第63話 ジャックの弱点
神歴1012年、4月7日――ギルティス大陸南東、神都アスカラーム。
午後7時28分――商業区、中央メインストリート。
「そっちに行くな、とはどういう意味だ? 貴様、何か知っているのか?」
振り向き、ジャックは怪訝に眉をひそめて訊いた。
と、視線の先の女――リベカは、ドギマギと両目を泳がせ、
「い、いや別に何も知らないけど。なんかそっちは行かないほうがいいんじゃないかなーって、直感しただけってゆーか……」
「……意味が分からん。貴様の直感など、一ミリも当てにならんわ」
「いや、案外そうでもねえかもしれねぇぜ」
「――――っ!?」
割って入った言葉と共に。
ジャックの眼前を、円形状の物体がコロリと横切る。
彼は一瞬だけそれを見やると、すぐさま視線を声の主へと差し向けた。
「これはなんだ? ディルス」
ディルス。
現れたのは、一番隊隊長ディルス・ロンド。
彼は自慢の剛腕をブラブラと左右に揺らしながら、
「首だよ。人間の首」
「そんなことは分かっている。誰の首かと訊いているんだ」
「さあな。俺にも分からん。名前、訊く前に殺っちまったからな。が、そこの女なら知ってるんじゃねえか?」
「…………」
言われて。
ジャックはディルスの視線を追うように、再度、リベカのほうへと視線を移した。
と、二人の視線を一身に受けた彼女は、驚いたように両目をパチクリさせて、
「……え? なに? なんで二人してあたしのほう見るの? あたしが知ってるわけないじゃない」
「どうかな? 俺はおまえさんのことは詳しく知らねえが、この状況で悲鳴のひとつも上げねえってのはどうかと思うぜ。若い女が、突然目の前に投げ捨てられた生首見て、取り乱さずに普通に喋ってる。一般人だとしたら、とんでもねえ胆力の持ち主だ」
「――――!? あ、いや……そ、それは……その、えと……」
「貴様、まさか……」
一般人ではない?
それはつまり、何を意味するのか。
ジャックは高速で、思考を巡らせた。
やがて、ひとつの『明確な解』が彼の脳裏にピコンと浮かぶ。
ジャックは、両目をひんむいて叫んだ。
「貴様ッ、まさか『十二眷属』だったのか!?」
「なんでそうなるのよ!? あんた馬鹿なの!? いや馬鹿なのは前から分かってたけど、想像以上のウルトラ馬鹿じゃない!」
「ウルトラ……貴様ッ、今の言葉だけは看過できん! 取り消せ! 私はウルトラ馬鹿ではない!!」
「ウルトラ馬鹿じゃない! あたしは黒髪黒目じゃないし、仮にあたしが偽装した十二眷属だったとしても――もしそうなら、あんたんとこのボスのギルバードのサーチに引っ掛かってるはずでしょ!?」
「……う、それは……まあ、言われてみれば確かにそうだが」
正論だ。
ジャックは完全に勢いを削がれた。そのまま、シュンとうな垂れる。
が。
「おまえさん、なんで総長の『サーチ』の力を知ってる?」
「……え」
横合いから放たれたディルスの指摘に。
リベカの表情が、ほんの一瞬だけポカンと固まる。
彼女はだが、すぐさま惚けた表情を引き締め、
「ジャ、ジャックに聞いたのよ! ガストの村で!」
「言ったのか、ジャック?」
「馬鹿な! 言うわけがないだろ!? ブレナたち以外の前で、そんなことを言った記憶はない!」
「言ったわよ! ほら、あのとき!」
「あ、あのときとはどのときだ?」
「あのときはあのときよ! ちゃんと思い出しなさいよ、アイアンヘッド!」
「…………」
思い出せない。
まったくもって思い出せない。
ジャックの弱点は、記憶力だった。
☆ ジャック・ヴェノンの、記憶力のなさを示すエピソード。
その1 九九の七の段を暗記するのに二か月かかる(八歳のとき)。
その2 リアのフルネームを覚えるのに三か月かかる(十歳のとき)。
その3 週一くらいで、夕食時に昼食に何を食べたか忘れる(現在進行形)。
エトセトラ……。
ジャック・ヴェノンは努力の人である。
聖堂騎士団の筆記試験(たいして難しくない)を一発で突破したのも、人の数倍努力したからだ――その期間、教師役をやらされたリア曰く、ここまで脳みそがプリンだとは思わなかった。もう二度とあの地獄の数か月には戻りたくない。戻るくらいなら死を選ぶ――それほど彼は努力家であり、だが同時に記憶力にも難があるのである。
閑話休題。
十二秒間、記憶の糸を必死に手繰ったジャックは、
「いややはり言っていない! 貴様の前では、絶対に言ってないぞ!」
「……ちっ、引っ掛からなかったか」
ぼそりと、リベカ。
彼女はそのまま、面倒くさそうな顔をして腰の後ろへ右手をやると、そこから魔法モードのダブルをスッと引き抜いた。
ジャックは、両目を丸くした。
「ダブル!? 貴様、やはり――」
「兎の心得」
言葉の途中。
リベカが自身の身体にダブルの先端を押し当て、口早につぶやく。
兎の心得。
対象のスピードを一倍半に引き上げる補助魔法である。
効果持続時間は七分。彼女の元の身体能力がどれほどのモノかによっても違いは出るが、厄介な強化であるのは間違いなかった。
「この『カンダタ』を使うはめになるとはね。本音を言えば、あんた相手には使いたくなかったんだけど。ああ一応断っておくと、この大陸のティグ村出身ってのは嘘じゃないから。村を出た『理由』も半分ホント。二十年ぶりに立ち寄った故郷で、まさかあんな醜態さらしちゃうとは思ってもみなかったけど」
「…………」
ジャックは無言のまま、自身のダブル――刀身モードのゴドルフィンを抜いた。
アイコンタクトで、そうしてディルスへと合図を送る。
二人で、一気に片をつける。
自信満々に見える彼女がどれほどの使い手かは分からないが、自分たち二人を同時に相手にできるほどのレベルにあるとは到底思えない。
多少の不気味さはあるが、ここは先手必勝でたちどころに――。
と、ジャックがそう思った、だが次の瞬間だった。
バッ!
くるっ!
スタタタタッ!!
「…………は?」
ジャックは、阿呆のように固まった。
逃走。
無駄のない動きでクルリとまわり、リベカ・アースタッドはこちらとは逆方向に向かって全速力でダッシュした。つまりは、逃げたのである。
ジャックは、慌てて叫んだ。
「おい、待てっ! 戻れ! 貴様……逃げるなッ、リベカ!!」
「待てと言われて待つ馬鹿はいねえよ! ジャック、おまえはあの女を追え! この通りの先へは俺が行く!」
「りょ、了解した! そっちは頼んだぞ、ディルス!」
失態だ。
このまま逃げられたら、言い訳のつかない大失態である。
ジャックは、一心不乱にリベカのあとを追った。
相手側の思惑に、まんまと乗せられているとも知らずに。
手薄となったラーム神殿に、そうして『邪王』の影が迫る。




