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第77話 恥辱


 神歴1012年、5月5日――ミレーニア大陸東部、フェリシアの町。


 午後1時50分――商業区、裏路地。


「……たちの悪い冗談はやめてほしいんだけど」


「冗談やってるつもりはないよ。幽霊にでも見えるかい?」


「ゾンビには見えないね。腐ってないし」


「ククッ、おもしろいこと言うねぇ。しばらく見ないうちに、そんな軽口叩けるようになったんだ。でも、クールなリア嬢ちゃんには似合わないよ」


「…………」


 リアは、大きな両目をきつく細めた。


 ()()()()()


 ありえない存在が、目の前に確かに存在している。


 ミカエル・パトラ。


 不倶戴天の仇にして、でももうすでに惨めに朽ちて過去の亡霊と成り果てた元同僚うらぎりもの


 苛烈な拷問にも屈せず、彼女は最期まで何も語らなかった。


 何も語らないまま、リアの目の前でギルバードに首を落とされた。


 落とされた、はずだ。


 なのに……。


(……死体にも触れた。ギルも含めて、セブンズリード全員で確認した。あのときあの場所で、あの女は確かに死んだ。死んだあと、ギルの炎で灰燼と化した。そこまで見てる。実は生きていた、なんて展開が生まれる余地はない。絶対に、ない……)


 ないと、断言できる。


 断言できるのに……。


「ククッ、やめなよ。頭の中、混乱で渦巻いてるんだろ? 無理してそんなクールな表情を維持しなくったっていい。もっと素直に驚きなよ。可愛いお目目を見開いて、なんであんたが生きてるの!?って。そうしたら、こっちも素直にカラクリを教えてやってもいい。あたしはあんたと違って素直な性格だからねぇ。さあ、どうする?」


「たちの悪い冗談はやめてって、さっき言ったばっかなんだけど。あんたがどうやって生き返ったかなんてどうでもいい。興味もない。あんたが今、生きてあたしの前に立ってるって事実だけあればじゅうぶん。その事実も、数分後にはキレイサッパリなかったことになってるけどね」


 もう一度、シェラの仇を自分の手で討てるチャンスが来た。その事実だけあれば、ほかにはなにもいらない。


 ほかには、なにも――。


 今度こその思いを胸に、リアは闘争の一歩を踏み出した。


 犬猿の相手との、ひさかたぶりの死闘がそうして始まる。



      ◇  ◆ ◇



 同日、午後1時55分――商業区、裏路地。


 踏み出し共に振り抜いた最初の一撃が、文字どおり空を切る。


 リアは小さく一度、舌打ちすると、続けざまに今度は逆側の拳――左ストレートを討ち出そうと――を強く握った。


 が。


「危ない危ない。苦手な接近戦を、あんた相手に受けて立つほどあたしは間抜けじゃないよ」


 退く。


 察したミカエルが、一歩先んじて後方へと下がる。


 彼女はそのまま、大きな身体を小さく揺らして、


「それにしても、理解できないねぇ……。あれからだいぶ時間も経ってるのに。あんたさ、こんなムキになるほどシェラと仲良かったっけ? ああなったのが、ジャックやセーナならまあ分かるんだけど……あんな偽善女のために――」


「黙れっ!」


 ピュッ。


 ミカエルの戯言を遮るように、今度は左足を槍のごとく前方へと突き伸ばす。


 が、またしても、ミカエルは迷いなく後方に飛んでその一蹴りを回避した。


 最初はなから戦う気などないかのごとく――。


 瞬間、リアはふたつのことを同時に理解した。


 刹那、()()()()()()()()が完璧なタイミングで彼女の身体を横なぎにさらう。


 建物の外壁を内側からぶち抜く、それは豪快極まる不意打ちだった。


「完璧。我ながら、完璧なタイミングだったな。もう一回これをやれって言われても、そうそうできるもんじゃないぜ。ま、やる必要もねえがな」


「…………ッ!」


 伏兵。


 リアは、自身の甘さを痛烈に悔やんだ。


 まさか隣接する建物の中にもう一人潜んでいて、その内部から不意打ちを受けるなんて思いもしなかった。誘い込まれているのかも、とは直前になって察したが、それも文字どおり直前になっての遅すぎる疑念。ミカエルを発見したその段階で、同時に彼女以外の敵も潜んでいるかもしれない可能性を想定しておかなければならなかったのに。


 それすらもできていなかった自分を、リアは心の底から嫌悪した。


「さて……と。どうすっかな。このまま、この細っこい首をへし折っちまうか。それが一番、手っ取り早いよな?」


 言って、()がわずかに口もとを緩める。


 男。


 男である。


 黒髪黒目の、偉丈夫。


 人間であれば三十前後といったところだろうが、おそらく彼は人間ではない。


 ()()()()


