因かもな。精神力がいまだに人間のときのまんまだ。ワケ分かんねえヤツは出てくるし、ペンダントは失くしちまうしで……)
ペンダント。
せっかくこの町で新たな十二眷属を一人倒したというのに、チロが復活したかどうかを確認することさえできない。確率的にはそろそろ、いつ復活してもおかしくない段階にまで来ているというのに、だ。
(……焦ったところでどうにもなんねえってのは理解してるが、でも焦る。そのときが近づけば近づくほど、よく分かんねえけど無性に焦る。焦るのに、確認する術がねえからモヤモヤする)
モヤモヤしたところで、そしてどうにもならない。堂々巡りだ。
ブレナは、フッと一息吐いた。
と。
「……ブレナさん、平気?」
唐突に、隣を歩くアリスが心配そうに訊いてくる。
何が、とはぐらかそうとしたが、だが結局ブレナの口から出た言葉は、
「平気だ」
シンプルなその三文字だった。
それを受けて、今度はルナが心配そうな視線をこちらに向ける。
「……らしくないですね。何かあったなら話してください。聞きます」
「……別に、なんもねえよ」
「なにもなくはないと思います。グローファミリーを皆殺しにしたのも、ブレナさんらしくなかったです。だから、わたしもアリスさんも気になっていました」
「いやだから、あれはあいつらが……」
言いかけて、中途でよどむ。
瞬間、アリスとルナの表情から、明確に『心配』の二文字が浮かび上がった。
「心配事があるなら言ってよーっ。いつものブレナさんじゃないと心配になる―っ」
「アリスさんの言うとおりです。誤魔化そうとしても無駄ですよ。いつもと雰囲気が違うことくらい、見れば分かります。もう一年以上、ずっと一緒にいるんだから」
「…………」
ブレナは、黙った。
返す言葉が、すぐには思い浮かばない。
どう返答すればいいか、彼は困った。
誤魔化すな、と言われても誤魔化すしかない。
あの男の放った言葉が気になっているとはもちろん、ペンダントを失くしたことでチロが復活したかどうかが確認できずなんかモヤモヤする、とも言えるわけがない。
そんなしょうもないことで、いつもと違う表情を浮かべていたなどと知られては神どころか、年長者としての威厳も丸つぶれだ。恥ずかしくて、そんなことは口には出せない。
と、だがそうこうしているあいだに、反応する声がさらに増えた。
「え、なになに? あんた、なんか悩み事とかあんの? あんならアタシも聞くよ」
「……セーナの姉の場合、ホントに聞くだけだけどね。まあ、なんか気になることがあるなら話しなよ。あんたには借りがあるし、あたしで良かったら相談に乗る」
「レプも聞く!」
「オイラも聞くー」
「ボクも聞くー」
レプや、あげくトッドにまでそう言われる始末。
ブレナは、ため息で応じるほかなかった。
(……レプも聞く、オイラも聞く、ボクも聞く、か。こんなガキどもにまで……)
…………………………………………ん?
…………………………………………ん?
…………………………………………ん?
あれ、なんか一声多くない?
レプ、オイラ、ボク…………ん、オイラ?
オイラ?
オイラ?
オイラ!?
ブレナは、弾かれたように『その方向』を見やった。
レプの声と、トッドの声とのあいだに入った、その声が響いたその方向を。
「……………………え」
知らず、自分の口からそんな間抜けな単音が落ちる。
数秒の後、彼は叫んだ。
これ以上はない、という驚愕のトーンで。
「チロ!?」「チロ!!」
その二文字が、レプの歓喜の叫びと重なる。
チロ。
チロである。
まごうことなき、ドラゴンパピーのチロである。
彼は当たり前のように、平然とした顔でパタパタとその場を飛んでいた。
まるで最初からそこにいたかのように堂々と。
そうして、彼は言った。
いつもと変わらぬ、チロのトーンで。
「ただいま、ブレナ! ただいま、レプ!! 一週間の長旅を経て、オイラようやくミレーニアに到着っ!! おなかすいたーっ!!」
なんの脈絡もなく、なんの前触れもなく。
その『最高の瞬間』は、突然と彼らの元に降り注いだ。
突然と。
ブレナ・ブレイクは――トーマは、神の奇跡を神になって初めて体感した。
創造主の物語は、そうしてクライマックスへの一歩を力強く踏み出す。
――第4章 完