 そう断言して、差し支えはないだろう。


 それよりも――。


 首をわしづかみにされ、中空に身体を吊り上げられた状態のまま、リアは瞳だけを別の向きへと動かした。


 言う。


「……あんた、何者? ()()()()()()()()()()?」


「……へえ」


 視線の先、ミカエルの目つきが変わる。


 彼女は感心したように両目を細めて、


「今の一瞬の攻防で()()が分かったんだ。キミ、思ってたよりも鋭いねー。まあどうせ、ブレナには知られてる()()だからバレてもかまわないけど。それにしても、彼がボクのことをキミに話してなかったのはラッキーだったね。()()()()()()()()()のかもしれないけど。ああごめん、別に疑心暗鬼を誘おうとか、そういう意地悪な作戦じゃないよ。ボクって思ったことをすぐに口に出しちゃうんだ。意識して気をつけてないと、ね」


「…………」


「というわけで、キミの想像どおり、ボクはミカエル・パトラじゃない。だから勝気な眼差しとは裏腹、モーリスの締め上げに膝から下を八の字に曲げちゃって、女の子らしく可愛く悶えてる今のキミを見ても、別になんにも感じない。苦しいのを必死に耐えてるんだな、素直に苦しがったほうが楽なのに、くらいしか感想はわかない。ボクはいたってノーマルだからね。本物のミカエル・パトラなら恍惚な表情を浮かべて悦ぶんだろうけど」


「…………」


「あ、またちょっと目が鋭くなったね。図星を突かれて、癇に障った? なんかイジリ甲斐がありそうなコだなー。もっとイジッて遊んであげたい気もするけど、キミの相手はそこのモーリスに任せるよ。ボク、戦闘においては十二眷属最弱だから。あんまり長居して援軍が来ちゃったら、逃げることすらままならなくなっちゃうからね」


「…………」


「じゃ、あとはよろしくねモーリス。分かってるとは思うけど、キミもさっさとそのコにトドメさして逃げないと、ブレナにやられちゃうよー。一回一殺、基本はヒットアンドアウェーだよ」


 軽薄な口調で最後にそう言って。


 ミカエルの姿をした、()()()()が視界から消える。


 直後、それと入れ替わるように、()()()()の声が間近で響いた。


「言われなくても、分かってるぜ。アイツが来る前に、このまま首をへし折る。へし折るつもりでさっきから全力で握ってるんだが、けどなかなかへし折れねえな。見た目によらず頑丈な女だ。とはいえ、この圧倒的有利な状況で下等な人間相手に『ハレルヤシャウト』を使うってのもなぁ……」


 かったるげに言って、男が腰もとのダブルに一瞬だけ視線をくれる。


 その一瞬を、だがリアは見逃さなかった。


「――――っ!?」


 一閃。


 全身をねじり込むようにして、強引に左足を動かし、相手の側頭部に蹴りの一撃を見舞う。


 ごすっ、という鈍い音を立て、喰らった男の身体はそのまま、勢いよく背後の壁にぶち当たった。


 が。


「……おいおい、マジか? どんな身体能力してやがんだ。あの状況からこの威力の蹴りを放って寄越すかよ? 気づくのがあと半瞬遅かったら、逆に首をへし折られてかもしれねえ。俺、こう見えて意外とやわだから」


 むくりと。


 何事もなかったかのように、黒髪黒目の男が立ち上がる。


 彼はそのまま、流れのままに地面に崩れ落ちたリアを見下ろし、

 

「ま、けど状況はさして好転しなかったな」


「……けほっ、げほっ、げほっ!!」


 吐き出された鮮血が、石畳の床を赤く染める。


 首を強い力で圧迫され続けた影響か、あるいはその後の激しい咳で喉の粘膜をやられたのか――どちらかは分からないが、少量の血が吐き出されたことなど些事に過ぎなかった。大事なのはそこではない。


 大事なのは――。


「あれだけの時間、この俺がへし折るつもりで首を握り続けたんだ、そうなるのも無理はねえ。もっともテメエの性格上、女の子座りで可愛く地面にへたりながら情けなく咳き込むことしかできねえってのは、相当の屈辱だろうがな。ああ、見た目だけで勝手に中身まで想像すんのはデリカシーにかける行為だったか。実際のテメエは気が弱く、今もブルッて小便ちびりそうになってるだけの、ただの憐れな小娘かもしれねえもんなッ!」


 ズンっ!


「ぁぐッ」


 リアは思わず、短い悲鳴を漏らした。


 腹部に突き刺さる、信じられないくらい重い一撃。


 ただの踏みつけが、数トンハンマーのように重い。全てを破壊するような激烈な痛みが、あっという間に全身を駆け巡った。


 自分の意思とは無関係に、少量の涙が左目に滲む。リアは奥歯を強く噛みしめた。


 と。


「このままひたすら蹴り続けて、蹴り殺してやりてぇとこだが、さすがにそんな時間はねえ。ブレナが来る前に、癪だがコイツで首を斬り落として……」


 吐き捨てるようにそう言って、黒髪黒目の偉丈夫が自身の『ダブル』を腰もとから抜いた、だがまさにそのときだった。


「その時間もねえよ。残念ながら、タイムリミットだ。おまえにはもう、殺される時間しか残されてねえ。覚悟を決めな、モーリス・ルラン」


 望まぬ救援が、リアの心を恥辱の極致へと叩き落とす。

 

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